ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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物語は緻密にゆっくり進む、だから長い、長いが大作ではない
普段はエンタメ性の高い作品ばかり観ている私だが、割と好きな俳優西島秀俊出演映画がアカデミー賞受賞したという理由だけで観ることにした。村上春樹もチェーホフも全く知らない。映画を観るようになってからまだ10年にもならない私だ。
だから「ワーニャ伯父さん」は予備知識として読むことにした。帝政ロシア末期、中流の下くらいの家柄に生まれたワーニャは性格こじらせ独身中年(壮年?)男、愚痴っぽくてネガティブで太宰治小説に出てくる生まれてごめんなさいみたいな面倒くさいオッサン。他の登場人物もみんな口悪い性格悪い自分勝手な人間ばかり。なんかロシア人嫌いになっちゃうわ〜。そんな中でワーニャの姪御ソーニャだけは性格が優しくて私は救われた。ソーニャは実の父に捨てられても健気さを失わない。最後まで嘆くことしか知らないめんどくせぇワーニャ伯父さんを含蓄深く信心深い言葉で優しく励まして物語はゆる〜い絶望のまま終わる。
ホント、太宰作品の読後感のような、やるせなさ、不条理感、厭世観ばかりが後味の、幸せすぎてたまには他人の不幸でも味わおうかなという余裕のある人にしかオススメできない、しかしながらその文学性はとても高いであろう作品だった。私は多分チェーホフはもう読まない。ドフトエフスキーは読むかも。
そして満を持して観ましたドライブ・マイ・カー。
当然の事ながら「ワーニャ伯父さん」の印象に引きずられながら観てしまう。だからチェーホフ作品のセリフが出る度に反応してしまう。映画の本ストーリーと劇ストーリーをシンクロさせてしまう。解釈を試みてしまう。
映画は初っ端から謎を残したまま物語展開するので、観客はモヤモヤを抱えながら見守ることになる。とにかく終始観るものをモヤモヤさせ続ける映画だ。モヤモヤ映画だ。私はそれに加えてチェーホフ劇場のあらすじを辿りながら色々考えながら観てるので忙しく、ゆっくり進んでいる物語なのだが時間はどんどん進んでいく。
途中何度か「えっ?」と驚かされる展開もあり、観ていて本当に忙しかった。しかし、物語がエンディングに向かって回収を始めていく段階くらいからラストまでは物語の面白さが断然勝ってしまい、チェーホフのことなど忘れてしまっていた。
「新解釈・三國志」と「大怪獣のあとしまつ」では大半爆睡していた嫁は居眠らずしっかり最後まで観て、珍しく感想まで述べた。
そう、要するに面白かったのである。ワーニャ伯父さんは別に読まなくても良かったのかな。そりゃ読んでる方がバックボーン的なものを理解する助けにはなるだろうが、村上春樹シロートの私には情報量が多すぎて本ストーリーを純粋に追う邪魔になってしまった。
つまり、これから観る方に申し上げるとすれば、ただ素直にストーリーを追えば、登場人物とシンクロできる作り方になっている映画だと思います。キリスト教的価値観なども、特に知らなくても映画のメッセージは伝わると思います。難しい独特な文学的表現など全くなかったですよ。なるほどアカデミー賞を撮る作品とはこういう建付けになってるんだなあ、とも思いました。チェーホフは読まないけど村上春樹作品は読もうかなと思ってます。
素直にいい作品だと思った
かなり評判だったので
アカデミーまではこの映画の存在すら知らず
話題作は必ず観たいぐらいで観に行きましたが
よかったなぁ
なんだろ
西島秀俊さんの寡黙だけど心の中の揺れ動く感情。
感情を出さない演技が好きです
あと、岡田将生くんはなぜにあのような
ちょっとイラッとさせる欠陥の様な役が
とてもうまい。
悪人では感情移入しすぎて嫌いになってしまったが💦
今回は嫌いにならずに
好演だったなって観れた
見終わったあとは、
はぁこんな映画だったのね
ぐらいだったのだけれど
なんだろ
どんどん元気が湧いてくる映画
それでも生きていかなきゃならない。
つらくとも乗り越えなきゃならない。
元気になった。
平日の15時半〜18時半の上演でしたが
半分埋まってました
アカデミー賞受賞などの
影響と
作品の素晴らしさを感じました。
苦悩から目覚めた西島と三浦の人生!
