クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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マッチョでカッチョ良い爺さん
愛はないはずの両親から、金や自尊心のために綱引きされる哀れな坊やとのロードムービー。
本当の強さや幸せが何なのかを、少ない言葉と背中で見せるイーストウッドは、マッチョではないがカッチョ良い!
カッチョ良いし、全部噛み締めた上で少年を送り出すラストシーンもエモかったけど、全体的に凡作の謗りは避けられないかなぁ…
90歳を超えてなお、情熱を持ってエンタメ界に身を捧げるイーストウッド翁に敬礼。
いろいろと無理が…
毎回よい作品を世に送り出してくれているクリント・イーストウッドが、今度はどんなテーマを投げかけてくれるのかと期待して鑑賞してきました。しかし、本作のテーマは「本当の強さ」とか「生き方」とかになるのかもしれませんが、どちらも今ひとつピンときませんでした。率直に言うと、ただただクリント・イーストウッドの姿を見続ける作品といった感じです。
ストーリーは、かつてはロデオスターとして一世を風靡したものの、落馬事故を機に落ちぶれ、老いさらばえた男・マイクが、恩ある知人からメキシコにいる彼の息子・ラフォを連れ帰ってほしいと頼まれ、メキシコからアメリカ国境に戻る旅路での二人の交流を描くというもの。ロードムービー的であり、バディムービー的でもありますが、どちらも徹底した描かれ方はしていません。というのも、道中のある町に長く留まったり、二人が相互に強く影響し合ったと思える描写も少なく感じたからです。というわけで、冒頭で述べたような、クリント・イーストウッドを鑑賞する作品という印象になるわけです。
では、つまらなかったかというと、そうでもないです。少年との交流、滞在した町での暮らしぶり、ノスタルジックな風景などを味わい、ほっこりと心温まる時間を過ごすことができました。警察相手に「運び屋じゃない!」と悪づくシーンも笑えました。また、老いてなお監督、主演を務めるクリント・イーストウッドには、驚異的なバイタリティと貫禄を感じました。名優、名監督として名を馳せた彼もすでに91歳。年齢を考えると、本当によくやっています。
しかし、観客に「よくやっている」と思わせるところに、彼の限界を感じてしまいました。ほとんどゆっくり歩くか車を運転しているだけで、ダンスのステップもおぼつかない姿には、さすがに主演には無理があったのではないかと感じます。ストーリー的にも、そもそもこんなおじいちゃんに頼まないし、おじいちゃんにやられる追手が弱すぎ&アホすぎに見えるし、おじいちゃんモテすぎだし、馬の調教シーンは顔が映らないし…って感じで、無理がありすぎです。クリント・イーストウッドじゃなかったら許されませんよ!でも、逆に彼だから許されるわけで、そういう意味ではやはり偉大な存在だと言わざるを得ません。
のんびり逃走劇
2022年劇場鑑賞15本目。
メキシコで母親に虐待されている昔手放した息子を連れてきて欲しいと頼まれたクリント・イーストウッドが、追手から逃れつつアメリカに向かう話。
と聞くと手に汗握るアクションや子供との交流によって生まれる絆、みたいなのを想像すると思います。まあ後半はあるっちゃあるんですが、どちらかというと90すぎのおじいさんがモテモテなのと、ちょっと気に入らないシーンがありまして評価は大分低いです。
ストーリーの展開上割と序盤で車を拝借するシーンがあって、ボロ車なのですが、車ってボロければボロいほどその人の総資産のほとんどを占めていると思うんですよ。それを考えるともう盗まれて困っている人の事しか考えられなくなってしまって全然登場人物に共感できなくなってしまいました。
後はもう追われている割にはすごくゆったりとした時間が流れちゃっているのも眠気を誘う・・・。
唯一良かったのはニワトリってこんなに演技できるの!?というところでしょうか。動物初のアカデミー助演男優賞(雄鶏なので)受賞して欲しいですね。
良いぬるま湯加減。なんと、ニワトリじゃあないか。
※ネタバレをしているような感じもありますが、絶対に初見でこの感想を映画館で受け取る人はいないと信じて、ネタバレあり制限はかけません。
公開日、「ハウスオブグッチ」とどっちを先に行こうか悩んで今日行ってきました「クライマッチョ」。
