映画 太陽の子のレビュー・感想・評価
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【優しさと想像力/科学について:オッペンハイマーと朝永振一郎】
毎年、8月6日と9日の原爆の日にあわせて、TBSのNews23がシリーズで放送している、綾瀬はるかさんと被爆者の対話で、今年は、高齢になった女性の被爆者の方が、核兵器が無くなるまで、自分が生きてる限り、語り継ぐ活動を続けたいとする一方、若い人にも、核兵器や戦争の恐ろしさを後世に伝えて欲しいし、そのために必要なのは「優しさと想像力」だと話をしていた。
奇しくも、裕之を演じた三浦春馬さんは、生前、「想像力を届けることが役者の仕事」だと言っていたことを、有村架純さんが舞台挨拶で伝えていたのだけれど、観る側、つまり、受け取る側にも、更に想像力が必要であることは言うまでもない。
最近の映画のレビューで、映画のストーリーをなぞるだけでなく、具体的な指摘はなしに、周りにどんどん同調するかのように低評価が増殖していく様を眺めて、これは、ある意味、イジメが広がる構図と似ているなと考えたりした。
決定的に想像力が欠如しているのだ。
せっかく、人間だけに与えられた想像力なのだから、可能な限り駆使した方が良いように思う。
この「太陽の子」は、反戦というだけでなく、科学と国家、そして、人間としての科学者が、どうあるべきか考えさせられる作品になっている。
レビュー・タイトルにあるオッペンハイマーは、原爆の父と言われたユダヤ系アメリカ人の科学者で、本来は素粒子物理学者として、その時は、場の量子論に於ける無限大の問題を研究していたのだが、アメリカ政府にマンハッタン計画の責任者に指名され、類い稀なリーダーシップを発揮し、原爆を完成させることになる。
たが、太平洋戦争後、2度の原爆使用の凄惨さを目の当たりにし、こうした軍事研究からは距離を置き、更に、アメリカ政府の水爆研究に強く反対したことから、政府や軍事研究者から疎んじられ、公職からも追放され、自身や家族が共産思想に傾倒していたことも理由に、晩年はFBIの監視下に置かれるなど、不自由な生活を強いられた。
朝永振一郎は、日本人2人目となったノーベル賞受賞者で、物理学者だが、その業績を知らしめたのは、オッペンハイマーが取り組んで解決に至らなかった無限大の問題を解決していたことだった。
それも、戦時中の、ものも何もかも少ない、荒廃した状況であったにもかかわらずだ。
オッペンハイマーは、朝永振一郎から、戦争で発表の場を失われていたのだが、これを自分は解決していたとの手紙を受け取り、驚き、そして、朝永振一郎の業績発表の場づくりに、その後は尽力することになる。
オッペンハイマーは、若くして癌で他界し、もう少し長生きしていれば、ノーベル賞を受賞していただろうと言われるほどの業績の大きい物理学者だったが、代わりにというわけではないが、朝永振一郎がノーベル賞を受賞する。
朝永振一郎は、戦争よりだいぶ前に卒業しているが、京都大学の学生だった。
科学や技術の発展が、人類にとって取り返しのつかない結果に繋がることは少なくない。
核兵器はそうだし、ガス化学兵器も同様だ。
世界中がインターネットで繋がり、ハッキングもサイバー攻撃も拡大した。
AI搭載のドローンが、兵器を積んで、躊躇なく殺戮をしないとも言えない。
科学の発展は、人類の進歩に貢献するが、一歩間違えば、とんでもないことになりかねないのだ。
科学者は往々にして純粋だ。だが、それは、探究心に歯止めが掛からなくなる要因でもあるように思う。
修が、京都大学から程近い相国寺の天龍図を眺めていた時、何を考えていただろうか。
実験が成功するイメージだったのだろう。
龍の眼は睨め付けるようでもあったが、人はそう簡単には気がつかないのだ。
修が、比叡山から京都に”原子核爆弾”が落ち、爆発する様を観察したいという探究心に対し、フミが、言い放つひとりの人間、母親としての言葉は物凄く重い。
オッペンハイマーが、類い稀な才能とリーダーシップと、探究心と、成功と、取り返しのつかない結果と、後悔と、強い意志と、悲劇と、驚きと、献身をもって、どんな気持ちで過ごしたのだろうか、ずっと考えている。
世界から争い事はきっとなくならない。
だが、悲劇を最小限にするために、僕達は想像力を最大限に駆使して、生きなくてはならないのだと強くて思う。
ただいま戻りました。
この映画を見て洗脳という言葉が頭に浮かびました。愛情思って育てた息子を戦争のためお国に
命を捧げ、爆撃投下の類焼のため、いっぱい沢山のの思い出の詰まった我が家を壊され、お願いします。と頭を下げて見守る。科学者は未来のためにと研究、じっけんと心を奪っていく。周りの兄弟や仲間が戦争で死んでいく中徴兵を免れているという、後ろめたさから心を焦りで蝕む。
今の日本では考えられない。今の日本や世界はSNSで誹謗中傷で見えない敵と戦っているのかもしれない。三浦春馬さんが演じる裕之のただいま戻りました。の言葉とあの勇ましい体格とひとなっつこい笑顔に涙が溢れた。本当に戻ってきてほしい。でも、帰らぬ人となる。田中裕子さん演じるは母、フミの抱きつこうとして耳を触る演技にも思いが伝わる。原爆投下された8月に見るべき映画だと思います。
テーマ自体にすでに深さがあるし、柳楽の演技というかキャパはやはり...
