ファーザーのレビュー・感想・評価
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私が痴呆になった。
参った。最後に父親のアンソニーが、自分はだれ?と本当に何も分からなくなっている様子がよくできている。泣けた!! お母さんを恋しがっているが多分娘と混同しているのかなと思ったけど、痴呆で子供の頃に帰るから母親が恋しくなったと思う。最後のアンソニーの言葉はいいねえ。自分を木に例えて、葉を失って枝も失って雨と風の中を立っている。何も保護してくれるものや人はいない。でも看護婦のキャサリンがその代わりになる。
それ以上に、私が認知症になったような気がして、何が何だか、何が本当何か、頭の中がグルグル回って、混乱した。特にフラットと言ってる部屋がどれもが似ているようであり混乱した。まるで、アンソニーの戸惑っている気持ちを表しているように、私戸惑った。でもキャサリンの最後の説明で私は全てが納得したから認知症ではないなあと思った。
個人的なことだが、父も痴呆になった。その父のいつも話していたことがある。それは、裕福の生活をしていた子供の頃の話ではない。大正生まれの父はボーイソプラノでコンサートホールで歌を歌っていた。この思い出は痴呆になってから全然話さなかった。教員時代の思い出も話さなかった。今でもよく覚えているが、生徒たちが、私のうちに遊びに来ているのを。多分、生徒に慕われた先生だったと思う。でも、痴呆になってからこの話もしなかった。いつも良くした話は戦争のこと。太平洋戦争でビルマに郵便配達兵としていき、マンダレ川を渡った話だ。広くで深くて流れがあり、海のようで、イカダに物資を積んで渡るんだが、戦友がこの流れに巻き込まれ命を失った話をいつもする。痴呆になる以前からこの話をしていたように思うが。戦争で戦友が死んだり、捕虜の話など一切なく、マンダレ川の話で戦友をなくした話。父は教員時代、護憲運動に参加していた。父が護憲と書いてあるバッジを持ってきて、『大事だ!』と言って、私に渡してくれた。
父を思い出す。父の日ありがとう!
P.S.ゴージャスなフランスのフロライン監督の手腕はすごいなっと思った。アンソニーの見解で物事を見せているのには驚いた。舞台のも見てみたい。フロライン監督はアンソニーとオリビアを起用するのが夢だったと。
あなたは見たレビューを半分覚えている
混濁していく認識を描く
舞台を映画化すると、舞台セットを反映させることが多く、それにステージとしての物理的な狭苦しさを感じてしまうこともあるが、本作では映画になることで混乱する様がより効果的描かれている。カメラのパンや編集のカットで、観客も惑わされる。
認証症の人を二人見取ったことがあるが、付き合っているといくつも不思議なことが出てきて、あれはどういうことだったのだろうと思うことがあった。それはつまりそういうことだったのか?と答えになるものがいくつか描かれていた。特に人がわからなくなる様子が興味深かった。
それとイギリス人だと最後まで一人で生きていくことを望むのかと思っていたが、あの状態になると出てくるセリフが聞き馴染みあるもので、同じなんだなと感慨深かった。
混乱は枠におさまりきらず映画のうちの全てを撓めてくる
時間やカメラワークに急かされないのに緊迫感は途切れず、思考は終始揺さぶられ組み立て直しを強いられる。銀幕のアンソニーを他所でいくらか知っているがゆえに、さらに効果的に迫ってくる。私たちの知るアンソニーは、眼光鋭く頭脳明晰。見過ごされている真実を、今のこの場から鷲づかみにえぐり出してみせる。確かにそういうアンソニーも一面で健在なのだ。だから彼の見ている世界にすんなり引き込まれる。そして彼と混乱を共有してしまう。なんという配役の妙。
しかしアンソニーの世界は……と囚われていたら、なんと監督は観客の背後をとって技をかけてきてたのだ。アンソニーの世界だけで七転八倒しているところに、輪をかけての混淆へと。あの首を絞めるシーンは? 思い違いの覆しのさらに覆し! 劇中劇のような二重構成で混乱世界を混乱模様に描いて、もはや混乱は枠におさまりきらず映画のうちの全てを撓めてくる。音飛びするCD再生のように劇は乱れ、それが劇が作ってもいる。なんという構成の妙。
アンソニーの世界、そしてそれを傍観していた観客の世界も、すべてが混乱の極みに達したところで、難しいトリックを説明する必要もなくラストを迎える。すべては一個人の病なのだ。これだけスリリングでサスペンスフルな展開をひろげておいて、なんらネタ明かしをしなくてよいなんて、これまたなんという筋立ての妙。
