ノマドランドのレビュー・感想・評価
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結局、生きるためには拠り所が必要
いい映画だと思う、一方、寝ちゃう映画でもある。
脚本と編集がいいんだろう。最初の1時間は、ノマドという生き方をなんとなく理解しつつも、実際はこんなに苦悩があるんだ、っていう知識欲で観ていける。
でも、ノマドなのに結局、一年間を通すとルーティンであることも表現されていて。
ノマドな人たちは「さよなら」を言わない、この言葉に尽きるんだと思う。過去に経験した大きな喪失が、彼女たちをノマドでしか生きられなくしたんだろう。
いまの生活を考え直すきっかけにはなる映画です。
見応えのある作品
驚くべきは、キャストのノマドの人々が俳優ではなく、本物だったことだ。
確かに彼らの存在感はあまりにもリアルで、怖いぐらいに切実で、それと同時に、それぞれに一人ではあるが孤独ではなかったし、貧しくても誇り高い存在だった。
再三映し出される神秘的なマジックアワーの空の色がとても印象的で、アメリカのダイナミックさと圧倒的な自然美に加えて、正直何かしらの残酷さを感じずにはいられなかった。
妥協できないものを胸に秘め、覚悟の上で旅を続けるノマドたちは、美しくも厳しい自然の中で懸命に生き、そして土に還るように静かに死んでいくのだろう。
それが幸せでないとは限らないということを、私はこの映画で初めて知ることになった。
異文化理解な映画。
4月5日@TOHOシネマズ梅田
レイトショーで鑑賞。
車中泊で生活をしていく女性のロードムービー。
私の知らないアメリカの姿を観ることができた映画でした。
アメリカの地方の厳しい自然や職業事情に触れることができてよかったです。
日本ではないことですが、アメリカでは会社が倒産すると街ひとつがなくなることも珍しくないようで、冒頭からカルチャーショックでした。
この映画を観て印象に残っているのは、ファーンが元教え子に「先生はまだホームレスをしているの?」と聞かれ、「ホームレスじゃない、ハウスレスだ」と答えるシーン。
日本ではノマドという存在自体メジャーではないので、違いがわかっていませんでした。
インターネットで調べてみたところ、ハウスレスは家はないが人とのつながりは残っている状態で、ホームレスは人とのつながりすらなくなっている状態を指すよう。
映画でも、ノマドは車ひとつで生活しているが、彼らの家族やノマド同士は繋がり合っている。
その精神的つながりが彼らを生きる方向へ導いているように見えました。
ノマド同士の交流を描いているシーンは心地よく感じましたが、高齢者がメインのノマドが亡くなっていくシーンで急に現実に引き戻されました。
「また会おう」というセリフが響きます。
ところで、ファーンという人物が最後まで読みきれませんでした。
高齢で、夫は先に亡くなり、お金もない、ノマド。
一見すると悲惨ですが、本人はノマドという生き方を、せざるを得ない状況とはいえ、気に入っているようで、姉妹やノマド卒業仲間から一緒に暮らそうと誘われても、退屈してしまって、結局ノマドに戻ってしまう。
最後には亡き夫の荷物を処分する様子もあり、少し理解が難しい心情描写でした。
異文化理解という観点で、面白い映画でした。
魂が選択した孤独
もしかしたらファーンは子どもも亡くしているのかな、と思いました。ノマドをやめた彼の家に行き赤ちゃんを抱いている時、居心地が悪そうだったから。
もちろん経済的な困窮もあるのだけれど、彼女は信念を持ってこの生活を選んでいるのですね。近くに教会があると聞いても行かないし。
パートナーを失ったばかりの人にとって、カップルで暮らしている人を間近に見るのは、つらいということもあると思う。これは体験した人でないと分からないでしょう。だから姉の家にもいられない。