この作品は、西島が妻に対して本気で向き合おうとせず、放置した過去を乗り越えて、ステップアップしていく生き様を淡々と描いています。同じくドライバーの三浦も、母親を放置した過去の贖罪を乗り越えるという、二人の生き方がクロスオーバーしているところが、物語の深みを作っていると感じました。アカデミー賞を受賞した決定的な根拠は、私の想像では、キリスト教的な贖罪を乗り越えて解放されることをテーマにしているがゆえに、欧米の高い評価を得たものと思います。仏教的には、全て縁ですから、願って生まれることはあっても、人間にはもともと罪などありません。最後にはチェーホフ特有の人生論が語られますが、苦しみがあればこそ、人生の景色は美しくなるというセリフは、まさに西島と三浦の人生を言い得ていて、心に深く刺さりました。村上作品は、ストーリー展開の巧みさより、鋭い感性の積み重ねで、読者を惹きつけ感動させるタイプですから、淡々とした人生の展開は、物足りないものもありますが、それでもどんでん返しがあって、私たちを至福のラストに運んでくれました。ただし純文学風の感性が至る所にあって、エンタメ映画を見慣れた人には、少々疲れるかもしれません。この作品の中で、広島から新潟の佐渡?にドライブするシーンがありますが、故郷の見慣れた風景に感銘しました。あと、オーディションで募集を行い、練習を重ね、劇場で演劇を開催するまでのプロセスを、しっかり学べるという意味でも貴重な作品です。さらにもう一つ、西島と妻、あるいは妻と岡田とのベッドシーンは、この監督らしさでしょうか、芸術的な妖艶さが溢れていて唸りました。
喪失と再生
喜怒哀楽のバランスが崩れた時に人は自分を見失う。
イケメンサイコパスのブルース
〝勘違い〟によってしか情緒が着地しない映画として
正直な感想を書きたいと思う。
映画である必然性が感じられなかった。
後で思い返した時、この画面の時、この台詞だったよね、という印象が、あまり強くない。
台詞と映像が解離している感じの印象を受けてしまう。
映像は映像で美しいと思う。
ただ、その映像が映画としての文脈になっていたのか、思い返すと違和感を感じる。
文体はあるのに文脈にはなっていない感じを思ってしまう。
台詞の語尾は意図して疑問形かそうでないのか、ふわふわさせていると思うのだが、それによって情緒的な映画では無くしたとしても、映像と台詞を印象として繋いで欲しかった。
ジャン・リュック・ゴダールが「車と女と拳銃があれば映画が出来る」と述べた言葉は有名だが、
個人的に日本映画は「車とSEXと三角関係があればつまらない邦画が出来る」と思っている。(自分はこれを「日本映画死のトライアングル」と呼ぶ)
そういう意味で、ドライブマイカーも、内容をざっとあらすじで聞けば、どこかの呑み屋でも聞くような物語に、自分としては感じる。
自分の知る限りだが、あの手話は、正確な手話であるのか、よく知らない。
どこかでオリジナルの手話だった、みたいなことも読み、もしそれが本当ならひどいな、と思わざる得ないと感じた。
「コーダあいのうた」以上に手話への演出依存度が高かったように思う。
それだけに、実際の聾の方へ伝わる手話をするべきだったと思った。
環境音の方がよっぽど饒舌だった。「ロボット」と劇中内でメタ的にも劇における演出への注釈のような形があり、意図的とは分かりつつも、音程を外すことの無い上手なカラオケを聴いてるみたいで、とりわけ心を動かされることは無かった。
もしこの映画を観て、感動や涙があったのなら、その観た方の心情が乗っかったのであり、この映画そのものの機能に泣いたのではないようにも感じる。
観た方の〝勘違い〟によってしか情緒が着地するところを、自分は見つけられない、そんな心持ちになる映画だった。
