ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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文学的で難しいな
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演出家兼俳優の西島は同じ舞台を長年つとめてた。
妻は自分を愛してくれたが、裏でずっと不倫してた。
その不倫相手の一人が岡田だったが、西島は見て見ぬフリを続ける。
そんなある日、西島が帰宅すると妻が病気で急死してた。
2年が経ち、西島は舞台で裏方に回り、自分の役に新たな俳優を抜擢。
それがオーディションを受けに来た岡田だった。
岡田は西島の妻を愛してたので、西島の舞台に興味があったのだった。
紆余曲折あり、岡田はついに俳優として才能を開花しかける。
ところが元々素行が悪く、町で人を殴って死なせ、逮捕。
代役は西島しかおらず、自分が出るか中止かの選択に迫られる。
この舞台の間中、西島の運転手を務めてた若い女性がいた。
その女性とは心の中に秘めた悲しみ?何か通じるものがあった。
ということで彼女の故郷である北海道へ2人で行き考えることに。
妻が死んだ朝、妻は西島に今夜話があると言ってた。
西島は別れ話を恐れ、帰る決心がつかずブラブラしてて遅くなった。
そのせいで妻の発作への対応ができず、死なせたことを告白。
一方運転手は母から虐待を受けて育ち、ある日山崩れで家が埋まった。
運転手は這い出たが、助けを呼ばず母を見殺しにしたことを告白。
やっぱり似たような者同士だった。
生き残った者は死んだ者のことばかり考えてしまう。
それでも生きてかなければならないよ、って西島は語った。
結局西島は舞台に出ることにしたようで、上演された。
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劇場で見た。海外の賞を取ったとのことで少し期待してたが・・・。
3時間。うーん・・・長い。また文学作品なので硬い。
色々感じることはあれど、面白いわけではない。
文学なんて全く分からん素人の感覚から言えば、
唯一、そして最も理解できたのは西島と運転手の共感の部分。
本編は舞台の練習のシーンがやたら多かったが、無駄に感じた。
実際、岡田の存在ってストーリー上あんまり重要じゃないし、
舞台の共演者達もはっきり言ってあんまり関係ない。
何度もある劇中劇のシーンも、多分何か関係あるんやと思うけど、
どうストーリーに関わってるのかよう分からんかった。
ラストシーンでは何故か運転手が韓国で1人で西島の車に乗ってた。
これは身寄りのない2人が韓国で共に生活を始めたってこと?
元気になる薬のような映画。 もともと元気の人には効果がないかもしれ...
全体を通して残る違和感
前情報ゼロで鑑賞
共感できない登場人物たち。
意味のわからない多言語を用いた劇?みたいなもの。
理解できない性描写と暴力性
私には合わないが
納得のいく、解釈が知りたくて感想をあさるが
何が表現したいのかやっぱりわからない
感情が伝わらないのか伝えないのか
例えば「愛情」と言う側面では、家福が心中を吐露する際、愛してるから向き合えなかった、本当のことを言うのが怖かったとある。
しかし、岡田将生演じる高槻は明らかに浮気相手として疑わしいが特に感情を見せない。
報復を考えてのミスキャストかと思えばそうでもない。
音の行為後に話す話の続きを教えて貰う場面では、浮気相手確定したも同然なのに、なんのコメントも残さないで逆に説教じみた事を言われる。
そして逮捕後は親身に心配する様子すらある。奥様も病気なのか、浮気の後ぬけぬけと愛を語る。みんな感情をオフにしてる?ってなぐらい、感情と行動が乖離してる様に感じる。
その対比なのか本能のままに生きる様な高槻が、説教じみたり、逮捕の際に落ち着いてたりと悟った様な行動を取るのが、作り手側の意識と役のキャラが混在して不可思議なものにしてるのではと感じてしまう。
そういった、推測や考察の奥行きを良作とするにしても、自分なりの解釈をした上でやっぱりわからんし、胸を動かされるものはなかった。
3時間は長いし、導入は人を選ぶ。しかし大変出来のいい映画
どうせ気取った雰囲気を垂れ流して製作陣と一部スノッブが満足顔するタイプの映画なんだろうな・・・と覚悟して臨んだら、明快な筋、質の高いカット・演出、お手本のような物語構成で逆に驚かされました。すみません、名作です
