ノマドランドのレビュー・感想・評価
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大自然と主人公の生き様に感動
家も旦那も無くしたおばさんが
キャンピングカー生活を始める話。
自身の価値観が問われる作品でした。
一緒に観た人は「あんな生活は絶対ごめんだ」
と言ってましたが僕はなぜか惹かれました。
不自由や困難なことはたくさんあるけれど
大自然の中で社会や貨幣にしばられない生活は
自由で優雅で難しいことを考えなくてよい!
キャンプが好きだからなのかな?
とにかくキャンプしたくなりました。
キャンプと一緒にするなって話ですが。
劇中には多くの過去を持ったノマド(放浪者)が
登場します。すごくリアルだなあと思ったら
実在する人もいたんですね!
観た後レビュー等で知りました。
どおりでリアルだと思った。
彼らは自分の目的や夢に向かって
ノマドランドを立ち去りますが、
主人公はそれを見送るばかりで
ひたすら放浪を続けます。
彼女の居場所は見つかるのか、
やはり元の家しかないのか、
答えは僕にはよく分からなかったですが、
他人に流されない自分を貫く主人公の生き様に
感動しました!
ロードムービーという位置付けのとおり、
劇中は多くのアメリカ絶景が出てきます。
それを大画面で見れただけでいい気持ちになれます。
失ったものをどこか探し求めてる、それを何かで埋めようとか、新しい居...
失ったものをどこか探し求めてる、それを何かで埋めようとか、新しい居場所とか、もしかしたらまた会えるんじゃないかとか、そんな感情が作品から溢れ出ている気がします。
なんていうか物って捨てられないんだよね。
自分で手を加えたり、長く使ってきたものって思い出や愛着出てくるから手放せないのはわかる。
それこそ愛する人と一緒に住んでいたときの家財を処分するなんて本当に辛いし、無理だ。
自分も最近の断舎利ブーム?で結構物捨てるので捨てちゃえばいいのにって思うけどやっぱり捨てられない!
賃貸ガレージ?取っておいた物を捨てたときは何をおもったのかな。
そういうタイミングがくるまでってやっぱり時間が必要だと思う。
思い出のあるものって時には足かせになってしまうときもあるし、バーって全部捨てて身軽になりたいって思うときもあるけど、一方で帰る場所があってそういう物に囲まれてる空間(家)ってのもすげー嬉しい事なんだよね。
この作品はそういう要素が良い感じのバランスで描かれていると感じた。
変わり果てた社宅の裏から見える景色はどう映っていたのか。
夫と一緒に住んでいたときとは違って見えたのかな。
デイヴや姉に一緒にくらそうって言われても断り、ノマドでいることを選んだことに答えのひとつがあるのかもしれない。
あとAmazonね。いやなんとなくはわかるんだけど現実味もあるんだけど、心の中でAmazonで働く描写に少し引いた(笑) ほんとにちょっとだけ。たぶん何かに期待してみちゃってるのか。
あとあれだスマホあれば世の中だいたいなんとかなるんじゃないかとすら思えてくる。
GPSとか使えるテクノロジーは使いまくって何かを探すなり空いた穴なりを埋める。死んじゃいかんし、ある程度の保険は大事。
アナログとデジタル、バランスよく付き合って生きていきたいな。
もう少し死に近づくか、死を意識するような体験があるともうちょい共感できたりするのかな、と思ったりもした。
人生に対する老いと孤独について、問題っていう認識じゃないけど、問いかけや自分なりの答えを探すのは難しい・・・。
自分はしないけど、これも1つの生き方
アクションとかサスペンス、アニメ、アドベンチャー系などが好きなので、
ドキュメンタリー風なタッチの映画なら見ないつもりでいたんですが、アクセスランキング上位に来ていて気になり始めて鑑賞しました。
ある程度レビューも読んでいたので、淡々と主人公の生き様が描かれていることは分かっていて、「起承転結が無い日常をただ描いているのは逆にどうやってこの映画を終わらせるんだろう?」とそこに興味が湧いてきました。
おそらく伴侶を無くした場合、高齢だと体力的な問題もあって大抵はその家から完全に離れられる人は少ないでしょうけど、
いつまでも伴侶のいない家から、景色だけは変わらずそこに残っていることに耐えられない時、もしまだ体力があるなら、
「伴侶がいた時は見たことが無かった景色を見ることで、伴侶のいない空虚な気持ちを和らげる旅」に出ることを、主人公は選んだのかもしれないな、と思いました。
きっと伴侶がいた時の、同じ砂漠の景色を、同じ窓から自分1人だけ見ていることに、主人公は耐えられなかったのかもしれない。
