映画 太陽の子のレビュー・感想・評価
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ともかく、感じる映画
最近の映像美が凄いとか、音楽が凄いとか、脚本が凄いとかの映画娯楽とは違い、重く深い史実がテーマにあって、観てる方はただただ俳優陣の演技一歩勝負となる、昔から続く日本の戦争映画。
最低限年に一度、こんな日に観て、思い出し、毎回考えさせられる必要があるし、これからもそうしようと思う。それだけ意義のあるこれこそ日本にしか無い唯一無二のテーマだと改めて悟る。
皆さんの評価のように、差し込まれる演出とか説明とか話の唐突さとかエンディングとかはまぁともかくとして、人は人の言動からこれだけ心を揺さぶられるのかという役者一人ひとりの素晴らしい演技を味わって損は無いだろう。
ご冥福をお祈りします。
風立ちぬのパクリか?
ウランの美しさに取り憑かれ科学競争に勝とうと奮闘した京大原爆開発チームの話だけど、なかなかの駄作だった。
柳楽優弥がちょいちょい外国人の声と対話するところ。風立ちぬの堀越二郎がイタリア人の飛行機設計士と話してるやつをパクってる。絶対パクってる。
開発に取り憑かれた結果悲劇を前にしたシーン、堀越二郎が最後に零戦の残骸の間を歩いてるやつのパクリ。絶対パクリ
意味もないのに音を消したりやたらウランのシーンが多かったりひどいひどい
NHKの財力をもってしてこんな駄作が出来上がるのかと感動した
カメラワークも酷い、
演者と一緒に走るな
画角がブレて酔うわ
最後の方のセリフも本当ひどい
仮にも広島と長崎に原爆が落ちたのに京都に落ちる瞬間を撮りたい美しいはず!
なんつって比叡山に走ってったぞ
科学者の狂気を描きたかったんだろうがズレてる
もうちょっとこうなんかやり方あっただろうに
ラストシーンは、一瞬逡巡させる
奇しくも、長崎に原爆が落ちた本日に鑑賞。
どこまで史実に基づいているのか判然としませんが、日本でこのような研究がされていたことは初めて知りました。
戦争映画でありながら、主題の原爆投下シーンもありません。しかし、暗く緊迫したムードが最後まで続き、楽しめました。日中合作だからでしょうか、日本が被爆国ではなく、加害者側になったかもしれない可能性を示唆し、敵味方での一律的な描き方ではありませんでした。しかしながら、家内工業的な研究規模では、当然アメリカには及ばなかったと改めて感じます。
地味な映画かもしれませんが、役者陣の熱演が光った作品でした。言わずもがな、三浦春馬さんの渾身の演技に胸が染み入る思いでした。
ラストシーン、一瞬間延びしたシーンの意味が分からずモヤモヤ。なるほどそういうことかと納得、敢えて鑑賞者を試すような、説明を排除した終わり方でした。
科学者の葛藤。ドラマとの違い
映画を見始めてから、この話知ってるかも…という気がして、後半は、ドラマだ。と思い出しました。科学者の葛藤が丁寧に描かれています。柳楽優弥が流石でした。欲を言えば、戦後すぐの研究室や世津たち家族の様子を観たかった。
映画として散漫な話で脚本の出来は良くないと思うけど、あまり悪く言いたくない・・・
題名に書いたとおり散漫な中身で出来としては良くないと思うけど、たくさんの方が亡くなった事実がありその方々を侮辱する気がしてあまり作品を悪く言いたくない・・・
京都大学の原子物理学研究室での原爆研究を縦糸に、その研究室の1研究員(柳楽優弥)、その弟(三浦春馬)、幼馴染(有村架純)の3人で繰り広げる群像劇を横糸に、物語は進みます。
まず、戦争中の日本でも初歩的な原爆研究を行っていたのを知っていたせいもあるのかもしれませんが、研究開発の初歩的な段階で終戦になったので(一昔前のプロジェクトxの話のような苦労を乗り越えて開発したといった)話の盛り上がりは感じられませんでした。
3人の群像劇にしても、その関係の描写が弱い(有村と兄弟の関係、兄弟間の関係)ので魅力はないです。
また、他の方が被爆地広島の描写がおかしいと指摘されていますが、それ以外にもおかしな描写はありました。
さらに、必要性が感じられない描写(アインシュタインとか、兄弟が裸で海に入るところとか)が結構ありあります。
悪くは言いたくないのですが、出来は良くないと思います。
良いところを挙げるとすれば、有村架純が演じる女性が悲惨な現状をただ嘆くだけではなく、将来のためにはっきりとしたビジョンを持っていたことでしょうか。
多分、現在の日本に欠けていることだと思うので・・
とにかく生きてこそ‼️モヤモヤしてくるけど‼️いい加減にして‼️❓
今年は、原爆の黙祷しないのは、五輪の配慮ですか、悲しいです。
この映画を深読みしたら、開発したら、どの国も使うだろう、そう言いたいの?
