サウンド・オブ・メタル 聞こえるということのレビュー・感想・評価
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アカデミー賞受賞作品と聞いて…
第93回アカデミー賞のノミネート数が6つとやけに多かったので気になって観ることにした。この時点で間違いだったのかもしれない。この映画はまるで値段は高いが身体に良くなく絶品とも言えない食べ物を口にしているようだった。後味はしない。何もかも中途半端でやり過ぎず、かといってやらないわけでなく色々と頑張った感が目に余る。思わず見入ってしまう映画ではあるが観終えてもう一度観たいと思うのは、あの目のパキってる主演のリズ・アーメッドの腹筋だけだ。唯一“障害はなおすものではない”という言葉が考えさせられた。個々で存在して生きている私たち人間は、もっと対等な関係で価値観を共有すべきではないのだろうか…
生きるって何だろう
自分も含めて、人には色々な人生がある。
生きるということが、物心がついた頃からだんだんと当たり前になってきて、自立して仕事に追われるようになってからは"生きている"というより毎日がまるで何かルーティンで動いているような感覚におちいる。
ただし、そのルーティン化された毎日の作業工程のような人生はその動力源である身体が正常に作動していることが前提条件である。
昨日まで正常だった機械が突然故障したら?
部品交換や整備で直らなかったら?
ルーティンは何一つ欠けても成立しない。
だけど人生は続くのだ。
だとしたら、生じた不備は不備と思わず、むしろこの状態がデフォルトだと考えて、新たなルーティンを構築していく。
健康で何一つ不自由なく毎日を過ごせたら、もちろんそれに越したことはない。
しかしながら、人生何かに"つまずくこと"も少なくない。
そんな時こそ、何かを変えるという考え方を受け入れなければ先には進めないのではないだろうか。
まさにそれこそが生きると実感する瞬間なのだ。
と、肯定的に捉えるべきである。
サウンドが素晴らしい。
メタルバンドのドラムの人主人公の映画だと思っていましたが、全然違いました。
主人公がやっている音楽はハードコアです、これは苦手な人も多いと思いますが、
聴力を失う人の話です。音が聴こえなくなっていく過程が凄くリアルで引き込まれます。
音の工夫が凄く、通常の音と、難聴の人に聴こえているであろう音の表現が素晴らしい。
人間の耳は物凄い能力を持っていることに感謝してしまいました。
このタイトルは、ヘビーメタルではなく、人工内耳を付けた時の音を表現しているらしいです。主人公が、手術で人工内耳を取り付けるのですが、耳が機能している訳ではなく、脳に取り付けたインプラントが脳を錯覚させて音を認識させる方法なので、嫌な音もいっぱい聞こえる、その音がサウンドオブメタル、ということらしい。難聴者の施設の管理者の方が素晴らしかった。ラストシーンの主人公の決断も印象的。このシーンで映画をもうワンランク引き上げました。
知らない世界に触れていろいろ考えさせられました
聴覚障害者(突発性難聴の初期やインプラントをつけた後など)が感じる音とはこういうものだったのか、という驚きと衝撃。もちろん個人差があって人によって全く違うのでしょうけど。でもそのくぐもった音やキーンとするハウリングの音と普段私達に聞こえている音を何度も切り替えて対比させる音響演出の素晴らしさ。
ある日突然難聴になれば誰だって大きく動揺するし自暴自棄にもなるかもしれない。それがドラマー(ミュージシャン)ならば…。
リズ・アーメッドもオリヴィア・クックもこれまでとはまるで別人の演技でとても良かったです。
ラストシーンはとても清々しく印象的。だけど住むところも楽器等も彼女も失った彼はこれからどうやって生きていくんだろう、と野暮なことを心配してしまいました。
これからの生き方
ヘビメタ?が原因なのかわからない(結局原因もわからなかった)が、聴力を失っていく若者の苦悩。
アメリカはこういう感じなのか、あそこが特殊なのかは判断がつかないが、支援グループがあるのは心強いだろうね。
ああいうコミュニティがアメリカ全土にあるのかな?
