ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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演じるということ
すごく多層的で多面的な作品。
車内にしても舞台上にしても構図がばっちり決まってて
どこか閉鎖的というか、居合わせた人だけの空間に見えた。
自分自身の人間性の発露っていうのは対人関係にこそ表れるものであるって感じで
けっきょくひとり一人は違う言語を使うかのように相いれないっていう。
登場人物はむしろ、劇中劇を演じているときの方が生き生きと自然に見えて
この映画作品の、ひいては現実の社会で枠割を演じ続けることのぎこちなさを感じた。
思えば僕自身も男、社会人、夫、父などなどという役割にすっぽりはまってて
そういや本当の自分ってどんなんだっけと。
そういう振り返りというか、気づきを与えてくれた点で、見て良かったと思える作品だった。
原作に忠実?
傷ついた人ほど心が動かされる映画
悲しみが積み重なる、雪がしんしん積もっていくような、大人の映画。
不倫されたショックと、それを隠して普段通りの生活を進めようとする主人公。
妻が亡くなってから、自分の気持ちに正直であれば良かったと後悔する。
自分のせいで死んでしまった、殺してしまったという気持ち。
それは自分だけではない。
大切な自分の車を代わりに運転してくれる若い女性のドライバー。
彼女の運転技術は、悲しい環境が与えてくれたもの。
母親の虐待を受けつつも、母の弱い優しい別人格に支えられて生きてきた。
全ての母親の言動ひっくるめて、彼女は母親として認識していた。
そんな母親を土砂災害で見殺しにした。
彼女は主人公にそれを伝える。
もっと妻に正直であれば良かったと後悔する。
身近な人を亡くされた方は、深く心に突き刺さるのだろう。
傷ついた人が、傷ついた分、感情が動かされる映画なのかもしれない。
久々に失敗した
人の死を然るべき時にしっかり考えなかった男の生きざまは初秋の枯葉のように哀れだ。
なんともはや退屈な映画だった。誰しも小学生の低学年の頃、死ぬことを考え怯えて眠れぬ日々を過ごすものなのだ。そして、15歳を過ぎれば大概は世の中、厭なことに充ち溢れていると実感する。
そんな思考経験のない人間が中年になって愛するものを失う・・・・凡そ喪失感など感じられないと思う。そんな物語を映画にしてしまえると言うのは、余りにも鈍感と言うしかない。
村上春樹の小説はあまり好きではない。だから、原作も読んではいない。ただ、映画を観ながら3時間もの間、腹を空かせた野良猫のようにイライラが続いてしまった。イラつく原因は自分自身の欠点に結びついている訳だから主人公に自分自身を重ねてしまっているからなのだろう。それでも、間が伸びてしまっている。会話や風景や音楽が、パーフェクト音痴のようでグルーヴしない。
愛にはいろんな形があるわけで、性愛もあれば師弟愛も夫婦愛もある。しかし、すべては「死」から始まっている。それはみんな幸せを望むからだ。こんなことは誰でも知っている。分かり切っていることを映画にするのはとても難しい。
多分、人として生きていくということをみんな知らないだろう?
