「本作品は「大人になれなかった」ことを必ずしも否定していない」ボクたちはみんな大人になれなかった 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
本作品は「大人になれなかった」ことを必ずしも否定していない
「普通」という台詞が様々なシーンで印象的に使われる。何をもって「普通」とするか。どんな人が「普通」なのか。映画は言葉では説明しない。説明はしないが、登場人物の生き方をもって「普通」とは何かを明らかにしていく。「普通」は肯定されるべきなのか、それとも否定されるべきなのか。
主人公のサトウを演じた森山未來は大したものだ。これだけ豪華なキャストなのに、ひとりだけ存在感が突出している。そういう演出なのだとは思うが、森山未來の演技力がなければここまで目立つことはない。サトウの心象風景のような作品である。
「大人」という言葉を定義しようとしても、様々な定義が頭に浮かんでうまく定義できないが、本作品での「大人」という言葉は、諦めきれなかったという意味合いのように思える。
高倉健主演の映画「居酒屋兆治」の主題歌で、加藤登紀子作詞作曲の「時代おくれの酒場」という歌がある。加藤は高倉健の妻の役で映画にも出演している。本作品を観て、この歌の次の一節を思い出した。
あああ、どこかに何かありそうな そんな気がして
俺はこんなところに何時までも 居るんじゃないと
子供の頃は夢や憧れがあるかもしれない。しかし自分で生計を立てなければならなくなると、夢や憧れでは暮らしていけない。やりたいことではなく出来ることをやって金を稼ぐしかない。いつか何者かになって、やりたいことをやって生きていける日が来ると思いながら、一方で、そんな日は永遠に来ないことも知っている。しかし心の片隅には、諦めきれずに現実を否定したい気持ちがある。
中島みゆきの「狼になりたい」という歌をご存知だろうか。夜明け前の吉野家を舞台にアロハシャツの男の子が呟いているという歌だ。次の歌詞がある。
人形みたいでもいいよな 笑えるやつはいいよな
みんな、いいことしてやがんのにな
いいことしてやがんのにな
ビールはまだか
うわべを取り繕い、建て前を喋る。そんな毎日に疑問を持たなくなり、屈託なく笑うことが、本作品の「大人」なのかもしれない。果たしてそれはいいことなのか。タイトルの「ボクたちはみんな大人になれなかった」の「ボクたち」は、依然として疑問を持っているし、依然として残り火のように消えない怒りを持っている。本作品は「大人になれなかった」ことを必ずしも否定していない。むしろ「大人になれなかった」ことにこそ、人生の真実があることを示唆していると思う。いい作品である。