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映画「さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について」 さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について
劇場公開日:2022年6月10日
解説
ドイツの児童文学作家エーリッヒ・ケストナーが1931年に発表した大人向け長編小説「ファビアン あるモラリストの物語」を、「コーヒーをめぐる冒険」のトム・シリング主演で映画化。1931年、ベルリン。時代は狂躁と頽廃の20年代から出口の見えない不況へと移り変わり、人々の心の隙間に入り込むようにナチズムの足音が忍び寄る。作家志望の青年ファビアンは、目的のない無為な日々を過ごしていた。女優を夢見るコルネリアとの恋や、唯一の親友であるラブーデの破滅。世界が大きく変わる予感と不安の中、ファビアンはどこへ行くべきか惑い、焦りを募らせていく。やがてコルネリアは女優の夢をかなえるためファビアンのもとを離れるが……。コルネリアを演じるのは「ある画家の数奇な運命」でもシリングと共演したサスキア・ローゼンタール。監督は、ドイツでテレビ映画を中心に手がけてきたドミニク・グラフ。2021年・第71回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。
2021年製作/178分/PG12/ドイツ
原題:Fabian oder Der Gang vor die Hunde
配給:ムヴィオラ
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コーヒーをめぐる冒険のトムシリングが主演のアヴァンギャルドとクラシックが調和した魅力的な作品。
多くを語っているから、一回見ただけでは勿体ない。
不思議な魅力で、何度でも見たくなる。
ちなみに私は3回見たけど、もう一度見たいです。
ベルリンの街並みやレストラン、カフェの雰囲気もとても良かった。
ケストナーの原作、読みたくなりました。
178分、長い…。
でも、4年ぶりのトム・シリング。
もう、それだけで嬉しかったです。
『コーヒーを巡る冒険』が好きな人は、この作品だって好きになります。
1930年代のドイツを舞台に、目的を見つけられず惰性で生きているファビアンを主軸とした人間の悲喜劇。
世の中が変わっていく中でも必死に生き抜いていく様が鮮烈に描かれている。
映像は、ハンディーカメラでベルリンの地下鉄ホームを過ぎ行く風景から始まる。
地上に出ると、そこには、第一次大戦に出征し、心的外傷に苦しむファビアンの姿があった。
街には、緩やかなドイツ人の人々の営みに混じって、張り紙やら軍服兵隊の姿やら…、じわじわと不穏なナチスの影が忍び寄っていることが見て取れる。
劇中で「人間に必要なものは祖国だけだ」という風刺のセリフが印象的だった。
祖国の為に人は闘いを強要される。
敗れても帰る祖国がある者は、まだ幸せである。
毎日がどうなっていくのか…、人生は何処へ向かえばいいのか…、という不安。
気持ち次第で変えられる世界と、不条理にやってくる苦しい世界。
誰もが抱えている人生への恐怖。
それは、溺れるような息苦しさだ。
カナヅチのファビアンを比喩に、教授になれるほど賢いのに、人生を上手く泳ぐことが出来ない姿を描くことで、時代に翻弄されながらも生き続けていくことが難しいことがよく分かる。
それでもファビアンは、人間の内面的価値を大事にし、「生きるということは、1番、楽しい仕事だ」と言っていた。
その姿は、まだ何を成していなくとも気高く美しく見えた。
178分と少し長丁場ではありますが、自粛で、しばらく良い作品とは疎遠だったので、久しぶりに劇場で良いものを堪能したなぁ〜と幸せを噛み締めました。
感染対策をして是非、劇場で観て欲しい作品です。
2022年6月26日
Androidアプリから投稿
178分!! 長いです…(泣)。
4年ぶりに見たトム・シリングは、良かったでした。
『コーヒーを巡る冒険』が好きな人は、この作品だって好きになります。
1930年代のドイツを舞台に、目的を見つけられず惰性で生きているファビアンを主軸とした人間の悲喜劇。
世の中が変わっていく中でも必死に生き抜いていく様が鮮烈に描かれている。
映像は、ハンディーカメラでベルリンの地下鉄ホームを過ぎ行く風景から始まる。
地上に出ると、そこには、第一次大戦に出征し、心的外傷に苦しむファビアンの姿があった。
街には、緩やかなドイツ人の人々の営みに混じって、張り紙やら軍服兵隊の姿やら…、じわじわと不穏なナチスの影が忍び寄っていることが見て取れる。
劇中で「人間に必要なものは祖国だけだ」という風刺のセリフが印象的だった。
祖国の為に人は闘いを強要される。
敗れても帰る祖国がある者は、まだ幸せである。
