ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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惹き込まれてあっという間の3時間
村上春樹作品だし、約3時間の長編だし、難解で入り込めないかなと懸念していたけど、最初から最後まで惹き込まれた。テンポ良く飽きないという感じではなく、セリフや情景など一つ一つのシーンに吸引力があった。
愛し合ってお互いを必要としているけれど、全てをさらけだしてはいない家福夫妻。家福は「お前は自分をコントロールできない」と高槻に言ってその通りだなと思って聞いたけど、家福はある意味自分をコントロールしすぎていて不倫に遭遇した後であっても尚本音を言うことができない。お気に入りの古い車と決まったルーティン(カセットテープでの台詞覚え)があって、自分のルールやペースに従って生きているから、ワーニャ役を通して意図せず「自分が引きずり出される」感覚に耐えられなくなった。そして最後にワーニャ役を引き受け、みさきの故郷に行き、「音に怒ればよかった、謝ればよかった」と感情を露わにするシーン…家福の中で起こった変化がすごく表れていて、言葉を失ってただ見てしまった。
高槻の車の中の長台詞にも、すごく心に響くものが沢山あった。高槻のエネルギッシュだけど安定感がない危うい役所を見事に演じてた。家福をじっと見つめてずっと喋り続ける高槻に、一種の怖さを感じながらこちらも息を呑んで言葉をずっと聞いていた。
ドライバーの女の子も家福も、過去の出来事を自分に責任の一端があると罪の意識を背負いながら生きている。全編通して観ながら、主人公の状況・台詞に自分自身を重ねてしまい、観ていて自分の内面とも向き合わさせられる感覚があった。
かなり心を動かされた映画だった。また数年経って人生経験が増えたら違う感想を抱くかもしれないと思った。数年後にも見直したい。
端的に伝える方法はいくらでもありそう
どの主要人物にも人間味が感じられない印象があったんですが、そこが物語のツボだったようで、後半見事に心が揺さぶられる展開になってました。
長時間なのがネックと言われてますが、蛇足的なシーンがあるわけではありません。ただ「今は演技中」とか「車で移動中」ってシーンが長尺すぎます。前半の奥さんとのシーンも、ダイジェストで端的に伝える方法はいくらでもありそうです。
アマプラで観ました。 内容も大したことがなく、長いだけで観た時間を...
アマプラで観ました。
内容も大したことがなく、長いだけで観た時間を返してほしい・・・
静かな演出、他者と分かちあえる幸せ
寡黙で思慮深い演出家が、妻の不倫を知りながら、衝突を避けるように黙っていて、妻が病死する。
2年後、広島での演劇舞台の演出を任されるが、ドライバーを当てがわれ若い女性が担当する。さらに、主役の応募に妻の不倫相手だった若い男性が応募し、合格する。
全体的に静かな演出。文学的な含蓄のあるセリフ。自分を深く見つめることが他者をみつめることになるような含蓄のあるセリフ。
自分の弱さを直視せず逃げていたことを悔やむが相手はもういない。ドライバーの若い女性も、過去、母親との確執があり、母は災害で目前で亡くなってしまった過去をもつ。お互いの過去を、自分をみつめることによって、お互いのこころを分かち合う。他者がいてよかったと思える瞬間ってこういうときなんだろうなと思います。
自分と他者、すれ違いはあるけれど、それでも手を取り合って生きていこうという、なんだか前向きになる映画でした。
約3時間あるので、映画館では鑑賞厳しいと思っていたんで、自宅で途中、2回小休止を挟んで観ることができてとてもよかったです。但し、カットの寄りと引き、編集のリズムがよかったので、時間ほど、長くは感じず観ることができました。
村上春樹の読後と同じ気持ちになる
村上春樹らしい、前編通して暗く重く、優柔不断な男が主人公。幼い子どもを亡くすという体験から、自分の中の深い感情を妻に対して表現することが出来なくなった男の物語。
感情を排した棒読みの台本読みは、演技上どんな意味があって練習に取り入れられているのか必然性が無いが
感情を表現出来なくなった男の演技指導としては象徴的。
それに、ドライバーみさきが最後に韓国に住む理由も全く分からない。
演技者が素晴らしいので、好きな題材ではないが、いつの間にか引き込まれた。