感想を一言で言うなら、まさに表題のような感じです。なんといいましょう。普段は40℃とかのお湯なんだけど、ちょっとお湯が冷たくなってて、「あ、まぁ悪くないかも」みたいな感じ。
しかしですね。これがなんとビックリ。実はこの映画、おじいちゃんが頑張る映画の皮を被っていますが、実はニワトリが主役なのです。近年稀に見るニワトリ映画なのです(そんなジャンルがあるのかは定かではない...)。
とにかく、あらゆる場面で頑張るニワトリ、寝ると起こしてくれるニワトリ、見事なクライマッチョを飾るニワトリ。こんなにもニワトリに奉仕された映画がかつてあったのでしょうか?私は「チキンラン」しか知りません。
この映画を傑作「グラントリノ」と同種のものとして考えると、かなり違ってきてしまうと思います。どっちの方が好きかは、まぁ置いといて...。
しかし、イーストウッドが自身の集大成として、ニワトリを描いた今作を、私は愉快な作品だったなぁと思いました。全体としても、「男らしさ」というよりは可愛らしい映画だったなぁと思いました。まさか自身のマッチョ性を、ニワトリを手に入れるで取り戻すなんて、誰が予想できようか...。
本当の強さ、それは、ニワトリだった。
嘘か真か、是非劇場でお確かめ下さい。
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さて、ここからは余談というかある意味個人的に本題ですが、今作は元々アーノルド・シュワルツェネッガーを主演として考えられていた作品だったそうですね。そう考えると「マッチョ」にも納得のいく所があります。そこで思ったのが、おそらくそのままシュワちゃんでやってた場合、パート・レイノルズの遺作「ラストムービースター」のようなセルフ自伝作品としての意味深い映画として完成されたのかなぁとか、思ったりもしましたね。
「マッチョを信じて、マッチョに生きてきた男が、今日そうでなくなった事で虚無感に襲われて、人生を自堕落に過ごしてきちまった」
みたいな?まぁ本人がそうかは別の話ですがね...。で、子供への継承は、なんていうか「ローガン」な感じで?そうなら、シュワちゃん版も結構観たかったなぁとか思ったりしますね。シュワちゃんだと、ニワトリうっかり殺しちゃいそうですがね....。
ラストシーンに心が暖まります。
ただ、そこにいて、動いているだけで、奇跡のマツチョなのだ‼️❓
運び屋じゃないんだから
イーストウッド作品は実は初めて。
それが彼の50周年監督作品という。光栄です
予告は面白そうだけど、退屈そうとも正直思った。けど、結果的には退屈することもなく心が温まるとてもいい映画でした。
予告は少し大袈裟かなぁとも思うが、間違いなく癒される映画です。ロデオスターの風格が何故か感じ取られるイーストウッドは、年は感じさせられるものの安定した演技で流石でした。このマイクという人物、かなり魅力的なキャラクターだなと。懐大きくて、色んな意味で強さを持っている。登場人物全員彼に救われていて、ホッコリするものがありました。
人間ドラマの描き方が上手いこと。
大きな事件が起こるわけでもどんでん返しが待っている訳でもないが、優しく包み込むような雰囲気が居心地が良くて、ちょっとした幸せに喜びを覚える。歳をとってもこういう生き方をしたいな。せっかく広い場所があるんだから、と車の中ではなく外で睡眠をとるシーンがお気に入りです。
光の見せ方が良かった。
太陽と馬とマイクが重なるシーン、日が昇るシーン、お別れのシーン。カメラワークと70年代の音楽が相まってどれも趣深いシーンになっていました。なんだか、この監督が長い間評価される理由がわかった気がしました。
ただ、マイク以外の登場人物が安直過ぎた。
すぐカッと感情的になったり、あまりにも人の言うこと聞きすぎたり、なんの感情の変化も描かれていないのに受け止めたり、それはどうかなと思う場面がいくつかあった。もっと過去を描いた方が面白かったな〜。
あと、老人の恋愛は興味無いです、流石に。
ダンスのシーン意味不明。以上。笑
でも、なかなか満足出来ました。
これを機会にイーストウッド監督作品見てみよっと。
枯れた映画
イーストウッド監督の遺言のよう
クリント・イーストウッド監督のヒューマニズムがよく解る作品だと思う。
