ボクたちはみんな大人になれなかったのレビュー・感想・評価
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キリンジさんの曲を聴きたくなるね
エンドロールの曲の雰囲気が良いんですね。
だから、なんとなく良い映画を観た気にはなれました。
でね、心地好い歌声だなと思ったら、堀込泰行さんの曲だったの。
久しぶりにキリンジさんの曲が聴きたくなっちゃった。
あと、この映画を観ると文通をしたくなりますね。
これ観る前に、『雨とあなたの物語』を観たせいでもあるけど。
ところで、安倍乙さんはどこ出てたのかな。
言い訳くさい。
ジュクジュクとした不完全燃焼感のある、そこそこ成功した大人の懐古譚。
恋愛に関しても、仕事に関しても、本当にやりたかった事に関しても中途半端だった自分への反省と
「まあ、これはこれででいいんじゃない普通で」という自己肯定を当時の時代感満載で描いている。
主人公が彼女と出会うあたりは自分も働き出した頃と被りWAVEの袋とかかなりエモかったが、、、、正直なところ全体的に共感出来なかった。わりと業界の普通な話と雰囲気だけでストーリーとして魅力が足りないと思う。主人公が全てに中途半端だったせいで話もそうなったのかもしれない(だから振られたのか?)
原作は知らないけど、映画化するならなんかひねりが必要だったのではないだろうか?
「....大人になれなかった」というタイトルも逃げを感じてあまり好きになれない。そういう言い訳臭い所が充分既にダメな大人である。
良いキャストなのに残念だ。
六本木で飲んだくれて、明け方思い出の場所を巡りつつ酔い覚ましをする事は自分もたまにあるなぁ。
さすがの…
森山未來さんが流石の演技。
それを観るだけでも満足できる。
ストーリー自体は、わりと何でもないというか…
あぁ…あるよね。こういう時、こんな感情。
っていう、共感しやすいストーリーと
それに伴う主人公の感情の起伏や行動。
ただ、それを、自然に共感させてくれる
演技力が素晴らしいと思う。
30代以降の世代には
特に刺さる内容かなと思う。
過去の、ある一点から
なかなか前に進めないもどかしさ
それでも、無理やり進む
というより、とにかくがむしゃらにこなす。
そういう経験って、
大小はあれど誰にでもあるだろうなぁ…
っていう、年齢的な大人の心情の代弁作。
主人公と同じ世代だけど、、、
主人公と同じ世代です。
心身ともに衰えを感じます。
よく言えば円熟期の入口。願っても手に入らないものも分かって来て、希望と現実よ良い意味で折り合いがつきました。
過去を振り返ると、あの頃は良かったな、、、と思います。
この映画でもそれがメインテーマですが、特に何も起こらない。あれ、これで終わるの?と思ってしまった。それがリアリティがあると考えるか、映画なのだからもう少し盛って欲しいとも思います。
俳優陣はとても良く、映像の撮り方というか、演出もとても良かったけど、ストーリーがよく分からない。ちょっと切ないけど、喜怒哀楽は少ないのかな。
かおりは、とても美人ではないけれど、ところどころの仕草や言葉がとても魅力的。と同時に、「フツーだね」という、冷静に考えるととても恐ろしい言葉を発します。可愛らしいけど、悪魔的です。
伊藤沙莉は適役。伊藤沙莉も美人とは言いきれないけど、可愛らしく魅力的。
俳優陣も豪華。つくづくNetflixはお金があるのね。
役柄は置いておいて、
東出昌大のかっこいいこと、セクシーなこと。不倫しても良いけど、映画には出続けて欲しい。
確かにそんな時代がありました
50前のおっさんです
確かにそんな時代がありました
軽薄でキラキラした日々
あの時代の音楽は今聴いてもときめきます。
岡崎京子好きなサブカル系の女の子とも何人か付き合ったなぁ
でも引きずることはなかったよ
今年はエヴァも完結し、フィッシュマンズのフィルムもあったね。佐藤くん亡くなって22年も経ったのか。
