「完璧な映画。アカデミー賞を獲っても驚きません」ドライブ・マイ・カー K2さんの映画レビュー(感想・評価)
完璧な映画。アカデミー賞を獲っても驚きません
完璧な映画。
淡々と流れていくシーンの中に配置された伏線がラストに向かって幾重にも折り重なってそれぞれが説得力を持ち、納得のラストにつながっていく。長いが、その長さがこの映画を仕上げるために絶対に必要な要素になっている。
後から気になって原作を読んでみたが、よくぞこの短編小説をここまでの映画に広げることができたと感嘆します。ストーリーの核となる主人公の「後悔」は、確かに原作の中心にあるものだが、その周りに付加された色々な設定や味付け、例えば「(舞台)役者の仕事ぶり」、「独特な戯曲の演出方法」「ドライバーの生い立ちに関わる具体的な描写」、「妻の創作の中身やストーリー」、「性に関わる主観と客観のバランス」、「善良な登場人物の生き方や優しさ」、「瀬戸内の美しい風景」etcが、絶妙なバランスで絡まりながら、シーンごとに観客に共感や疑問を投げかけつつ、それらが近づいたり離れたりしながら、最終的にいくつもの納得につながっていく。また、同時にストーリーの核となる、主人公(とドライバー)の心は予想外の展開の中で淡々と、劇的に、悲しく、美しく描かれていく。
おそらく、この映画にちりばめられているいろいろなシーンや登場人物の気持ちの断片は、観客それぞれの異なる人生経験、後悔、悩みをそれぞれに喚起して、考えさせ、感じさせ、最終的には多くの場合にそれらを共感、あるいは納得という形で帰着させることができるのではないかと思う。そしてそれぞれが、最後には主人公(たち)のストーリーに納得感を与える味付けになっていく。ストーリーの途中では、各キャラクターの言葉や行動に正直「違和感」や「疑問」を覚える段階がいくつか訪れるが、それぞれに「答え」が用意してあり、一つ一つ回収していくような丁寧なステップを踏みながら、物語はクライマックスへと向かっていく。その過程で、映画は観客それぞれの後悔や悩みに対する「答え」や「新たな問題提起」を与えているように思える。見終わった後に感じる、何とも言えない「納得感」(あるいは「爽快感」と言ってよいかもしれない)はその結果ではないかと感じる。そして、それらを可能にしているのは、間違いなく、細かく、丁寧に練り上げられたプロットと脚本の力によるものではないでしょうか。
アクション映画やSF映画で伏線(事実や因果関係)を回収することは、観客に納得感を与えるために大切(というか必須)ですが(一方、大作と言われる多くの映画でも、それが全然実現されていないのも、また事実です)、「心」や「気持ち」の動き、一つひとつを回収して、ストーリー展開の中で”観客と一緒に”答え合わせし、矛盾なく整合させることがどれだけ難しく、また、それがきちんと行われたときに大きな納得(≒感動?)が得られることが、この映画を観てよく理解できたと思う。この映画の監督と脚本家の仕事、それを忠実に実行したキャスト達の仕事に敬意を表したい。そういう意味で「完璧な映画」です。
家族に会いたくなる映画。家族に見せて感想を聞いてみたくなる映画。
ところで終盤、「マイ・カー」がスタッドレスタイヤを履いていたのか、あるいは、いつ履き替えたのか、はたまた、ノーマルタイヤで北海道の雪道を走る、という超絶技巧というものが存在するのか、という1点については疑問が残ってしょうがありませんでした。
また、ラストシーンのハングル文字の描写と、それが意味する新たな人生の(ポジティブな?)展開に関して、欧米の観客がどれだけ理解し、想像できるのか、は甚だ疑問です。そういった「伝わらないかもしれないディテール」のせいで、アカデミー賞受賞が遠のくとしたら残念です。(別に受賞しなくても驚きませんけど。)