車内で、妻の音が他の男たちと寝ていたと家福から告げられ、それを認めるが如く、音が話した物語の続きを伝える岡田将生の目の演技が特に印象に残った。
村上春樹の小説は、感動すると言うより
心の中の暗い部分を嫌な感じに刺激してくる。
最後の終わりは、一応カタルシスを得るようになっているが、個人的にはそうは感じられず、嫌な気持ちが残った。
正しく傷つくことも出来ない、あるがままを受け入れることも出来ない…まだそんなところで留まっているのか、と思うので、自分の目を開かせてくれる作品ではないことも関係しているだろう。
これは、村上春樹の小説を読み終えた時の気持ちと同じ。その意味に於いても映画の出来は素晴らしいと言える。
モヤモヤと心の中のの嫌な部分を刺激してくる
村上春樹の小説通りのこの映画は、それゆえに大成功です。
難しい&長丁場
劇中のメインに出てくる「ワーニャ叔父さん」の話を全く知らないのと、舞台にも興味が無いので、舞台で使うセリフなのか?日常会話なのか?中々理解が難しい。。。夢か現実か曖昧な感じを描くのが上手い村上春樹ワールド全開!どのキャストにも感情移入できない。私には難しすぎた。
自分と向き合うことの大切さ
広島の地で妻を亡くした悲しみを乗り越える
演劇俳優の話。
長尺と思わせない、展開のある作品でした。
広島住みの僕にとってはどこも知ってる場所で
全然飽きなかったってのもありますけど。
タイトル的にロードムービーなのかと
思いましたが全然違いました!
運転手をはじめとした周りの人物との会話の中で
知らなかった妻のことを知ったりしていきます。
他人を知るには自分を知ること、
真実から目をそらさず逃げない、
ってことを学びました。
どちらもなかなかグサリものでした。
タバコシーンが多いので
喫煙者のかたは吸いだめして観てください、
3時間もあるので。
村上春樹をまだ理解できていない自分を実感
高槻に何度も裏切られながらも向き合う家福さんのすごさを感じた作品でした。自分だったら相当しんどいなと思います。
正直、「なぜその行動をとったのか?」がまだ自分にはわからない場面がいくつかありました。村上春樹さんを好きな方にはわかるのでしょうか。
家福さんが泊まっていた宿からの景色が素敵でした。
春樹と滝口監督でアカデミー
アカデミーで受賞をされた日本の作品と知った上で鑑賞。もっと揺さぶりをかけられる作品かなと想像していたのだが、こういった作品が評価されたとは知らず、意外だった。アカデミーで。
村上春樹の色が強いキャラクターに性描写、そして多言語の劇と、アカデミー賞受賞だからと映画館に行って気まずくなった人は結構いるのではないか。北海道を目指したときは、なんか、きたーっと思ってしまった。この作品が好きかは、村上春樹の作品が好きかにも寄るのかと思う。だから世界的にも評価をされても自分は3.5の評価なのかな。素敵だし美しいけど、何度も見返したいかは別かな。過去のしがらみからの解放、自分はそんなテーマを感じました。
ポリアモリーな僕
純粋な映画のレビューとは違い、音の心理を自分なりに考えてみる。
僕はプライベートでSMをしており主従関係の女性のパートナーがいる。
加えてポリアモリーな恋愛観の女性数人と付き合っており、その中の1人と物語の亡き妻「音」の人間性が似ているところがあり、共感した。
いや、共感したという感想を映画館で上映時にそのポリアモリーの関係のパートナーから聞いた。
実は原作の「女のいない男たち」を読了していたものの内容が薄ら覚えで今回映画を見直しこんなものだったのかと不思議な感覚になった。
僕のそのパートナーも人妻であり、僕と出会うまで何人かの男性と関係を持っていた。
僕と出会う事で、僕の創造性の部分に共感を持ってくれて、僕の写真の個展を後押ししてくれた事もある。
僕自身、映画以上に奇妙な人生を送っていて、この映画の音の行動も分かる気がする。
リビドーは創造性の原動力であり、そこに必ずしも愛情はなかったりする。
スパーク、みたいなものである。
映画ではそのリビドーに一方的な愛情を持ち込んだ男が2人の関係に押し入って自分語りを初めて勝手に退場していく様が、僕に撮ってはリアルに感じた。
それでも主人公と音の愛情は本物であり何人も立ち入る事はできなかったと思う。
その関係性を振り返るのに、いつもは運転していた年季の入った愛車を人に任せ、後部座席に乗る。
