「わたしたちは 生きていけるから。」海辺の金魚 bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
わたしたちは 生きていけるから。
大好きな小川紗良さんの長編初監督作品と言う事で、期待の大きさもあると同時に、大きな不安もありまして。大きくは2つの観点から。
まずは。最近の若手の作り手さんにありがちな、「狭すぎる世界観で共感ゼロ主役の自慰行為を眺めるだけ」ってのはヤダよと。もうね。最近、見飽きましたし、ウンザリなんですよね。
次に。巨匠是枝のネガティブな暗黒面だけを引き継いでしまいました、的な「ヘタレのススメ」作品になってたら、どないしよ、って言う深刻な問題。具体的に名前を挙げるのは自粛しますが、ちょっとね。巨匠の弟子、若い人が撮る映画じゃ無いよね、って言うヤツが多い気がして。イヤ、最後は「希望のある未来」を示唆したいんだろうなぁ、とは思うんですが、さすがに人格描写がネガに、下手に深すぎて、ポジティブへの展開が受け入れ難いヤツ、ありましたよねぇ。しかも一人二人じゃなくって....
などなどの懸念していた事。全て杞憂に終わる。
良かったよー、マジでw
何にしても、是枝的ではあります。撮影が山崎裕さんってのもありますが、登場人物的にも。学校関係で唯一言葉を交わす男子の存在は、「誰も知らない」の女子高生の存在に被るとか。そもそも「子供たち」大挙出演に加え、主役はボッチ系。
尺は76分で短尺です。ポンポさん加点対象でスッキリしてます。けど、まだ切っても良いトコ、あると思う。
学校で、ピアノに惹かれて音楽教室をのぞき込む花。振り返った女子生徒が「瀬戸口さん?」と声を掛けるまでの場面。演奏されている曲が彼女にとって意味を持つものであること、と、学校での彼女の立ち位置を描写しているのだと思いますが、これ、要るんかねぇ。くどくないですか?学校での立ち位置なんて、登下校の情景で伝えられるし、曲への個人的な思いは、すでに描写済みじゃなかったっけ?
ホームの庭に苗木を植える場面。新しい子が来ると、苗木を植樹するルール。花は「自分の木はどれか?」と尋ねます。彼女はホームに来て以来、その木の事など(そもそも、なんで"木"になってると思うん?)気にも留めたことなど無く、おそらく金魚の方に夢中でした、的な描写。もっとシンプルなもんで代替えできないでしょうか。
とかとかとか。いろんな事を感じてしまう箇所はありました。けど。76分の短尺は良かったですw
で、根本的なトコロで。「海辺の金魚」の意図するところは何なのか、って言う話。
母親と引き離されて生活する花は、おそらく、母親の無実を信じている訳じゃなく。訪れた弁護士の姿を見て強張る表情や、ホームの父親役の態度からも、母親の事はすでに終わったこと。母親の事は忘れて、自分自身の人生を生きようとしているのが、今の花。
これが基本設定としてですよ。
忘れようのない、母親との日々や思い出に捉われて過ごした10年。それを象徴する金魚は、彼女自身の姿でもあり。「海辺の金魚」とは、まさに海辺の町で過ごす、金魚鉢の中に捉われた彼女自身の人格そのものを表している、的な解釈。
同時に。
それぞれに事情を抱えて、家族とは離れて暮らす子供たちは、外の世界では生きられない。シェルターで暮らす、花を含んだ子供たちの事を表している。
はるみは10年前の花。10年前の花が18歳の花に言うんです。
「お母さんと会いたいの?」
はるみと一晩を明かしたことで、母親との面会が流れてしまった花。金魚鉢の金魚を、自部自身の10年間の混沌とした思いを海に放し、涙を流し、声にならない声を上げる。
花を呼ぶ声に振り替えると、そこには駆け寄ってくるはるみの姿があり。抱き合う二人。
だいじょうぶだよ。生きていける。私は生きていける。私たちは生きていけるから。
みたいな。そんな解釈ですかねぇ。
このラスト、是枝まんびき的にすると、花が誰かの声を聴いた気がして振り向こうとして、Shut Down!
なんか。それも。なんやなぁw
この締め方で良かったよ。
良かった。
デビュー長編としては出木杉ってくらいに。
でもでもでも。
次作は路線変えて欲しいです。そもそも、これ、是枝的すぎるでしょうw