ノマドランドのレビュー・感想・評価
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よかった
『ヒルビリー・エレジー』『ミナリ』と立て続けに貧困がテーマの作品を見ていて、これもそれで、さらに孤独も加わる。オレも常々、お金に振り回されるような仕事はしたくないと考えてきたのだけど、お金をある程度の水準で稼いでいないとあっという間に貧困に引きずり込まれるような感じがあり、恐ろしい事だ。主人公よりずっと年寄りで病を抱えているおばあさんが車中泊の旅をしていて、死んだらあの車は主人公に上げたらいいのにと思う。楽々車中泊ができそうなキャンピングカーは燃費が悪くて、コスパが悪い、かと言って小型車では足を伸ばせて眠れない。ミニマムな暮らしは楽しそうだ。オレなら一体どうするだろう、そんなことをずっと考えてしまう。
リアルなアメリカをみる思い
リアルな米国を見る思い。若い奴らが行く先々で事件をしでかし、もしくは、事件を起こして逃げまくるなんてのが記憶にあるロードムービーだが、これは特に大きなドラマがあるわけではなく淡々と時間のコマが進んでいく。
そして、問題にぶち当たると自分で解決しようとする主人公。仲間に助けを求めたり。
でも、最後には1人。1人の人がそこでは、ドラマの主人公であり、ドラマを作っていく。こう言った人たちにとっては、ヴァンそのものが自分の世界。そこで毎日を戦っていく。
アメリカが力一杯だった頃のロッキーのように勝ち上がっていくドラマは、やはりエネルギッシュなアメリカのあの時を象徴していたと思うし、こういうドラマは、いまのアメリカを描き切っているのかなあと思った。
自然の美しさや解放感はあまり感じられなかった 年寄りにはつらい映画
ファーンとデイブと本物の車上生活者が主なキャスト。若い女性の原作者に若い中国人女性の監督。
爽やかな青空のシーンや朝日のシーンはほとんどなかった。お湯を沸かして、コーヒーを作るぐらいで、バーベキューなど旨そうな料理の場面もなし。憧れのアメリカ横断放浪生活といったノリは一切ない。
荒涼とした風景シーンが多く、低い雲が大地を覆う暗めのシーンが多かった。さびしい夕暮れから夜の場面が多い。
彼女の心証風景をわざと表していたのかと思う。立派な大きいキャンピングカーは余裕がある趣味で旅行している人たちの車であろう。
夫とともに慣れ親しんだネバダ州エンパイヤ。レンタル倉庫の中から、夫の遺品と思われるジャンパーと父親が結婚祝いにくれたアンティークの皿を選んで狭いRV車に積んだファーン。61歳の設定(2度もオスカーに輝いた フランシス・マクドーマンドは今年65歳)。
会社の倒産。社宅も失い、夫も病死してしまい、子供もいない。好んで放浪の路上生活を選んだ訳ではないと思う。転々と季節労働をしながら、同じように車上生活をする仲間がいるが、ほとんどが高齢者。ファーンと違って、デイブには帰れる家があった。孫まで出来た。デイブの孫を抱っこするファーンの慣れない感じと不安な表情。デイブの申し出にも、気持ちが揺らぐ様子はなし。親切のつもりだったが、大事な皿を割ってしまったデイブをずっと恨んでいるわけではないと思う。それよりも、彼女には譲れない大切な自分の生き方があるのだ。しかし、相当の意地と覚悟がなければ、やっていけない過酷な生活である。
車の故障。
高い修理代。23,000ドルだった??
