生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事のレビュー・感想・評価
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パトリとナショナリズム 島田叡と牛島満の差異とは何だったのか
軍民一体となって戦い、運命を共にし玉砕することを「強要」された沖縄戦において、戦中最後の知事、島田叡は、沖縄の人々に生き抜くことを説き続けた。
島田は組織や国家といった「大きなもの」を信じなかった。内務省に入省するも、その反骨的な姿勢により本省務めから外され、地方勤務を重ねることになるが、その先々で、中央からの無理難題に赴任先の地方を守る態度を示した。言わば、「パトリ」に生きたひとだった。
社会学者の宮台真司は、パトリについて「人と土地が入れ替え不能な関係を構成する際の、人と土地の複合体だ」と説明している。島田は最後に知事を務めた沖縄で、客死を覚悟した死地をパトリの発露先とした。島田と対照的な人物として挙げられているのは、陸軍中将の牛島満だ。牛島の孫は、作中、沖縄県民に多大な犠牲を出した祖父に関して考え続けた結果、牛島の天皇崇敬は堅固で、来る本土決戦の時間稼ぎに沖縄を利用した、と語っていた。牛島は「大きなもの」に殉じる人だった。島田もそうした心境は理解できたかもしれないが、美化せず抗った。
島田は、自分の躯をさらすことだけはしたくない、と生前語っていたそうだ。それは彼なりの美学かもしれないが、「大きなもの」に殉じた英霊扱いを拒絶する身振りにも見える。彼の自決については、短銃、服毒、入水、といくつかの説があるようだが、いずれにしろ、島田叡は沖縄の地のマブイとなったのだ。
リアルでつらく、
形を変えて今に続く暴力性への自問
こうとしか言えない生き方
公開時見損ねる。Netflixで公開されており鑑賞。
「カメジロー」は公開時に見ており、同様に島田に接した存命者や米側資料まで調べ上げて、島田の生き方を探っている。
前半はややモタモタした動きだが、沖縄戦が始まり県庁を捨て、壕を点々と移動する頃からテンポは快調となる。陸海軍の司令官達とあるいは対立し、あるいは尊敬し合う仲となるのも、島田が生来持っていたと思われる人間くささを表していて面白かった。島田の最期は拳銃自決説、入水自決説があるが「県民を死なせた責任」として自決を選んだのだろう。しかし生き残り、沖縄戦の語り部としての後半生という選択肢もあったであろうが、それは無理な話だったのだろうか。戦後、島田は神格化されるが、それを嫌がっているのはあの世の島田自身かもしれない。
難点といえば、本作では触れてないが、島田の前任知事は軍からの慰安所設置要求を「沖縄は外地でない」として拒絶していたが、島田は要求を認めている。このへんの島田や当時の関係者、沖縄県民の反応にも切り込んでほしかった。
忘れてはいけない沖縄戦
島田叡(あきら)知事について知る事が出来て良かった!!
牛島満陸軍司令官と大田実海軍中将の名前を知っている程度でしたが、沖縄県民を守ろうとした兵庫出身の島田叡(あきら)知事について、本作で知る事が出来て良かったです。就任してすぐ県民を疎開させて、台湾に渡ってお米を譲ってもらったのも良かったです。時代にそぐわない民主主義的な方なので、自決する必要はないと思いますが、皆に生きろと言い続けたのが印象的で、それが本作のタイトルになったのだと良く分かりました。ネトフリのサムネが映画のタイトル入りなのに牛島司令官なのは、わざとやっているのでしょうか。現在のワクチンによる人口削減に抵抗している、まともな行政職員や医師もいると信じています。
沖縄人に軽蔑される内地人の中で、尽力した実在の人物、実話
実話であり
生き残られた、沖縄の人が証言してくれている
命がけで沖縄県を守ろうとした、1人の人。
沖縄の人と接したり、旅行したりする時
必ず知っておきたい、本当の沖縄の事実。
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強い人ほど、頭を下げるものなのに、
弱い人ほど偉そうにする。
戦争を訓練すると、戦争したくなるし
戦争は、戦争したい人が始める。
今では全て暴露されているが、ロシア戦争で日露の両方に武器費用を出し煽ったのは00人。
武器を売る欧米国にとっては、莫大な利益になる。
(空母4000億円、攻撃飛行機50台・約3000億円)
山本五十六は反対していたが、敵側のグローバリストの命令で真珠湾を攻撃。
天皇は降伏して戦争を止めようとしたが
その暗号を解読した米国は、降伏前に原爆を落とした。