日本ではちょっと考えられないかも。
ルーベンが手話を覚え馴染んでいくのがよかった。
とはいえ、やはり元に戻りたい気持ちが強く、全財産をつぎ込んで手術を受け、案の定うまくいかったなんて。
元の鞘には納まらなくても、この先なんとか生きていけそうな光が見えたのがよかった。
金属の音
ある日突然難聴になる。それからの日々の物語。昨日と世界は変わっていないはずなのに、耳が聞こえない世界はまるで時間が止まったよう。絶望感から、少しずつ穏やかな世界に戻る過程が、静かに、丁寧に描かれていたと思います。
以前、突発性難聴になったことがありますが、音が金属的に聞こえたり、メトロの車内アナウンスや発車ベルが頭痛いくらいにキンキンしたりしたことを経験しました‥‥。
ラストシーンの静かで美しい映像が印象的でした。これからも毎日、少しずつ進んでいこうと思える映画でした。
“Deaf”という単語を知ったのは、<87分署>でだった。
飛び道具的な演出ではあるが、この内容ならコレが必然なので。POVが段々手詰まり感を覚えてきていただけに、こういう主観的な音響表現に力を入れた作品がもっと出てきてほしい。くぐもってたり歪んでたり無音になったりするの、だいすき!
呼吸音すらはばかられるような静寂は、昨今中々体感できない。同じ回を鑑賞していたお客さんがみな、わかってらっしゃる方々ばかりだったので、音響効果を余すところなく体験できた。
クリーン(clean)というのだね、ふむふむ。あのコミュニティ/学校の人はポール・レイシー以外は…?
補聴器でも、調整したり慣れるのが結構大変と聞くが、ラストシーンでちょっとだけ、「ああっ、それもいいかも。ちょっと羨ましいかも」とつい思ってしまった。
聴覚を失うことの意味を知った
ドラマーのルーベンはギター/ヴォーカルの恋人ルーとヘビメタのバンドを組み、トレーラーハウスでアメリカ各地を巡っていた。
しかし突然(ほとんど)聞こえなくなった。
これは厳しかった。
自暴自棄になるのもやむなし。
支援コミュニティへ参加して上を向いた。
更に手術して元に戻るかと思いきや、そこはアンナチュラルなノイズの世界だった。耳で聴く音とはまったく違っていた。
二度絶望してからのこれから。
ルーベンは音のない世界で前を向く予感が。
大丈夫だという予感が。
これはハードな作品だった。
自分は果たして受け止められるだろうか。
不思議な感覚
聴覚に障がいのある方の俯瞰での描写はありますが、
実際は、どのような感覚なのか、
どんな風に聴こえているのかを体感したことがないので、
今まで感じたことのない不思議な感覚でした。
ただ、そこに意識を持っていかれ過ぎてしまってたかな…。
終始、映画とドキュメンタリーの間のような気分でおりました。
よって、ストーリーに深く入り込めなかったの感は否めず。
ですが、記憶に残るのは確かです。
【ヘビーメタルバンドのドラマーが、聴力を失い、難聴者施設に入りながらも夢を求めて、”決断”する姿。だが、世の中は歪んだ音に溢れていて・・。ラスト、彼の無音の世界を愛おしむ清々しい表情が素晴しい。】
<Caution ! 内容に触れています。>
◆感想
・突然、耳が聞こえなくなったら、眼が見えなくなったら、私はどうするだろうかと、観賞しながら思った。絶望故に、自暴自棄になる可能性は高い・・。
・今作のヘビーメタルバンドのドラマー、ルーベンはある日、聴覚がおかしくなっている事に気付きながら、恋人ルー(オリビア・クック)と組むバンドツアーを続ける。
けれども、それも限界にきて、ルーの勧めで医者へ。診療結果で、聴力の75%が失われている事が分かる。手術には4-8万ドルが掛かる事も・・。
- ルーベンの苛立ち、ルーの哀しみと心配を綯交ぜにした表情。ルーベンは逡巡もあったが、ルーと一時的に別れ、聴覚障碍者のジョーが運営する難聴者コミュニティに入る。
そこで、彼は手話を覚え、子供たちと交流し、コミュニティには欠かせない存在になって行く。
