「呼応し合うとはなにか」ドライブ・マイ・カー C0mariさんの映画レビュー(感想・評価)
呼応し合うとはなにか
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序盤からの違和感の強烈さが印象的でした。
村上春樹は苦手だからかなと思っていたが見当違いだった。人と人とが呼応しあうことの本質を突きにきているような映画で、それには必要な違和感だったのです。
夫婦は一般的に一番コミュニケーションが密になると思いきや、その歪さが妻がが生きているときに描かれる。
コミュニケーションしてるはずなのに、繋がっているはずなのに、心ここに在らず、通じ合っていないような違和感が散りばめられていた。
彼女の突然死によって、その夫婦の呼応がなくなるかと思いきや、そうではなかった。
車で流れる彼女のセリフとの掛け合いを通して、逆に、誰も寄せ付けないと言わんばかりに密な時間になっていく。
またその車を運転することになるドライバーと、西島さんの演じる主人公は、すぐ通じ合う不思議。
呼応し合うことと、その人物たちの関係性についての投げかけは、主人公のワークショップでさらに深堀される。
異なる背景を持つ役者たちが、各々の言葉で見事に呼応し合って作り上げられる演劇をみせることは、本音で向かい合う度合いによって、その呼応はより豊かで密なものになるということの証明のようだった。
そこには夫婦のような関係性もいらないし、共通の言葉が話せることすらいらないんだということ。
一度捨てた辛すぎる記憶や経験でさえも、見つめ直すことは決して後ろ向きなことではなく、前に進む一歩となるんだ、と強いメッセージを感じました。
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