樹の葉が光を享け命を全うする。人もまた然り。記憶の葉、一葉一葉でもって日常を無事に暮らせていることに気づかされる。筋立てとしては徹底的にひっくり返され続けたけれど、ラストはしっくり落ち着けた。
すばらしい作品。さすがのアンソニー・ホプキンス。それとアン役のオリビア・コールマンの醸しだしている味。将来のリメイク版は残念ながらオリジナルを越せないと、彼女でもって既に決まってしまった。
難しい…。
もうねぇ…ツラいです。
アンソニーの生きている世界で、
場面が進むから、
こちらも戸惑いまくるし、
不安になるし、恐怖。
本当にこういう感覚なのでしょうか。
とても、怖かったですし、
周りの人間の戸惑いも解るし、
難しい…。
いろいろと感想を考える余裕もなく、引き込まれてしまって、
観終わった後も、混乱していて気持ちがまとまりません。
役名が同じで、余計にリアル感がましての
アンソニー・ホプキンスの演技が素晴らしかった。
アンソニー ホプキンスの存在感
認知症の父と娘とその家族の話であるが、父親から見た現実(と思っている)と、実際の現実。
いくつかの繋がり合うシーンがあるが、それぞれが辻褄が合うようであり、また合わないようでもある。虚構と現実を行ったり来たりしているようでもある。
父親の視点のみで描かれているのではないので、見ている方は混乱してしまう。何が現実なのか。
認知症を扱うドキュメンタリーや映画はあるが、今回は、「映画」としての表現が独特であり、見る者は自らの実体験と照らし合わし、それぞれ感じ方は違うのだろうと思った。
私も同様の経験があるが、この映画はいまいち響いてこなかった。一方で、自分がこの父親の年齢に近づき、このような事に自分がならないとも限らず、複雑な気持ちであった。
自分には難しい作為品
作品の質と言われると、とても上質な作品です。今がどこにあるのか分からず錯覚する感覚を堪能することができると思います。また、他の口コミを観ても分かるかと思いますが、アンソニーホプキンスの演技力には圧倒されます。それだけのために観る価値を感じられる演技力です。
観る人が観ればいい映画なのかもしれませんが、私にとって“いい映画”ではありませんでした。作品のメッセージ性、近い将来自分に起こりうる世界を体験できるような映画ではありました。実際に認知症になってみなければ分からない視点。分からないから“こう見えるんだろう”という予測で映画を作ることはいいと思います。でも、事実が分からないものだからこそ最後にもう少し監督なりの答えを貰えれば、観ている側も腑に落ちて終わることができたんじゃないかと感じました。所々でアンソニー目線ではない、娘アンの視点が交えていますが、時系列はアンソニーの目線で進行していくことが気持ち悪かったです。アンに対して悲観的になる隙を与えないスピード感。感動もしないし、感激もしない。終わった後に観きった達成感もありません。口コミが思いのほかいいものが多く期待して観てしまったせいなのかもしれませんが、この映画を観て第一声に面白かったね。と言うことは無いけれど、観て数日経った今も何か残るものは在ります。
認知症疑似体験
朝イチで特集していたので、観てきました
認知症の人から見えた世界を追体験する。
我々はそれを「事実」なのか、認知症だから見えた「主観的イメージ」なのかを、認知する。判断する。
そして、判断はついに出来なくなる。
例えば、最後の場面において、老人ホームに入れられているアンソニー。
ほとんどの人はこれを真実として観るだろう。
しかし、この映画自体がアンソニーの主観的映像、事実と幻想が混じっている事からすると、この場面がアンソニーが想像してしまった世界だとしても、成立する。
アンの妹が死んでいるという事もそうだ。
本当に死んでいるのだろうか?
画家として、世界を飛び回ってる可能性は無いのか?
アンはアンソニーの首を絞めたのだろうか?
その時にアンソニーが死んだとしても、この映画は成立しないか?
私はこの映画の中の事実を探そうとした。
しかし、その行為自体がアンソニーのやっている事だと気付かされた。
私が自分が観たシーンを事実か幻想か判断しようとしている時、
私=アンソニーなのである。
ある意味、究極に感情移入して、アンソニーとして体験する映画である。
高い演技力、計算された脚本・演出
アンソニー・ホプキンスの演技もさることながら、何よりも脚本が素晴らしい!
