「ドキュメンタリー界の風雲児が描く「われわれ大衆とダイアナの歪な関係」」プリンセス・ダイアナ 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)
ドキュメンタリー界の風雲児が描く「われわれ大衆とダイアナの歪な関係」
『スペンサー』公開に合わせてどこかからダイアナの「知ってるつもり?」的なドキュメンタリーを引っ張ってきて便乗公開したのだろうと斜に構えてしまっていたが、監督は『Black Sheep』『本当の僕を教えて』のエド・パーキンス。とてつもないドキュメンタリー映画を手掛けてきた恐るべき才人である。通り一遍の伝記ドキュメンタリーであるわけがない。
パーキンスは、本作のために当事者や関係者のコメントを聞きに行くのではなく、すでに世間に出回っているアーカイブ映像だけで全編を構成している。つまり、ここで描かれてるダイアナは、カメラが写したダイアナであり、つまりはわれわれ大衆が抱く「イメージとしてのダイアナ」の他ならない。
もちろんそれらの映像から、ダイアナというひとりの人間について思いを巡らせることはできる。しかし、浮かび上がるのはむしろダイアナという虚像を作り上げたメディアとわれわれ大衆が、いかに彼女をエンタメとして搾取したのかというグロテスクな構図であり、一個人の伝記映画というより、セレブリティ文化の辛辣な批評として機能しているのだ。
しかし、日本の配給はZARDの「Forever You」という楽曲を日本版テーマ曲としてエンドクレジットに貼り付けてしまった。結果、映画本編にはまったくそぐわない、奇妙な感動の押し売り現象が起きており、二重、三重の意味での「死者の搾取」というグロテスクの上塗りに戦々恐々とさせらずにはいられない。権利元がどうして許可したのかは謎だが、皮肉にも映画のテーマを補強するというプラスだかマイナスだかわからない効果があったことは間違いないと思う。