借り物のベッドを出て、自分の車の寝床に横たわった時のファーンの表情が好き。ここが自分のホームだ、という顔です。
F・マクドーマンドの人生が結実したような一作。
『ファーゴ』(1996)や『スリー・ビルボード』(2017)の主演など、順調にキャリアを積んできたフランシス・マクドーマンドの集大成的な作品です。特に『スリー・ビルボード』のミルドレッドと本作の主人公、ファーンの人物像には(単にマクドーマンドが演じているというレベルには留まらない)明らかな連続性があります。
ファーンを通して見るアメリカの風景は確かに荒涼としてはいても美しいのですが、より印象的なのはマクドーマンドの淡々として、何気ない演技。キャンピングカーで調理をし、少し遠方を眺めるように視線を向ける。たったそれだけの動作なのに心を掴んで離しません。『スリー・ビルボード』で何もかも失い、すさんだミルドレッドの心象風景が、このキャンピングカーを取り囲む環境だとしたら、その中で自分なりの生活を確立しているファーンは、救済を得たミルドレッドではないか、と思えてきます。
彼女の演技がこれほどまでに印象的なのは、彼女が本作に並々ならぬ情熱を傾けていることが大きく影響しているでしょう。本作の監督であるクロエ・ジャオの起用も自ら行い、製作にも携わるほどです。
本年度のアカデミー賞作品賞候補は、『Mank/マンク』や『ミナリ』、『シカゴ7裁判』など良作が揃っていますが、本作も是非健闘して欲しいです!
ホームレスじゃなくて、ハウスレスよ
もっと孤独に坦々と、キャンピングカーで放浪するのかと思いきや、、、
夫との思い出が残る古い車にも、買い替えより修理を望み、色々と手を加えて愛着が強く感じられました
朝のコーヒーも、周りの人に声かけて、振る舞ったり。
でもお節介で、思い出のお皿を壊された時は、しっかり怒り、その場はシャットアウト。
欠けたお皿をボンドでせっせと修理する癒し的な時間。
残雪ある寒々とした元炭鉱の街と、ノマドの人達と夜の火を囲む集まりとの温度差の違い。
サンタクロース似の長のひとの言葉が良かった!
息子の自殺の理由や対象を憎まず、ただ悲しみを乗り越えるのは、自分の行いが供養だと。
ラストシーンに流れるピアノ音のBGMも、切なくて優しい。
なかなかの一大決心と覚悟はいるし、誤解もされるけど、強くて温かみのある話しでした。
あ、若い男子に親は心配してないの?とか詩を伝えるシーンも良かったです(*^_^*)
映画の底力を観た
スゴイ映画を観た印象。
ドキュメンタリーのロードムービーは退屈な絵になりがちで、人が絡んでくるとカメラを意識して素人は下手な演技になりがち。リアリティを追求すると隠し撮りみたいな画面構図になるが、ノマドランドはまさに映画。
アマゾンに依存するノマド生活者の話はニュースにも取り上げられているので知っている人も多いと思うが、日々の実情にこれほど迫った映像はないのでは。
広大なアメリカの大自然の美しさは添え物で、何より凄いと思ったのが終盤のノマドサークルのリーダーと主人公の対話シーン。ただのドキュメンタリー映像ではなく、映画として構図やカット割りを抑えながら、出演者はベテラン俳優と勘違いしてしまいそうなセリフや表情を見せる。
盛り上がる音楽や、演技者の過度な叫び、わめき、アクション、顔芸に慣れた人にはピンとこない場面かもしれないが、まるで奇跡の瞬間に立ち会ったような気がした。
こんな映画が興行として成り立つことに、アメリカ映画産業の底力を見たような気がする。
旅に出るという終活
寂しくないのかな。。。
自由なようで決して自由ではない。
またね
女性ジャーナリスト、ジェシカ・ブルーダーが実際にノマドとして生活している人々を取材し書かれたノンフィクションである『ノマド 漂流する高齢労働者たち』が原作のほぼドキュメンタリーのようなロードムービー。