原爆の後遺症を研究したくて、日本人で実験したのだ。
東京大空襲の死者、約11万人、被災者300万人
長崎の原爆志望者、約17万人
広島の原爆志望者、約14万人
沖縄の一般人戦死者、約10-15万人 沖縄だけではないのだ。
これらは全て、米国戦勝国側との戦争による死者の一部である。
戦後、日本が二度と歯向かわないように
1、日本人が日本人を軽蔑するような「情報戦略」・焚書、NHK番組
2、日本人が強くなるものを奪う戦略(塩・麻・精神・・)
3、反日教育(日本国内や、隣国に反日の大統領を送り込んだり)
は、各種の書籍で公開されているが、リアルに感じる映画であった。
善なるもののバトン
我々がやらなければならないこと
以前「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡」の本を読んで、是非この映画を見たいと思い、先日映画を見た。
彼の周りにいた人たちのインタービューや彼の行動の軌跡から、本を読んだ時よりもリアルに彼の考えや苦悩を感じ取ることができた。
こんなに住民のためと思い、身を粉にして命がけで生きた政治家がいただろうか。
部下や住民を鼓舞する一方で、心の中では死を覚悟して、壕を転々としていたかと思うと胸が痛む。
鉄の暴風の中、「何が何でも生き抜くんだ」と言って、みんなを救った言葉は重い。
証言している人たちは、その言葉を理解するには数十年という歳月がかかった、と言っていたが、島田には数十年後の日本の復興した将来が見えていて、その卓越した見通す力があったにもかかわらず、責任をとって亡くなってしまったのは、本当に悲しいことである。
この映画を見て、単なる戦争反対論者になるのではなく、なぜあの戦争が起きたのかという歴史的背景を自ら調べ学び考えることが大事だと思う。
今の日本人は、自分が生きている間、自分さえよければいい、という自己中心的な人が多くなってしまったことは、とても残念なことである。
島田のように、これから数十年先、数百年先の日本をどうしていかなければならないか、そのために自分は何をしなければならないのか、自ら考え行動する必要があると思う。
それが島田から今の日本人に対するメッセージだと思う。
アホにならないと一人前とは言えない・・・
終盤になるまでは島田叡の経歴、家族との絆、沖縄県知事になってからの人脈など、それほど惹かれる内容じゃなかった。ところが県庁壕など、壕を移り住むストーリーになってkら彼の住民第一主義が浮き彫りになり彼の生き方に共感しまくり。「管理の鑑」と言われる人物像に驚いてしまった。
「ここで県庁は解散。これからは自由に生きてください」という言葉(不明瞭)。玉砕に対する嫌悪感から、個人を尊重する民主主義を貫いた姿勢。軍国少年たちもビックリだ。
映画の後半は首里城陥落から南下する陸軍と住民たちを生存者たちのインタビューを交えて描く。壕の中では軍民共存という異常事態。米軍に見つかるからと言って殺された少女の話が強烈だった。壕を生き抜いた人々の言う「アメリカより日本兵のほうが怖かった」という言葉も強烈だった。
島田叡の思想よりも「軍は住民を守らない」ということが最も印象に残った。『カメジロー』よりはインパクトは薄かったけど、TBSらしいドキュメンタリーで沖縄戦を忘れてはならないのだと再確認した。語りが佐々木蔵之介だったこともビックリ。
今の日本の状況に通じる
死を覚悟して挑んだ一人の男と沖縄の哀しきドキュメンタリー。
“国家のことばかりで住民の声を無視している”
戦時中の悲痛な状況が僅かな映像からもひしひしと伝わってくる。
オリンピックに関しても多くの国民が中止を求めているにもかかわらず強行しようとする日本政府、オリンピック組織委員会が本作の内容と通じるものがある。日本は何も変わっていない。
時代の価値観や極限状態での状況下で多くの人間が蝕まれていく良心や人間性、
島田叡は最後まで見失うことなく守っていた。
偉い人とは、後ろから拝まれる人、慕われる人だと。
まさに彼こそが偉い人、80年近く経って映画化され受け継がれるなんて本人も夢にも思っていなかっただろう。
残されたエピソードが少ないために、周囲からの声、取材によって制作されたとのことだが、残された島田さんの妻や娘たちは存命ではないのかしら。。。
映画を通して島田叡という存在、物語を知ってもらうことで彼も浮かばれるだろう。
想像していたより良作だった。
「住民を飢えさせることあれば、行政責任者として最大の恥である」
後ろから背中を拝まれる人たらん
本土の人であるにも関わらず、沖縄県職員の慰霊塔「島守の塔」に名が刻まれている島田叡(あきら)氏とはどのような人物であったのか?
