クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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ビバ!!イーストウッド監督!!
多幸感に包まれる映画でした。
こんな余生があったら素敵だなと嬉しくなりました。
まるで90歳のイーストウッドに当て書きしたようなストーリー。
原案(脚本)は50年前に遡ると言う。
観終わって特典映像を観ました。
撮影の現場は笑いに包まれていたと言う。
90歳で監督・主演!!
マジ凄すぎる。
それもラブストーリーですよ!
メキシカンの少年への愛。
カフェの女主人と、いい雰囲気!!
メキシコが舞台、メキシコの俳優が多数・・・良いなぁ、最高です。
カフェの女主人と踊るダンス。
リードされてるように見えても、女性が自由に動けるスペースを作っているのは
イーストウッドさんの優しさ、包容力。
メイキングを見るとこの映画が捕捉されて更に素敵です。
生涯現役・・・羨ましいなぁ、格好良いなぁ。
それにしても《雄鶏のマッチョ君》はいい働きをしてくれたよね!!
「クライ・マッチョ」は君だ!!
とても綺麗な鶏冠と毛色の雄鶏!!(ちょっと孔雀とも類似?)
メキシコは《闘鶏》なんてのがまだある世界(1980年だもんね)
この映画は、ファンタジーだと思います。
年老いて世界を狭くする人が多いでしょう。
年老いて人に愛され、人を愛し、まだ現役。
クリントさんの寛容。
足の衰えもチカラの減少も薄毛も。
全てを受け入れ受け止める姿が、
本当に素敵な老後(じゃない、現役だね!!笑)
ビバ、クリント・イーストウッド!!
瞳が本当に優しい。
思慮深い。
もっと映画を撮って下さい。
次作も期待してます。
過去鑑賞
やっぱり出るだけでちがう。
監督専任を撤回して、「運び屋」に続いて主役を張りましたが、やっぱり出るだけで、何かマジックがある!ミリオンダラー・ベイビーも許されざる者もグラン・トリノも粗筋を聞いただけで見た気になってしまうようなシンプルな話なのですか,あの自然光、採光、会話の妙、これが映画だ!としか言えない充足したシーンが連発で、圧巻でした。あと10年は主役を張って造り続けてください、ポランスキーとともに!
あっさりした映画
イーストウッド監督の作品といえば、鑑賞後に「うーん」と考えさせられるような重いテーマを扱ったものも少なくなかったけれど、今回は何だかほのぼのムード。けっきょく終わってみれば、「何なんだ? 何が言いたいんだ?」というようなあっさりした内容だった。
バイオレンスやアクションもほとんどなく、ハラハラさせられることもなく……。
「マッチョ」は、そんなにいいことじゃないよ、というメッセージを伝えたかったのか?(超大国アメリカ国民としての自戒なのか?)
だからといって、つまらないというふうには感じなかった。悪い作品ではないですよ、うん。僕は嫌いではない。
でも、やっぱりもう監督業に専念してほしいなぁ。
あのヨボヨボ具合は演技ではないだろう。俳優として見るのは、ちょっとつらかった。
マッチョを飼い馴らす
なによりもまず、この映画は馬だ。
疾走する裸馬の群れと並走するアメ車。
人を信頼せず従順を拒む野生馬を、馴致するイーストウッド。
これだけで、元が取れる。
マチズモとは。
クリント・イーストウッドが、問いかける。
思春期の少年が憧れる、微笑ましくもめんどくさいマチズモは、どう矯正されるべきなのか?
思春期の少年のときのまま矯正されなかったマチズモは、社会と幸福な関係を築き維持できるのか?
マフィア。専制政治。権威主義。戦争。テロリズム。
人類は、その長い歴史を通じて、思春期の少年のマチズモを、社会のなかに好ましい形で取り込もうとしながら、いまだに成功していない。
ならば、自分にできることをやってみせる。
クリント・イーストウッドは、やってみせた。
カーズのドックがマックイーンにしたように。
2022年 105本目
トゥルー・マッチョ
監督歴50年、監督作40本。
このキャリアだけでもクリント・イーストウッドがレジェンド・スターでありつつ、名監督である事が分かる。
映画監督の中には10年ブランク空いたりもするが、途切れる事なく作品を発表し続けるハイペースと精力に改めて驚かされる。
節目の本作。
キャリア史上に残る新たな傑作誕生!…には正直ならず。
が、これまでの作品からの醍醐味やらしさが濃縮された、非の打ち所の無い“イーストウッド作品”。
寡黙で武骨で頑固。妻子に先立たれ、独り身。イーストウッドが演じる役柄はイーストウッドが演じる為にあるようなもの。様々な役に挑むのが映画俳優ならば、一貫して己のスタイルを固持し続けるのはイーストウッドのような銀幕スターである。
米テキサスの荒野。元ロデオスター。現代に置き換えた西部劇。
元雇い主である牧場主から、メキシコに居る別れた妻の元から息子を連れ戻して欲しいと頼まれる。以前は麻薬だったが、今回は人の“運び屋”。
メキシコへ。見つけ出し、アメリカへ戻るロードムービー。その道中の心の旅路。老人と少年の交流は『グラン・トリノ』を彷彿。
また、これは後ほど改めて触れるが、『マディソン郡の橋』を思わせるロマンスも…。
イーストウッド作品好きなら、思わずニヤリとしてしまう定番やあるある。
派手なアクションやスリリングなサスペンスは無く、静かで地味な人間ドラマながら、二人の交流をユーモアを交えつつ、心に刺さる台詞、しみじみと温かく、手堅く魅せる。
傑作や名作の類いではないかもしれないが、紛れもなく佳作で良質作。
絶対的信頼性のある手腕に、安心して作品に没頭出来る。
一言二言で言えば簡単な仕事。が、実際は…。
元雇い主の元妻は、メキシコの豪邸で毎夜のようにパーティー三昧。男も取っ替え引っ替え。“女”であって“母親”ではない。こちらの要望など受諾する訳が無く…。
親の愛を受けられず、どんなに可哀想な子供…会ったら驚いた!