姉の家に行き、お金を借してもらう。姉の夫は皮肉なことに不動産業で立派な邸宅。姉の方がうんと若々しい。ファーンは煙草🚬も吸うけど、それにしても。姉妹のあいだには積年のわだかまりがあるのだろう。どちらも、同居は無理といった様子。
一番印象深いシーンは古いスライド写真をコンパクトな携帯プロジェクターで、暗い車の中でひとりで見るシーン。幼い頃の彼女と父親が写っていた。たぶん、これが、一番大切なものなのだろう。印画紙の写真ではなくてスライドなのは、お父さんは写真が趣味で、彼の大切な遺品なのだと思う。暗い狭い車内でひとりでみると切なさが倍増しそう。
また、どこかでと言って、さよならとは言わないのは、言いたくないし、言われたくないのだ。
なぜなら、車中での孤独死の可能性が誰もがあるから。
この杯を受けとくれ どうかなみなみ注がせておくれ 花に嵐の例えもあるさ さよならだけが人生さ なんてカッコつけたこと言ってられない現実。
広大な荒野が広がるアメリカならではのノマド生活。日本ではなかなか難しいだろうけど、凍死するような気候ではないのは有利かもしれないが。
バッファローの場面はほんのちょっぴり。少なくなっていて、絶滅危惧種。
小林旭の昔の映画の主題歌 「流浪の唄」を思い出した。
🎵 流れながれて 落ち行く先は
知らぬ他国よ 見知らぬ土地よ いずこの土地にさすらい行きて いずこの土地にこの身を果てん
最後、レンタル倉庫を解約し、なかのものはすべて破棄処分したファーン。この旅を続ける覚悟を新たにしたのだと思う。強い。ファーンの社宅の裏は砂漠が広がっていたような。1930年の大砂嵐、ホーボー(HOBO)を連想させる。Woody Guthrie の アルバム Dust bowl ballads を出そうかな。どこしまったかな😵
ブラック&ホワイト・モーターハウス・ダイアリー
スタンリー・コーエン、ローリー・ティラー『離脱の試み』では、ヒッピー文化の崩壊の一端が記述されていた。彼らヒッピーは、日常生活のルーティンからの脱出を望みヒッピー生活を始めたが、結局、ヒッピー生活のルーティンを逃れることはできなかった、と。
そう、人間はどんな生活をしても、ルーティンから逃れることはできない。と言うか、人の生活とはほぼルーティンの繰り返しだろう。『ノマドランド』では、企業の倒産で企業城下町の社宅から放逐されたファーンが、キャンピングカーで漂流のノマド生活を始める。彼女は、ある意味で社会から見放された存在だ。しかし、「現代のノマド(遊牧民)」として意志的に生きる決断をしてもいる。自由であるが、不自由でもあり、ルーティンもやはりつきまとう。だが、ファーンはノマドをやめない。
高齢である彼女には過酷とも見える季節労働や極寒の車上生活。「RV節約術」を提唱し、ノマドの集会を開いているボブ・ウェルズの下に大勢の車上生活者が参集するが、しかし持続的な相互扶助のコミュニティを形成することはない。英文学研究者の北村紗衣氏は「アメリカの伝統的なホーボー文化への憧れ」という文脈を指摘している。厳しい自然や生活が描かれるが、同時に奇跡のように美しい自然の姿も現れる。そこでは、西部開拓のフロンティア・スピリットが一瞬蘇るかに見える。しかし、現代資本主義というシステムは、フロンティアを自ら呑み込んだ怪物だ。
見田宗介は『現代社会の理論』において、システムは「必要の地平」とは無関連に離陸する、と説明している。現代のノマドもシステムの軛からは脱せない。車が壊れて修理代がないファーンは、遠ざかっていた家族に金を借りに行かねばならなかった。
本作は、ただ悲惨なだけではない、主に高齢者のノマド生活を描きながらも、たとえば新自由主義的に振り切った社会の実相をまざまざと見せつけてもいる。会社が消えれば、まるごと町ひとつがゴーストタウンとなる。そんな社会のささやかな「外部」は、希望なのか、否か。
いつかまたどこかで
たまたま近所でやってたので観賞
アカデミー候補作とは聞いていましたが
先日観た似たような触れ込みの「ミナリ」は
大変期待外れだったのでそれと比べてどうかな
という視点がどうしても加わっていました
リーマンショックのあおりで基幹産業が消滅し
機能しなくなった街を離れるファーンは亡き夫との
思い出とともにAmazon等の期間従業員をしながら
車上生活を送ることになりますが
次第に同じような生活を起こるコミュニティに加わり
他人の人生や出会いに触れ自分の生きざまを
見つめながら選ぶべき道を探っていきます
不動産に貯金をはたき
マイホームを構え定職に就き家族と暮らす
そんな暮らし否定するファーンの生き方は
さながら遊牧民(ノマド)
ですが元来人間の暮らしはそちらが正しいわけで
しかもファーンはかつては定住していた側の人間
姉も古くからの知り合いもファーンに好意的で
いつでも頼って欲しいと言われてますが
なるべく誰の世話にもならず生きていきたい
という気持ちは共感できる部分も多いでしょう
世間的にははみ出し者のように扱われがち
ですが果たしてはみ出しているのはどちらか?