ある意味、ユダヤ人虐殺より酷い人類最悪の所業です。
映画に関しては、殺された三浦春馬を観れたこと、有村架純の素晴らしい関西弁演技が観れたことに尽きます。
それと、最近の比叡山の山道を歩きましたよ、私も。
余談ですが、京都は天候の加減で、落とす予定でした、原爆。
なんだか、不快な気持ちがする展開、事実の歪曲ですが、問題提起として、許してあげる。
とにかく、有村架純を愛でる映画です、是非。
E=mc2
TV版未鑑賞。
1944~1955年、日本の原子核爆弾開発に携わった青年と家族達の話。
国の要請を受けて原爆を開発する為、ウラン濃縮に悪戦苦闘する京都大学の学者の中の一人と、戦地より一時帰国した彼の弟、自宅を取り壊されて強制疎開で彼の家にやって来た幼馴染みの機微をみせていく。
原爆開発の話がメインになっており、頭では恐ろしいことをやっているという認識もある中で、エネルギー開発ということを盾に邁進していくけれど、葛藤みたいなものはさほど描かれておらず中途半端に感じたし、弟と幼馴染みに関してはモブ程度の様な…。
戦時下、しかも末期の生活事情にも全然リアリティがなくて、つまらなくはないけれど全体的に色々と物足りなかった。
日本の夏は原爆を忘れない。
第二次世界大戦中、京都大学で原子核爆弾を研究開発していた学生のお話。
研究チームでの彼の役割は理論ではなく実験。それほど才能のある奴ではないけど、努力を惜しまない誠実な性格だ。
もし、日本が開発に成功してたら戦争はどうなっていたらだろうとか?アメリカの開発がもっと遅くなっていたらどうなっていたか?など考えさせられますが、この作品のテーマは戦争じゃない気がした。
人生って自分の生きている環境で、どう生きるかである。戦争がいけない事なんて誰だって知ってる。でも、殺さなきゃ殺されるって現実が目の前にあったら自分はどうする?殺す方を選ぶでしょ。生きる為に強い兵器を開発しますってね。
この映画の主人公も、原爆を開発する事を躊躇なんかしない。だって一生懸命やってるだけなんだもん。勝っても負けても、どっちでもいいじゃん。たくさんの人が死んじゃう事がいけない事だよね。自分の命は自分のものなのに、お国のために捧げるなんて、今じゃ考えられないけど、当時は当たり前だったんだよな。
柳楽君、チャラい感じ一切なく地味〜な主人公を演じきってました。架純ちゃんの隣のお姉ちゃん感、相変わらず素晴らしかった。春馬君は予想より出番の少ない脇役だったな。
とにかく、戦争なんてしちゃあかん!