この映画に好き嫌いが生じるのはわかります。「導入の性的描写が合わない」、「静的な演出が合わない」、「主人公の人間性が好きになれない」と引っ掛かりポイントが多重に存在しますからね。私も正直最初の30分間は辛かった。しかし過度に性的な描写もちゃんと意義をもって物語に回収されますし、「これは演劇を通じて亡き妻と向き合う物語なんだな」と筋を理解してからは抑制的でセンスのいい描写に感心させられていました。静謐な人間ドラマに求められる高い水準をクリアーしている作品の一つだと思います。3時間は長いですが、お薦め出来ます
俺、映画鑑賞に向いてないのかな?謎だらけで、モヤモヤしたまま終わった
他の方たちのレビューを読んで
ここにたどり着いた
以前、スカパーで見たのを思い出してのレビュー
西島秀俊演じる主人公の家福は舞台の演出家で俳優
ある日、妻の浮気現場を目撃してしまう
しばらくして妻に「今夜、話がある」言われる家福
仕事が終わって帰宅すると妻は倒れていて
そのまま他界してしまう
2年後
仕事の依頼を受け、広島を訪れる家福
そこでは、自分で車を運転することは禁じられ
専属のドライバーを紹介される
という物語
妻の浮気相手が誰かは不明のままで仕方ないけど
奥さんの作る脚本の内容とか
岡田将生演じる若手俳優の行動とか
ラストの三浦透子演じる渡利みさきが韓国にいる(?)シーンとか・・・
(乗っているサーブは家福の車?)
モヤモヤがたくさん残ってしまった
妻に先立たれた喪失感の中での広島での活動とか
みさきの過去をたどる旅とか
その辺は良い感じで見てたんだけど・・・
う~ん、
簡単に言ってしまうと
「自分には向いていなかった」
です
よく分からなかった
無意識の物語と現実の苦しみの折り合い
いろんな感じ方の人がいると思いますので、あくまで私が感じた解釈で、ネタバレを含みます。
この映画では、音の物語(無意識内容のように性的でやや残虐、実際語った後の記憶が本人に乏しいと悠介が言っている)、みさきの母の別人格さち、高槻の突然豹変したような暴力など、何らかの解離を思わせる描写が複数出てきます。背景の家族歴は違っていても、おそらく家族の苦しみを、登場人物がそれぞれ抱えているように、描かれていると思います。
途中、高槻は悠介との車中で、音の物語のその後を語ることで、自分の闇に向かい合う決意を表明して(そうとはその時は悠介にはわからないのだけど)、舞台を去っていったように、私には思えます。
終盤でみさきが母に花を手向けて「単にそういう人だったと考えることは難しいですか」と悠介に呼びかけ、悠介が「正しく傷つくべきだった、でももう取り返しはつかない」と語り、現実の苦しみを苦しいまま受け入れて、生きる決意にたどり着く。
これらを台詞だけではなく、カセットテープの音声や、車、舞台、風景を巧みに象徴として用いながら、観客に解釈を委ねている、芸術性の高い作品と感じます。
小児逆境体験がある人物としては、みさきはやや個人的な体験をしゃべりすぎてるかな、と思う面もありますが、ぶっきらぼうで挑戦的な態度など、全体に描写が納得感あるものになっていて、フィクションとして許容範囲と思います。
私は心理的に妥当性を感じさせる、個人的なストーリーを、登場人物たちが統合してゆく映画はとても好きなので、その点でこの映画は非常に優れていると感じます。ベースになっている物語が、高い象徴性を備えている、村上春樹さんの作品であるところも大きいのだろうと思います。
また、映像の美しさも素晴らしかった。私は見て良かったと感じました。
綺麗
とても綺麗な映画でした。
そのおかげか若干普段より綺麗な文体でレビューします。
まず、映像がとても美麗でした。もちろんハリウッドのように良いカメラを使っているわけではないんでしょうが(存じませんが)、瀬戸大橋がとても綺麗でした。この映画を見るだけで広島に旅行に行きたくなりました。
次に、家福の奥様がとても綺麗でした。どなたかがおっしゃっていましたが、彼女がこの映画を支配していると感じました。出演はたった20分程度なのに。
そうそう、時間といえば、この映画はとても不思議な時間が流れていました。映画的時間とでもいうんでしょうか、とてもしっとりとして、ひんやりしてて、濡れたアスファルトのように感じました。それはきっと、主人公の言いようのない喪失感を表しているのだと思います。
あと、これは書いていて気づいんたんですけど、若者が一人も出てこないんです。一番若いみさきでさえ、人生に慣れてきた中年のような落ち着きがありました。
喪失というテーマを真っ直ぐに捉えたこの作品を必要とする人はきっと私だけではないと思います。ぜひ、多くの人にご覧になってほしいです。
私には無理でした
テーマも高評価コメントもマスターベーションでやっと理解!