と考えさせられる部分もあります
それだけリーマンやコロナなど基盤がひっくり返る
事態が起こる時代です
この暮らしでであう仲間とのさよならはない
またどこかでめぐり会うからさよならは言わない
そこがいいんだ
本人役で出演したボブ・ウェルズ氏の台詞が印象的でした
先日の今作同様アカデミー候補作との
触れ込みが目立ったミナリは凝ったプロットの割に
橋田壽賀子のドラマの方がもっといいと思えるほど
共感性が低かったですが
今作はアメリカの文化や現実など
触れて味わえるものが多かった気がします
やってたらお薦めです
HOME is just a word. 旅人あるある。
どれぐらいの人が人生に完璧を感じる瞬間ってあるのでしょうか?もうここで人生終わっても良いと感じる瞬間。本作で言うとスワンキーが感じた瞬間。個人的には昔タスマニア島の更に離島のマリア島で、本当に人間が一人もいない状況で、小高い丘に登って島を見渡した時に「なんて世界は完璧に作られているんだ」っと感じた事があります。言葉にすると陳腐化するのですが、「神様は本当にいるかもしれない」っと思った瞬間。そして、とても人生に満足して今終わっても惜しくないと思えた瞬間でした。まー、実際は人生そこで終わる事もなく今もダラダラと生き続けているんですけど。
そんな事を思い出した「ノマドランド」です。昔バックパッカーをやってた自分から観れば旅人あるあるでした。実際に5ヶ月程ノマド的生活をしながら撮影したみたいで、旅人の感覚が何となくフィルムに収めてあり、共感できる部分もありました。登場している人が本物の「ノマド」なので、話す内容にもリアリティーがあります。人が話をしている時にはアップになってたりとドキュメンタリーに近い手法で珍しい作り方ですね。
旅をしてお金がなくなったら働いてまた旅をしてって生活。そういう時に感じる物事って言葉にするのが難しいんですよね。自分は昔あっち側の人間だったので、逆にやった事がない人からみればあの生活ってどう写るんだろうって不思議に思いました。
海外でバックパッカーだったあの頃に比べると今日本で定住している会社員の生活は確実に不自由がない。でも、不自由な時の方が満たされていたのでは?っと思う時もあり・・・。結局人間って何処までいっても無い物ねだりなんだよなぁっと思ってしまう「ノマドランド」でした。
砂漠と海と老人たち
とても好きな映画。今のところ今年の一番かな。うっすらした老年のロマンスはあるものの、それ以外に物語はほとんど無いに等しい。それなのに美しいレイアウト・映像と語り過ぎない演出、必要十分なモンタージュで興味を散逸させない。後半に映る荒れた海がずっと続く内陸の風景の後で印象に残った。
登場するノマドたちはほとんどが高齢者だ。うまく説明できないが、50代半ばになった自分には納得する要素がある。主人公を含め、ノマドという生き方を選択をするにあたっては、もちろん金銭的な要素が大きいと思うが、「残された時間をどう生きるか」という問題が強く影響していると思うのだ。
この中国出身の監督がこんどMCUを撮ることになったとは事前に聞いていたので、映画館の看板にアベンジャーズが出てきたときはちょっと(かなり)微妙な気分になった。映画を見た後で宣伝の意図ではないとする記事を読んだ。たとえそうでなかったとしても、そのように勘繰られる要素はこの傑作映画に不要だ。正直省いてほしかった。
主人公はあなた。徘徊する人?
主人公が遊牧民ということでなくて、ネットで消費を続けたり、ある大企業に依存したりしている、「まさに映画を観ている、あなた自身」がすでに遊牧民なのですよ、という事ですよね?映画の主人公が、実姉と語り合う場面は、主人公が遊牧する動機を少し説明しているんでしょうけども、もっと説明があっても良いと感じたのは私だけかも知れません。いや、実は説明するまでもなく、もう皆が知らず知らず彷徨い続けていると言いたいんでしょうか。「自分には同居する家族もいて、定着した仕事があるので」とか高い所から見てると錯覚した時点で、もう怪しい生活なんだろうなと怖くなりました。いま、仕事や地位を失い、財産や家族を失い、じゃ、自分には何が残るだろうか?今後、現代社会は農耕社会前の、遊牧し狩猟する時代に退行してしまうのだろうか?いや退行っていったら古代人に失礼だ。すでに現代は、少なくとも認知症の方々が数多く徘徊(放浪)しているが、彼らもまた遊牧民なんじゃないかと愚考してしまった。そもそも徘徊いや放浪する彼らを笑う事などできない。もうあなたが徘徊しているのだから。
「孤独という選択」の難しさ
主人公の想いが溝を作り、心の傷を癒すことが出来ないまま深い関係よりも孤独に生きることを望んだ人々の哀愁が漂う物語です。
「最後のさよならがないんだ…」が胸に刺さり、現代社会の多くの人も心の傷を癒せないままノマドの様に孤独を選択して生きてる様を表したように思います。
物語も淡々と進む情景の中で孤独に生きていくことの難しさを浮き彫りにし、周りとの繋がりを育むことの大切さを伝えてる様に思ってならないです。
アメリカの大自然が写り、美しい映像が多いと思った。 主演女優 フラ...