盗みに闘鶏賭博、態度も悪けりゃ口も悪い。
自分の事を“マッチョ(=強い)”と大言壮語の“悪童”。
当然素直に言う事聞く訳がない。
が、父親の牧場や馬、少なからず父親に会いたいという気持ちはあり、アメリカ行きを決意。
役目の半分をこれで終え、後は彼を父親の元へ連れて行くだけなのだが、ここからが本当に大変。
ロードムービーであり、バディ・ムービーである。
旅のバディとの相性が良ければ最高の旅になるが、相性悪ければほとほとうんざり疲れる旅になる。
老カウボーイと少年。年齢も価値観も人生も全く違う。
事ある事に言い合い、対立、反発。
頑固ジジイvsクソ生意気ガキ。ある意味、見せ場満載。
でも、共通点も。最も大事な点かもしれない。
孤独。独り身の老人と親の愛を知らない少年。
マイクはラフォに何を重ねたのか。
亡き息子か、若かりし頃の自分か。
今この少年に誰か手を差し伸べなければ、少年に未来は無い。
雇われ仕事ではあるが、請け負った以上、大人としての責務。
大人や世の中に反発心剥き出しのラフォ。誰にも頼らず、一人で生きていけると意気がる。実際、そうやって生きてきた。
しかし、このままだったら歩む道は…。
口は強気だけど、子供は子供。これから先、一人ではどうしようもない苦難や困難、岐路がある。
その時、どうすれば…?
助言者が必要だ。誰かを頼ったっていい。
成り行き上だが、その相手がこの頑固ジジイ。
偏屈だが、長い人生の中から酸いも甘いも経験してきた。
それを少しずつ、学んでいく。
人と人の出会い、交流。
これから人生を歩んでいく為の何かがそこにある。
旅はトラブル続出。
車が盗まれ、立ち往生。
母親が放った追っ手。銃を持った危険な奴。
ラフォが承諾したとは言え、母親からすれば誘拐同然。あちこちで警察の検問。
故に車が盗まれた時も警察に助けを乞えない。
それを避ける為、かなり時間掛かるが裏道を行く。
人生は時に寄り道すると、思わぬ出会いと岐路がある…。
荒野の田舎町。
そこで酒場を一人切り盛りする女主人、マルタの世話になる。
警察から匿ってくれ、毎日の食事。寝床の提供も。
世話になりっ放しで面倒掛けてると申し訳なく思うが、マルタは“したい事をしてるだけ”。
無償の奉仕、精神。それこそ“聖母(マリア)”のような。
夫や娘夫婦に先立たれ、幼い孫たちと暮らす。彼女もまた独り身である。
次第に惹かれ合っていくマイクとマルタ。
二人が抱き合って踊るシーンは、大人の男女だからこその味わい深さ。
もし、父親の元に帰るなんて目的が無かったら、ずっとここに居たい。
それほどの心地よさ。
ラフォもマルタの孫娘と惹かれ合い、おそらく生まれて初めてなのだろう、こんな気持ち。自分が居ていい場所。自分が居たいと思う場所。
が、マイクも頼まれた以上、ラフォも一度決めた以上、行かなければならない。
母親の追っ手がこの町に現れ、これ以上迷惑掛けられないと、別れを告げ、旅を続ける…。
旅再開してほどなく、マイクはラフォにある事を打ち明ける。
父親が息子に会いたいのは無論親子愛もあるのだが、それとは別のある理由…。
ショックを受けるラフォ。
自分は父親や母親にとって、自己利益の為の“所有物”なのか…?
さらに腹ただしいのは、マイクがそれを知っていながら今の今まで隠していた事。(マイクも後になって知ったのだが)
良好になっていた二人の関係に、またまた険悪な雰囲気が。
そこに、警察や追っ手が現れる。
旅も終盤。この最大の局面をどう突破するのか…?