見る前に、ここのレビューが5点と1点が多かったので怖いもの見たさもあって見ましたが、1点の方が正解だと分かりました。
亡き妻も、妻が語った物語も”マスターベーション”が重要なテーマの一つになっていました。5点の高評価コメントは、監督が表現していない事や、台詞に無い事を何故か盛りに盛って、「そこまでこねくり回す?」と呆れるばかりで、自分に陶酔しているようにしか読めません。つまりコメントのマスターベーション。
言葉が伝わるということ
最初に違和感を感じて、印象的だったのは、家福が演出家になって本読みをする時に、意図的に棒読みでゆっくりと練習させること。そのリズムは、家福とその妻、音との会話にも相似的なものが見られると共に、それ以外の部分にも、同じようなタドタドシイリズムが見られた。もちろん、家福の演劇が、手話も含めた多国籍の言語で書かれているから当たり前なのであるが、それは意図的に仕組まれているように見えた。また、家福に、このようなやり方だと、それぞれの演者が全体を把握して、初めてお互いのセリフが深い意味を持つようになるというようなことを言わせている。自分は、人間同士の交わす言葉も、相互が全体を知って初めて深いコミュニケーションができるようになるのだと解釈した。
人間には、見せたくない部分もどす黒い部分もある。決してきれいな部分だけではない。音のようにどうしようもない性的嗜好、ドライバーとなったみさきが土砂崩れで家がつぶれた時に母親を救出しようとしなかったこと、家福が妻の多数の男とベッドを共にしているのを知りながら、正面から向き合わずに、「愛している」と言いながら放置し続け、二人の関係が壊れてしまうのを恐れて家に帰らずに、結果、妻を死なせてしまったこと。しかし、人間は、間違っている部分や黒い部分も含めて理解しあって、より深い関係が築けるのだ。
演劇の方も、言語が別々なのにも関わらず、たどたどしい本読みをやり切って、お互いがそれぞれの言語やセリフを理解して、初めて有機的な繋がりを見せ、深いものとなっていく。
家福は、高槻からの「自分の心の中を深くのぞき込んで理解すること」が、相手と深い関わるために重要なのではという言葉に促され、自分が見て見ぬふりをしてきたことに向き合おうとする。その姿を見て、みさきも自分の過去の秘密を打ち明ける。自分の中の善悪ではなく、その人全体をそのまま理解してあげること。自分の感情に気づいてあげて、放出することの大切さ。それで、人間関係は深まりを見せていく。
今まで大切にしていたサーブは、家福独特のこだわりで狭い価値観の象徴。そこから解き離れて、自分や音を深く理解していく流れと、演劇全体が、機械的な記号的な言語から解き離れて深さと広がりをもって、世界に解き離れていく感じがリンクしていて計算されているように見えた。
最後、サーブをみさきが韓国の道を走らせているのは、家福には、もう古い入れ物は要らないから、彼が立ち直るきっかけを与えてくれたみさきに譲ってあげたものであろう。犬が2匹位乗っていたし。
また、特筆するべき脚本のすばらしさとして、サーブの中でセリフをテープで流すとき、その映画の流れを説明したり、家福の心に響くようなセリフが選ばれていること。これも、かなりの効果を上げていた。
同じような映画がみたことがないという点で、素晴らしい映画だった。
カンヌだけど
舞台が好きな人なら良いのかも
小説みたいな映画
と言うより言葉の力で見せていく舞台に近いかも