人の優しさは強さに担保される。強さとは勇気のことだ。人は人に優しくなければならないが、往々にして臆病風に吹かれ、優しさを捨てて自分の身を守ろうとする。しかし勇気があれば、一歩を踏み出すことが出来る。それが強さだ。強さとは即ち、優しさのことである。
同じ考え方をしている人は多い。アメリカのミステリー作家レイモンド・チャンドラーは「プレイバック」の中で「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」と書いている。吉田拓郎は「我が良き友よ」の中で♫男らしいはやさしいことだといってくれ♫と歌った。作詞家の吉田旺はクールファイブの歌「東京砂漠」の中で♫空が哭いてる煤け汚されて人は優しさをどこへ捨ててきたの♫と書いた。
優しさを知らずに育った子供は優しくなれない。少年ラファエルはエゴイストの母親の元で心が荒んでしまったが、父親とともにいた幼い頃は、随分と優しくしてもらった。だから心の中に優しさの種は残っている。クリント・イーストウッドの演じる主人公マイク・マイロは、そのことを初見で見抜いたのだろう。ラファエルは助けるに値する子供だ。
しかし優しさへの道は困難な道だ。その日暮らしの荒んだ生活は絶望的だが、安易ではある。ラファエルがどれだけの覚悟があるのか、確かめないうちは連れて行くことはできない。マイクはラファエルを突き飛ばす。困難な道を選ぶのか、安易な道に残るのか。
ラファエルは優しさへの道を選択する。しかしマイクにはまだ懸念がある。ラファエルは人のことを許すことができない。優しさとは人を許すことでもある。いまのラファエルにはまだ勇気がない。だから人を許す優しさがない。マチョの強さを自慢するのは弱い証拠だ。
父親は大した人間ではない。マイクの元の雇い主だ。くだらない男だということはよくわかっている。そんな男の元にいまのラファエルを戻せば、小賢しくてスケールの小さい、つまらない男に育つだろう。ではどうするか。
マイクは寄り道をする。そして偶然飛び込んだ店で、大きな優しさに出逢う。マルタである。不運のあとに訪れた幸運だ。その後も幸運が重なり、ラファエルはマイクの指導でスキルを身につけ、同時に自信も身につける。もはやマチョは必要なくなった。
ラファエルがどれだけ強くなり、優しくなったのかは本人にしかわからない。マイクは出来る限りのことはした。あとはラファエル自身が決めることだ。
別れはさりげないのがいい。人の人生はそれぞれの選択だ。誰も他人の人生を生きることはできない。微かに微笑んで、少しだけ手を上げる。そして振り返ることなく去っていく。クリント・イーストウッドの遺言のような作品に思えた。
イーストウッドを堪能する作品
消化試合の感。どうした巨匠。
最後の作品にならねばいいが
【居場所】
自らの居場所を探すロードムービーであると同時に、人間はいつでも成長し、希望を持てるのだとクリント・イーストウッドは言っているような気がする。
アメリカとメキシコの国境の出入りがゆるゆるだった1970年代の終わりに時代設定しているところも、どこかクリント・イーストウッドの意図的なものを感じる。
現在のアメリカとメキシコの不法入国者を巡る緊張関係とは随分異なっていて、それほどギスギスするようなことなのかと疑問も投げかけているようにも思える。
クリント・イーストウッドの作品は、示唆的だが、物語としては、どちらかと云うとストレートな内容だ。
この作品では、旅をともにするラフォの成長と、旅をともにするうちにマイクに芽生える再び意志を持って生きようとする気持ちの変化にフォーカスが当てられているが、マイクが古い考えに縛られずに、ラフォの成長を見守り、更に自ら選択するように促す姿が印象的だ。
自らの人生を過度に美化せず、また、過度に否定することもなく、そして、押し付けず、ちゃんと選択できるよう促す。
上の世代の下の世代に向けた重要なアプローチの仕方だ。
最近、日本の企業には、取り敢えず、他の人のアイディアや意見に、あれこれ難癖をつけたり、否定するような傾向が多くあって、これが日本の企業の発展を阻害している大きな要因のひとつだとするTVのニュースや特集を見かけた。
そんな傾向のある人に是非見て欲しいと思う反面、そんな人は、この映画を観ても何も感じないのかもしれないと思ったりもした。
まあ、最後のマイクの選択は良いよね😁
佳作だと思います。
最期のメッセージなのか、
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