「重い社会問題を扱うなら事前にアナウンスをして下さい」竜とそばかすの姫 あたたかさんの映画レビュー(感想・評価)
重い社会問題を扱うなら事前にアナウンスをして下さい
まず最初に、たったひとつ結論だけ述べます。
SNSでの誹謗中傷問題や、家庭内暴力。扱いがただでさえ難しいテーマですが、扱うなとは言いません。
しかし、その場合はせめて上映前にアナウンスしてください。それが作品を作り、不特定多数へ公開する上での最低限の責任だと、私は思います。
どうしても煮え切らない感情を処分しきれず、ここへ来ました。多分、どこへぶつけても許せないし、片付かないと思います。
残念ながら細田監督に関しては監督どころかさん付けもしたくないくらいにその倫理観に絶望しました。
初めて見る細田作品でした。そして人生で最も心をズタズタにされた作品でした。
今後、彼の作品は絶対に見ません。
まずこの映画の良い点、皆様仰っている通り映像と曲がとても素晴らしいです。
色鮮やかなUの世界。なめらかに表情豊かに動くキャラクター。パレードの中で歌うBellの姿には圧倒され引き込まれました。
Bellが歌っているシーンだけを抽出すれば十分見られます。たとえ全てまとめて五分ほどだったとしても、私は星を5つ、つけていたでしょう。満面の笑顔で。
以上です。以下、酷評します。
脚本が甘いなーなんて映画は山ほどありますし、挙げればキリがないくらいです。これくらいの荒唐無稽は普通です。
テーマが散らばっているのは、単純に細田監督本人の脚本能力のなさでしょう。別にいいです。自分がやりたいことを詰め込んで余分な分をカットできずに散らばるなんて、作品じゃよくあることです。
サマウォやら時かけやら、脚本を別の方に任せていた頃のハードルがそのままなんでしょう。それは当たり前ですけど、私はこの作品が初めてなので、その程度で低評価にはしません。そこまで期待もしてませんでした。
期待以上で感動したのは歌の部分だけです。
1番許せないのは、社会問題という軽視してはいけないテーマを軽く扱ったことです。
SNSでの誹謗中傷。家庭内暴力の現実。
扱いたかったのは分かります。
結果どうでしたか?
SNSでの誹謗中傷はBellことすずが自ら自分の顔を晒して歌うことで何故か大団円。
家庭内暴力なんて特に酷い。
いかに彼が家庭内暴力の問題を軽視しているかを、みっちり説明してもらった気分です。わざわざ説明しなくていいです。そんなのは隠しておいて下さい。
得られもしないカタルシスとかいうやつのために胸糞映画を作るくらいなら、自分の扱いやすいテーマで作品を作って下さい。理解しようともしなかったテーマを、わざわざ何のために使ったんですか。
ネット世界で出会った竜に惹かれて追いかけてみたら、被虐待児であることが判明した。虐待のシーンは本当に身につまされる思いでした。父親の、竜を頭ごなしに否定する言葉。聞くに堪えないものでした。
途中無意識に目を閉じて逸らしてさえいました。フラッシュバックしたからです。子供の頃、親と喧嘩して暴力沙汰になり、酷く絶望した記憶が。
自分なりにとうに受け止めて、流して、和解した記憶にベッタリと脚本家自身の黒い感情を塗り込められて掘り起こされた気分でした。身体中の皮膚が粟立ち、無意識に顔が歪みました。動悸と息苦しさが居心地の悪さを加速し始めました。
人には軽い気持ちで触れてはいけない地雷というものがあります。私の場合、それこそがそうでした。
それでも私は椅子に座り続けました。出ればよかったのに、耐え続けることを選びました。
そもそも映画の途中で退出するなんて考えが浮かぶのが、私にとっては余程のことです。私は映画の途中でトイレに行くことすら、人生で1回もしたことがありません。
それでも椅子に座り続けたのは、過去の自分と完全に重なってしまった竜が救われるのを、待とうと思ったからです。
何らかの現実的な形で竜が救われれば、納得できると思ったんです。
そして、虐待の映像を見た主人公らが慌てて行政に連絡するも、なんやかんやの事情で動けるのは48時間後と言われます。そんなに時間かけてたら何が起こるかわかんないよ〜、ってことで……
すずは自分で、被虐待児の竜とその弟を助けたいと言います。ここまでは結構。この時点で荒唐無稽と言う人もいます。それもそうですが、そもそも現代には有り得ないSNSが普及している世界。行政が動けないなら自分が、なんて無謀な「優等生」は現実にもいるかもしれません。私は努めて気にしません。
荒唐無稽なUの世界での世界観か歌の力ってやつを利用して、荒唐無稽に勧善懲悪するのかも、と思っていました。
大勢の前でのすず自らの顔公開もありましたが、これに関してはネットリテラシーの観点でツッコミ入れてるとキリがないので、割愛していいですか。割愛します。
ネットでの「特定」に近い方法で暴かれていく2人の兄弟の家。
救うためとはいえ、手法が完全に悪行です。人柄のいい主人公らのこと、悪用はしないと仮定して、納得します。
特定した結果、彼らの家は東京の多摩川の近くと判明。いきなり遠い。まぁ良いでしょう。合唱団のおばちゃんの車で途中まで送ってもらい、深夜バスに乗って東京へ。