アメリカの大自然が写り、美しい映像が多いと思った。
主演女優 フランシス・マクドーマンドの演技力が高い。衣装もリアルだからまるでドキュメンタリーを観ているようだった。
とは言え、私はこの映画を通じて心を揺さぶられることは無かった。多分、その理由はアメリカの社会問題が理解出来ていないからだ。アメリカでは格差社会が進んでいると聞くが、この映画は格差社会を否定するものでは無いと思った。お金を稼ぐことは悪いことでは無いが、それだけが全てではないのでは?というような視野拡大と言うか、問題提議と言うか、多様な価値観の肯定と感じた。wikiを見ると『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』が原作だと言うので、主に高齢者の格差問題がテーマかと思う。
主人公ファーンはノマド生活を送っている。ノマドとは、家を持たずキャンピングカーなどの大きめの車で生活をする人たちのことを指す。女優の年齢は60代。本作では高齢になる女性のノマド生活が描かれる。
ファーンには夫がいたが死別している。彼女が住んでいたネバダ州のエンパイアという町は、たしか炭鉱で栄えた町であったがそれが閉鎖されるとゴーストタウンとなった。
ファーンは夫との思い出があるエンパイアや家からは離れたくないと考えている。なぜ家に住まないのかは不明だが、多分町に人が居なく仕事が無いので、仕事を求めて移動生活してるのだろう。
ファーン以外にもノマド生活を送っている人は沢山いる。中にはガンの高齢者もいて、彼女は余命7-8ヶ月の中、故郷に帰り亡くなった。他にはたしか10代で出産し2人の子供を育てたのに、政府はたった5500ドルの年金しか払わないと愚痴る。5500ドルでは生活出来ないそうだ。
ファーンはノマド生活で仕事を求めて移動する。仕事がある時は駐車場に無料で車を停めれるが、仕事の契約が切れると駐車料金が発生するから、移動しなければいけない。
あれだけ広大な土地があるのに、町の駐車場にはなかなか車を停めれなそうだ。
ファーンの労働先としては、Amazonの梱包作業、飲食店の店舗スタッフ、トイレ掃除、キャンプ場のスタッフなど。どれも短期的な労働だ。
序盤にAmazonで働いて、また後半にAmazonに帰って来ていた。格差の対比としてAmazonなのかと思った。
映画は淡々と進んでいくが、大きな盛り上がりを見せることなく終わるので、この評価。
印象的だったことを上げる。
ファーンは臨時教師をしていた過去があるが、かつての生徒からホームレスなの?と聞かれると、いいえ、ハウスレスよと答えたとこ。
蛾が沢山飛んでいるとこ。昆虫が苦手な女性には難しいだろう。
ガンの女性から送られてきた動画で、鳥が沢山飛んでいるとこ。
ノマドの男性から交際を求められたのに拒否したとこ、経済的には協力して共同生活をした方が貧困から脱却できるのに。男性には息子夫婦が暮らす家があり、そこで安定した生活が送れそうだったのに。
男性に割られた皿を捨てずに修復したとこ。たしか夫から貰った皿だから大切なんだろう。
キャンプ場で客から電気が点かないと言われたファーンが配電盤みたいなのを操作して復旧したとこ。俺には無理。
大自然。
空き家。靴文化。玄関を開けると落ち葉が床に落ちている。安い作り。
高速道路のパーキングエリアみたいな所で車を停めていたら、車中泊禁止とスタッフに指摘されるとこ。厳しい。
ファーンの姉は幸せそうに暮らしている。
Amazonの配送スタッフが割と沢山いたところ。もっと無人化が進んでいるのかと思っていたが、やっぱり梱包の自動化は難しいようだ。
ファーンがウンコするシーン。演技とはいえ。
ファーンが裸で池に浮かぶとこ。
ノマド男性の家に行ったらたくさん鳥を買ってるんだけど、普通に食べてたとこ。
切ないがこれも人生
フランシスマクドーマンドがいいね。
2008年のリーマンショックで
街がきえた!
主人公は、キャンピングカーで生きることにした。
ホームレスではなくハウスレスだ!