でも、現実的には自分ならその都度稼ぐ旅暮らしはしないし出来ないだろうな、と思いました。職を転々と変えるということは、ふらっと立ち寄る人でも出来る仕事ということ。つまり来年もまたAmazonとか、今年短期就職した場所に、年齢が上がってもまた雇ってもらえるかは不透明。そして来年になり年齢が上がるほど、立ち仕事とか掃除の仕事もある程度体力が必要だし、雇う側になればなるべく若い体力のある人を雇うと思う。
そんなに、年に何回も就職活動しなきゃいけない生活はしたくない。それは無理。なんとか出来る職を見つけたら、なるべくそこに長く留まりたい。
主人公は臨時教員にもなってた。それなら教師を続けたらいいのに、安定してるのになって思ってしまいました。まぁ、最初から勤務年数が決まってたのかもしれないし、本人が永続勤務を希望しなかったのかもしれませんが。
多分、80歳とかになったらいくら車が運転出来てもAmazonとか倉庫のピッキングとかの仕事は就職出来ないと思うし、年金以外に仕事もするとしても、もう少し体力的になんとかなることを探さざるを得ないと思う。
ただ、伴侶が無くなったあと、人によっては子どもが先に他界した場合などで、どうしてもそのまま今の家に留まり続けることが精神的に辛すぎる時、
ある程度体力がある人は、気持ちを落ち着かせるために、完全な答えが見つけられなかったとしても似たような辛い境遇の仲間と出会う中で、自分なりに喪失感や空虚感に折り合いをつけるための1つの手段として、
3年だけ、とか期間を区切って放浪の旅に出るのは悪くないのかな、と思いました。
私は映画を見たりするために少し家を出るのは好きだけど、やはり終わったら家に帰りたい。布団とお風呂とウォシュレットのトイレが無い生活に何年もいたら、そのほうがストレスで無理です。何を見ても伴侶を思い出すとしても、その中でどうやって1人で生きるかを全力で探したい。その日暮らしはしたくない。
ふと、亡くなった祖父が、祖母を亡くして15年以上気丈に暮らしていたことを思い出しました。それまでしていなかった台所に立って孫の私の為に時間がかかってもお好み焼きを作ったり、祖母と一緒に通った近くの畑にも行っていて、多分祖母との思い出を辿りながら、そのままその家で暮らしていたのかな、と思いました。
でも、映画として、これも1つの生き方なんですよ、と提示したことは理解しました。人はみんなそれぞれに違うので、自分なりを生き方を見つけられたらいいんじゃないかな、と思います。こういう切り口の映画は初めて見ました。
喪失感の埋め方
その昔(か、ちょっと前か)にミニマリストという生き方が取り上げられていて、住まいこそあれど、必要最低限の物だけで生活する若者が話題になっていた。
あまり予備知識や先入観を持たずにこの映画を鑑賞することにしたので、単に都会の喧騒や物質主義から離れるために、最低限の必要物資だけで放浪生活を送る人の話かと思っていた。
物語が進むにつれわかってきたことは、愛する人、大切な人を失った後、どのように自分の人生を過ごすか、がこの映画のテーマなのでは、と個人的に思った。
誰かのために生きてきた人が、パートナーを失った後、自分の人生に生き甲斐を見つけるのは容易ではないだろう。
この映画のように、キャンピングカーでの生活は、なかなか日本人にはイメージしにくいが、過去の生活や思い出に一度訣別して新しい人生を模索するためにどう生きるか、という点では大きなヒントとなるだろう。
大きな事も起きないが、ジワジワくる。
夫が亡くなり、夫が働いていた工場も閉鎖、それに伴い町も閉鎖され、家を失ったファーン。
キャンピングカー暮らしを始めて田舎を転々とする。そこでいろんな人に出会うという話。
その中で一緒に住もうと姉や季節労働で知り合った同僚に言われるものの、それをことごとく断る。
それは亡くなった夫との思い出を大切にしたいから断っていたことが分かるものの、それを尊重し助ける周りの人々。登場人物はほぼ本名で、ロードムービーとドキュメンタリーの間といったところ。
日本では住まいを持たず、ホテルや共同生活を転々とする若者がよく取り上げられるが、アメリカではリタイアした世代が社会から置いてけぼりにあい、ノマド生活をするケースが多いようだ。ただ、年を重ねるたびに、病気のことや体力低下などノマド生活に支障が出てくる。それとどう向き合うかというのもこの映画のテーマの1つだといえるだろう。
ハウスレスという生き方