テーマ自体にすでに深さがあるし、柳楽の演技というかキャパはやはりすごい。HOKUSAIにしても極限的な役を若くしてやれる人はそういない。しかも一歩狂気に入っているような役柄。数式等と獲得するシーンは良く出来てるし、オタクっぽさやアスペっぽい雰囲気もうまい。でも、京大生のような頭の良さは無理だ。京都弁もだめ。ここまで京都の映画なら京都弁ができなくては駄目。三浦の方がずっとマスターしている。柳楽との負荷は違うが、軍人としての所作も見事だから、本当に役者としてプロ意識が高かったことがわかる。海のシーンは駄目。緊張感もない。
監督は知的で優秀だと思うけど、映画は慣れてなかったのでは。
脚本の詰めが甘い。
でも、ほんとの比叡山とか(比叡山のエピソードはよかった)、町並みとか、さすが監督が京大の人だけあった。京都の文化の力みたいなものが現れてた。
田中裕子は可愛そうだったかも。どれをやっても同じになってしまう。柳楽が比叡に行くといったときの顔は怖すぎ。そこまで賢い母の設定とは思えない。
イッセー尾形は、抑制気味で今回は良かった。
有村、田中は関西弁ができてたのが良かった。有村は落ち着いてる。でも、脚本が曖昧だから、恋愛の感情とかいい加減。
歴史モノとして及第点。ただ結果がわかっていてリアルなだけにもどかしく。展開が遅い。
アメリカが事の是非はともかく、科学者と軍人が協働して2種類の原爆を完成、広島長崎に実戦投下したのに対し、日本はただウランの抽出のため来る日も来る日も「泥こねくり回して」いただけ?シロウト目にも研究とすら思えない低レベル。
そりゃ戦争負けるはずだよ。とても競争なんてレベルじゃない、日本はただの泥いじり、そのまま30年くらいやっても何も開発できない。京都大学、お粗末様のご苦労さん。貢献度ゼロ。それと嘘こいて研究室の学生軍隊から呼び戻すのは、犯罪だろ。事実なら許されない。もっとも京大理系の学生が陸軍なんか志願しないだろう、余程のアホウ除いて。
京都の文化財をアメリカが重視したのは半分は本当、でなければあれだけの寺社は残ってはいない。ただ反面格好の核の実験場のターゲットとなっていたのも事実。
京都が実は原爆の第三目標だったのは事実。ポツダム受諾があと5日遅れていたら、京都、新潟、横浜のいずれかに3発目の原爆投下が行われていたのは、複数の文献から明らかだった。
映画自体は
特に饒舌にアメリカの原爆投下を非難するものではなく、淡々と日本の科学の惨敗、日本の敗北が描かれる。逆に声高な反戦映画では無いからこその、戦争の愚かさを感じさせる。
柳楽優弥が当時の学生、日本人の骨格で好演、三浦春馬は遺作では無いのかも知れないが、壊れて自ら「カミカゼ」を思わせる描写で死地に赴く役柄は何か本人感じるところあったのかも知れないなぁ。ゾクっとしたよ。コレだけでも観る価値がある。確かに話は冗長で、建物疎開も、防空壕も、広島の原爆投下後の描写もリアルなんだけども、意図的に弾丸砲弾一切出てこないのでなんだかもっとグロテスクで悲惨な日本のはずなのに伝わってこない。最後の比叡山でのオニギリのシーンはまるでピクニックだ。もう少し「汚い」画面でも良かったのではNHKさん?
いずれにせよ作り込みは及第点。特に日本贔屓ではなく公平な視点は好感持てます。海岸線で戯れる三浦春馬、演技では無かったかもね。
考えさせられる映画です。
これは、かなりの部分フィクションでは…?