少ない出演者とほぼ室内だけで展開される本作は、ホプキンスの一人芝居のようであり、まるでワンカットで撮られた映画であるような錯覚に陥ります。老人が部屋を出入りするだけで観客も虚構と現実の歪んだ時間に引きずり込まれ、老人の脳内を疑似体験させられてしまう見事な脚本と演出。衣装一つにも計算された仕掛けが施され、特に娘の着る鮮やかな青色の服が効果的だったなと思いました。
故・橋本忍の著書の中に「脚本は映画の設計図」という記載がありましたが、まさにこの様な映画のことを言うのでしょう。
観客は混乱するが、決して難解で退屈な映画ではありません。ラストではホームに入所させたばかりの我が母を思い、涙が止まりませんでした。
あなたは誰?ここは何処?私は誰?
記憶の崩壊にさまよう男の話
なんて怖くて恐ろしい話なのか…
予告も前知識も入れずに、ただアンソニー・ホプキンスが賞を取った作品って事だけ知ってたので鑑賞してみた。
心がズンと重くなりました。
最初は頑固な爺さんの話かと思ってましたが次第に違和感が生まれ、徐々に物語の全貌がわかり始めてくると怖くなってくる。
痴呆症?アルツハイマー?病状はわからないけれど、自分の老後にこれが待ってると思うと気が滅入る。
自分じゃなくても、親や家族がこうなった時にかならずこの映画を思いだすんだろうな~。
それにしてもこんな世界で生きていくのは辛すぎる。
アンソニーを通して追体験するこの映画はそんじょそこらのホラー映画より格段に怖い。
自分の城(家)で知らない誰かが生活してる、娘の顔も朧気だし時間もわからない。
大事な腕時計はいつもどこかにいってしまうし、記憶の迷子がここまで心細くて不安でやるせないなんて、救いがなさすぎる。
そんでもってフィクションだけれどフィクションじゃないのがつらい。
物語もさることながら、主演のアンソニーも娘のオリビア・コールマンの演技も素晴らしすぎて本物以上のリアリティを漂わせている。
私は幸いなことにこのような状態を経験したことが無いけれど、未来の不安を掻き立てられた。
身内が介護施設関係の職なので今度、しっかり話を聞いてみようと思う。
多分、老人ホームとか介護施設では日常なんだろうけれど、知らない自分からしたら壮絶な現場なんたろうな。
いや知らないわけではない、似たような映画もTV番組も見たことあるし、知識としては知っている、でも無意識にフィルターを通して見ていたし、直視してこなかった。
劇場と言う直視せざるを得ない状況でのこの体験は衝撃といやな気分とを私に流し込んだ。
私の友人は父親が若年性アルツハンマーを患い亡くなった。
詳しくは聞いてないし聞けそうにもないけれど、いつも明るいあの友人も、人知れず大変な苦労をしていたんだなと思うと、胸が苦しくなった。
救いも希望も無い話だけれど、直視せねばならない現実がこの作品に有る。
知らない世界を垣間見るってわくわくやどきどきがあるもんだけど、こんな世界は知りたくなったし知らないでいられたらそれほど幸せなことはないだろうな。
もしも神様がいるのならなぜこんな事をするのか聞いてみたい。
救いはないのですか?
なぜこんな意地悪をするんですか?
