「ノーウェアマン」ドライブ・マイ・カー 梨剥く侍さんの映画レビュー(感想・評価)
ノーウェアマン
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原作は未読。「ノルウェイの森」もこの作品もアルバム「ラバー・ソウル」の曲名だけど、音楽好きの作者を鑑みると、タイトルから逆算して物語を構想したんじゃないかと勘繰ってしまう。本当のところは知らないが、村上春樹はそういうことができてしまう作家だと思うので。
チェホフの「ワーニャ伯父さん」や奥さんの夢物語など、他のテキストの引用符によって重層的な構造や多義性をもたらそうとしているが、手法としてそう新しいものではない。かえって、そういう枝葉を取り去ってしまうと、狭い世界のこぢんまりした話にも思える。
何というか、登場人物が変な人ばかりだ。奥さんの性癖も変だけど、それを黙認している主人公も変だし、若い俳優の言動も変なら、ワークショップの主催者もかなり。女ドライバーの母親の二重人格まで飛び出してきたのには、さすがに鼻白んだ。そのシーンで、それまで寡黙だった彼女の長い告白口調にも違和感があった。
主人公はずっと所在なげで、その場から距離を置いているような佇まいだ(演出中を除いて)。ラストシーン、韓国らしきところで主人公は不在である。女ドライバーは依然、主人公の車を運転している。韓国人夫婦の飼っている犬も乗っている。謎めいた終わり方だ。
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