楽しそうに子供たちと手話で会話する姿。
だが、ある子どもと、滑り台で手でドラミングをして遊ぶ中、彼の心は揺らぐ。
ルーベンを演じたリズ・アーメッドの表情の変化。
苛立ちから、絶望、そして僅かの希望、恋人ルーへの想い。ー
・又、今作では独特な音響効果と、字幕が印象的である。資料によるとバリアフリー字幕とある。成程。
・そして、ルーベンは耳の手術をする決断をする。が、それは彼が馴染んだ難聴者コミュニティとの別れも意味するのである。
- ルーベンが手術した後、ジョーに申し出た”少しで良いから、ここにおいてくれ”と言う言葉を哀し気に断るジョー。-
・ルーベンはフランスに戻ったルーの実家を訪れる。そこで出会ったルーの父、リチャード(フランスの名優、マチュー・アマルリック!! 個人的に嬉しい。)との会話。
”昔は君が嫌いだった・・。だが、今は違う。”
そして、一緒にツアーをしていた時とは別人の様なルーの姿。
ー ベッドで抱き合いながら、二人で流した涙。
そして、ルーベンはルーはもう自分とは違う人生を歩み始めたのだ・・、と思い、翌朝一人静に、ルーの家を後にする。
彼が、人間的に成長した事が良く分かるシーンである。
<街中に出たルーベンに聞こえて来るディストーションが掛かった街中の車の音、鐘の音、子供たちの声。
その音に耐え切れず、手術後に取付けた骨導インプラント器具を自ら外すと、そこには無音の美しき世界が広がっていた。
その際のルーベンの晴れやかな顔は忘れ難い。
どん底に叩き落とされた男が、数々の経験をし、人間としても成長を遂げ、辿り着いた境地。
彼の未来は、きっと明るく、開けている筈だ。>
<2022年11月21日 刈谷日劇にて鑑賞>
失うことの怖さ
人は今あるものを失うことが一番怖い。特にそれが自分にとってかけがえのないものであれば特に。
ただいつそれはやってくるかは分からない。
もし、自分にその時が訪れたらそれを受け入れるしかないのだが、相応の意思と人の支えが必要である。
自分は耐えられるだろうか、、
またこの映画のように絶望を感じている方は多くいる。
そのような方に手を差し伸べてあげたい。
メタルバンドのドラマーのルーベン(リズ・アーメッド)は激しい演奏の...
メタルバンドのドラマーのルーベン(リズ・アーメッド)は激しい演奏のせいかどうか、突発性難聴に襲われてしまう。
原因は不明。
器具を埋め込む手術をすればいくらか聞こえるようになるかもしれないが・・・と言葉を濁す医者。
しかし、手術費用は高額。
恋人で一緒にバンドを組む恋人ルー(オリヴィア・クック)は、伝手を頼って、難聴者のコミュニティに連れていくが、コミュニティの主催者ジョー(ポール・レイシー)は、聾や難聴をハンディとして捉えず、その状態を受け容れての生活をルーベンに勧める。
ルーと離れてコミュニティで暮らすルーベンであったが、現実を受け容れることはなかなか難しかったが、コミュニティでの居場所・立場が出来たことで、少しずつ現実を受け容れられるようになっていく。
しかし、手術をすれば・・・という思いは立ちがたく・・・
といった物語で、タイトルの「サウンド・オブ・メタル」には3つの意味が掛けられているように思えました。
ひとつめは、主人公が演奏するバンドのメタルサウンド。
ふたつめは、難聴に襲われ、聞こえづらくなってきたときの、ノイズ音。
みっつめは、手術後に器具を通して聞こえる金属的な歪んだ音。
それらみっつの音質を見事にサウンド化しており、アカデミー賞音響賞受賞もなるほどと肯けます。
映画的には、ある種の宗教色を感じました。
ひとつは、ジョーが主催する難聴者のコミュニティの描き方で、教会が支援しているということが告げられますが、ジョー自身が牧師のようにみえるよう演出しています。
牧師のような様相ではないのですが、デニムシャツの下に着ている白いアンダーシャツが襟元から覗いており、それが牧師のホワイトカラーのようにも見えます。