終戦前夜の群像のひとつ
同名の灰谷健次郎の小説、映画とは、まったく別の作品なんですね。
終戦前後の市井の人々を描いた作品としては「火垂るの墓」「この世界の片隅に」などの名作もありますが、また別の視点から描いた作品です。
負けるとわかっている状況の中で、研究する学生と家族、そして幼馴染の女の子。
恋愛感情を前面に押し出せる状況でもなく、かといって研究にも全集中できない。
主人公の男は・・・・いっしょに海で遊んだ楽しかった時代の幻影を見る。
主人公の女は・・・・勝ちでも負けでもなく、終戦後の未来を見据える。
名作とは言えないが、こんな見方もありですね、という感想です。
三浦春馬の遺作となってしまったためか、若い女性の観客が多かったです。
日本でも原爆開発してた
第二次世界大戦中の日本で新型爆弾(原子核爆弾)の開発を行なっていた京都大学の科学者・修(柳楽優弥)と幼なじで修の家に建物疎開してきたセツ(有村架純)、脩の弟で海軍の軍人・裕之(三浦春馬)の3人の若者とその周りの人達の話。
どこまでが事実なのかわからないが、1945年8月6日に広島に原子爆弾の投下を受け、日本の大学からも調査に行ったんだなって知った。そして、日本でもウランの分離研究をしていたことも知った。もし先に原爆を作ってたらアメリカに落としに行ったのか?なかなか考えさせる話だと思った。
柳楽、有村、三浦が素晴らしい演技を観せてくれ、母役の田中裕子、柳楽の上司役の國村隼などの渋い演技も光る。
重いが良い作品です。
未来を語れる国であって欲しい
今日の午前中に観た『パンケーキを毒味する』のレビューで今の日本において、希望がない、ということについて触れました。
なんの偶然か分かりませんが、この映画は、じゃあ希望のある国って何?ということへの回答を示してくれました。
それは、未来について語れる国であること。
別に世間から注目されるような華々しい達成である必要はない。ただ、自分ができることの中で何をどうしたいかの選択ができる社会であればいい。
とてもシンプルなのに、とても実現が難しい。
いつの間にかそんな国になってしまったのだということを痛感させられる予想外にタフな映画でした。
いままでにないタイプの戦争映画
一番、評価したいのは、主演の柳楽優弥さん他、俳優さんの演技力の高さ。最高のキャスティングだったと思います。戦争映画ですが、戦いのむごいシーンなどはほぼなく 戦争に翻弄された若き科学者たちの苦悩と心情の変化が時間の経過にあわせてたんたんとえがかれています。劇中で流れる綺麗な音楽に今までの戦争映画と違った世界観を感じました。明るい未来を夢みて戦争の犠牲になった方がいらっしゃったこと、その家族を苦しめた恐ろしい戦争があった事実を決して忘れてはいけないですね。最後に、三浦春馬さんがこの作品にそそいでくれた情熱 決して忘れません。最高の演技をありがとうございました。
悲劇ではない戦争映画
今まで観た戦争がテーマの作品は、戦争の惨さ、悲劇が中心だった。
映画太陽の子は、原子爆弾開発という今まで知らなかった話や、青春グラフィティが中心。その中にも悲劇は出てくるが、未来を見据えて生きる人達の姿に、今を生きるとは?と、考えさせられた。
三浦春馬ありがとう
まずは三浦春馬への追悼です。最後に公開の作品かな、、ありがとうございます。最初の登場でただいまと言われた時にはほんとに帰ってきた気がして、戦地に向かう姿はまた旅立ってしまった感じがしました。命に向き合う映画に三浦春馬というのは、本当に心を締め付けられますね。ありがとう。笑って死ぬ、、最後まで本当にカッコよかった。
戦争ものの映画を見るとこんなことがほんとにたかだか76年前の、祖父母の時代に起こったことだとは、信じられない気持ちになります。ちょうど広島、長崎の季節ですね。。これだけは風化させてはいけない。人類は二度と同じ過ちだけはおかしてはいけないと思います。平和な時代に平和な国に生まれたことに感謝。