そして広島から遠く北海道まで進む。
山の中の残骸を目にして自分の愛情の残骸を投影してはたと気づく。
自分自身、好き放題な生き方をして親にも迷惑をかけ元嫁にもわがままを押し付けての今がある。
僕も人生を振り返る際に、誰かに運転を任せ、自分自身を俯瞰して振り返れる時がくれば、と思う。
p.s. 一昨日鶯谷のホームを歩いていたら、飛び込み自殺未遂をしてベンチで項垂れる酔っ払いと、その酔っ払いに真面目に説教をするサラリーマンを見かけた。
日本はまだ捨てたもんじゃないなと思った。
アマプラ会員は無料で観られる
飛行機の国内線で1時間だけ観ていて、
まあまあ気になっていたところ、
Amazonプライムで続きから観ました。
前半シーンは飛行機で観ると、周りの目がつらい
ベッドシーンだらけ。
妻の死の謎とは?とミステリアスな展開を
楽しみにしていたけれど、
あー、『寝ても覚めても』の監督だったのか。
この映画あんまりだった。
岡田将生のキレる役は面白かったけど、
結局のところ、妻の死因はフワッとしたまんま。
自分が早く帰ってこなかったからじゃん、
あんな不安定な嫁を持ちながら。
自責の思いがある、2人がまとまりました。
長すぎだったなぁ。
どこまでいっても村上春樹
むかし ノルウェイの森 ねじまき鳥クロニクル スプートニクの恋人 他にも
いくつか読んだか思い出せん
ほとんど内容を覚えていない それほど印象に残らない なんで世界的に評価されてるのか理解できない作家のひとり
これも、まあ西島秀俊は好きな役者だし
カンヌで認められたのならと期待せずに観てはみた
まあ、期待しない域をはるかに下回るつまらなさ のっけからなにいってんだこの奥さん?というとっつきにくいセリフに始まり、映像はホラーかというくらい陰鬱で暗くなんか不吉な雰囲気に満ちている
題名からしてロードムービーかと思ったらまるで違ってとにかく鼻につく場面のオンパレードだし、セリフの言いまわしが
~だった。~だった。の小説ならともかく、映像にすると不自然極まりない話し方で
それが村上春樹らしいんだと思ったとしても映画なら、変えろよバカなのこれの監督?と思いましたね
西島秀俊は淡々と抑揚なくしゃべる役が多く、淡々と進む村上作品にはあってるかな
岡田将生は珍しい役どころと思った
女優はあまり印象に残らなかった
やっぱりなんかな。村上春樹だから、さらに海外でも評価されたからこんなに高評価な部分もあろうが、よくよく考えてまず、面白いですか?と問いたい
理解できないお前が未熟なのさ、と鼻で笑われそうだが 別にじゅあ笑ってくれと言うですよ
つまらないものはつまらない そこは単純に考えるこのオレよ
ノルウェイの森も映画になってたんだ
まあ、全く観るきしないがね
最初の30分は絶望の展開だった。 なんだこれは。むくわれなさすぎる...
最初の30分は絶望の展開だった。
なんだこれは。むくわれなさすぎる。ここからどんな展開になるんだ。と序盤は重い気持ちになった。
終盤、「大丈夫」「私たちは大丈夫」この言葉で救われたのは家福自身だったんだろう。
「男が付け髭を外す映画」とプロの方がレビューされている。まさにその通りだと思った。
古典文学や演劇に造詣が深ければさらに楽しめたんだろうな。
難しい・・・
第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞、第79回ゴールデングローブ賞では非英語映画賞(旧外国語映画賞)、第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。
家福悠介と家福音夫婦の物語、渡利みさき、そして劇中劇の『ワーニャ伯父さん』と、複数の物語が混ざり合った作品で、ちょっと難しく感じます。
ここからちょっと辛口。岡田将生、要りました?ハッキリ言って、西島秀俊や三浦透子の演技に比べると、素人と言っても良いような演技に感じてしまいました。でも、彼の演じた人物は、家福悠介の妻音への気持ちと、そして、広島国際演劇祭で家福悠介は舞台復帰せざるを得なくなる設定のために、必要な役ではあったんですけどねぇ。でもな、と思いました。
あともう一つ、こちらは素直な感想。劇中劇の『ワーニャ伯父さん』ですが、ああいう多言語での上演ってあるんですね??めっちゃ不思議な感じがしました。
最後、家福悠介は再生できたんですかね?それと、渡利みさき。彼女は、どうした??