資料は数枚の写真ばかりで、島田氏本人の音声や映像は無い。
佐古監督は、島田氏を知る人々への取材や、部下が残した手記、新聞記事などから島田氏の言葉を拾い出していく。本人の断片的な言葉を再構築する事で人物像を浮かび上がらせるという新しい手法の試みによるドキュメンタリーが本作である。
死地に赴く事を承知の上で、島田氏は家族を大阪に残し沖縄知事に就任する。直ちに大規模な疎開を促進、自ら台湾に飛び、沖縄住民の為に大量の米を確保。住民の「命を守る」事を第一義に次々と施策を断行していく。
内務官僚として軍の命令に従う事が県知事の職責。しかし軍は「軍官民共生共死」大方針を掲げている。軍部の意向に真っ向から反することは住民のためにもならない。行政官として住民第一主義の信念のもと、住民を守る事との二律背反が島田氏を苦しめる。
最後は玉砕命令に反し、県庁の解散を宣言。官僚の立場ではあり得ない言動だ。そもそも県知事にその権限は無いが職員や住民の命を守る為に自分1人が責任を取る覚悟をしたのだ。周囲に「生きろ!」と希望を与え、自分は組織への責任を果たしに司令官の元へ向かう。絶望の中で消息を絶った島田氏の胸に最後に去来するものはなんだったのであろうか・・・。
組織と個の関係、結局最後に試されるのは、組織の中にあっても、その人の信念や覚悟、個人として、「人間」としてどう行動するかが問われる事を、島田氏は教えてくれる。
偉い人、立派な人とは、肩書きでも学歴でも財力でもない。
「後ろから、背中を拝まれる人」の事だ、という島田氏の言葉を覚えている人がいた。
左古監督は「『これは間違いだ』と思ったときに、しっかり方向転換できるのかどうか? その決断ができなかったゆえに沖縄の悲劇が生まれた」
と述べる。
島田氏の苦悩の軌跡は、「組織」の中での「個」の在り方。とりわけ、リーダーの在り方について、強く、深く、問いかけてくる。
「戦争に突き進むこと」「戦争に引きずり込まれること」「国家が好戦的な雰囲気になること」
今、21世紀の日本も真剣に考えねばならない事態に直面していると思う。
事実から眼を逸らす事なく、沖縄に刻まれた歴史から、私達も未来への教訓を学び、活かしていかねばならない。
それこそが、島田氏の背中に手を合わせる為の、ただ一つの方法なのではないだろうか。
お名前やご活躍を全くご存知ない方にはお勧め
戦後生まれの40代ですが、観光コースでない沖縄の壕を色々巡ったり書物でも色々調べたり、多少は知識として知っているつもりでした。筑紫哲也さんの遺志を継がれてるような監督のお話も目にしまして、新たな発見も期待しながら限定上映の映画館に向かいました。
正直申し上げますと、内容は当事者もしくはそのご家族のインタビュー中心で、残された手記等ご本人の言質が少ない事もあるとは思いますが、題名の『生きろ』というメッセージをご本人のものと結びつける力が少々弱く感じてしまいました。むしろ海軍の大田さんからの県民のご苦労に触れた有名な電報の方が長く引用された事もあり、改めて印象に残った次第です。
強い信念と行動力に民はついていく
上映後、監督のフリートークも聞くことができました。ラッキーでした。
監督がおっしゃるに、島田さんの写真はほとんど残っていないとのこと。また島田さんの沖縄での働きぶりを伺える記録も無いとのこと・・・。あるのは、存命の方々の証言と少しある官庁の資料。
本人自身の情報が非常に少ない中、本作はそれでも島田さん本人の姿を浮き彫りに成功していると思います。
故人を浮き彫りにできるほどの証言があるということ。それは、知事時代は本当に民衆の方を向いて、会話をしていたからなんだろうなぁと思います。きっと、県民のことを考え、県民にとって何が一番なのか?を考えるからこそ、視線も交わす言葉も県民に近いところになっていくのであろうと思います。故に島田さん自身とのエピソードが多買ったのではないか?と推測します。