それが「映画的」、と言われてしまったらそれまでだが、個人的にはそんなに好きな映画じゃなかったな、という印象だ。
せめて二時間ぐらいにして欲しかった。
マイケルベイ監督だったら
チェーホフが埋める喪失感
長く感じない
田舎では公開してなかったのに、オスカー効果でリバイバル公開。原作は未読。
三時間長いなと思って見始めたが、引き込まれて長く感じなかった。ゆっくり話が進んでいくが、そのまったり感がこの映画に合ってるかも?ストーリーはチェーホフの戯曲「アーニャおじさん」がキーとなり進んでいるが、やたら重い過去やしがらみを背負った人が苦しみながら生きる様が戯曲と重なる。もちろん、演者たちの熱演が見事でストーリーに説得力を持たせている。ラストの劇中のセリフがこの映画のテーマなのかな。苦しみながらでも人は生きていく。
岡田将生さんも良かったけど、不器用な感じの三浦透子さんも良かったよ。何気に妻の話したシナリオが気になって残っております。
映像や雰囲気は良かったです。
清く正しい人間関係で人生がつまらない人たちへ送る映画
チェーホフの舞台劇の感情を排した棒読み演技の指導が象徴するように、感情的な対立を避けていった人が陥った喜怒哀楽不在の人生喪失劇。でもチェーホフの劇は本当はものすごい感情的な家族劇。棒読み演技指導との面白いコントラスト。
現代日本人のエチケットと思われている感情押し殺しの人間関係の在り方に対するアンチテーゼのような映画。
感情を表に出さず、たとえ不快なことがあっても素直に相手に気持ちを伝えず、自分の中にしまっておこうとする人間関係の在り方は人生を不毛にしますよっていうメッセージが伝わってきた。
妻の浮気にムカついたら怒る!1人目を亡くしても自分が2人目が欲しければ作る!母親の虐待にムカついたらキレる!反抗する!それが舞台俳優の西島さんと運転手の三浦さんの2人には必要だった。チェーホフの劇はまさに感情吐き出しの家族争い劇。それを舞台役者としてしかできなかった、そして遂には演じられなくなった皮肉な西島さん。それに付き添って観客としてみてる三浦さん。
最後に、三浦さんは感情的表現やコミュニケーションが物凄く得意な国、韓国へ移住。
一方、唯一感情的に行動する能力のある岡田将生は、未成年とのセックススキャンダルと、ウィル・スミスみたいな暴力で犯罪者に。やっぱ奔放すぎてもダメ!
感情に素直になれよと訴えかける『ドライブ・マイ・カー』が賞を獲り、感情的になってビンタしたウィルも賞を獲ったが危ういことに。なんとも皮肉。岡田将生とウィル・スミスがかぶってしかたない。
じゃあ、どうすりゃいいの?
別に答えはないよ!という放り投げの映画でもある。生きたいように生きよう。でもその責任は自分で取りなさいとしかいってない、突き放しの冷たさが、残りました。
そんなに奥さんの形見の赤いサーブのクルマを、死んだ奥さんを愛してるなら、クローネンバーグの『クラッシュ』みたいに、愛するクルマ内で、カー〇〇〇〇を、生前に奥さんとすればもっと分かり合えたかも。こんな変態なことは、現代日本の清く正しい人間関係エチケットとしては、頭にセーブをかけてしまうだろう。だけど、人間とは変態であり、バカなのであるから、それは普通だとか変態だとかの話ではもはやない。それは人間にとって必要なことなんだから。
岡田将生はその一線を超えることができただろうし、岡田が西島の妻と浮気していたに違いないのである。岡田がチェーホフの劇で主役であったように彼は必要なキャラクター。そして、サーブは、セーブとかけたんだろう。そう思いました。
重厚なヒューマンドラマ
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