そして何故か、虐待親の元に行くという年頃の娘を1人で向かわせる大人たち。流石にこれは納得するのは難しいでしょう。
まず年頃の娘を1人で準備もなく東京に向かわせるのだけでも相当無茶があるというのに、本人の意向だからと言って大人が放置しますか?バスではちゃんと父親に連絡までしていましたが、父親はそこを放置でいいのでしょうか。我が子を虐待するような理性のない大人の元に少女1人向かうことに疑問すら浮かばないのはハッキリ言って頭がおかしいとしか言いようがないです。
で、まぁなんだかんだご都合主義もありつつ無事に2人に出逢えたすず。
虐待親が出てきて、すずは自ら身を呈して庇います。
その時に虐待親がすずの顔を引っ掻いて、恐らく引っ掻くつもりはなかったのでしょうね、すずの顔に傷がついてしまいます。傷害罪沙汰です。それに対する虐待親の今後の制裁?ありません。
虐待親はついに拳を振り上げますが、すずがまっすぐ睨みつけることで虐待親が怯み、逃げ出します。
言っててため息つきそうになるんですが、私はここまでガバガバな展開を見てどうして最後まで見ようなんて思っていたんでしょうか。
まぁ、おかしいことではないかもしれません。
虐待するような人っていうのは、自分に服従する者に依存しているそうです。
つまり、自分より強いと判断した者には滅法弱いんですね。
すずが自分に一切怯えずまっすぐ睨みつける姿を見て、今まで恐れられていたことに安心していた虐待親は自分の弱さを直視しちまった、怖いよーみたいな感じでしょうか。
こんなガバ脚本をどうにか落とし込むために考察しまくった自分にすら腹が立ちます。
で、竜は勇気を貰ったから頑張るよー、で終わり。
終わりです。あれだけ迫真の虐待映像を見せておきながら、解決はそれだけ。その一瞬。
すずはあっさり帰ります。
結局後で虐待親が改心したのか、2人の兄弟は児相に駆け込んで事なきを得たのかなんてわかりません。
妙にリアルな問題を取り上げておいて、妙にリアルに救いがあったかさえ分からないまま放置されました。
私の心もやる方ない不快感を抱えたままでした。
帰ってからは何もする気になれず、とにかくどうしようもなくイライラして、しまいに1人で大泣きしていました。
それから4日経ちました。気分は落ち込んだままです。時折フラッシュバックしては苦しんでいます。
SNSに吐き出そうかとも思いました。でももしかしたらこの作品を好きな人を不快にさせるかもしれない、と思って言いきれていません。
子供の頃、自分なりに片付けた問題でした。
今は、あの時は親も戸惑っていたし自分も相当我儘だったし間違えていたと理解しています。だからこそ、いまはお互い歩み寄り、そんなトラウマはあれど親を愛していると胸を張って言えているんです。
掘り返されなければ平和でいられるし、誰にも掘り返されることだってないだろうと思っていたんです。
事実、SNSでの誹謗中傷も虐待も軽い気持ちで掘り返していい問題ですか?
SNSでの誹謗中傷を苦にして命を絶った方のニュースの記憶がまだ真新しい頃に、車内放置や家庭内暴力で命を落とす子供のニュースの記憶がまだ真新しい頃に。
このような、自分なりの筋の通った解答を提示せずにテーマとして扱うなんて、映画監督以前に人としての正気を疑います。
見え透いたヤバい地雷をわざわざ綺麗に踏み抜く人間なんていない。なんて思っていた私の考えが甘かったようです。
竜は結局、我々に見えるところで親から避難も和解もしていません。彼の言うとおりなら同じように一人で戦い続けているのかもしれません。
細田監督はそれを救いだと本気で思ってるんでしょうか?それとも全てが救われないカタルシスうめー、胸糞ほどたまらねえと思ってるんでしょうか。どっちでも構いません。それは自由です。
少なくとも、それだけ重いテーマを扱うなら、嘔吐表現や児童虐待シーンがある旨についてのアナウンスをするべきです。
そうすれば見ませんでした。細田監督にこんなに煮え切らない感情を抱いたまま終わらなかったはずなんです。好きで見に行ったわけではなくとも、こんな終わり方を望んでいたわけがないんです。
いらだちが収まりません。悲しみも収まりません。それさえなければ素晴らしい作品だっただけに、最悪です。
心中お察し致します。私も映画を見ていて、貴方のように感じる方がいらっしゃるのではないかとストーリーに関しては半ばヒヤヒヤしながらも最後まで見た側の人間です。
この映画に関してはマーケティングの汚さみたいなものは感じました。映画の綺麗な部分だけ切り抜いて宣伝し、映画館では、さぞ何事もないかのように、物語のパーツとして監督好みに改変された重苦しいテーマが扱われる。これで全年齢向けというのが、尚良くない。肝心のキャラクターは、表面を撫でた程度のスカスカな心理描写で、最後フタを開けてみれば、主人公達には救いがない。どういうこっちゃ。
結局、根本的に監督自身がキャラクターに共感が出来てないんだなと思いました。結果、固定観念や偏見が歪んだ言動となってキャラクターを動しているのかと。…結局、監督も赤の他人です。育ちが違えば社会問題に対する見え方も違いますし、価値基準も異なります。他人が考えた物語にいつまでも心を傷める必要はありません。