ネバダ州エンパイアで暮らしていたファーン(フランシス・マクドーマンド)だが、リーマンショックによる不況のあおりにより、石膏採掘で栄えたエンパイアの町がまるごと閉鎖されてしまい、仕事も家も同時に失ってしまう。今は亡き夫との思い出と家財道具をキャンピングカーに積み込み、ファーンはノマド(放浪者)としての生き方を選択する。
『イージーライダー』を始めとするアメリカン・ニューシネマの世代がシニアとなり、まだ放浪しなきゃならんのか。過酷すぎますが、ある意味、自由を求めて放浪する精神は通じるものがあるのかもしれません。
渋すぎるフランシス・マクドーマンドと、デヴィッド・ストラザーン以外の出演者は実際にノマドとして暮らす人々である為、言葉のひとつひとつがずっしりきました。
思い出は生き続ける(生々流転)
ラスト手前で、ようやく安堵出来た。
「思い出は生き続ける」「私は少し引きずり過ぎたみたい」
この2つの台詞にまで辿り着かないならば、私にとってこの映画は星3に留まるところだった。
数年間の流浪を経て、その域が見えるようになった彼女の漂泊は、これまでとは違う意味をもつものとなるであろう。
高齢者を放り出すような資本主義・末期症状への意見表明は、この映画のメインテーマではない。(でも、もしかしたら原作者はこのテーマ重視かもしれないな)
登場するノマド生活者の大半は「尊厳の為に生き方を選び、かえって自分自身を傷つけている」と感じた。
自分の意思で選んでいるはずなのに悲壮感が漂っているのだ。
おそらく彼らにとっての「恥ずかしくない家・暮らし」のイメージがあるとして、それを実現出来ないから、それくらいならば誇りを守る為にノマドを選ぶ。そのような印象を受けた。
(ただし、ボブとスワンキーは違う!この2人は非常に達観している。)
大多数のノマドは、帰れるものならば家(ホーム)に帰りたいのだ。経済的理由、または、家族とのわだかまりなど何らかの理由があり、仕方なく車をホームにしているのだ。
「困窮し、仕事の為に放浪せざるを得ない」のと、
日本の兎小屋みたいな狭い賃貸で
「保証のない短期バイトで口を糊する」のと、一体どれだけの違いがあるというのだ。
日本の独居老人の心に過(よぎ)る様々な想いも、彼らと大差ないだろうと思う。
だから「車上生活」「定住しない事」もメインテーマから除外する。
私自身は、明日からノマド生活を送れ、と言われたらすぐにも出来る自信がある。(出来るだけ最小限の装備で1〜2週間野営するのは好きだ。仕事が許せばいくらでも続けられるだろう。高規格は大嫌いだ。)
あんな大きなバンなど要らない。
2シーターでも構わないくらいだが、アメリカを想定するならば、1回の給油で500km以上は走れる車が欲しい。
シートが出来るだけフラットに近くなるならそれでいい。ダイアルはいちいち手間だからレバーが望ましい。
スペアタイヤ、ジャッキ、ブースターケーブル、牽引ロープは必需だ。
大体、自分でタイヤ交換やバッテリー交換、オイル交換程度出来ない人間は車自体を運転するな!と、割と本気で思っている。
ボロってのは汚れや凹みの話じゃない。塗装剥げを放っておいたら、そこからどんどん錆びて金属腐食するじゃないか。
食費など月に1万円あれば味、栄養、素材、共に充分まともな料理ができる。
学生時代は仕送り無し、塾講師で稼ぎながら月8万円で暮らしていた。家賃4万、食費1万、その他雑費すべてで3万だ。TVや電話は置かなかった。
同世代がバブルの恩恵で、六本木で踊りまくっていた頃だ。今みたいに100均などないから物価はかえって高かった。
だから550ドルの年金では暮らせないと言われても、あと500ドルも稼げればなんとかなると思ってしまう。
作品に登場するノマドの暮らしが過酷だとは微塵も思えないのだ。
電気は最低限でいい。