毎日がどうなっていくのか…、人生は何処へ向かえばいいのか…、という不安。
気持ち次第で変えられる世界と、不条理にやってくる苦しい世界。
誰もが抱えている人生への恐怖。
それは、溺れるような息苦しさだ。
カナヅチのファビアンを比喩に、教授になれるほど賢いのに、人生を上手く泳ぐことが出来ない姿を描くことで、時代に翻弄されながらも生き続けていくことが難しいことがよく分かる。
それでもファビアンは、人間の内面的価値を大事にし、「生きるということは、1番、楽しい仕事だ」と言っていた。
その姿は、まだ何を成していなくとも気高く美しく見えました。
178分と少し長丁場ではありますが、自粛で、しばらく良い作品とは疎遠だったので、久しぶりに劇場で良いものを堪能したなぁ〜と幸せを噛み締めました。
感染対策をして是非、劇場で観て欲しい作品です。
2022年6月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
ネタバレ! クリックして本文を読む
退廃的な社会に生きるヤコブ・ファビアン、32歳(Tom Schillingー実際32歳には見えないねえ、やっぱり40歳だね。トムにはこういう役は適任) ファビアンは遅刻が多くプロ意識に欠けている。1931年と最初に出るから、ナチズムの台頭時代だとわかるからありがたい。世界大恐慌の時代に、ファビアンは社会の動きを気にしているようにも思えないが、、、、、、でも、この世の中は『品位のキャパシティー』 があるかと、大家に犯罪の多い新聞記事をを読んだ後、いっている。
でも、この映画を最初の30分しかみていないが、ファビアンは危機感を感じていないように見える。 そこが現在社会でも言えることで、何も問題意識を持たないで、生きていると、危険な政治状態になっているのを見逃してしまう。戦争に一歩足を入れて気付くようになる。危険信号だと我々に伝えているようだ。
ここからこの長い映画を全部鑑賞してからこの後を書いている。
この映画はアーカイブやポスターで政治の動きを見せている。これらのポスターが、ファビアン、コルネリア(サスキア・ローゼンダール)、ラブーデ(アルブレヒト・シュッヘ)の生き方を反映していて共通性が窺える。ただ、ドイツ語がわからないので、正確には言えないが、 明らかにわかるのは、『エルンスト・テールマンに投票せよ』 と言う壁に書かれた文字である。テールマンはラブーデの思想であるようだ。テールマン率いる共産党は、選挙で負けてヒットラーが天下をとるわけだが、彼は1944年にブーヘンヴァルト強制収容所で殺害されたとネットで読んだ。
ベルリンは世界恐慌で、生活がくるしい人が大勢出ている。例えば、ファビアンが女優を夢見るガールフレンド、コルネリアと一緒にいる時、彼がレストランに招待した浮浪者ふうの人は『生活保護は10マルク、経験していないのは自殺だけ』だという。ファビアンもタバコの会社の広告コピーライターの仕事を首になり、物書きになりたく書いている。大恐慌の時代の金のないファビアンのとるこの行動こそ彼の人柄を示している。
そして、ファビアンと彼の唯一の親友であるステファン・ラブーデ(Albrecht Schuch)はGotthold Ephraim Lessingというドイツの哲学者の卒論を書いている。彼は左翼で、政治改革を考えている。弁護士の息子で、裕福であり、豪邸に住んでいる。資本主義の賜物のような家庭に育ち、彼自体、社会変革を求めているところがファビアンの道徳的な行いと共通するようだ。だから、この二人の親友は批判しながらも合っていると思った。
二人の会話で面白いところがある。大好きなシーンだ。
ラブーデはファビアンは何もしていないと。そして、誰も助けないし、誰も助からないというようなことを言う。ラブーデはヒットラーが台頭し始める中で社会を変えようとしている。
しかし、ファビアンの答えは『観察しているだけじゃダメなのか?』 情勢や人々を観察しているだけで、何もしないのはダメなのかと言う意味で、特に、ナチスの動きを気にしていない(ように見える)ファビアンだが、ラブーデは自分の頭の蠅を追っているだけではダメだといってる。
このシーンは強烈であり、社会参加に興味がないファビアンの結末はこの時代どうなるのかと案じた。
パーペン
ヒットラー
テールマン
バルト海に今晩大嵐が来るよ。
しかし、警察の取り締まりと大学の腐敗に直面したラブーデは見事に快楽主義へと落ちていってしまう。これが、まるでドイツがヒットラー、ファッシズムから道徳的に衰退していくのと同じだと思う。
ファビアンだけがラブーデを裏切らず助けていた。ラブーデの父親は教授に話して、卒論を書き直せばよかったのにと。そして、『息子がなぜ自殺したかわかれば泣くなと』。ファビアンはそこでは泣かなかった。
ファビアンだけが、最初からこの映画の最後である、ドレスデンの自宅の近くで子供を助けに川に飛び込むシーンまで、ナチスドイツに移りゆく時代に、倫理的な人間に描かれている。だから、結末に衝撃を受けるが納得がいく。