ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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『偶然と想像』を先に観たのが功を奏したかも
今さらながら、この映画を観て来ました。
なので、『偶然と想像』の方を先に観た形になったんだけど、結果的にそれで良かったと思えました。
まあ、この作品で霧島さん演じる音のセリフの中にあの単語が有った時、渋川清彦さんの顔が思い浮かんでしまったのだけが困りましたが。
それでですね、偶然と想像のパンフレットの中に、出演者の座談会が載っていたんです。
その中で、濱口監督の読み合わせは独特で、感情を込めないで時間を取ってやるみたいな事を言ってたの。
それを読んでいたから、この映画の劇中の読み合わせのシーンで、これかって思いました。
このシーンでの西島さんの家福のセリフは、濱口監督の考え方なんでしょうね。
それで、『偶然と想像』のセリフは、言葉の持つ力そのものが大事にされている様に感じたの。
この映画は、セリフの伝え方も大事にされている気がしました。
もっと言えば、結果として伝わった事が大事みたいな。
濱口監督の作品は、セリフが面白いですよね。
さて、この映画を簡単に言うなら、心に傷も持った人が、避けていた自分と向き合って前に進む話でしょうか。
ただ、それが正解だと押し付けてくる感じがしないのが、この映画の良い所かな。
なんだかんだでこの映画の主人公二人は、強い人間なんだと思うの。
だから、それだけが正解だと息苦しくなる人もいるだろうからね。
渡利の運転のように心地良い間
ストーリーと舞台台詞がシンクロする構造、長い序章とそれに気づかされた時の驚き、思わせぶりな台詞で何度とドキっとさせられる展開、余韻に浸らせてくれる上に観る側に考える余地を与えてくれる間等、ローテンションな雰囲気に遊戯的な作りが混ざっていてそれが絶妙でした。
自分が印象に残っているのは通訳の家での食事シーン。手話が混じるので会話に時間が掛かってしまうのですが、それ故一言一言にジワっとくるものがあった。このシーンだけにも限らず全体的に間がたっぷりとあるので登場人物の心理状況を想像できる余地がある。家福が渡利の運転に身を委ねられたのと同じく、私もこの映画に乗っているのが心地よかった。
YouTube等で作品解説を観るとさらに深く作り方が理解でき、本作の格の高さを感じた。
自分の暗部を突きつけられる重たいが必要な映画だった。
長い。
原作をかなり膨らませている。
特に赤いサーブが出てくる前までは危うく寝そうになった。
亡き妻の台詞に抑揚なく、絡みもピリッとしなく退屈だった。
裏メッセージで家福との生活は幸せだが死んだようだとでも言いたかったのか?
原作では黄色サーブだが映画では赤に。
妻の死後、サーブが登場してからは引き込まれていった。
三浦透子は役柄上押さえた演技であったがリアルに成立していた、達者なのだろう。
エンドロールまでの時間、重く長い時間が流れるが苦痛ではない。
ネタバレは書けないが、
罪悪感を持っている理由を自ら暴き出し再び歩きだす。
誰でも人を傷つけたことがあるはずで、それが相手の死に自分が関わってしまったと思っているが、犯罪ではないため日常の中に埋没していく。
しかしケリがついていない傷は決して消えてくれない、自分を許していない。
そこからどう再生するかが描かれている。
哲学的な言葉のやり取りも深い。
普段、誤魔化して暮らしている自分の暗部を突きつけられる映画だった。
長い
原作既読。短編を3時間と言う長編にどう肉付けするのかと思った。
骨組みだけは確かに原作を使っているけど、かなり別モノになっている。
「納屋を焼く」を映画化したバーニングよりは原作の形を留めている。
面白くないわけでは無いが長い+韓国語、手話などで無国籍料理の様な感じに。
感じるままに生きて、そして素直に表すこと
周囲にいつも笑顔と元気を振りまいていた、辛抱強いシングルマザーの知人を思い返していた。
その方は、40代にして癌で亡くられた。
祖父は品格を重んじ、慎ましく穏やかな暮らしに勤しみ、また他者に対して非常に寛容な人であった。
最後は胃癌で亡くなった。
嘘、誤魔化し、過度な無理や我慢、
目には見えないブラックボックスに投下されたそれらのエネルギーは、消失することはなく、確実に溜まり、小さく小さく自身を蝕んでいく。
身体症状なら表面化しやすい分、まだ対処も改善の為の行動も起こしやすい。
では、心は?