僕も10年前会社が潰れて非正規だ!
マクドーマンドと似た年頃だ!
自分に置き換えて観たよ。
Amazonや肉体労働で稼げる間は
いいがね。
何が幸せかなんて人それぞれ
ファーンの旅に寄り添いながら、自分のこれまで、これからの生き方について思い巡らせました。
すべてを無くしたファーンは不幸せだったかもしれないけど、帰る家があって家族があってが幸せの条件かといえばそんなことはないし、結局、家とは自分の中にあるもの、という言葉に集約されている気がします。
ファーン自身すでに、ベッドでは眠れない身体になったようだし…笑
私は個人的にコミュニティー的なものが嫌いで、おそらくファーンも苦手な方だったのだと思うけれど、普通とは言えない生き方を選んだ以上は、人、特に同じ境遇の人と交わることは実用面でも精神面でも不可欠なのだということを痛感。
ファーンは結局一人でいることを選んだけれど、そのまま死ぬまで一人を謳歌したのだろうか。もしかしたらしばらくしてどこかに、誰かと落ち着いたのかも知れない。
スリー・ビルボードと同じく、観客の想像を掻き立てるラストシーンは、ファーンの再生を予感させるもので、まああれこれ考えさせられつつも、鑑賞後の気持ちはいいものでした。
ファーンが寡黙な方なので、説明は最低限に抑えられているのも良い。
ファーンに子供がいないことを、赤ん坊の扱い方で表現するなど巧みな演出が不明点をうまいことカバーしています。
ついでに、ヒルビリー・エレジーと同様、トランプにあれだけの票が入った訳が、少し理解できました。
思うこと色々あり...
リーマンショック(おそらく)をきっかけに破綻し
無くなってしまった炭鉱の町
そこの住人であった女性が家を追われ全米を車で旅する
現代の遊牧民(ノマド)になった様子を伝える映画
個人的に
地元にあった有名企業の広大な工場が無くなるとゆう事象に
遭遇した事もあり実際にそれで職を追われたので
物凄く思うところはある
そして劇中のアマゾン(運送業)が仕事が多かったりっていうのも
リアリティを感じる
私はミュージシャンを志していたこともあり
非常に不安定な生活を送っていた時期もある
だから劇中で女性が仕事が見つからなかったり、
ちょっとしたお金が用意できなかったりとかには
身にしみる想いで見ていた
日雇いとかほんと底辺の仕事を経験した人間でなくては
彼女の生活の悲哀は理解できないだろう
一度落ちたら容易には戻れない
そんな現実も垣間見える
そしてそんな底辺の生活だからこそ
優しく仲間として迎え助けてくれる人がいることもある
彼女も優しい仲間に助けられる
しかし、それでもやはり身を落ち着けることができない
そして放浪の旅は起点に戻っていく
かつてあった我が家の風景は変わらずに残っていた
深い味わいがあり
現代が抱える一寸先は闇の経済の問題
そこから派生する社会的弱者の様子
仕事と生活と住居の問題など
考えさせられる映画であった
自分は社会が仕事を与えてくれないなら
もうリタイアしてしまおうと思ったから
精神的にはノマドに共感するところの多い映画であった
お金では買えない精神の満ち足りた状態
そこまで言及してくれたら良かったかな
でも、味わいのある映画だった
自然と共に自由に生きる
色んな賞を受賞、ノミネートされてる作品という事もあって自然と期待値があがってしまってる中での鑑賞となったが楽しむ事はできた。
率直な感想としてはアメリカらしい自由について考えさせられる作品である。
ストーリーとしては中年の女性の主人公のファーンが車中生活を送る。その生活のなかで同じく車中生活を送る仲間と出会い彼らとの会話や
気持ちの変化、各々の価値観なんかを個人的には楽しみながら鑑賞していた。
ただこの作品は中々自分に置き換えたり日本国内に置き換える事は難しい。そのためどこか第三者の視点で見てしまう部分は強くなってしまうが、家を持たず特定の生活拠点をおかず色んな場所を巡って本当の自分の居場所を見つける姿、まさにその姿は自然と共に自由を生きる姿として美しく見えた。
そういった生活を送る事で各々の人物達がそれぞれ別の形の方向に進んでいく姿はまた面白い。
ファーンも家で生活を送る選択肢が終盤に二度チャンスは訪れたにも関わらず最後は車中生活を送り続ける選択をする。まだ彼女の本当の居場所を見つけることはできなかったのだろう。人生は人の数の分だけそれぞれの人生がある事を改めて感じさせられた。
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