劇場公開日 2022年1月14日

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「イーストウッド監督の遺言のよう」クライ・マッチョ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5イーストウッド監督の遺言のよう

2022年1月16日
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鑑賞方法:映画館

 クリント・イーストウッド監督のヒューマニズムがよく解る作品だと思う。
 人の優しさは強さに担保される。強さとは勇気のことだ。人は人に優しくなければならないが、往々にして臆病風に吹かれ、優しさを捨てて自分の身を守ろうとする。しかし勇気があれば、一歩を踏み出すことが出来る。それが強さだ。強さとは即ち、優しさのことである。
 同じ考え方をしている人は多い。アメリカのミステリー作家レイモンド・チャンドラーは「プレイバック」の中で「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」と書いている。吉田拓郎は「我が良き友よ」の中で♫男らしいはやさしいことだといってくれ♫と歌った。作詞家の吉田旺はクールファイブの歌「東京砂漠」の中で♫空が哭いてる煤け汚されて人は優しさをどこへ捨ててきたの♫と書いた。

 優しさを知らずに育った子供は優しくなれない。少年ラファエルはエゴイストの母親の元で心が荒んでしまったが、父親とともにいた幼い頃は、随分と優しくしてもらった。だから心の中に優しさの種は残っている。クリント・イーストウッドの演じる主人公マイク・マイロは、そのことを初見で見抜いたのだろう。ラファエルは助けるに値する子供だ。
 しかし優しさへの道は困難な道だ。その日暮らしの荒んだ生活は絶望的だが、安易ではある。ラファエルがどれだけの覚悟があるのか、確かめないうちは連れて行くことはできない。マイクはラファエルを突き飛ばす。困難な道を選ぶのか、安易な道に残るのか。

 ラファエルは優しさへの道を選択する。しかしマイクにはまだ懸念がある。ラファエルは人のことを許すことができない。優しさとは人を許すことでもある。いまのラファエルにはまだ勇気がない。だから人を許す優しさがない。マチョの強さを自慢するのは弱い証拠だ。
 父親は大した人間ではない。マイクの元の雇い主だ。くだらない男だということはよくわかっている。そんな男の元にいまのラファエルを戻せば、小賢しくてスケールの小さい、つまらない男に育つだろう。ではどうするか。

 マイクは寄り道をする。そして偶然飛び込んだ店で、大きな優しさに出逢う。マルタである。不運のあとに訪れた幸運だ。その後も幸運が重なり、ラファエルはマイクの指導でスキルを身につけ、同時に自信も身につける。もはやマチョは必要なくなった。

 ラファエルがどれだけ強くなり、優しくなったのかは本人にしかわからない。マイクは出来る限りのことはした。あとはラファエル自身が決めることだ。
 別れはさりげないのがいい。人の人生はそれぞれの選択だ。誰も他人の人生を生きることはできない。微かに微笑んで、少しだけ手を上げる。そして振り返ることなく去っていく。クリント・イーストウッドの遺言のような作品に思えた。

耶馬英彦