物に溢れている現代社会の中で、この作品中に出てくるノマドたちは自然を愛し、目に見えないものを信じながら日々を生き抜いている。彼らにとって車は自分の身体の一部であり、地球自体がホームなのではないか。じゃあこの映画はその生き方を賛美しているのかというと、そういう訳でもない。物に執着をしてしまう社会を構成している会社の一つでもあるAmazonでの仕事にノマドたちが携わっていることにも皮肉的な意味合いを感ぜざるを得ないほか、経済やお金とは無縁という様子でいながら、いざバンが故障してしまったとなると、不動産で稼いでいる妹夫婦に頼っていくという矛盾点も赤裸々に描き出している。私たちは時に『自由』に憧れを抱くが、それを真の意味で手にするためには様々な代償が付き物であり、アウトサイダーであったとしても完全に自分と社会を切り離すことはできないのだという現実をも突きつけてくる作品。観る人の年齢・バックグラウンドによって、かなり評価は分かれるのではないか...。本当のノマドを起用した効果でもたらされているリアリティや、物語全体に続く円環構造など、本作品の作り込まれ方には目を見張るものがあるが、個人的には物語自体があまり刺さらなかった。もう少し歳を取ってからまた見直したら変わるのだろうか...。
家を持たず車で生活する人々を遊牧民(ノマド)ととらえて描いた作品。観る人によって、感じ取るものに違いが出る作品なのかなという気がします。
ノマド。遊牧民。
現実の生活とはかけ離れた世界。
だからなのか、その言葉を聞くと、
胸の内に憧れにも似た想いが
沸き起こるような、そんな気がします。
そんな自由な生活を送る人々の話なのだろうか と
勝手に想像し鑑賞してきました。
で
想像していたのとは、ちょっと いや
だいぶ違ったような気がします。
◇
主人公の女性、名前はファーン。
年齢不明。 (老齢の入口に差しかかったくらい? たぶん)
夫と暮らしてきたが、働いていた工場が閉鎖 …。
住んでいた家も立ち退かざるをえず
車上生活者となります。
この作品では、
彼女の車上生活者としての生活が
淡々と描かれていきます。
同じ生活スタイルの仲間たちとの接点も
描かれなくはないのですが
人生の重大事と呼べるようなイベントは起きません。
人生の終盤に差しかかった主人公を描いた
ロードムービー。
そんな作品に感じました。
◇
昔教え子だった少女に
今はホームレスなのかと訊かれた主人公。
彼女はこう答えます。
「ホームレスではない。 ハウスレスなの。」
定住する家。 それは、無い。
共に暮らす者。 それも居ない。
家は無くとも、帰る場所はある。
彼女は、そう相手に伝える。
それは、
自分自身にも言い聞かせている言葉なのかも
そんな風にも聞こえました。
この作品に登場する人たちは
ほぼ全て高齢の人たちです。
アメリカという国のある一面を描いた作品
そんな印象も受けました。
◇
人によって
受け止め方や感じ方作品の評価など
全てに差が出そうな作品なのかもしれないと
そう感じます。
人生これから上り坂の人と
折り返し地点を過ぎた人 (私はこっち☆)
この作品に共感できるのは
おそらく後者なのだろうと思います。
観てすっきりするタイプの作品では無いですが
色々と考えるきっかけにはなるかも
そんな作品でした。
◇あれこれ
ノマド生活の彼らは、 「さよなら」 を口にしません。
皆の元から立ち去る時に口にするのはこの言葉。
「また会いましょう」
これにはとても共感。
再会の見込みがなくとも 「またね」 がいいですね。
もう一つ
仲間の一人が病のために命を亡くし
それを知った皆が、焚き火の中に石を投げ入れる場面
生前の約束を果たす訳ですが
ここも心に残りました。
◇最後に
車が壊れたら、
彼らはどう生活していくのだろう などと
そんなことも考えていました。
動かなくなった車の上で踊るのかしらん なんて
⇒ それはラ・○・ランド…(汗)
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
囚われ
会社が倒産して町ごとなくなり、ノマド生活が始まったことはわかるが、なぜ定住しないのかはなんとなく終盤までわからない。
理解者である妹や好意を寄せてくれる男性とその家族。暖かいベッドや不自由しない生活がすぐそこにあるにも関わらず、彼女がノマド生活にこだわるのは、彼女にとって過去の夫との狭い社宅での生活のみが還る場所だったのだ。そしてそこから見えていた荒涼とした風景に似た場所が唯一彼女が生きて行ける場所なのだ。
彼女にとってのノマドとは、自由を求めて等ではなく囚われて抜け出すことの出来ない生活なのだと感じました。
自分の価値観と向き合う作品
ファーンの飾らない旅を覗かせてもらったようでした。
止むを得ず車で暮らす者たち、、そんな話ではなかったです。
勉強して、安定した仕事を見つけて、働いて働いて
お金を稼いで家に帰ってご飯を食べて寝る
一般的な幸せに思います。
生まれた瞬間から死へのカウントが始まっている
分かっていても保険だらけの人生を歩みます
日本に馴染みのないノマド
訳あり、苦労人、はじかれた人かと思いきや
望んでこの暮らしをしている人々もいました
自分という人間を生きたい
命を燃やしているように思いました