最後にこの映画見れてよかった。
ただこの映画は出来はイマイチ
役者は良いけどね
作者燃え殻でエンディング堀込くんとか終始浅い
あいかわらずなボクら
2021年映画館鑑賞102作品目
11月28日(日)イオンシネマ新利府
午前は1000円で観れたのだが午後は2500円のグランシネマ
ポイントを使い1800円で鑑賞
たった1人
電動シートを動かしほぼ横になってプラネタリウムみたいに映画を観た
原作未読
森義仁の映画監督デビュー作
脚本は『婚前特急』『銀の匙』『さよなら渓谷』『映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』『まともじゃないのは君も一緒』の高田亮
小説家志望だがテレビ局の下請け企業でフリップ作りを続けているうだつが上がらないおとこ佐藤誠
むかし別れた女が忘れられずいつまでも引きずっている
その後ガールズバーのバーテンダーと付き合ったが事件発覚後連絡が取れなくなる
結婚を意識した女性には「私の時間返してよ」と言われ別れることに
そんでもってネットでむかし別れた女が普通に結婚していることを知る
普通を嫌がっていた女が
人生なかなかうまくいかない
1995年から2020年の話
冒頭は別れの1999年だが2020年から1995年と時系列が逆行する構成
今世紀はわりと飛び飛びで世紀末は濃密な印象
わりとこういうタイプは好きじゃない
本編の終わり頃にはこれでもいいかなと少し思えもしたがやっぱり好みじゃないしなるべく順番通りにできなかったものか
佐藤誠が若い頃に付き合っていた元カノ加藤かおり役が伊藤沙莉
どちらかと言えば三枚目女優だが今回は綺麗な方
やっぱり可愛い
自称ブスらしいが「そんなことないよ!」と自分は言いそうになる
かおりのファッション好き
2人は文通をきっかけに出会う
誠が初めての男
ラブホで処女喪失
薄暗い部屋で『獣道』以来2度目のお披露目となる巨乳でも貧乳でもないお手頃サイズな上品で可愛らしい乳房
1番の見どころ
本宮ひろ志の『俺の空』に出ていたストリッパーが脱いだ途端に活気づく客のように後ろへもたれ掛かる態勢から急に前のめりになって食いついてしまった
マックのパイより沙莉のパイの方が俄然大好物です
『獣道』のときは必然性が感じられなかったがこれは自然
悶えるシーンもありこれはお兄さんは観ることできまい
どうせなら森山未来には三国連太郎のように原型をとどめないほど激しく揉んでほしかった
公衆電話や中嶋らもやオザケンとかよりみんなタバコをスパスパ吸っていることが時代を感じさせた
なかなか
過去の思い出から抜け出せない主人公と、その主人公を取り囲む人達のやり取りや行動を錆びれた感じの映像で映し出している。
なかなか良い映画だった。
伊藤沙莉ちゃん、体を張りましたね。
東出昌大くんの金髪チャラ男、なかなか似合ってましたね。こういう役も意外と似合うんだなあという新たな発見!
今夜はブギーバッ…
置きっぱなしにして忘れてきたもの、もう戻らないもの、無くしてしまったもの、に思いを馳せても無駄。だからこの映画も無駄。…でも全部引っ張り出して泣きたいこともあるんだよ!っていう映画でした、わたしにとって。
伊藤沙莉さんの役のような、ちょっとアートかぶれというか、自分流というか、結果わりとステレオタイプなサブカル女子っていたなー…というか割と自分がそれ寄りだったのでだいぶ恥ずかしい。未來くんが夢中になるような、そんないいもんじゃない。最後は普通になるんだし。大人に。
もう、大人になることがわかってしまっている現在から遡るのが残酷な作り。むず痒いけど、目を逸らせない。未來くんの「普通だな〜」沙莉さんの「なんか普通だね」が色んな意味で刺さってとれません。
SUMIREさんがとてもキレイでした。リバーズエッジと共にあの時代がバシッとハマります。
東出くんが出てくるたび、こ、こんな人いたー!!と笑ってしばし緊張が緩んでました。ピッタリ!