自分以外には触れられず、見つけられず、時に自分でさえも見失ってしまう。
けどそれは、決して消失したわけではなく、確実に積み重なっていき、そしてある時突然、破裂してしまう。
バーンアウトもその類。
人間の身体も、頭も、心も、更に視座を上げれば地球や自然も、嘘や誤魔化しは効かず、適正な許容サイズの中で淀まぬよう絶えず蘇生と修復を繰り返しながら営んでいる。
不自然なままに放置しておけば、それ相応の形が訪れるということ。
それもまた運命と嘯いて繕うのか、不恰好でも自分に正直に生きるのか。
正直に生きる、弱さも醜さも認めて受け入れて、ちょっと晒して、それでも這いつくばって生きる、、ことが出来たなら。
どう生きても、運命はやってくる。
走らせよう、自分を乗せた車を。
前情報なしで鑑賞
余計な先入観なしで見たかったので、あらすじもほとんど見ずに鑑賞。ただ三浦透子の運転で西島さんと会話しているシーンだけPVで記憶にはあった。
オープニング、朝方の日差しをバックに女性が起き上がり物語を語るところから始まる。
しばらく逆光で顔も見えず、最初女性が外を見ながら話しているのかと思ったらこちらを見ていてびっくりした。
これはなんの話だろう、西島さんとの関係はなんだろうと考えながら見ていました。
一方的に西島さんが思ってるようにも見えたので、夫婦とは思わなかった。霧島さんが美しくも儚げでした。
そして舞台。ベケットのゴドーを待ちながら。タイトルは知ってるが見たことはない。楽屋で西島さんが付け髭をとるだけなのに、なんか印象に残る。
帰り道の車で、カセットテープで流れるチェーホフ「ワーニャ伯父さん」のセリフ。妻が吹き込んだもので、西島さん演じるワーニャのセリフの部分は抜けていて、カセットテープを通して掛け合いをしているのが、なかなかいい。離れていても繋がっている感じがあった。
チェーホフの戯曲の別の舞台は見たことあるが、私はどうしても入り込めず苦手だった。
ある時出張がキャンセルになり家に帰ると、妻の浮気現場を見てしまう。そしてそっと後にして見なかったことにしてその後も普通に接する。この時はなぜ責めないんだろう、裏切られてるのに普通に話せるんだろうと思ったけど、妻が大事でなくしたくないから見て見ぬふりをしたのだとありなんかわかるような気もした。
そして妻からある朝、夜に話があると伝えられ、なんとなく家に帰りづらくて遅く帰ると妻は倒れていてそのままなくなってしまう。くも膜下出血とのことだったが、何を話したかったんだろうかと謎が残る。
二年後、広島でワーニャ伯父さんの舞台をすることになりそのオーディションが開かれる。そこに集まった多国籍の人たちの中に妻の浮気相手、岡田将生もいる。
オーディションの演技で、岡田将生と台湾人のソニアユアンがすごかった。言葉は通じないのに、なんか迫力あってじんとした。そして、韓国人で聴覚障害を持つパクユリムがまたすごかった。手話と目の演技だけでなんか迫るものがあって泣けた。
妻の浮気相手とはいえ、ここはちゃんと仕事として役者としての才能を見ていると思った。大人ですね。
車の運転は三浦透子。最初は淡々とカセットテープを流して、それに合わせてセリフを言ってるだけだったが、だんだん他の話をするようにもなって、お互いの孤独とか虚無感を埋めようとしている感じがあった。
岡田くんの、相手のことを知らないからもっと知りたいと思うのは当然じゃないですか、という言葉にハッとさせられる。やり方は違っていたかもしれないけど、彼は彼なりに自分の心に素直ではあった。見たくない、知りたくないことから顔を背けていては、何も始まらない。
ちゃんと向き合っていくことが大事。
ある事件をきっかけに、車で北海道まで出かける2人。長いドライブの中で、お互いのことをさらに知り、心を通わせる。家族みたいな、、そんな感じだった。
途中、テロップが流れたから、え?終わり?と思ったが、続いていてホッとした。第二幕という感じだろうか。
所々に入るチェーホフのセリフと、本編のストーリーが交差し、さらに深い話となっている。
北海道に着いた時、周りの音が一切なくなり無音となるのが印象的だった。とても美しかった。
雪崩で埋もれた家の前に花を投げ、タバコを線香がわりに雪の中に立てたり、車の中でタバコを吸っては、2人が車の天井へ手を伸ばし、煙を外に逃すようにしているところも、車を大切にしているからという思いがあって印象的だった。
見ている間、いろいろ思うことはあったのに、見終わったあとはなぜか無になってしまった。そしてじわじわと湧いてくるものがあった。これは二度三度見ることでよりわかる味わい深い映画なのかもしれない。
そして、これを通してチェーホフの舞台の見方も少し変わったような気がした。
生きていかなければ
昨年の公開時に見逃していたので、今回のアカデミー賞ノミネートのおかげで、再上映になり、劇場で観ることができたことに感謝。
3時間の長編だし、とても繊細なストーリーなので、家のTVで観ていたら、私の集中力は続かなかったと思う。劇場で観ることで、ひとつひとつのセリフや、役者さんたちの表情をしっかりと受け取ることができ、心がこんなに震えたんだと思う。
村上春樹さんの原作を読み、チェーホフのワーニャ伯父さんの情報も少し調べて劇場に足を運んだ。
村上春樹さんの原作は短編小説なのに、上映時間は3時間って、どうやって膨らませるのだろう?と思っていたら、村上春樹さんの同じ単行本の中の他の短編小説もストーリーに上手く含まれて、さらに内容の濃いものになっていた。
西島秀俊さんをはじめ、役者のみなさんの演技力の素晴らしさ。そして、村上春樹さんの世界観を大切にしながら、より深い世界を描いた素晴らしい脚本!