不倫を繰り返すし暴力で台無しにするなど、一般的ではない人間の理解・不理解がテーマなので変に複雑になっている
その割に最後は共感性のあるオチでガッカリした感じでした
3時間の割には微妙な作品
タバコ描写も多いので減点です
ちなみにヤフーだと直近100レビューの平均は2.6
☆1、2で50%越えしています
つまらなかったらつまらないと言って良いんですよ
車中、劇場、宇宙
カンヌ脚本賞ということで前々から気になっていたが、ようやく時間をみつけて鑑賞。
傑作だった。近年、日本映画でこんなに感動させられた覚えがない。それくらい胸を打たれる作品だった。
最初は、演技や演出に違和感を感じた。なんというか、不自然なまでに演劇調で、Netflixでみるの海外ドラマのような、現実に即した会話手法とはかなり違っている。日本映画の演技はよく「演劇的だ」と言われるが、それをさらに誇張した感じである。
ただ、主人公の家福が舞台演出家であることがわかり、彼の舞台も劇中に映る頃には、その演出が意図的であることが自明となり、その後はすぐに慣れた。中盤以降は、この演出方法がものすごく効果的に物語を動かす装置になると感じ、観賞後はむしろ、この演出方法じゃないと作れない映画だったのではないか、と思うまでに至る。クレジットに青年団が載っているのが見えて納得した。成り行きでこの形になったのではなく、全て計算づくだった。
少し調べると脚本家の大江が舞台出身だということを知り、さらに納得。近代日本の舞台の手法を、これほど効果的にスクリーンに持ち込んだ作品は、私が知る限り、この作品以外にない。
例えば、音楽の使い方も舞台と似ている。俳優の息遣いまで聞こえるよう、極力排した音楽。そして、時折訪れる、完全なる静寂。本作品の着想の元となったビートルズの「ドライブ・マイ・カー」のポップな曲調から与えられるイメージとは、全く相反する音響であり、そこがまた新たに想像の余白を生んでいるようでもあった。
舞台的な手法と対立的に使われたのが、車中の映像ではないかと思う。これだけは映画でしか成立できないものであると感じた。「車内」と「劇場」が混ざり合うように、劇場の席に座る観客であった私も、同じサーブの車内にいるような感覚になった。
映画の大半が「舞台稽古」というクローズドな世界で繰り広げられるにもかかわらず、広島、ゴミ焼却炉、北海道、バー、キュレーターの家、そして、車中。オトの不可思議なストーリーと、チェーホフの戯曲と入り混ざるようにして、様々な場所で様々な物語が動き、イマジネーションのパレットの広がりを感じた。
褒めてばかりなので、あえて難点だと思ったところを一つあげるとすると、それはタバコの描き方。「かっこよくタバコ吸う」は、現代が舞台の映画だともはやアナクロ。妙にアナクロ趣味が混ざるのはある意味日本的な気もするが、いい加減「かっこよくタバコ吸う」はもう、ストーリー展開の上でも不必要ではないかと思う。
私が感じた難点は、演出上のほんの一部分に過ぎないが、それ以外の脚本、演技、音楽、映像、作品を構成する全てが第一級だと感じ、感服した。
ビートルズ、村上春樹、チェーホフ、濱口竜介・大江崇允と辿っていくことで創出され、俳優たちが演じ、撮影されることで「ドライブ・マイ・カー」という一つの宇宙が作られたような作品だった。
期待したほど
ただ単にそういう人
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