普通なボクたちの明日
1995年、佐藤は文通募集欄に彼女(かおり)を見つけた。
オザケンを共通項に2人は逢瀬を重ねる。
円山町にある宇宙の壁紙のラブホテルは2人だけの世界だった。
1999年大晦日、ノストラダムスの大予言が外れた。
そして、翌日の2000年1月1日。
「今度CD持ってくるからね」
その言葉を最後に彼女との関係は終わる。
あれから20年。
平成が終わって、新型コロナウイルスにより街から人が消えた。
そんな時、彼は自分の人生を振り返る。
「本当、普通だったな」と。
『メメント』の如く時系列を遡る方式で、1995年から2020年までの25年間を振り返る。
結末は分かっている。ただ、主人公と振り返ることで時空を超えた一種の旅行をしているようだった。
1990年代。
私は全く世代ではないし、もっと言ってしまうと生まれてもいない。
それなのにどこか懐かしくて哀しくなるのは何故だろう。
戻りたいとさえ思ってしまうのは何故だろう。
普通を突き通した佐藤と普通を避けていたかおり。
変わるべきだったのだろうか。変われただろうか。
普通であること、大人になることとは一体何なのか。
街や世の中は25年で大きく成長した。
映画や音楽はサブスク全盛期、スマートフォンが普及して手紙や公衆電話は減少、どこでも誰でも繋がれる時代になった。
しかし、ボクたちは大人になれなかった。
いや、これからなのかもしれない。
一つ一つの出会いや別れ、選択や経験が今の自分を形成している。
それがプラスだろうとマイナスだろうと、未来は自分で切り開いていかなければならない。
死んだ彼、消えた彼女、成功した者も落ちぶれた者も今どうしているのだろう。
そんなボクたちみんなに想いを馳せ、何が起こるか分からない未来への希望と変わらない過去への哀愁を感じる。
今まさに大人になろうとしている自分への道標とも言える作品であった。
森山未來は音楽に乗せて成長を演じさせたら完璧だね。
伊藤沙莉も今まで見てきた中で1番可愛らしい役。
どの役者も本領発揮していて素晴らしかったが、特に胸に刺さったのが、妖艶さと儚さを体現したSUMIREと時代と周りに影響されながらも芯を通した篠原篤。
この2人からは強い変化を感じる。
時代を象徴する音楽も良きスパイス。
特に最重要であるオザケン。普段あまり聴かないけれど、たまに聴くと滅茶苦茶良い。
声に出したいセリフも多かった。
原作もそうだが、現代文学が読みたくなる。
久しぶりに優しい活字に触れてみようか。
色々考えてみてやっぱり思う。
この映画きてる。
じこべんご
個人的な雑感だが、日本のYouTubeは気の滅入るのが多い。
修羅場と愁嘆場。喧嘩や衝突。なにかの謝罪じたいが人気コンテンツでもある。生活感と瀬戸際感とギラつきのある日常性。身につまされる現実。
わたしはYouTubeを見ることで現実・日常をわすれたい。逃避をもくてきとしている。日本のYouTubeはそのもくてきを果たせない番組が多い。(知りうる限りにおける、個人的見解です。)
理想は(たとえば)Didac Ribot。日本ならパパラピーズ。現実を想起させない、たのしいユーチューバーを好んで見る。
これは日本映画にもあてはまる。日本のYouTube同様、日本映画は修羅場と愁嘆場、挫折や哀感、不仕合わせや不遇、性的な搾取──といったシーナリーや主題が多い。
外国映画には内省を吐露している映画は少ないが、日本はそんな映画ばかり──といえる。
それは、あたかもクリエイターが自我をさらけだすために、映画という手段をもちいているか、のようだ。が、映画はきほんてきに庶民向けの娯楽である。
