きまじめ楽隊のぼんやり戦争のレビュー・感想・評価
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一風変わったブラック反戦コメディ
川向こうの太原町と津平町が何故か長きにわたって戦っているという架空の紛争がベース。
戦争は悪意が作り出すのではなく大衆の無知と怠慢が元凶と言いたいのでしょうか・・。
主人公も悪い人ではないがいわゆる日和見派、最後まで声をあげることが無かったのは残念。
映画は津平町側だけが描かれる、町だからか権力者は町長、馬鹿な権力者はかくあらんといったステレオタイプ、同様に無能な役人気質や男性主権の石頭上司など全てが難ある不適格者。
町民もまたしかり、フェイクニュースや噂を盲信し無知であることの自覚すらないカルト信者の様相、しかしながら戦前の国民も遠からずの感はする。
そんな中で音楽だけは特別、対岸の敵の町にも奏者がいて束の間、心が通い合うところはスピルバーグの「未知との遭遇」のシーンを彷彿とさせる、また音楽隊に目を向ければ軍のプロパガンダとして利用される悲しい側面も描かれる。
江戸時代の大筒程度にしか見ない大砲玉が実は核爆弾というシニカルさ、結局双方の町は壊滅したのでしょうね。
テーマやコンセプトは共感できるものの演出手法が引っかかる。
絵画の世界でも豊饒な油絵があるかと思えば色を排した墨絵やスプレーアートまで表現手法は多種多様だから、キャラクターは奇怪なステレオタイプ、演出においても単純、反復の苦痛を強いる表現があっても不思議ではないが好みではありません。池田暁監督の作家性なのだろうが正直こういう面倒臭い人とは関わりたくないと思ったのが本音です。エンドロールといえば縦スクロールかカットチェンジが普通なのだが本作は横スクロール、これが極めて読みやすい、スタッフの労を労うかのような真摯な表現、こんな工夫ができる人が本編となると奇をてらう演出といのも不可思議です。
終盤、心に重くのしかかる
ぼんやりって言うくらいなので、緊張感が無いんですよね。
行進の様な歩き方、感情を殺された様な話し方、どちらかと言えば緊張感を高めそうなんだけど、そう感じないんです。そこが、この映画の凄い所かな。
それでですね、邦画だと緊張感が無い人々は平和ボケした人々として描かれる事が多いと思います。
でも、この映画の人々は戦争の中で正常な感覚が麻痺して、緊張感が薄れている感じなの。
そして、戦時下にいると敵側にもこちらと同じように生きる人々がいるという感覚が麻痺してくるのだと思うんです。
私は、戦後暫くしてから産まれた日本人なので、戦時下を当然経験していません。
そんな私にも、そういった感覚をこの映画は想像させてくれます。
主人公の露木が楽隊に配属になる。
音楽で心を通わせていき、和解する様なハッピーエンドを期待しちゃったんだけど、やっぱりこの映画はそんなに甘くなかった。
終盤の爆発シーン、そしてあのトランペット・・・、心に重くのしかかって来ました。
いい映画
皮肉が効いてます。笑えもします。
庶民の機械的な話し方も、動きも。
考えない方がいい、上級国民は罰せられないなどの暗喩は、胸に突き刺さりました。
戦争は、何も生み出さない
悲しみと傷だけ残る
きまじめが生み出す可笑しさと可怪しさ
いつだか映画館で予告を見た時に、ムズムズするような違和感を覚えて気になっていた。
もちろん本編でもそれはそのままで、ほとんど棒読みのセリフのような会話と機械のような動きが生み出すオフビートな可笑しさが全編に溢れている。
しかし、その可笑しさに紛れさせるようにして、登場人物たちは普通の映画なら物議を醸し到底許されないような、恐ろしげなことを次々と言う。曰く「子供を産めない女は離縁されて当然」「怪我をして働けなくなった者は必要ない」云々。何ともあざといが、これはたとえ「ぼんやり」とついていようが、紛れもなく戦争映画なのだ。ここで描かれているのは、相当にカリカチュアライズされているが、ほぼそのままから太平洋戦争時の日本の世情と考えてよい。
だから、ままごとのような戦争であっても、人は四肢を失い、命を落とす。そうやって、戦争というものの可怪しさ理不尽さを際立たせるのが、この映画の狙いだったのだろう。
物語は、新たに開発された砲台を使い、さほど大きくもない砲弾を川の向こう側に打ち込んだら、核爆発のようなキノコ雲が上がり、唐突にこれまでとは異なるシリアスな暗雲が立ち込める。この辺り、ややそれまでとはトーンが変わってしまい少し残念な感じはしたものの、反戦映画としての役割を全うした感があった。
予告を見たときに覚えた違和感からはかなり遠いところまで連れて行かれたが、心に残るものはあった。一切のBGMを排し、代わりに川の向こう側とこちら側で交わされる「美しき青きドナウ」が切なさを感じさせる。
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