劇中劇のチェーホフのワーニャ伯父さんの舞台のセリフと映画そのもののストーリーがとても効果的に絡み合い、心の深いところに入ってくる。
多国言語の劇中劇という設定も良かったし、とくに、韓国人の女優さんが、手話で舞台のソーニャ役のセリフを伝えるシーンに何故か涙がこぼれた。面接の時、公園での練習、そして、最後の舞台上でのシーン。言葉にするよりももっと、感情が揺さぶられる。
最後の劇中劇のチェーホフの舞台上のソーニャの手話のセリフ、私も涙が止まらなくなったけれど、劇場内でも鼻をすする音があちこちでしていた。
『仕方がないわ、生きていかなければ!ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。…辛抱強く、じっとこらえていきましょう。人のために働いて、最後の時まで生きていきましょう…』みたいなセリフを手話で。
ここ、泣いていた人たちは、私も含め、人生後半の人が多いのかも?と思った。生きていくのは修行みたいだと感じる今日この頃。とくに、歳を重ねてくると感じる喪失感…。そんな今だから、このセリフを含め、いろいろと考えさせられるストーリーだった。
最後に語られるドライバーの女の子のお母さんの話も、グッときた。
生きる苦しみは、人の温もりで少しは癒される。
うまく表現できないけれど、私の記憶の記録のための感想として。
最後の時を迎えるまで、辛抱強く生きていこう。
虚構と現実について
今日は、水曜日という週のまんなかの祝日だった。夫婦で日比谷に映画を見に行った。
話題になっているDrive My Carという映画だった。僕の好きな村上春樹という小説家の短編を基礎に魅力的な枝葉を加えた面白い映画だった。
そのあと八重洲の中華料理店でランチを取りながら、kindleで原作の小説を読み直し始めた。
どこが村上春樹の原作の幹の部分で、どこが、映画的な枝葉の部分なのかをフレッシュな記憶の中で切り分けるのは面白い。
原作のある映画がすべて忠実に原作の小説を再構成する必要があるわけでもないし、そんなことは当然不可能である。
しかしこの映画は、一番幹のところを大切にしながら、映画的な枝葉の部分がかなり逞しく繁茂していく感じがあってとても良いバランスのような気がした。
ただ3時間という長時間。少し、長すぎる気はした。何事も短いものを良しとする社会的流れの中で、僕の忍耐力も日々脆弱になっているせいも大きい。
なんどか、睡魔に襲われた。
しかし、かなり太い枝、まるで幹のような規模の枝である劇中劇「ワーニャ叔父さん」のワークショップから上演までの流れはこの映画の最高のパーツだった。
原作の幹の部分の虚構を厚くするドラマの部分の演技のわざとらしさに比べると、舞台で演じられる虚構の中に現れるリアリティが素晴らしかった。
特に劇中劇の最後で、韓国語の手話と日本語で語られるシーンの美しさは過去に見た映画の中でもっとも美しい場面だった。
この映画のどこが、アメリカの比較的知的な人種の心を癒しているのだろうかというのが映画を見終わったときの感想だった。
ようやく鑑賞(^_^;)
村上春樹さんの同名短篇を基にした作品だが、原作を大幅に膨らませていてほぼ別作品となっている。映画公開前に原作を読んだ(昨年7月)が、極限まで切り詰められた小説の余白に濱口監督が肉付けしたと解釈すれば、これもまた村上作品であると言えるのかもしれない。
だが、そう思ったのは終映後で、上映中は冒頭から延々と続くラブシーンに辟易し、多国語で演じられる劇中劇に唖然とした。そしてサーブのエンジン音がうるさいと感じた。
にも関わらず3時間という長尺を飽きずに観られたのはお見事。もう少し短ければとは思うけれど。
邦画としてはよい方。
原作を読んでからもう一度見たい映画。
村上春樹の作品には人間らしい普通の感情にとらわれない内容の深い話が多いから反動で結論がああなったのかなと思った。
結局普通の人のように素直に反応して折り合いをつけながら生きていくしかないのかな。
引き込まれる脚本
3時間という長さを(お尻の痛み以外で)感じることのない作品でした。それは皆さんもレビューされているように脚本の秀逸さにあるのでしょう。アカデミー作品賞ノミネートも納得です。いつの間にか前のめりになってました。ラストシーンが気になりましたが、車を譲り受けたの?なぜに韓国?でも晴れやかな表情が幸せな生活を物語っていましたね。深い余韻に浸れる作品でした。