沖縄本土決戦における県民との避難の様子、それを無視するかのように引くに引けない国(軍)が
軍の理論を市民に押し付ける・・・。まさにお国の為・・・全体主義ですね。
全体主義の中では個は軽視されます。ましてや役人たるや公人の「個」はあってはならないのでしょう。しかし、島田さんは「個」(作品内では人間島田と表現)を重視するのです。戦時下においてこのような判断を自身の行動とともに具現化できるなんて・・・なんという信念の強さでしょう。
県民にとって、何が大事か?何を大切にすべきか?を自ら考え行動し、自身の判断に全責任を負う覚悟を持つ。
果たして当時の軍隊に島田さんのようなリーダーがいたのでしょうか?
果たして今の日本の政界、行政に島田さんのようなリーダーがいるのでしょうか?
不謹慎かもしれませんが、当時の知事が島田さんじゃなかったら、県民の被害はもっと大きかったのでしょう。
その勇気は評価しなければならない
恥ずかしながら本作品を観るまで、戦時中最後の沖縄県知事である島田叡を知らなかった。今で言うところのキャリア官僚であり、東大法学部卒で野球の名選手となれば、頭脳明晰、身体頑健で、それだけで出世しそうな気がするが、持って生まれた反骨精神が祟って、出世街道からは外れてしまったらしい。好感の持てる人物だ。
内閣人事局の威光を恐れて忖度を繰り返した挙げ句、国会においてさえも「記憶にございません」を繰り返す現在の官僚たちを見ていると、島田叡の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいである。
島田叡の気骨はどこまでも本物であり、死にに行くことと分かっていながら、沖縄県知事の辞令を引き受ける。死を覚悟して臨んだ沖縄県知事の仕事は、沖縄県民を生きながらえさせることであった。
軍は鬼のような存在である。島田が決死の思いで調達した米を掠め取っていく。しかし軍といっても人間の集まりである。島田の気骨を知る人物がおり、島田と同じような気骨の持ち主もいた。勿論県庁職員にもいた。島田は悪徳政治家やヒラメ官僚以外には人気があったのだ。おかげで県民の北部への疎開などの課題がスムーズに実施できたというわけである。
多くのエピソードが語られる中で中央政府がどうして沖縄を救えなかったのかを考えた。講和を口にしただけで身柄を拘束し場合によっては銃殺した東条英機が権力を独占した結果、戦争を集結させる勢力は発言力を失ってしまった。兵站のできない日本軍は物資が豊富で兵站も十分なアメリカ軍には絶対に勝てないと知った勢力が東条を追い詰め、東条は1944年に内閣を総辞職するが、既に遅きに失した感がある。
中央政府が島田叡のような気骨のある官僚を重用しあるいは昇進させ、重要な地位をすべて占めていたら、軍による政治支配が果たして可能であったかどうか。しかし明治維新の富国強兵政策は昭和になっても依然として続いていた訳で、その政策を否定することができたのは反骨の官僚と政治家だけだったのかもしれないが、島田叡がひとりの官僚として、あるいは沖縄県知事としてできることは限られていた。そんな中でできることを精一杯やった勇気は評価しなければならないと思う。
沖縄決戦で犠牲となった民間人に合掌
作りはテレビの特番ドキュメンタリー的で、映画館でテレビを観ているような感覚でした。
沖縄決戦は今まで映画や他のドキュメンタリーなどで観てきたけど…生きろはやるせない気持ちになる。沖縄はアウシュビッツみたいだと思った。
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