「傷つくことの効能」竜とそばかすの姫 さささんの映画レビュー(感想・評価)
傷つくことの効能
ネット世界の映像が綺麗でした。
なぜ月だったのか?太陽ではなく。
月は太陽に照らされて光り輝く。
後半のリアルを曝け出した時には太陽のように輝いた。まるで恒星のようにすず自ら輝き出したがごとく。
顔を晒すのは絶対得策じゃないけれど。
顔は…言わずもがな晒したら致命傷。近しい環境が黙ってない可能性があり、予期せぬ情報を流され私生活が乱される恐れがある。ここは…死守してほしかったです。子供も映画を観ている。その時の時代精神にもよるが絶対ダメなことはダメって言わなきゃならないことってあります。
映画の中でも人間集まって良くない流れになると、いがみ合い始めたり、貶し、否定し、好き勝手判断して決めつけたり張り合ったり、優越感感じたがったり、文句言ったり悪口いったり、投影したり、徒党を組みたがったり、知ったかぶったり、英雄地味たり、正義の味方ぶったり(勝てば官軍的な)罵り合ったり… すり減らすなぁ、なにかと心を。…そう何を思っても思うだけに留めるなら各人の自由。早い話、犯罪起こさなきゃ。
良い方向に出ると、知り合いができる、支持を受ける、スポンサー付く、権限を得る、仕事を得る、機会を得る、自己表現を成せる、ストレス解消、居場所を得ると…か? あと癒し、好きな人、趣味、
…など何かしら「得る」?
表に出てこない部分、人々の光と闇たち。
誰かと交わり合う、誰かと言葉を交わす。
誰かに傷つけられ、誰かに癒される。
人との関わり合い、人って何だろうな。
人は人を求めずにはいられない。
人は一人で生まれて
一人で死んでいくから?
どこかで聞いたセリフを思い出しました。
音楽について。ぜひサントラ聴きたい。
おそらく複数の条件付きかもなのか、良い歌は数万、下手すりゃ数億の人を一度短時間で癒す力を秘めているのでしょうか?
目に見える形に表現するとアバターたちの反応が非常にわかりやすく、現実でも歌が他者から共感を得たときこうなるのかと垣間見ました。音と映像とエネルギーが拡がる、世界に向かって。
傷…、竜は精神と肉体の虐待によってあんなデザインになったのか?もっかい見ないといけません。
仕組みがわからない。
竜は親によって傷つけられるほど後ろの模様が増えていく?虐待は笑顔を奪っていくんだよ。そんな中、竜はベルの歌と優しさに救いを得た。一方すずは必死に他者を助けようとして、結果すず自身も救ったのではないでしょうか。
ヒロインの母親、川に行ってほしくなかったです。魔が刺したのかな。自分の力を、人間の力を過信した。自然の力の前では非力で…。選んで欲しかった、自分の子を。少しだけ自分と重なり、我が子と重なった、私が死んで子だけが残されていたらと思うと。
竜とベルの共通点は母がいないこと。
事情によって突き放された人との距離や傷を埋めるものもまた人のぬくもりなのか。ハートだけが知っている。ハートとハートが人と人を繋いでいく。人によって傷ついた傷を癒すのもまた人なのか、人が生み出したものなのか。
傷ついて生きてきたのは傷を抱えているのは映画のキャラ達だけじゃない、映画鑑賞しているわたしたちもまた同様だったりするのかもしれない。アバター達のようにベルの歌に引き込まれて、胸の見えない傷に働きかけられているのか。
時に生きることって傷つくこと。
傷つくことで結果自分を守ろうとすることもある。傷つくことは凄く嫌だけど、傷ついてぐっと構えないと無防備のままいるわけにはいかない、気がついたら精神が壊れてたじゃお話にならない。
傷ついてぐっと構えることが生命維持装置でもあるのかもしれない。傷つくことって悪くないかも逝くのに比べたら。逝ってしまったら、もう、生前レベルで何も感じることはできない。
これまで生きてきたのなら大なり小なり愛を知っている。愛は思い出させる?求める?思い知る?気づかせる?飾りを脱ぎ捨てる?自分がここにいるとわかる。
いずれ他者もまたそうであるとわかる。自分一人だけでは生きてこられてないと。
映画を観た他者の感想を見ると感想、価値観がなぁ、もうあらゆるなにかを雑食の末に現在進行形で出来上がっているもんだから、結局評価って何だろうと思いました。
映画の入場客が多ければ良い映画とは限らない。じゃあ結局何が良かったのかは、後にしかわからない?
ある種、自分を超えるのは自分なのか?
ライバルは過去の自分。つまり監督の作品のライバルは過去の監督の作品…!?何にしても、他者の目に自分や自分がらみの何かを晒すということはありとあらゆる評価を覚悟しておく必要があるのかもしれない。
評価ってどこが終点になるんだろう?
何はともあれ、考えさせられる機会を頂き感謝します。