また、難聴はハンディキャップではない、と言いつつも、健聴者を排除していることから、逆に排他的であり、他の宗派を受け容れないキリスト教の頑なさとも重なってきます。
もうひとつは、最終盤。
手術しても元のように聞こえず失望したルーベンに教会の鐘の音が鳴り響くのですが、その歪んだ音に耐え切れなくなった彼は、手術で取り付けた器具を外し、静寂を選び取ります。
キリスト教会の鐘は、イスラム教徒のルーベン(明確にそうだとは描かれていませんが)を救ってくれないように読み取れます。
ルーベンを救うのは、静寂を選んだ自分自身・・・
そう考えると、かなり遣る瀬無くなるラストですね。
雑音のない世界
薬物によって聴覚を失いつつある。初めはどうにかなると受け入れる事ができずいた
精神的な心のケアを受けてから徐々に音のない世界の良さに気がつく
聴覚があった時は気づかなかった生活音が雑音の様に聴こえる。(音が反響しているような)ストレスになって不快な世界。改めて音のない世界を楽しむことができた
依存しない世界
生き方を考える
聴こえるということのメリット、デメリットを観客が体感した上で、どう活きていくのかを改めて観客に問うているような感じの映画です。
果たして聴こえることが本当に幸せなのか?
聴こえないことで得るものの方が大きいのではないか?
活きる生き方を模索し、ようやく人生のリスタートラインに立ったルーベンに温かい視線を贈らざるを得ません。
蛇足ながら、映画館の一番前で観たら最高でした。やはり大きい画面で是非ご覧頂きたい映画です。
病気になって失うもの、そして•••
コロナ後の公開ラッシュで、配信で観られるものは観てしまえの勢いでアマプラで観ました。
良かった。特に聾者(になりつつある人)の聞こえ方などがリアルに再現されていた(自分が突発性難聴になった時と凄く似た感じだった)。
病気になる喪失感、その後、病気になって初めて得られるものがエンディングで体験できた。
劇場で、もう一回観るかもです。
究極の愛の物語
恋人同士ながら、同じバンドで活動し、2人でトレーラーに寝泊まりしながら全米をツアーする男女の話。
ルーベンは徐々に難聴に陥り、やがて会話がまったく聴き取れなくなる。
ツアーを続けたいという主人公・ルーベンと、今すぐ中止して治療に専念してほしい恋人・ルー。
ルーベンはミュージシャンとして最も大事な聴覚を失うというどん底を味わう。
なるほど、中盤くらいまでは、このルーベンの喪失と再生の話かと思っていた。
入所した聴覚障がい者の施設でも、徐々に彼は居場所を見つけていく。
ここまではまあ予想できた話だ。
しかし、終盤に至る彼の行動はルーに対する究極の愛だったのだろう。
家庭に恵まれなかったルーベンに居場所を与えてくれたルー。
そうか、彼が本当に取り戻したかったのは聴覚ではなく、聴覚を取り戻し、ルーとまた音楽をして、彼が居場所を取り戻すこと。なるほど、深い。
しかし、彼はパリを訪れた際のルーの雰囲気や生活に、そして自分の聴覚が思ったものとは違うという自覚に、彼女を取り戻すことなく、自ら身を引く。
最後のシーンはまさに彼の身上を象徴するような名シーンだった。
この映画はたった一つの愛の形を見せたものだと思う。彼はルーを通して何を観たか、何を得たか。そして、聴覚を失って彼のルーに対する愛は大きくなったのだろう。
しかし、やはり愛は脆い。彼の最後に見せた行動もルーへの究極の愛だった。
予告編の雰囲気から、自分がこういった感想を持つとは思わなかった。
しかし、これもまたこの映画の深さかと思う。
あと、内容とは別に今作の音作り。
劇場では他の作品よりやや大きい音量に設定されていたような気がする。
あの音の設定はきっと劇場レベルの音響じゃないとできないものだろう。
まさに疑似体験と言えるだろう。
あの不快な音は、自宅レベルで体験することはできない。より、主人公の不快な音を体験するのは劇場に限る。
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