僕の思う村上春樹
始まりから、
うわぁ村上春樹っぼい!と笑ってしまった。
ハルキストでもないので、2作しか読んでないのだけど、
僕のイメージは
水色、タバコ、オ○ニーで
まんまそのままだなと思いました。
文学的な理解度で言うと、表面で起こってる事しか
理解出来てないので、
このキャラはなんのために?
なぜこう言う設定で演出なのかは分からないのだけど、
ただ、作りが面白くて
音が残した謎の部分や岡田将生くんのキャラが
ミステリーぽくもあり、
かなり早い段階で置いてけぼりを喰らうのだろうなと
思ってたけど、最後まで面白く見れました。
薄い理解の僕でも、
実はこう言う関係なんじゃないだろうか?
あのセリフはこう言う意味なんじゃ?
と考察するのも楽しかった。
残された人間は亡くなった人の事を
完璧に理解する事は出来ず、
忘れる事も出来ず引き摺って前に進んで行くしかない
と捉えたので、
雰囲気だけ掴んで謎は謎のままで良いか。
と言う感じで見れました。
前半:違和感、中盤から、挽回
【鑑賞のきっかけ】
カンヌ国際映画祭や米国・アカデミーなどで数々の賞を受賞した本作品は、鑑賞候補となっていたのですが、永らく未見でした。
動画配信のコンテンツの中に本作品を発見し、鑑賞してみることに。
【率直な感想】
<冒頭は、違和感>
予備知識は入れないように鑑賞する私にとって、冒頭からのシーンは、違和感のあるものでした。
主人公の舞台俳優・福家(西島秀俊)と妻の音(霧島れいか)の性描写が続く。
しかも、音は、性行為の際に、物語を福家に語る。
福家は、赤い愛車を運転する際の習慣として、音が演劇のセリフを録音したテープを流す。
それは、相手のセリフの時間が無言になっていて、福家は、音が無言の間に、自ら覚えたセリフを吐いて、練習をする。
この冒頭には、興味を感じず、その後の展開に不安を感じてしまいました。
その後、音は突然死。
場面は、変わって「2年後」。
赤い愛車を運転しながら、相変わらず、音のセリフのテープを流す福家。
ここで、タイトルは映りませんが、スタッフの名前が表示されていく。
いよいよ、本編に移るのだ、と思った瞬間。
始まってから、40分くらいのところでした。
<その後の展開には引き込まれた>
本編に入ると、性描写はなくなります。
福家が車で向かった先は、広島。
演劇祭の演出を任されていたのです。
オーディションを含めて、2か月の滞在のため、劇場から1時間くらいの場所に宿が準備されていました。
ここで、宿との車での往復のための専属のドライバーとして紹介されたのが、本作品のキーパーソンの一人、みさき(三浦透子)でした。
さらにもうひとり、オーディションに合格した俳優・高槻(岡田将生)が登場し、本作品の三役が揃います。
ここからの展開は、これ以上話すとネタバレになるので記載しませんが、大きな起伏のある展開はないものの、登場人物それぞれのキャラクターの描き方が巧みで、長さを感じさせない物語となっていて、当初の不安は払拭されました。
<赤い車の正体>
物語後半で、私は衝撃を受けました。
あの不安を感じた、冒頭の性描写の続くシーンには、本作品の重要なテーマが隠されていたことが、判明します。
その内容は明かせませんが、鑑賞後、調べていて、なるほど、と思ったことがあります。
題名の「Drive My Car」には、スラングで、「性的関係をもつ」という意味があるのだそうです。
それならば、「性描写」があって当然、というか、ないと、この題名を付けた意味がないですよね。
また、性行為は本来、子孫繁栄のためのものであり、「生」を意味しているとも言える。
一方、本作品には、音を始め、多くの「死」が描かれる。
つまり、本作品は、「生と死」という人間にとって重要なテーマを描いたものと言えるような気がします。
さらに。
後半では、赤い車に、福家、みさき、高槻の三人が乗り込んで走行するシーンが出てきます。
ここで、赤の他人であった三人のそれぞれの「人生」が交錯するのです。
自動車は、密閉された空間の中に、それぞれの「人生」も積んで走行するもの、と捉えることもできるのではないでしょうか。
【全体評価】
冒頭の違和感のある性描写のシーンが、深淵なテーマと転化する物語展開が見事な作品でした。
また、上記では深く触れませんでしたが、「演劇祭」の行方が、物語に花を添える形になっていて、巧みな演出を感じることが出来、数々の受賞も納得の作品でした。
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