庶民向けの娯楽映画をつくろう──というスタンスがあるなら、クリエイターはじぶんの心象なんか吐露しない。そんなものは、不特定多数の人々を感興させるのに、役にたたないから。
畢竟クリエイターが自己主張したくて映画をつくっても、映画は技術によって伝えるものなので(技術がなければ)監督の主張は伝わらない。
なぜ(海外の)映画監督がホラー映画からキャリアスタートするのか──といえば、ホラーは観衆に伝わりやすい仕組みだから──に他ならない。
すなわち監督が観衆に伝えたい自我(あるいは自我を投影した原作)があるなら、その自我を観衆にわかるコンポジションに書き換えるひつようがある──わけである。
これらは言うまでもないことだが、日本で映画をつくっている人・つくろうとする人だけが知らない。
挫折というか平和すぎて挫折らしい挫折もできなかった。という話。
深刻ぶってみるけれど、かれらが乗り越えなければならなかった壁は足下にあって、ひょいとまたげた。まして今とちがってバブルを生きた人たち。コロナもコンプライアンスもなかった。恋愛や失恋や仕事や生活、んな、ご大層なもんじゃなかっただろうが。なんの変哲もない団塊の息子・娘世代の青春を、エモ感&吐息感たっぷりに描いちゃって(←ほめことばです)るけれど、この国最高の好景気を満喫した君らに、いったいどんな哀歌があるっての?と(個人的には)思った。
とはいえ、森山未來も伊藤沙莉もほかの俳優もみな巧いので、まるでノストラダムスの1999が当たりで、地球の最後を嘆きつつ日々を生きる、みたいな雰囲気の映画になっていて、でなければ超絶に平和な国の首都で、いったいその意味不明の哀感=「深い悲しみを背負ってます」感はなんなの?という感じだった。
ボクたちはみんな大人になれなかった──とは言うけれど、みんな食べて寝てすくすく大人になったじゃねえか。なんにもなかった青春をむりむりにエクスキューズ(=他人様の同情を買える姿形)してしまった力業の原作。(←ほめことばです。)の映画化。
で、ほんとふつうだわ。と言うのがオチ。モテキと俺はまだ本気だしてないだけにひたすら気が滅入るリアリティを付け加えて、ねちねちと平和に不満をならべたいつものザ日本映画。(だと思いました。)
迫害されてもいなかった、飢えてもいなかった、雨風をしのげなかったわけでも、権利を剥奪されていたわけでも、亡命をきぼうしていたわけでもない。恵まれた世界の世迷い言が映像化されていたので、たんじゅんに「これをネットフリックスで出したら、せかいにはもっと過酷なげんじつがいっぱいあるから恥ずかしいのでは?」と思いました。
監督がホラー映画からキャリアスタートする──そのりゆうは、ホラーが観衆につたわりやすい仕組みだから、と言ったけれど、それもあるけれど、そもそも世のクリエイターがフィクションにするのは、基本的に自分自身には何にもないからです。
未熟な日本映画見るたび「日本人てホントなんにも言いたいことないんだなあ」と思います。なお推奨の倍速スピードを評点としました。
少し難しかった
言いたいことは何となく分かるが、所々脚本の意図が分からないところがあり、なぜあのセリフを言ったのだろうと、考えながらの鑑賞だった。(単に自分の理解力の問題だと思う。)それが一つ一つ理解できたらもっと深いメッセージを感じることができるのだろうなぁと感じた。
森山未來さんのお芝居は言わずもがな素晴らしかった。
ただ、今回の作品は森山さんの他に、最近とても気になる伊藤沙莉さんも出演されており、この方もやはり素晴らしかった。引き出しの多さや大胆さに魅力を感じている。他の出演作もこれから探っていきたい。
これは映画なのか?!
長かったぁ~。
原作未読なので、そちらは面白いのかも知れませんが...