自分の知識のなさ、価値観の狭さが恥ずかしくなりました
私たちが屋根の下にいる間に
ノマドの人々はこの地球で起きている奇跡を日々、
目の当たりにして出会うこともなかった人と出会い
言葉を交わして時には物々交換して仕事をして
またどこかで笑顔で再会する
現実的に、日本でこれをするのは難しい
子供がいたら尚更
馬車馬のように働いて、
働けなくなれば野に捨て放たれる
このような人が沢山いるのだと思います。
頑張った人には幸せが待っていてほしいです。
何が幸せか何が大事か何を思って生きるか
ある程度の自由があるこの時代に
残されたあなたの人生、どう生きる?
と今この時代に生きる地球人に投げかけられたような
スクリーンの中で完結しない作品でした。
ある日、大切な人を亡くす
この世界のどこを探してもいないけど
自分の中にあるその人との思い出は大切にしたい
そうしたいと思えました。
焚き火を囲んでノマドになったきっかけを話すシーンがとても良かったです。
一度きりの人生、納得のいく生き方を。
車旅、景色の綺麗さにつられたけど期待と違ってた
予告動画が綺麗で、キャンピング的な面白いものや、心が穏やかになるものを期待していましたが、
内容は期待外れでした。
見終わった後ちょっと寂しい気分でした。
日本でのキャンピングカーは、老後の楽しみのような一種贅沢な趣味という括り。
この映画は、家を持たず(持たざるを得ず)期間工などで稼ぎしながら、生活している
高齢の方々のドキュメントに近い作品という印象でした。
ある企業が無くなると、街一つ捨てるようにして人々が消えてしまう
キャンピング施設でなく、広々とした荒野でヒッピーみたいな人々が集まれる放置された場所がある。
アメリカ、広いなーと驚くことばかり。
ちょっといいなと思ったシーンは、
ある女性が亡くなって、皆で焚き火を囲むシーン。
いわゆるお葬式よりもこちらの方が素敵でした。
生き方、暮らし方は人それぞれ
キャンピングカーで旅をする。
私が老後にしてみたいことの一つだ。
そのイメージは持家があり、旅はあくまでも観光主体の趣味であって、生活ではない。
未亡人の主人公のファーンは、家を手放し家財を倉庫に預けてバンで旅に出る。Amazonや季節労働をしながら生活費を稼ぎ、定住しない自由気ままな車での生活。
行きたい時に行きたいところに行く。
多くのノマドと会い、仲間も得るが、皆戻る場所を持つノマドが多かった。孤独を感じた時、寄り添う相手の側での定住を選択しなかったファーン。
高齢で車上生活をしていくことの本当の厳しさを経験しながらも、最後に倉庫の家財も処分し、完全なノマドとしての生活を選択する。ファーンの後ろ姿はどこか達観しているようだった。
美しさの中にある"何か"を感じる為の作品
本年度アカデミー賞 作品賞 受賞作品。
経済不況によって長年住み慣れた家を失った女性がキャンピングカーで旅をしながら再出発し、そこで出逢う人々との交流をアメリカ西部の広大な自然を背景に描いていくロードムービー。
率直な感想として、とても素晴らしい作品でした。
従来のロードムービーは人と人との交流や友情などに重点を置き、そこにある感情を読み解くことで共感を得るのがスタンダードであるが、本作はその交流や感情に重きを置いてはいない。代わりに自然の美しさや雄大さを余すところなく前面に映し出し、失った"何か"を探す旅のなかで、人間という存在がどれほどちっぽけなものかを感じさせてくれる作品に思えた。
更にストーリーを進めていくと、主人公のファーンが探しているものは実は見つからないのではないか、"何か"とは形としてあるものではない"何か"なのか、自然の美しさが目立つ前では何もかもが小さく見えてしまい、そもそも探している"何か"というもの自体ないのでは?と考察が膨らんでしまった。私の映画知識の中でそれはとても新鮮な体験で、観る者にそういった感情を抱かせてくれるのも新鋭クロエ・ジャオの手腕なのではないだろうか。旅を重ねていく中で、沢山の人との交流のなかに様々な思いを感じ取っていくファーン。そこに明確な答えはなくとも、それぞれがこの生活に誇りと自由を持って生きていることに感化されていく彼女がまた美しく画面に映っていた。
ラストも明らかな答えというのはない。だが、その答えは観る者に委ねられる。この後、ファーンはどのように生きていくのだろうかと考察することでこの作品は美しく輝くのではないだろうか。
ノマドという生き方
切ない…
ホームレスではない、ハウスレス。
家は心の中にあるもの。
ノマドを敢えて選んでいる人たちは、目的があって、群れない強さを持っているように見える。
ファーンは善き人。
だれとでも仲良くなれ、自分から偏見なく相手と関わろうとできる。
けれども、とこに行っても最後までみんなを見送る人。
彼女には、目的がないから?
