ヘルムート・ニュートンと12人の女たちのレビュー・感想・評価
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生涯、挑発的であり続けた写真家が遺したもの
名を知らずとも、彼の撮った写真はきっと見たことがあるはず。その威力はどれも凄まじく、ビザールな状況やファッションでポージングを決めるモデルたちの姿は、見る者を挑発してやまない。作品を発表するごとに物議を醸してきた巨匠ニュートンとはいかなる人物なのか。このドキュメンタリーでは開始早々「密着しているからと言って、なんでも俺がぺらぺらと喋ると思うなよ」と口にしつつ、ニヤリと笑みを覗かせる。人柄は硬軟自在。その作風によって世間を驚かせ、時に激しい嫌悪すら引き起こしてきた彼だが、いたずらに人の心を煽るのではなく、激しいリアクションの先に、見る者に思考を促すという側面があったのも事実だ。それがニュートンの持ち味だった。ナチスドイツ時代にユダヤ人として幼少期から青年期までを過ごした逸話も興味深い限り。死してなお、作品を通じて人々を刺激し、テーマに対する思考を促し続ける彼。その「入門編」として面白く観た。
エッチでカッコイイ写真をたくさん撮ったカメラマンの出自に納得
女性の裸体でお腹いっぱい
タイトルなし
純粋な「カメラ小僧」の生涯
エロティック、グロテスク、フェティッシュな作品とともに、作者ヘルムート·ニュートンの名前は強烈に印象に残っていた。
勝手なイメージとして、スノッブで上から目線の人物を想像していたが、こんなに純粋な「カメラ小僧」で愛すべき人物だったとは驚き。
しかも、ワイマール共和国のベルリンで生まれたユダヤ人で、カメラの師匠は収容所で殺され、自らも船で脱出し、シンガポールを経て、オーストラリアでキャリアをスタートさせる苦労人だったとは。
スーザン·ソンタグが語るように、一見「女性蔑視」に写る作品群が、シャーロット·ランプリングほかモデルとなった女性たちが語るように、女性の力強さ、自由、解放を、共犯関係のように創り上げたものであったことが、あらためて良くわかる。
それにしても、奥様のジューンも凄いね。二人でお互いを撮り合った作品群は、ユーモアがありつつ、壮絶。最期まで深く愛し合っていたことに感動する。
創作の意図が少し分かった気がした。
魅力的な人
作品は見たこと無かった
挑発と過激と強さと美
ドイツ、ユダヤ、ベルリン、表現主義が丸ごと入っている写真の数々。強い女、強い視線、すくっと立つ長身の女。ブロンドでも決してバカでなくて、挑発する眼差しと爪と自信と生意気の塊の女達。なんてかっこいいんだろう!ヘルムートだな、と思う。媚び、幼さ、か弱さ、子どもっぽさ、可愛さなんてモデルに絶対に求めない、だって退屈だもん。
でも、リーフェンシュタールが出てくるとは思わなかった。ヒットラーと犬の写真…これも想像だにしなかった。驚いた。ヘルムートの写真観と自由でユーモアがあるスタイルに揺さぶられてしまった。凄い。
昔、アラーキーの写真展がドイツのVolkswagenのお膝元の町で開催されたとき、女性蔑視!と反対運動が起こった。館長(男性)が色々弁明していたが説得力なかった。この映画でインタビューを受けていた、アナ・ウィンターやシルヴィア・ゴベルが館長だったら全く別の方向に行ったと思う。その頃開かれてたジェンダー関連のシンポジウムでも、殆どの女性(日本人)がアラーキーにはシンパシーを感じると言っていたことを思い出した。
ヘルムートって、愛嬌があってユーモアたっぷりで優しくて可愛い人なんだ!全然知らなかった。予告編の最後で「関心があるのは女性の顔、胸、手足。心?そんなの知ったこっちゃない」と言ってたので、怖いおっちゃんかと思っていたので、気持ちよく裏切られた。
シャーロット・ランプリングは映画「愛の嵐」のあとにヘルムートに出会ったのかー、ハンナ・シグラが丸っこい(ドイツ的)おばちゃまになっていてかなりショックー、イザベラ・ロッセリーニとウィンターとゴベルの説明と解釈凄くいいー、頭いいー!スーザン・ソンタグだけはヘルムートの写真に批判的だったな。彼女の『写真論』昔読んだけど忘れちゃった。難しかったから。
ヘルムートは上流階級のお坊ちゃん!そういう出であることが、屈託の無さとか愛嬌とか外見とかポジティブな生き方とか確信犯的に枠にはまらない自由さですぐにわかってしまう!怖いけど本当にそうだ(オノヨーコもそうだ)。そのいたずら坊や或いは悪ガキのヘルムートと妻のジューンは補完しあういいカップル。
ヘルムートがイームズのラウンジチェアに腰掛けて寛いでいる写真、男は撮りたくないからと、テーマである男のトレンチコートを自分が着て女を撮影しているところを撮らせてヴォーグに載せた写真、とても好き💕
あ、そう書き忘れていた。映画で使われている音楽が、ヘルムートの写真の濃厚さを、ヘルムートの審美眼の基盤になったベルリンの20年代を彷彿とさせてすごく良かった。前者はリベルタンゴ、後者はDas gibt's nur einmal.