果たして、脚本なのか、演出なのか…
個人の趣味感が満載なので、この監督に、私が合わないのでしょう。
長いミュージックビデオに、豪華に森山未來さんを使っている…というような終始、そんな感覚でした。
まぁ、世代的にはドンピシャなので、あるあるで、解る解るなんですが、
最終的に、「で?」って、思っちゃいました。
さらに、通り過ぎた過去の描写が多過ぎて、
それで、今の彼は?どうなの??みたいに、現在の人物像が薄っ!てなっちゃいました。
正直、なーんにも残らなかったです。
いや、森山未來は、非常に魅力的な俳優だ!ということを改めて思い知りました。
しかし、これは、映画なのでしょうか…。
その時初々しい二人を繊細にその後現実を残酷に
2021年劇場(配信)鑑賞44本目 良作 64点
ネトフリで鑑賞。
当方数ヶ月前からそれなりに楽しみにしていて、ネトフリと同時公開とのことだったのでネトフリで鑑賞しましたが、十分楽しめたがお金払わずに見れるならそれで良いかなって感じでした。
森山未來の演技が非常に良かった。
伊藤沙莉も陰ながら応援していて、彼女の他の作品であるタイトル拒絶も個人的に評価が高く、今作も役に忠実で良かったです。
なんかこういう群像劇他にもあった気がするけど思い出せない、、、
ただベタな恋愛ものではなくて、淡くて苦くてイニシエーションな今作のような経験いいですよね。
是非。
さて、大人の定義とは?
森山未來が21から46歳の佐藤を演じてます。同じ時代を生きる伊藤沙莉演じるカオリとの関係を描く作品かと思ってたら全く違ってました。ずっと彼の回想。時系列はバラバラ、きっと彼が思い出してる順番なんだろな。
カオリも彼が付き合った女の1人でしかなかった。新宿、渋谷、六本木など、バブル期を知ってる今のおじさん、おばさんには懐かしいシーンだらけ。記憶と音楽の繋がりが強調されてたな。
ただ、ストーリー的には何もなかった。仕事やプライベートを回想してるだけなんで、あぁ、あんな奴いたな。とか、当時はそうだったなぁ。とかの繰り返し。昔を知らない若い人には理解不能だと思うよ。ビックリしたのは沙莉ちゃんのベッドシーン、まさかね。
新宿の映画館で観たので、駅までの途中にあるロケ場所に立ち寄った。さっきまで何度もスクリーンに映ってた場所に自分が居るなんて、なんか笑っちゃった。しかも2人が持ってたWAVEの手提げ(記念品でもらった)持ってるし。主人公と同時に昔を思い出す為の映画。なんだかなぁ〜。
ボクたちはみんな大人になりたくなかった
休みの日に朝早く起きてNetflixで映画。
ああ、幸せ。ああ、生きてる。
もうこれだけで祝日の甲斐がありますね。
という訳で、現在劇場でも公開している本作をNetflixで鑑賞することに。本当は劇場に足を運びたいんですけど、時間が合わないのでパスで。
これまたいい映画ですねぇ...。
渋くて静かで優しく苦しい大人な恋愛映画。花束みたいな恋をしたみたいに、誰かと一緒に見て語りたくなるようなそんな深い映画でした。
1999年、彼女のかおり(伊藤沙莉)は今度CD持ってくるからねという言葉を最後にその場を去り、ボクたちは終わった。2020年、順風満帆に仕事をこなすようになったボク(森山未來)はそんなあの頃を思い出す。
別に捻りもなんにもないですこの映画。
ただひたすらに、主人公に起きることを遡りもう一度現在へと戻るだけの映画。それなのに、何故か面白くてグッと胸に来るものがあって、まるでカセットテープで音楽を流してるかのようなそんなちょっと苦い雰囲気に包み込まれる。映像の美しさだとか音楽の渋さだとか、そういう要素が上手いことハマって素晴らしい作品になっている。
25年間の月日を経て主人公とその周りの人々はどうなったのか。普通な暮らし?まともな生き方?群青劇として非常に見応えがあって、2時間があっという間だった。意外と人って脆いんだな、人って情けないんだなって、単純に希望の光みたいな表現をするよりも勇気が貰えて、この映画見ると人肌が恋しくなるし明日もとりあえず生きようって思える。人生振り返ったら、こんな道通ってきたんだ、自分。ってなるんじゃないかな。