当時のお国のために命を捧げるという価値観の中で、自分たちはなにを作ろうとしてるのか、役に立っているのかと葛藤する姿が印象的でした。
みな表情だけでも演技できる素敵な俳優陣でした。よかったです。田中裕子さんほんとに好きです。古い時代の有村架純もなんか落ち着いてかわいらしくて好きです。
切ない
129本目。
ワイスピ観ようとおもってけど、完売間近。
イオンでも観られるけど、早く帰りたいから、こちらを選択。
星での評価はしたくないので、でも不謹慎かも知れないけど作品の熱量が丁度良く、心地よさを感じたりする。
色々思い、感じ、考えさせられる作品だけど、そっか昨日がね、だからこのタイミングか。
それにもう1年経つのか、観てたら切ない気持ちなってしまう。
國村隼演じる教授がいい
前情報をほとんど入れずにいったので、三浦春馬の遺作ということも出てくるまで忘れていました。
原爆を落とされて悲しみや怒りにくれる若者達の物語だと思って行ったので作る方なの!?という感じでした。正直当時の日本が原子爆弾を作ろうとしていたという事を知りませんでしたし、となると全く未知の物を落とされた訳でないのなら、アメリカは日本に警告する道はなかったのかと単純に思ってしまいました。
主人公達に対しては行動を見守るという感じで心にはあまり入ってこなかった(防空壕で空を見上げる三浦春馬の表情は良かったです)ですが、國村隼演じる教授の終盤のセリフや、イッセー尾形の最後の出番のシーンはさすがでした。
ただ映画としての盛り上がりは弱かったのでこの点数にしました。
戦争時代の映画
舞台は1945年。戦争に行く弟と科学者の兄、その家族を描く。
戦争がテーマではなさそう。
科学と原子爆弾もテーマでなく。
一体何なんだろうか。
終始眠くなるような話しだった。
時計も何度も見てしまった、、、
最後も呆気ない終わり。
唯一、三浦春馬君を観れて良かった。
ラストは海で遠くからの撮影シーン。
柳楽くんと春馬くんがスッポンポンで海に入るシーンがありました。
ぶち壊し😩
太平洋戦争を語る時の「どちらかが善でどちらか悪」的な解釈や描き方がどうにも苦手です。
日本も水面下で核兵器の開発をしていたという話し。
もしかしたらatomic bombを先に開発→使用していたら、サンフランシスコ(劇中で具体例に出ていた)と広島・長崎の立場が逆転していたかも知れないという…
事前の知識不足でしたが、エンディングの写真を見るに実話。
また劇中で三浦春馬くんが言う「未来の話しをしよう!」というセリフを聞きながら「自らの未来は絶ってしまった」事実にさらに切なさが募りました。
とても上質な映画を観ました。
「観て良かった」と思ったのに…
その総てをぶち壊すようなエンディング曲…
アミューズ絡み?
ガッカリ😞
作品はとても良いです。
作品は星5つ。
エンディング曲が足を引っ張ってる。
【優しさと想像力/科学について:オッペンハイマーと朝永振一郎】
毎年、8月6日と9日の原爆の日にあわせて、TBSのNews23がシリーズで放送している、綾瀬はるかさんと被爆者の対話で、今年は、高齢になった女性の被爆者の方が、核兵器が無くなるまで、自分が生きてる限り、語り継ぐ活動を続けたいとする一方、若い人にも、核兵器や戦争の恐ろしさを後世に伝えて欲しいし、そのために必要なのは「優しさと想像力」だと話をしていた。
奇しくも、裕之を演じた三浦春馬さんは、生前、「想像力を届けることが役者の仕事」だと言っていたことを、有村架純さんが舞台挨拶で伝えていたのだけれど、観る側、つまり、受け取る側にも、更に想像力が必要であることは言うまでもない。
最近の映画のレビューで、映画のストーリーをなぞるだけでなく、具体的な指摘はなしに、周りにどんどん同調するかのように低評価が増殖していく様を眺めて、これは、ある意味、イジメが広がる構図と似ているなと考えたりした。
決定的に想像力が欠如しているのだ。
せっかく、人間だけに与えられた想像力なのだから、可能な限り駆使した方が良いように思う。