そんな傲慢さが満ち溢れた映画だった。
思ったよりも難しい作品
テーマにある「無力さの意味」を受け入れた時、「生きる力」を手に入れる
文学は全て毒だ。そんな事が判るロードムービー。
内容は、村上春樹原作の一説。妻殺し舞台演劇関係者と母殺し23歳女ドライバーとの互いの疵を認め愛生きテク心温まる道程の物語。印象的な台詞は『汚いです!』母殺しの女運転手が放つ言葉。それに対して『正しく傷付くべきだった!』との返はどれだけ呪われてるの?!と感じた。印象的な場面は、舞台依頼者の所に韓国料理🇰🇷を食べに行き。母殺し女運転手の仕事ぶりを聞かれて妻殺し舞台演劇関係者が褒めて、いきなり席を立ち犬を🐕撫で始める照れ隠しな行動が良かった。結果、2人の魂の救済とアジア注視が執拗に目立つ作品。最後のラストシーンでは、韓国🇰🇷で2人が共に生活している様な想像が出来る場面あり、傷口の手入れもされていて心も体も受け入れた上で苦しみながら少しは楽に生きられる様になり、そのせいで舞台演劇中年は大型犬になってしまいました。って終わりは雲や霞を掴む様な文学的な終わりは賛否両論あると感じました。筒井道隆が文学は全て毒である。毒を薄めた娯楽が大衆作品として受け入れられると言われていた事を思い出しました。結果物語中に、妻殺しも母殺しもしていないし盗撮野郎を殴り殺したぐらいぐらいなのですがね。。。自分としては、これより前に見た『空に住む』が好みでした。
ダラダラと長い中身の薄い映画
車がテーマと思い、感動作を期待していた。しかし、肝心の車も、大半を占めるマルチリンガル演劇も、ストーリには、ほぼほぼ関係がない。運転シーンは多いが、乗り降りを、長時間ずっと引きで映したり、退屈な展開が、ひたすら繰り返される。映画はドラマとは違い、時間が貴重なのだから、要するに中身の無い作品なのだ。演技は無表情でやたら暗く、喜怒哀楽の、哀と無表情だけ。脇役は棒読み。ドラマ性薄く、感動や盛り上がり・わくわくどきどきなく、映像美も迫力のシーンもなく、スクリーンに引きずり込まれる魔力とか、見事な伏線回収などの高等技術は当然ない。まあ、伏線らしきもの?・・・はあるが、収束せず、突然終わる。これだけ長時間映画であるにも関わらずだ。観客を喜ばせる作品ではなく、奇抜な映像表現を見せて、監督の自己顕示欲を満たすだけの作品に思えた。こんな作品であるにも関わらず、必死に演じる西島さんには、プロ根性を見た。西島さんが演じていたので、何とか最後まで義務感で見た。
あっという間の3時間
長いだけトップクラス
長い、けど長さを感じない。
原作は読んでいない。上映時間も長いので映画館には行かず。短編とのことで原作にはない話がかなり足されているんだろうが、それをこの長さで、飽きることなく堪能できるのは脚本が素晴らしいんでしょうね。
家福がみさきと北海道で語った言葉、悲しむべき時にきちんと悲しむべきだった。これが一番自分の中に残ったなあ。家福は妻が家で違う男と寝ていてもそっと出ていき問い詰めない。何故?と思いながらも後にそれは語られているが、きっと音は、夫にきちんと叱って欲しかったのでは?
必要なこと以外はあまり語らず、寡黙な運転手、年齢を聞いて,今は亡き娘と同じ歳と知り、家福の中では娘のような感覚もあったのかもしれないが、2人の描き方がとても良かった。必要以上に馴れ合いにならず、運転手と顧客の関係、でもお互いを理解し合っていて、観ていてとても心地よかった。
広島の観光、どこかに案内してと家福に言われて連れていったのがゴミ集積所、このせんたくをするみさきさん、とても素敵でした。
出演者がみんな役にピッタリで、それがこの映画をさらに面白くしているんだろう。
ただ、ラストみさきが韓国に居るのは,どういう設定なんだろう。犬は手話の女性夫婦が飼っていた犬だろうけど、、、?観た人が想像するってことなのか?
小説「女のいない男たち」を読んだがこんな話しがあったのはまるで忘れ...
間が良い
他人がどういう人生を歩んでいるのか?
また、自分と比較した時にどうなのか?
そもそも比較する意味なんてあるのか?
私は、家福、音、みさきの何れの登場人物も、自分の人生の中に代役が居ます。
なので、全く違和感無く没入しました。
家福の様に、壊したく無いから気付かないフリをしてやり過ごす人
音の様に、大切な人が居るのに軽薄な関係を重ねてバランスを保つ人
みさきの様に、冷静に分析出来ていても、結局『静観する事』を選ぶ人
私は普段から本質ばかりに拘って生きていますが、それが正義では無いのかも知れないと思えた作品でした。
最近見た動画で、伊集院光さんが仰ってたんですが、
「その時は楽しかった事なのに、後に振り返った時に『改めて楽しかった』と回想する人と『地獄だった』と考える人が居る、、、」と。
私はその言葉を、「なるほどなぁ」と自分の人生にあてがって受け入れました。
人は何かと向き合う時に、その時時点の等身大の自分で臨むと思います。
私がこの作品を見た時は、
先ほどの伊集院光さんの言葉を聞いた後というのもあって、それまでより感じ方をより深く掘り下げられたのかも知れません。
そして、度々出てくる喫煙シーン。
百害あって一利なし
そんな事を言う人に是非見て欲しい。
煙草を吸うという所作が生み出す、なんとも言えない独特な間を。
利しか無い。
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