「サイコパスものだけど深くは描かれない」キャラクター 映画を見たり見なかったりする人さんの映画レビュー(感想・評価)
サイコパスものだけど深くは描かれない
自分なりの解釈メモ。
・小説版、コミック版にある「殺人鬼というキャラクターが伝染する(乗り替わる)」という設定は、映画版では言及されていないので考えなくても良い、とする。他のメディアの作品を読まないと意味がわからないというのは、それだけで映画としては未完成品と見られるだろうし、ちゃんと映画単体で判断したいもの。
・裁判でのFUKASEの「僕は誰?」というセリフは、そのちょっと前に裁判官から聞かれた名前、生年月日、本籍に答えられなかったという事実に対応するもので、キャラクターが抜けたから何もわからなくなったと解釈するのは、映画の中だけで完結させるのであれば少々行き過ぎな深読み。
・時系列と誰が起点となって殺人事件が起きたのかがちょっとわかりにくいが、最初の事件はFUKASEが行って菅田将暉がそれを漫画化した。それ以降は漫画の殺人事件をFUKASEが再現したもの。
・最後ちょっと前、FUKASEのアジトに警察が入った際に、「包丁で刺されてる、動かすな」等との台詞が入る。あのアジトにはもう一人誰か居て、おそらくは本来の「両角」。多分死んでいる。一度、FUKASEがこの部屋であらぬ方向を見ながらしゃべるシーンがあるが、それは本来の両角に語り掛けている。
その後に出て来る手紙の束は辺見と両角のやりとりのもの。辺見の住所が神奈川県なので、医療少年院を出所してからのやりとり。16歳で犯罪を犯して12年医療少年院にいたので、出てきた頃は28歳。劇中では50歳なので、事件は34年前。漫画のタイトルのサンジューシとの関連が考えられるが、劇中で名言は無かったはず。
消印から令和4年の手紙だということが見て取れる(平成だと多分辺見はまだ医療少年院の中で、住所が違う)。
・菅田将暉の最後の入院シーンは、FUKASEとの刺し合いから大分経っている。子供は生まれて、高畑充希が子供を連れ出して外出できるくらいに大きくなっている。じゃあなんで菅田将暉はまだ入院しているのか。おそらく右手の腱を傷つけてしまい、その復旧手術で再度入院している。その結果、彼はまた絵が描けるようになり、そして真っ先に小栗旬の顔を描いた。
・高畑充希の子供が一人だけになっていて、一人は流産したか刺されて死んだのでは、という考察をどこかで見たが、高畑充希が刺されたのは左太腿で直接の危害は無い(ショックや低血圧で何か起きる可能性はあるが)。また、双子の片方がいなくなっても双子用乳母車を使い続けることは無い。友人と会っているシーンでも、高畑充希は双子用乳母車の(視聴者から見て)右側を見て、友人は左側を見ている。子供はちゃんと2人いる。
・FUKASEの殺人の動機については深くは描かれていないが、多分幸せな4人家族に対しての恨みではなく、妬み。自分が手に入れなかったのは自分に理由があるのではなく、そもそも世界にそんなものは存在しないのだということで幸せな4人家族を消して回ってる。
ではなぜこのタイミングで殺人を始めたのか?そこも描かれていないが、時系列としては多分辺見とのやりとりできっかけが生まれたのだろう。
しかしそこが深く描かれてないので、シリアルキラーFUKASEがなぜシリアルキラーになったのかがほったらかし。
でもまあ、映画でのシリアルキラーはだいたいそんなもの。出来上がるまで過程はほったらかして、いきなり殺人鬼が登場する。韓国映画とか。本職の分析を見ると、シリアルキラーはシリアルキラーになる前兆と下地があり、ある時に臨界点を超えてシリアルキラーになるのだとしている。観客としてはそこまでFUKASEの内面に突っ込んで欲しかったけど、そんな尺無いからしょうがないか(この映画は126分と長め、これ以上の要素は入れられないかと)。