見始めたら二人と一緒に旅に同行しているような、さすがの語り口、引き込ませだが、少々引っ掛かった点も。
車が盗まれ、立ち往生。もっと荒野を放浪する心身困憊のシーンがあっても良さそうだが、あっさりと田舎町に着く。
いがみ合っていたが、仲を深め、打ち明けてまた険悪に…。終盤の局面を突破し、父親の待つ国境に送り届け、名残惜しさと共に別れる。いつの間にか対立感情が無くなっていて…??
ラフォは父親の元へ。あの町に戻るという選択肢もあって良かったのでは…?
でもこれは、ラフォが自分自身で選んだ事。
母親の元に居た時の二の舞になるか、父親の元でしっかり牧場経営を学び立派に成長するか。
マイクと過ごした心の旅から影響受けた“マッチョ”が試される…。
本作のテーマの一つは、マッチョ=強さ。
強さとは何か…?
それをアピールし、見せびらかす事…?
誰にも頼らず一人で生きていく強さ…?
もしそうだったら、この旅は無意味だった。
強さを自分からアピールし、自慢気にしない事。
困ってる人を無償で助け、悩める者を導く。
全ては旅の中にあった。
強さとは、優しさ。
それが本当のマッチョ。
イーストウッドが教えてくれる。イーストウッドだからこそ伝えられる。
尚、旅にはもう一人…いや、もう一羽同行。
ラフォの闘鶏、マッチョ。
終盤、思わぬ活躍! 彼こそ“マッチョ”であった。
ほっこりした
結果論良作
チキンラン、チキンリトルに続く鶏のアクション映画
マッチョ(雄鶏)がクリント・イーストウッドを差し置いての大活躍。
この作品で一番身体を張ったのは鶏のマッチョ(ジェドと言う名前らしい)
で、クリント・イーストウッドだが何だろう…これは日本でも見掛ける雰囲気だ。
そう吉永小百合の様な扱い…。
年相応の役じゃない…。
役の上じゃあ40~50代、でもどう若づくりしても60前位に見える吉永小百合の様な扱いだ。
吉永小百合も妙に若い男性に好かれる役どころで「歳離れすぎてない?」と感じる事多々であったが、クリント・イーストウッドの見た目だと70代の枯れた老人にしか見えない。
原作ではもうちょい若い主人公なんだろうとは思う。
メキシコまで行って息子を拐かしてくる荒事を頼むとしたら、倒れたら骨折しそうなお爺さんに頼む筈もない。
そう思うとメキシコにしては皆さま大人しい。
もっと苛烈な展開もあっておかしくない…
爺さん一人にあんな優しい筈はない。
女性も皆優しい
見た目結構な歳の差なのに誘惑されるし、恋もする。
クリント・イーストウッドに対する忖度めいた雰囲気が漂っている。
それでも観てしまうのがクリント・イーストウッド映画だ。
高倉健に爺さん過ぎると文句を言ってるようなもんだし、これは優しい映画なんだと思うとこの作品は悪くない。
観られる年齢を下げただけだ。
ラフォの両親はちょっとイヤだが(笑)
こんな爺さんなら話したいよね。
当然こんな爺さんならチョイと年若い女と踊ってキスする位のロマンスもあって良いし許せる。
クリント・イーストウッドありきの作品になっちゃってるが、もう少し若い人がマイクを演ってたら内容も随分変わってたとは思うが…。
クリント・イーストウッドのサービストラックと思えば楽しめる。
イースト・ウッド映画作りやめて欲しい
ピックアップトラックとか馬とか田舎の町とかほんとイーストウッドは似...
肩の力が抜けたロード・ムービー!
イーストウッド大好きで楽しみに見たのだが、これは話があまり面白くな...
ハリーの先の…
※星取りは苦手。何か書きたくなった時点で星5つ。
相変わらずの女性不在感は
安定してたけど、私にしてみると、
「あの」ダーティ・ハリーが
あの先にある老いを惜しげもなく見せてくれることに、
劇映画もドキュメンタリーだ、
ていうことに至って感動する。
そしてお爺ちゃんが、
お爺ちゃんの知恵と勇気と落ち着きで対処していくのも感じいい。
そして、馬と乗用車が並走したり、
広大な土地の景観だったり、
雄鶏目線のイーストウッドからの〜
雄鶏と会話するイーストウッドだったり、
野生馬を売れる馬に育てる様子とか、(私の)見たことないもの見せてくれるイーストウッド監督の映画的おもてなしもナイス♡
ここ何作か個人的に
肚に落ちず好きになれなかったけど、
これはよかったなー。
あと、おじいちゃんだけどちゃんとパートナーあてがう…いや、モテる設定なのとか丸く収めていく感じはアメリカだったな。いいんだ。観やすいから。
人はなんだかんだ安心したいから。
ただ、キタ!多様性!
…は茶化さないとして、
メキシコ手話とアメリカ手話は
通じるものなのか?が気になったのと、
翻訳字幕が「聾唖」としていたのが
1979年の設定だからだよね?!てなったな…
この作品の本質ではないんだけどね。
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