強い女にはオート・クチュールなんて要らない
ヘルムート・ニュートンについては、全く知らなかった。
60年代からヌード表現が許容されるようになり、70年代のサンローランや80年代のラガーフェルドの時代に適合したファッション写真家であるという。
アーティストやデザイナーを扱った映画を、自分はいろいろ観ているが、出色の出来映えだと思う。
まず、なんと言っても、「12人の女たち」のコメントが秀逸で、ニュートン作品の本質を突いている。アナ・ウィンターも良いこと言うじゃん(笑)。
そこが、つまらないコメントをダラダラ流す他の映画との、大きな違いだ。
アートに生きる女達は知性的で、そして大胆だ。
I.ロッセリーニは言い放つ。「私たちは、器にすぎない。アイデアを具現する人形」だが、それで良いと。
彼女たちは、自分のことは自分で分かっている。だから、写真の自分は“演技”であり、新しい自分なのだ。「世間を挑発するなんて最高」。
ニュートンに撮られるのは心地良いらしく、意外にも彼女たちも、主導権を取れるという。
彼女らの嬉々とした様子をみれば、売れっ子写真家というのは、いつの時代も被写体を喜ばせる存在なのだと分かる。
ニュートン自身も盛んに登場し、コメントしているのは驚きだ。
迫力(ガッツ)だけが大事であり、一瞬を切り取るのは、人間の目がなし得ることではないという。
「センスが良い」などと言われると不快で(「汚い言葉だ」)、「敵が多いほど光栄」と言ってのける。
「The “Bad” and the Beautiful」。「炎上」してなんぼ、なのだ。
後半は、彼の前半生にも深く入っていく。
ユダヤ人としての生い立ち、師匠イーヴァのもとでの修行。ナチに国を追われて、シンガポールへ。オーストラリアで、生涯の仕事のパートナーともなる妻と出会う。
ワイマール共和国時代の芸術や、レニ・リーフェンシュタールという、意外なインスピレーションの源も明かされる。
こういう伝記部分が充実しているのも、本作の素晴らしいところだ。
最近は、セクシャリティを不用意に強調すると「炎上」してしまう。
例えば最近でも、自分には何が悪いのかさっぱり分からない、「美術館女子」企画が停止に追い込まれた。
#MeTooなどと区別する能力のない、アートと無縁の人間からの攻撃が多いのだろう。
「ポリコレによるアートの自由の危機の時代に、“ヘルムートの時代”を撮りたかった」と監督が語るこの作品を見終えた後、自分は軽い衝撃を受けてしまった。
ヘルムートの現場のシーン、どんな風にあのシャープな作品が出来るのか...
【カッコいい生き方】
シャーロット・ランプリングなどのインタビューからも分かるように、ヘルムート・ニュートンは、本当に被写体に愛されたフォトグラファーなのだなと思う。
既成概念には囚われないアプローチは、女性の裸体でもエロティックというより、理想的な身体の彫刻を映像にとどめたようでもあり、何かサイボーグのような錯覚も覚える。
障碍の表現、裸体の女性と白鳥の剥製など斬新さは、唯一無二のようにも感じる。
そして、フェミニストや動物愛護団体からの批判があろうと、作品は作品なのだ。
ただ、本人は、自身の作品をアートとは考えていないような発言をしていて、彼にとって、カテゴライズは意味のないものなのだと認識させられる。
自由なのだ。
彼の写真作品は、彼自身なのだろう。
それに、ヘルムート・ニュートンの屈託のない笑顔と、彼の作品には大きなギャップも感じる。
これが被写体の女性の興味をそそるのだろうか。
何にしても、カッコいいのだ。
彼のユダヤ人として生まれた葛藤なども含めて、人に愛され、そして、カッコいい人生。
散り際もあっけない。
そう言えば、ジェームズ・ディーンも交通事故で亡くなった事を思い出した。
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