インタネット情報レベルではあるが、この映画は、黒崎監督が「広島県史」という資料の中に、原子核研究を行っている研究者の日誌を見つけたことがネタになっているらしい。
「F研究」というものが、京大で行われており、それが原子核の研究であったようだ。
私には、その史実はまったくわからないが、現実的には、8月6日に広島に原爆が落とされ、その3日後の8月9日に長崎に原爆が落とされ、8月15日には日本が敗戦し終戦している。
主人公の修は、アメリカの原爆投下後、広島に入り放射能の影響を調べ、その後、京都に原爆が落とされるといって、比叡山に登ってカメラを構え、思い出したように走り出し、山の中で有村架純演じる世津と抱き合い、その後、また広島に向かい焼け野原の中にいたと思う。
このあたりは、どうなっているのか、わかる人は教えてほしい。どういう時系列なんだろう?
しかし、極めつけは、廣島の焼け野原になった街ですね。廣島の地形は三角州という川が流れ込んで出来た地形なので、川がある訳です。原爆ドームの横も川が流れていますが、そんな光景は一切ありません。
廣島に着いたとき、電車の扉を開けると焼け野原でしたが、あれはどこなんでしょう?原爆投下直後に爆心地まで電車で行けたんでしょうか?
原爆で焼け出された人もいるわけですが、街の中に人っ子ひとりいませんでしたね。
これ、元はNHKのドラマですか?
こういう映画は、ウケ狙いや意図的な作り方をしないで、史実に忠実な内容で制作してほしいですね。
これだと、アメリカは原爆をつくり、日本に投下したが、日本も原爆を研究し、アメリカに投下しようとしていた。だから、日本が一方的な被害者ではないのだ。日本も原爆をつくり、サンフランシスコに投下しようとしていたのだ。…ということになります。
それが史実であり、真実?今頃、そんな真実は出てこないでしょう。そんな話は聞いたことがありません。
作り話はやめてほしいですね。左翼の自虐史観はもういりませんよ。
まあ、見る価値もない映画ですが、柳楽優弥くん、三浦春馬くん、有村架純さんの演技は素晴らしいので、星ひとつという評価になりました。
NHKがこれでは、テレビというメディアの終焉も、そう遠くはないかもしれませんね。
科学者
テレビ版の焼き直しだったんですね。
戦争をするということ、未来を創るということ
ドラマ版鑑賞済み。はしょっている印象を受けた部分がきっちりと補われ、戦争そのものの意義を今の我々に問う深い作品に。
ドラマ版とは基本的に構成は一緒だが、はしょられていた映像が挟まることでそう重みが格段に増している。そして、見ている側に投げたボールに重みを一層感じる。これは戦争の悲劇の話ではなく、戦争によって得たもの、失ったものを問う作品なのだと。
三浦春馬さんが亡くなってから最後の作品となる今作。彼が言うのか…という台詞や境遇がクロスロードし胸を締め付ける。この作品では常に「死」を輪郭として捉えていて、若者の葛藤と心境を刻々と描く。その中でも柳楽優弥さん演じる修の純粋さとそこに孕む危うさが映し出される。原子核爆発がひとつの革命であり、決定打となると信じてやまないのが、ますます辛い。また、有村架純さんの見据えた未来も叶うとも言い切れない無情さが染みる。
この作品の凄みは、加害者になり得る視点を取り込んだこと。日本の8月ジャーナリズムは被害者に寄り添うことがほとんどで、アジアに侵攻したことや捕虜を拷問していたことなどは触れない。メディアによる美化が進んでいる。その中で、兵に行く若者の背徳心や原爆が完成していたら…と考えさせられる場面も多い。それが実に多角的に捉えられるので、観た人と深く考えたくなる。平和に対しての在り方を問うように。
ラストに関しては何とも物足りないのだが、十分考えさせられるプレーンで奥深い戦争映画だった。日本は負ける、被害者だ…という視点を除いた、個々の生き方から戦争の意義を問う深い映画。ドラマを観ていなければ、もう少し点をつけていたかも。
エンドロール💢
運良く試写会に参加出来ました。
2020年にNHKで放送されたドラマ版は未見。
太平洋戦争で米国との原子爆弾開発競争に全てを捧げる修、前線へ召集される裕之、幼馴染の世津という3人の若者を中心に描かれる人間ドラマ。
勝ち負けなどより原爆開発成功しか頭に無い修。
生還の可能性が低いことが分かっている裕之。
戦争が終わった後の進路を語る世津。
戦争に対する姿勢が三者三様違うけれど「たくさん未来の話をしよう」と手を繋ぎ微笑む姿に涙。
主演の3名だけでなく、脇を固める田中裕子もイッセー尾形も國村隼も皆素晴らしい。
特に、柳楽優弥の素晴らしさが改めて理解できる。
ただ、余韻に浸れるはずだったエンドロールで流れる、人気歌手の歌は要らない…正に興醒め…
しかも、ご丁寧に歌詞まで映して…
静かで厳かなまま終わって欲しかった…涙
原爆開発競争
自分はイマイチでした
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