森山未來に圧倒される2時間。
20歳の若々しくまだ世間知らずで弱っちい佐藤。
40歳の普通だけどなんとか仕事をこなす佐藤。
まさか同じ人が演じてるとは思えない。まだまだ20歳役出来ます、彼は。なんの違和感もないし、37で20代を演じているわけだから安定感は半端ない。25年間の佐藤を本当に丁寧に演じていた。東出昌大も長い期間同じ人を演じている訳だが、彼もまた立ち居振る舞いや話し方で歳の変化を感じさせていた。2人とも素晴らしい俳優です。
映画館に見るとなると少し物足りないかも。
家で見るとソファでだらーっとしながら見れるから、全然飽きずに楽しめたけど引き締まった空間だと何だかもどかしかったかもしれない。25年間を描いている割には、出来事が少なかったし丁寧に描くために省いているのかもしれないけど、物足りなさは感じざるを得なかったかな。
でも、個人的には花束みたいな恋をしたと並ぶくらい好きな作品でした。エンドロール後も観客に問いかけるようで好印象だったし、森山未來と伊藤沙莉のカップリングが独特なオーラを放っていて好きだったし、2人で見たらもっと面白いのかもと思った。暇な時にぜひ。
バブルがはじけた後の世界は若者から何かを奪い去った
バブルがはじけた後の始末の仕方は、弱いもの貧しいものへ負債を押し付けることであった。彼らは生きる方向を見失ったが、うすうすは気が付いていた。自分たちが80%のゴミの構成員だとしても、残りの20%の支配層、富裕層もクズなのであることを。ここに描かれた青春像は決して普遍的なものではなく、時代の制約を受けた特殊なものであると理解した。不満や怒りをごまかさず、それをぶつける場所、相手を明示したかった。
こんな人は多いと思う。
若い人はエモいって感想みたいだけど
40代の私は少し苦しくなってきたな。
切ないっていうかね。
90年代のモノが不足していた時期、
小沢健二のようなアーティスト、
各雑誌が作った世界観に魅了された
若者は、それに染まっていった。
染まるために必要以上にお金を欲しがってたね。
2000年から時代の変化がありすぎて
気持ち的に取り残されてしまった人は
多かったかもしれない。
主人公にとって、幸せは
忙しい中に暇を見つけて
面白いことをする、
ワクワクすることだけだったわけで。
それがだんだんなくなってきて、
慣れてきて。擦れてきて。
それが大人になったということなら
全然つまらないね。
お金ではもう買えない甘酸っぱさ。
気持ちだけ戻りたいんだよね。
よくわかる。切ないね。
でも、今の若者は
これが観れてよかったと思うよ。
いつか、40、50歳になるのだからね。
自己肯定感の薄れているこの時代で
普通に生きてきたのに、こんな事になってしまった。
多くの人が思っているだろう2020年以降の世の中を表しているような作品。
大人になれなかった、という言葉は世の中に適応することなく生きてきた、ともとれるし、
もっと先を進めるはずだったのに、不本意に止められてしまった現代をも表しているのかと思った。
ラスト、自分の思い出の場所を振り返っていく佐藤(森山未來)の姿は印象的だった。
今の自分を作ってきたのはやはり過去なのだ。『普通だな』とつぶやく佐藤。『普通』とは、大多数だな、とも考えられるが、プレーバックした自分自身を観て、まあよく生きてきたな、という自己肯定にも取れた。生き辛くなってしまった現在、少しでも自己肯定感を感じられるラストシーンは極めて印象的だった。早くこんな日々が終わってほしい。でないと、これ以上生きるのが辛くなるだけだ、と私は切に願う。
森山未來演じる主人公、佐藤よりは少し年齢は若いが、自分も95年から現在は、物心ついてから今日までの日々なので、必然的に自分が生きてきた25年を思い出してしまった。