なんてことを思いながら帰りました
とりあえず幸せな今を大事にしたいし、感謝はするけれど、人生のゴール付近にこんな事があるならは、どうすればいいのだろうか。
不安の残る作品です。
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劇中セリフより
「葉がすべて落ちていく」
家族も家も何もわからない、ただ帰りたい。
お母さんに甘えていられたあの頃に…。
父の視点で描く異色作
認知症になった父の記憶を中心に描いたヒューマンドラマ。認知症に関する作品であれば介護する家族の視点で描く作品が多く一般的。しかし、この作品は認知症になった本人の視点で描いている点が何とも斬新的で素晴らしい異色作。認知症の恐怖をまざまざとと見せつけられた。
そして、何と言っても主演を演じたアンソニー・ホプキンスにの演技力に尽きる。アカデミー主演男優賞も当然の結果でしょう。
2021-75
泣ける、感動できる映画とは違う
この2時間を一言で言うならば、1800円払ってただイライラさせられ続けた感じです。
名作を予感させる簡潔なタイトルと、想像だけで泣かされそうなポスター画像、極め付けは「アカデミー賞最有力」というアオリに釣られ見に行きました。
序盤は爺さんが主人公のループ物を見せられている感じ。
同じセリフ、同じような動作を何度も何度も約1時間以上に渡り見せられ、心底イライラしました。
認知症のえぐさ、介護の辛さがどれほどなのかを伝えたかったのでしょうが、それがとにかくクドい。
爺さん役、アンソニー・ホプキンス(大好き)の名演技が更に苛立ちを加速させます。
感動して泣いてスッキリしたいという安直な考えで見に行きましたが、アテが外れてしまいました。
金を払って延々と認知症の爺さんの奇行を見せられている自分が情けなくなってきて、違う意味で涙が出てきました。
役者陣の演技とリアリティ、簡潔で分かりやすい翻訳という点では文句無しですが、肝心の起承転結にもやっとしました。
今までで1番退屈で不快な映画だと思ってしまいました。
上映館が少ない理由がわかりました。
ただもう一度言いますがすごくリアルなので、これから介護をする方や、認知症についての見聞を広めたい方などにはいい教材になるのではないでしょうか。
認知症を疑似体験し酔う新感覚の映画
時間軸と人物関係が入れ違い、観ている方も何が真実なのか分からなくなってしまう。
記憶に迷うシーンはBGMも相まって(羊たちの沈黙なアンソニー・ホプキンスだからなおさら笑)まるでホラーのよう。でもそれほど認知症とは怖い病気なのだろう。それを映像体験で見事に表現している。
そしてなんと言っても、アンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力。アカデミー賞主演男優賞は文句なしだ。
病で記憶や感情がチグハグなのに一貫した芝居。認知症の父を生きていた。
脇を固める俳優たちもそんな彼を見る目の演技が素晴らしい。何も語らなくてもお互いの関係やいたたまれない気持ちが伝わってくる。
生きていくとはなんなのかを考えずにはいられない。人生100年時代、長生きすることが本当に幸せなのか。
健康寿命が伸びることは喜ばしいことだが、長かれ短かれ人生をどう全うしたいかが大事。
そんな命と家族について見つめ直させてくれる珠玉の名作。
いつの間にか本人目線になっていきました。
認知症の人はこんなふうに日常が見えているのだとしたら気が狂いそうに...
認知症の人はこんなふうに日常が見えているのだとしたら気が狂いそうになるように感じた。
実際映像を観ていてもどの場面が現実で、どの場面が妄想なのかわからない。
何度か観たらわかるのかもしれないけど、実際の生活は何度も観直すとかできないし。
自分的には親というのは良い意味で絶対的な人なので、あんな風に弱々しい姿を見るのは本当に辛い。
(父が晩年の祖母の病室に入りたがらなかったというのが理解できる。)
上映中に鼻を啜る音がそこかしこで聞こえたが、男性と思われる音も聞こえた。
きっとみんな自分の親や祖父(母)と重ねているのかな?と思った。
出口のない不条理映画のような
娘や家族が、以前とは、全く違う筋の通らないことを言う。
自分が知っているのと全然違う人物が、自分は家族だと主張する。
時間は連続性を失い、前後関係もあやふやになる。
自分は不条理映画の観客のようだ。
そして実際、我々は映画館で そういう不条理映画を今見ていて、一体どうなってるのこれ?と思っている。
認知症というのは、少しづつ度合いを増していく不条理映画に突然放り込まれるということなのだ。
自分でも訳が分からない。腹も立つ。疑り深くもなる。
私は、アンの立場で映画を見ていると思っていたけど、それはアンソニーの視点だった。
不安でたまらない。その映画は終わることなく、大切な人は去っていってしまう。(いや、去っていっていないのかもしれない。それすら分からない。すがりついて母と呼んだ女性だって、看護師だったかもしれないし、アンだったのかもしれない。それさえ、彼には分からないだろう)
やがて、その不安も忘れていくのだろう。
アンソニーの怒りや混乱や不安も、アンの悲しさや苦しさや優しさや愛情も、ものすごくよく伝わってきた。
それが名優ってことなんだろうなあ。
オリヴィア・コールマンって、何の役でも普通のおばちゃんぽさがある。それって、どんな特殊な人の役でも、その人の中にある、普通の人と変わらない気持ちがものすごく伝わって来てるせいなのかなって思った。
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