この「太陽の子」は、反戦というだけでなく、科学と国家、そして、人間としての科学者が、どうあるべきか考えさせられる作品になっている。
レビュー・タイトルにあるオッペンハイマーは、原爆の父と言われたユダヤ系アメリカ人の科学者で、本来は素粒子物理学者として、その時は、場の量子論に於ける無限大の問題を研究していたのだが、アメリカ政府にマンハッタン計画の責任者に指名され、類い稀なリーダーシップを発揮し、原爆を完成させることになる。
たが、太平洋戦争後、2度の原爆使用の凄惨さを目の当たりにし、こうした軍事研究からは距離を置き、更に、アメリカ政府の水爆研究に強く反対したことから、政府や軍事研究者から疎んじられ、公職からも追放され、自身や家族が共産思想に傾倒していたことも理由に、晩年はFBIの監視下に置かれるなど、不自由な生活を強いられた。
朝永振一郎は、日本人2人目となったノーベル賞受賞者で、物理学者だが、その業績を知らしめたのは、オッペンハイマーが取り組んで解決に至らなかった無限大の問題を解決していたことだった。
それも、戦時中の、ものも何もかも少ない、荒廃した状況であったにもかかわらずだ。
オッペンハイマーは、朝永振一郎から、戦争で発表の場を失われていたのだが、これを自分は解決していたとの手紙を受け取り、驚き、そして、朝永振一郎の業績発表の場づくりに、その後は尽力することになる。
オッペンハイマーは、若くして癌で他界し、もう少し長生きしていれば、ノーベル賞を受賞していただろうと言われるほどの業績の大きい物理学者だったが、代わりにというわけではないが、朝永振一郎がノーベル賞を受賞する。
朝永振一郎は、戦争よりだいぶ前に卒業しているが、京都大学の学生だった。
科学や技術の発展が、人類にとって取り返しのつかない結果に繋がることは少なくない。
核兵器はそうだし、ガス化学兵器も同様だ。
世界中がインターネットで繋がり、ハッキングもサイバー攻撃も拡大した。
AI搭載のドローンが、兵器を積んで、躊躇なく殺戮をしないとも言えない。
科学の発展は、人類の進歩に貢献するが、一歩間違えば、とんでもないことになりかねないのだ。
科学者は往々にして純粋だ。だが、それは、探究心に歯止めが掛からなくなる要因でもあるように思う。
修が、京都大学から程近い相国寺の天龍図を眺めていた時、何を考えていただろうか。
実験が成功するイメージだったのだろう。
龍の眼は睨め付けるようでもあったが、人はそう簡単には気がつかないのだ。
修が、比叡山から京都に”原子核爆弾”が落ち、爆発する様を観察したいという探究心に対し、フミが、言い放つひとりの人間、母親としての言葉は物凄く重い。
オッペンハイマーが、類い稀な才能とリーダーシップと、探究心と、成功と、取り返しのつかない結果と、後悔と、強い意志と、悲劇と、驚きと、献身をもって、どんな気持ちで過ごしたのだろうか、ずっと考えている。
世界から争い事はきっとなくならない。
だが、悲劇を最小限にするために、僕達は想像力を最大限に駆使して、生きなくてはならないのだと強くて思う。
ただいま戻りました。
この映画を見て洗脳という言葉が頭に浮かびました。愛情思って育てた息子を戦争のためお国に
命を捧げ、爆撃投下の類焼のため、いっぱい沢山のの思い出の詰まった我が家を壊され、お願いします。と頭を下げて見守る。科学者は未来のためにと研究、じっけんと心を奪っていく。周りの兄弟や仲間が戦争で死んでいく中徴兵を免れているという、後ろめたさから心を焦りで蝕む。
今の日本では考えられない。今の日本や世界はSNSで誹謗中傷で見えない敵と戦っているのかもしれない。三浦春馬さんが演じる裕之のただいま戻りました。の言葉とあの勇ましい体格とひとなっつこい笑顔に涙が溢れた。本当に戻ってきてほしい。でも、帰らぬ人となる。田中裕子さん演じるは母、フミの抱きつこうとして耳を触る演技にも思いが伝わる。原爆投下された8月に見るべき映画だと思います。
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