きっと自分なら小沢健二じゃなくて、CharaやYEN TOWN BAND、Cocco、globeなんかが流れるだろうな。シネマライズやスワロウテイルのポスターは本当90年代のカルチャー。原宿や道玄坂の雰囲気もよく再現したと思う。
ただ、推しの女優のベッドシーンはあまり見たくなかった。たまに『これ、必要?』というラブシーンがあるので、ああいうのなくなれば良いのに、と言うのが個人的な見解。
こんな毎日だけど嫌いじゃないんだ
燃え殻さんのTwitterが好きでよくお気に入りに入れていた。人生の痛みを知る人の言葉は優しい。
優しくてちょっぴり悲しい。その悲しみの正体はなんなのか?それがこの映画の中で描きたかったことなのだろうか。
森山未來と伊藤沙莉のコンビが新鮮でよかったな。説得力があった。芯があるお芝居。
私は女性だし佐藤よりもかおりさんに共感ができた。私も「普通」を嫌い、エキセントリックに生きてみたいと思った。でも今、ありふれた「普通」の幸せを享受して生きている。
だけど、これは「大人」になったといえるのか?心がそれを拒否している気がする。
いつまでも、佐藤のように自分の中で「あの頃」を美化し纏わりつく感情があるから、どこかでまだ自分が歳をとったことを受け入れられないでいる。
いつまでも心はあの頃のままでいたい。
世代は違えどこういった感覚は普遍的なものではないか。
この映画は印象的な台詞が沢山ある。その中でもSUMIREちゃんが演じるスーの「こんな毎日だけど、嫌いじゃないんだよね」って台詞がよかった。
好きだとか幸せだとか言えないけど、嫌いじゃない。その感覚がなんだかわかるなと思ったし、その台詞を放ったスーちゃんの横顔綺麗だったなぁ。
脇を固めるキャラクターもよかった。
特に七瀬役の篠原篤さん、最高。
もっと彼を掘り下げてほしかった…と思うくらいだ。
きっとこの映画を観た気持ちもあと数日で忘れるだろう。そして普通の日常に戻る。
だから今はこの気持ちを忘れないように記したいと思う。この気持ちも過去になるから。
つまらない大人を生きる私の物語だった。
「46才。つまらない大人になってしまった」もうこれだけで胸がいっぱいになりました。なんてつまらない大人になってしまったんだ。こんなハズじゃなかったと、いつから私もこんなことを感じながら生きているんだろうか。
46才の佐藤。2020年コロナ禍。ゴーストタウンと化した東京の夜。偶然再会した懐かしい友。まるで走馬灯のように25年間を遡ってゆく物語。テレビ業界の片隅で忙殺される日々。汚れてしまった価値観。矛盾と権力と金。そして時代の移り変わりの中で出会った女性達。タイピング音に合わせて時間軸が変わってゆく構成が見事にハマっていた。
ところで森山未來という俳優は時空を操れるんだろうか。21才の佐藤は確かに21才だったし46才の佐藤は確かに46才だった。何かに一生懸命になりたかったあの頃の自分と、打算で生きる今の自分。何度だって生まれ変わると胸を張る胡散臭い実業家の横でほくそ笑んでいるのは、もしかしたら私かもしれない。
出演者も豪華。(ちょっとどこに出てたか分からなかった方もいます。)伊藤沙莉、東出昌大もよく合ってましたが、特に篠原篤が素晴らしかった。七瀬は今作のキーパーソンでしたね。ママ姿も可愛かったです。
FAX、公衆電話、文通。私も10代を過ごした90年代が懐かしかった。文通もしてたし、オザケンのコンサートも行ったな~。遠い昔の話。さてラストシーン。25年間を見直すように、あるいは払拭するかのように走る佐藤を見ていたら少し気持ちが軽くなった気がした。そして気付けば目の前に大勢の人の波。その中へ消えてゆく。明日の私のように。
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