「存在証明の根拠」ノマドランド つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
存在証明の根拠
ノマドの人々の暮らしや望みなどを大量消費社会と対比させながら描き出す本作は、ドキュメンタリーのような映像とフランシス・マクドーマンドの好演により中々見ごたえのある良作だった。(眠くなった人も多いようだが)
クロエ・ジャオ監督はMCUの「エターナルズ」も観たけれど、何でも撮れる人ではなさそうだ。本作のような地味なしっとり系だけが抜群にマッチするように思えた。
ノマドの人々と大量消費社会の対比とすでに書いたが、過剰な消費をしないノマドの人々は、特に大量消費社会を毛嫌いしているわけではないし、むしろその社会の隅っこに間借りしないと生きられないことろが面白い。共存している感じだろうか。
ほとんどのパートをこの対比であり共存でもある描写に費やしているが、物語の焦点となるのは、なぜノマドをしているのか?である。
人によって理由は様々だ。過去から逃げたい人、縛られる生き方を嫌う人、目的のためにあえてそうしている人、他に選べることがなかった人。
そんな中で、フランシス・マクドーマンド演じる主人公ファーンの理由とは?が物語の軸となる。
多くの人はアイデンティティの証明に血統か土地を使う。誰々の息子誰々とか、どこどこの誰々などだ。日本の時代劇が分かりやすい。〇〇藩井坂兵庫が嫡子左門、などと名乗るのがアイデンティティの証明だ。
では、ファーンのアイデンティティの根拠とは何だ?。ファーンは、この土地と、夫の妻であったことがアイデンティティの根拠だった。
しかし、住んでいた町は町ごと消滅。夫は亡くなってしまった。
それでもその残骸にしがみつこうとする行為がノマドなのである。
人によっては古いアイデンティティを簡単に捨て新しい自分になれるのだろうが、ファーンはそうではなかった。
町を捨てることは夫との思い出を捨てる行為のように思えたかもしれないし、それを捨てることは自己の消滅を意味したのかもしれない。
物語は、過去のアイデンティティの消滅を恐れるファーンに、新たな拠り所が生まれるものだ。
新しい自分を鮮明に描けるところまできている。あとはほんの少し手を伸ばすだけ。
彼女の選択は曖昧なままエンディングを迎える。今までの選択の再確認なのか、過去との惜別なのか。昔、夫と二人で暮らしたであろう廃墟となった社宅から外へ出ていくファーンの姿は、何を選んだとしても、とても尊いものに見えた。