セックスと車とカセット・テープ
色んな映画賞で話題になっていたので鑑賞。
長尺ですが北海道へ向かうまでは、尻が痛くなりませんでした。
通好みな見る人を選ぶ映画です。
私としては好みじゃなかったかな。
ロケを活かした撮影と綿密な演出はgood‼️
過大評価
私の感想としては、綺麗な熱帯魚の水槽を眺めているとフワフワとして眠たくなってくるようなそんな映画です。
見慣れないデザインの真っ赤な車
舞台俳優と脚本家の夫妻
妻の不倫の謎
短気な子供っぽい俳優
謎の運転手
手話を含めた多言語劇
ワーニャ伯父さん
‥
社会的時代的背景を感じさせないフワフワした世界の中にいろいろ詰め込まれています。
不自然な存在感の有りすぎる赤いサーブは若干滑稽にすら感じます。
生き残ってしまった者の傷と再生が一番のテーマでしょうか?本作のように色々な要素を組み込んで焦点が拡散するくらいなら、もっと削ぎ落としたほうが良いです。
役者さんたちの演技も下手ではありませんが、心を掴まれ惹き込まれるような場面は訪れませんでした。
ワーニャ伯父さんを演ずることや妻の名前を通して、傷つけない主人公と神との関係性を描いているのは面白いと思いました。
西島も大変だな、あんなに長いセリフ覚えて
セリフがとにかく長い。下手したら誰も見ない様なB級映画にも真剣に取り組む西島秀俊に脱帽する。
台本がとにかく分厚いだけで、中身的にはそんなに良い映画だとは思わないけど。アカデミー賞という色眼鏡かけて見れば良く見えるものなのかな。
正直言って、普通のB級映画にしか見えなかった。
24時間観てられる。
これぞ、チェーホフ。を、感じながら村上春樹さんを愉しめる贅沢な作品。とても楽しめました。
人生は、どこを切り取ってもドラマがある。だけど、ドラマには必ず続きがある。だから生きてる限り、続いていくし、続けるしか無い。その終わりが来る時まで。
脚本の妙。よく読みこんでいるのでしょうね。人種や天災をこれみよがしに絡めなくても人が持つ背景の中に見えるものの表現が素晴らしく。監督の愛を感じる作品だった。
原作のテイストはそのままに、設定を少しずつ変えながらワーニャ伯父さんとの対比は、その場で舞台を観てるかのような楽しさがありました。
人の人生を紐解く時はどんなに境遇が違っても必ず共鳴できる時があるなぁと、その時間を大切にしたいものです。
三浦透子よりも
この映画が話題になって、先ず気になったのは
三浦透子。
ん❓この字面見たことあるぞ⁉️
あ💡「天気の子」でRADWIMPSとコラボしてた娘だ‼️
役者やってたんだー、どんな子やろ❓
それで観に行きました。
しかし1回目、上映15分前に『完売』‼️😩
まぢかー、完売初めて見たー😭
ウチの親父が、トムハーディの「マッドマックス」で直前に完売になったの笑ってたバチが当たったー😱
気を取り直して2回目。
今度は上映30分前着でもう半分埋まってた😅
入ったらジジババが多くて、いつになくうるさい💢
仮面ライダーの上映前と変わらんし😩
あー、いきなりベッドシーンですか。
村上春樹っぽいわー(←あまり知らない人)
ストーリー的に「永い言い訳」を思い出す。
西島に愛人はいませんでしたが😅
あの作品は中々キツかった💦
はぁー、この娘が三浦透子かぁー
小池栄子に似てますねー
淡々とした役の中で存在感抜群でした👍
そんな三浦透子よりも、
西島の妻、
霧島れいかが気になって仕方なかった😳
別にベッドシーンが多いからじゃない‼️
基本ベッドシーンは好きじゃない👊
ちゃんとストーリーも触れなきゃ💦
常に妻が読み上げる演劇のセリフが、
それを聞く夫西島のリアルとリンクしてたり、
妻の語る夢もリンクしてるのか❓とか、
展開が夢中にさせてくれる。
脚本=監督の成功例。
広島⇔北海道2日間で可能なの❓
少なくともオレにはキビシイ😩
あ、そーだ。
サンルーフの喫煙シーンは
これからずっと語られ擦られる名シーン👍
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