排泄?街中の日中なら、大型店などでどうとでもなる。何もない荒野なら、キジ撃ち、お花摘み、これまたどうとでもなるだろうよ。(ただし、適切な知識があれば。その地点における自然分解までの日数予測が出来るくらいであれば問題ないだろう。)
父から貰った皿、思い出の写真。
「思い出の品」は記憶を辿る鍵にはなるが、それをよすがにしていると過去に捉われる。
ヒロインよりも更に厳しい出来事によって「形に残るものすべてを失った」人がどれだけいる事か。
まぁ、これは実際に失ってみなければ、吹っ切れない事かもしれないが。
だから、皿が割れたシーンは本作の大切な要素だ。
多くのノマド生活者が「高齢者」である点は作品の肝だ。
ファーンも膝の痛みを抱えていた。
若い頃とは違う。気をつけていても身体のあちらこちらに故障が出てくる。いざという時に経済的理由で医療を受けられないのは流石に看過出来ない社会システムの大問題だ。
しかし、最も重要なメッセージは
「思い出は生き続ける」ではないだろうか。
喪失の悲しみは深い。
けれど高齢者であれば、誰しもが大きな喪失を経験しているものだ。
生々流転。
すべては移り変わっていく。
サウスダコタの累層に眠る化石たち。
はたまた、数万年前の姿を見せる星々。
この世に留まるものは一つも無い。
悠久に見える地球や宇宙も、星々の時間スケールで「生まれ、育ち、老いて、消えていく」
そして消えた星の残滓から、また新たな星が生まれていく・・・。
その大いなる変化に目を向けたなら。
世界の黄金律を感じ取ったならば。
失った大切な人を嘆く必要はないのだ。
すべては移ろいゆくのだから。
定住と流浪を比較する必要もないのだ。
土地はいったい誰のものだ?
人間が決めたに過ぎない法律で家と土地を所有したところで、拠り所の国そのものが揺らげば、頼りない小舟に乗っているのと大差ない。
その境地に達した時、ようやく旅は漂流ではなく漂泊となるのではないだろうか。
勝手な個人的解釈だが
「漂流・流浪」はいつか落ち着ける先を探しながら、それが見つからずさまようイメージ。
「漂泊」は、この大地すべてが家であり、この大空すべてが天井であり、自分が眠るすべての場所が寝床であると考えるようなイメージだと思っている。
ラスト手前のボブとファーンのやり取りこそが、ジャオ監督の描きたい本当のテーマだと感じた。ラスト20分。それまでのモヤモヤした気分を打ち砕く、素晴らしいホームランを放ってくれた。
夫と暮らした思い出の家と街を失い、漂流するファーンをカメラは追い続けた。新たな出会い、気付き、葛藤を積み重ねる中、ファーンの精神は「大自然の摂理」に晒されて、次第に純度を増していく。余計なものが流れ去り、漂泊(漂白)の境地を垣間見た時から、新たなファーンの旅が始まった。悲壮感や惨めさとはおそらくもう彼女は無縁だ。ノマドとして、笑顔で生き続ける事だろう。
ラストシーンで走り続けるファーンの胸に去来する想いは、きっとそれまでとは違うと、そう信じる。
とても綺麗な映画
somethingを求めて
作品鑑賞中思い出したのは、若い頃少しだけ傾倒した寺山修司的な人生観。辛いことや絶望の淵にあっても、少なくとも前を向いて行こう。振り向かず前進しよう。少なくとも何かがある。それが何かは分からないけど、nothingではないのだと。
特にストーリーは無く、セリフもあまり多くはない。でも飽きることなく間延びすることもなく最後まで鑑賞できた。美しい景色とセリフに頼らない俳優達の演技が素晴らしかった。最後のボブの言葉が不自然ではない答え合わせのようになっていて親切に感じた。
ところでパンフレットが販売されていなかった。鑑賞した作品は必ずパンフレットを購入することにしているのだけど、こんなことは初めてだった。
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