きょうだいもいて、手を差しのべてくれる人もいるのに、そこに甘えようとはしないファーンの心にあるものが、最後の風景なのかもしれない。
ただただ、切ない。
一人になることが怖いわけではないけれども、ひとりの世界を突きつけられたような静寂。
ファーンを自分と重ね合わせて、あらためて隣に座っているパートナーの横顔を見つめてしまった。
ダブル・ミーニングとしての「ノマド」
まず初めに注意したいのが、本作は非常に注意力を要する映画だということです。
「会話」によって話が展開されていくため、散漫にスクリーンを眺めていてもストーリーの内容や面白みは頭に入ってきません。台詞を聞き漏らさないような意識が必要です。また、主人公であるファーンの家族や生い立ちについての情報が段階的に伝えられるため、序盤でここを聞き逃すと、ファーンの葛藤という本作のテーマが理解しにくくなります。
ストーリーは起伏が無いように見えますが、ファーンの内面における葛藤は映画後半に差し掛かるにつれて大きくなります。衣食住に困らない生理的充足を思い出す中で、それでも亡き夫との思い出を積んだヴァンでの車内生活を選びます。その意志の裏には「夫の生きた証を残すため」と語っており、過去の思い出を支えに生きるだけの「弱い女性」でなく、辛い車内生活を引き受けてでも亡き夫に愛を注ぐ「強い女性」としてファーンは描かれています。「夏のような」女性でしたね。
(愛についてのテーマは指輪や詩についての会話などで深められます。)
本作は「自然」もテーマにしており、美しい景観を撮った映像が何度も出てきます。しかし同時に、人間も含めた「自然」の美しくない側面(肉食の犠牲になる動物や排泄物、老いや死など)も前半を中心に描かれており、「映画」としての美しさと「ドキュメンタリー」としての説得力を兼ね備えた作品になっています。資本主義(文明化)の負の側面から逃れる「(漂流民としての)ノマド」な生き方が決して理想的で気軽なものではなく、当事者にしか分からない苦しみがあることを本作は代弁してくれていると言ってよいでしょう。
本作における「ノマド」とは「物質的および精神的な漂流」だと読み取れます。それは主人公のファーンが物質面での居場所であった家屋と、精神面での居場所であった夫を失っていることにあります。ちなみに私は東京の狭いアパートで一人暮らしをしています。私の生活は決して「ハウスレス」ではないですが「ホームレス」とは言えるでしょう(映画レビューを書いているのも寂しさゆえです)。孤独死が問題視されるように、今の日本に住む私たちにも決して無縁ではない作品なのでは、と思った次第です。
アメリカ再生の静かなるファンファーレ!
エンタメ、劇場系、総ロックダウンという歴史的な状況下のアメリカにおいて、果たしてこの作品を映画館で観たひとがどれほどいたのかなど予想もつかないが、これだけは言える。一本の作品の95%以上のシーンに主演が映り続ける。これを映画と呼んでいいのか?同時に世界中の多くの俳優が羨ましがる「フランシスじゃ仕方ないか」と。
アメリカの光と絶望をみてきた世代が「誇り高き『ハウスレス』」を活きる姿に涙があふれた。
「また砂漠からはじりゃいいのさ、俺たちアメリカ人は!」そんな新たなる再生の宣言と思えた。
こんな生活だけはしたくない
映像の美しさだけで映画作品としては素晴らしいけど
作品を見ただけで
車中泊生活者たちを幸せそうだとか、金に縛られない自由な人たちだとコメントしている方々は
あくまでも自分たちはこんな生活をするような人間にはならないと言う
経済的な保証を得ているからなんでしょう
排泄はどうする?
