「幸せの思い出の、黒い薔薇」お隣さんはヒトラー? かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
幸せの思い出の、黒い薔薇
1960年、まだ戦争の傷跡は生々しい。
冒頭の普通に微笑ましいユダヤ人家族写真撮影シーンから一転
コロンビアの田舎に一人住まいの偏屈な老人の、腕には数字が羅列された入れ墨
これだけで彼があの写真の家族の中で、ひとりだけホロコーストを生き延びたんだろうとわかる。ここに来るまで何があったか一切語られない。
隣に越してきたいかにもな訳アリな上から目線の嫌なじいさんが、過去に見た本人の「目」でヒトラーだと確信してから、隣人のストーカーと化し、証拠を掴むためのあれやこれやの大作戦のポルスキーの熱量がすごい。しょぼくれていたのに、急に生き生きしだすのが笑える。
文献を読み漁り一言一句を読み込み、行動を独自に分析、特徴を細かくアタマに刻みつけ独学で描く絵の分析鑑定、もはや専門家の域。物証を入手するために本人在宅の家に忍び込む(犯罪です)大胆な行動もあり。
チェスを通じて交流するうち、ヘルツォークとヒトラーの相違点を見つけてほっとするようになるミスター・ポルスキーだが、決定的なものを目撃して当初の疑惑が確信に変わる。
他人の空似だった(割といい奴)、いや、ヒトラーに間違いない、という、両極端を揺れ動くポルスキーの心の振り幅がよく分かる。
ポルスキーの意図がヘルツォークにバレて二人は対決、ヘルツォークを追い詰め、パンツを下ろさせ数を確認までして、結果はシロ。ヘルツォーク=ヒトラーでなかったことにポルスキーは感情のやり場がなくなり、ヘルツォークの膝にしがみついて号泣する。二人のこころが通い合った瞬間と思う。
ヘルツォークもまた、ナチスの被害者で。
真実が分かって、ふたりはお互いの孤独を補う良い友達になれたはず。
ポルスキーがヘルツォークを守るために一肌脱ぎ、永遠の別れになるのが切ない。
デビッド・ヘイマンが、表情といい動作といい、何とも味がある。
ウド・キアは、「スワン・ソング」同様、プライド高く嫌な奴っぽいのにいじらしいような可愛いところがある訳アリのじいさんが絶妙でした。
「碁番切り」もそうだったが、囲碁、将棋、チェス、もしかするとカードも、立場や人種、あらゆるものを超えて相対する相手と心つながる、人間性すら見抜ける、言葉不要の強力コミュニケーション・ツールだと思いました。
戦争は、戦いでの直接の命のやり取りだけでなく、人々に様々な影響を残す。
もたらした悲劇は、波紋のように広く、遥か遠くまで及ぶのだと改めて思った。
共感、コメントありがとうございました。
犬を殺したのはさすがにやりすぎですよね。
いくらホロコーストで家族を殺されたといっても、犬は関係ないですよね。
そして、ちっとも反省してないところは???でした。