バケツを地面に置いて踏ん張るんだぜ!
その後は?穴を掘って埋める?
バケツは洗うのか?
それともそのまま使い続けるのか?
キャンピングカーだって維持費もあるだろうし
車が故障したらお姉さんにお金を借りたいなんて電話してるし
縛られていないようでも
結局は金がなくて困ってるじゃねーか
作品としては素晴らしいけど
もし、注文をつけるとしたら
一般的な暮らしをしている人から見た
ノマドに対する本音が垣間見えるような場面があったら良かったかな
序盤で主人公がスポーツショップで昔の知り合い親子と偶然に会うシーンがあって
主人公が昔、学校の代理教員をやっていて
目の前に大きくなった教え子と
思い出話しをする場面
自分だったら主人公が去った後に
娘が母親に
『先生、体臭きついね』とか言って
車中泊生活者ってこんな風に思われているんだよと
決して幸せに満ち溢れている訳ではないって演出があっても良かったかな
とにもかくにも
ノマド的生活なんてやめた方がいい
一生懸命働いて、貯金して
好きなもんたらふく食って
そしてまた働いてがんばろう
ノマド生活なんて
週末キャンプで充分味わえるんだから
魂が選択した孤独
もしかしたらファーンは子どもも亡くしているのかな、と思いました。ノマドをやめた彼の家に行き赤ちゃんを抱いている時、居心地が悪そうだったから。
もちろん経済的な困窮もあるのだけれど、彼女は信念を持ってこの生活を選んでいるのですね。近くに教会があると聞いても行かないし。
パートナーを失ったばかりの人にとって、カップルで暮らしている人を間近に見るのは、つらいということもあると思う。これは体験した人でないと分からないでしょう。だから姉の家にもいられない。
借り物のベッドを出て、自分の車の寝床に横たわった時のファーンの表情が好き。ここが自分のホームだ、という顔です。
ホームレスじゃなくて、ハウスレスよ
もっと孤独に坦々と、キャンピングカーで放浪するのかと思いきや、、、
夫との思い出が残る古い車にも、買い替えより修理を望み、色々と手を加えて愛着が強く感じられました
朝のコーヒーも、周りの人に声かけて、振る舞ったり。
でもお節介で、思い出のお皿を壊された時は、しっかり怒り、その場はシャットアウト。
欠けたお皿をボンドでせっせと修理する癒し的な時間。
残雪ある寒々とした元炭鉱の街と、ノマドの人達と夜の火を囲む集まりとの温度差の違い。
サンタクロース似の長のひとの言葉が良かった!
息子の自殺の理由や対象を憎まず、ただ悲しみを乗り越えるのは、自分の行いが供養だと。
ラストシーンに流れるピアノ音のBGMも、切なくて優しい。
なかなかの一大決心と覚悟はいるし、誤解もされるけど、強くて温かみのある話しでした。
あ、若い男子に親は心配してないの?とか詩を伝えるシーンも良かったです(*^_^*)
映画の底力を観た
スゴイ映画を観た印象。
ドキュメンタリーのロードムービーは退屈な絵になりがちで、人が絡んでくるとカメラを意識して素人は下手な演技になりがち。リアリティを追求すると隠し撮りみたいな画面構図になるが、ノマドランドはまさに映画。
アマゾンに依存するノマド生活者の話はニュースにも取り上げられているので知っている人も多いと思うが、日々の実情にこれほど迫った映像はないのでは。
広大なアメリカの大自然の美しさは添え物で、何より凄いと思ったのが終盤のノマドサークルのリーダーと主人公の対話シーン。ただのドキュメンタリー映像ではなく、映画として構図やカット割りを抑えながら、出演者はベテラン俳優と勘違いしてしまいそうなセリフや表情を見せる。
盛り上がる音楽や、演技者の過度な叫び、わめき、アクション、顔芸に慣れた人にはピンとこない場面かもしれないが、まるで奇跡の瞬間に立ち会ったような気がした。
こんな映画が興行として成り立つことに、アメリカ映画産業の底力を見たような気がする。
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