アイダよ、何処へ?のレビュー・感想・評価
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守るべきは秩序か、家族か。
1995年、ボスニア紛争にて起きたスレブレニツァ・ジェノサイドを通し、家族を守ろうと奮闘した、国連平和維持軍の通訳女性を描いた作品。
ボスニアの街、スレブレニツァがセルビア人勢力に攻め込まれ、国連平和維持軍施設に逃げ込もうとする住人達。そこで通訳として活動するアイダは、逃げ遅れた家族をどうにか施設に入れようと大佐に掛け合うが…。
家族だからといって特別扱いはできないという軍側とアイダのやり取りをメインに、ハンガリー勢力に踊らされるオランダ軍、そして哀しき大量虐殺の様子まで見せていく。
ともすれば、自分の立場を利用し家族を特別扱いしようとするアイダの姿は必ずしも良くは映らない。とは言え、命がかかっているとなれば、手段は選べないよな…。オランダ大佐も軍人なら勇敢にあってほしいものだが、上層部から見放され、ハンガリー将軍に迫られ…う~ん。
不都合な状況も通訳として伝えなきゃいけないアイダの立場も辛い。大佐の命令を住人に伝えた時の悔しそうな表情と言ったら…。
そして史実の通り、最悪の展開へ…。重苦しすぎる沈黙と恐怖。。
家族を探す女性たちの姿…。見つかることか、見つからないことか、どちらを願うのか。
胸が張り裂けそうになる展開。
全うすべき仕事と家族、そして秩序(そもそも秩序なんてあったもんじゃないか…)。色々なものを秤にかけながら、観客側の心もグラングラン揺らすような作品だった。
1995年なんて、全然昔の話じゃないですよね。まだ子供だったけど、自分が普通に生きていたあの時にこんなことが起こっていたなんて、悲劇的事実であると同時に、勉強不足だなぁと改めて思った。
岸壁の母
観れて、知れてよかった
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の1ピース
1992年から95年に渡るボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。
テオ・アンゲロプロスの傑作『ユリシーズの瞳』で廃墟と化したサラエヴォを見てから何年経っただろう。冬季オリンピックの記憶がまだ鮮明だった頃なので、誰もが『何故』と思ったはず。
その疑問に答えてくれたのも映画だった。この20年で欠けていたパズルが埋まっていくように感じた。
今作はセルビア人によるボシュニャク人の何度目かの、そして最大のジェノサイド/大量虐殺を描いた。国連が指定した安全地帯での出来事だった。知るべき歴史があった。
国連軍の通訳として働く女性アイダが家族を守ろうとして奔走する場面が多く、作品としては説得力を欠いたか。自分の家族だけでも助けたいと思うのが真実なのだろうが。
【国際社会として考え続けなくてはならないこと】
このスレブレニツァの虐殺の首謀者であるムラデイッチは、虐殺が明らかになり、国際指名手配されると、身を潜め、逮捕されたのは2011年。
裁判後、終身刑が言い渡されたのが2017年。
刑が確定したのが、今年、2021年だ。
ただ、僕が、この作品を観た第一印象は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にスレブレニツァの虐殺を起こしたセルビア人を非難したり、憎しみを募らせようとしたというより、なぜ、こうした悲劇が起きたのか、人々に考えてもらいたいというメッセージの方が強いんじゃないかということだった。
双方に過激思想のグループがいて、歯止めは効かなくなる。
こうした連中は、一部の会話からも分かるように、大概、民族至上主義的な考えをバックグランドにしている。
ソ連崩壊前、ユーゴスラビアは、特にチトー政権下では、複数の共和国からなる多民族の理想的な社会主義国だと考えられていた。
しかし、ソ連が崩壊すると堰を切ったように民族至上主義が台頭し、複数の共和国に分裂するにあたり、領土を奪い合ったり、殺し合いを始めたのだ。
第一次世界大戦前までは、いくつかの少数の大国がヨーロッパを支配し、特に東欧の民族は過度に従属的な状況に置かれていた。
しかし、この大戦後、ウッドロー・ウィルソンが民族自決を提唱し、東欧に多くの民族国家が誕生した。
その後、これを逆手にとって、侵攻や支配強化を行なったのがアーリア民族至上主義を掲げたナチスであり、第二次世界大戦後は、共産主義とロシア民族思想が強く結びついたソ連だった。
イデオロギーと民族思想が補完し合う関係になったのだ。
だが、こうしたイデオロギーが後退すると、歯止めが効かなくなるのが民族至上主義だ。
世界は、ソ連型社会主義の崩壊で歓喜したが、大きな問題の種は残ったままだったのだ。
そして、機能しない国連。
常任理事国をソ連に代わってロシアが引き継いでしまった以上、容易に国連軍のミッションにゴーサインは出るはずもない。
東欧が混沌としてくれた方が、ロシアにとって都合が良いことはあるはずだ。
(以下ネタバレ)
この作品はおそらく二つの課題を世界に突きつけているように感じる。
民族至上主義はリスクだということと、国際的な組織が機能しにくい状況に陥っているということだ。
そして、ソリューションは一つしかないのだと。
その答えは、最後の遊戯の発表会の場面。
多様な民族の子供たちが小さな両手で顔を覆ったり、開いたりしている。
世界は多様性を基本とすべきだと伝えたいのだ。
信じがたく見えるのは無知だから?
独立、支配、報復
1995年7月にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時に行われたスレブレニツァの虐殺と、家族を救おうとして通訳女性の話。
国連が安全地帯としたスレブレニツァの街とオランダ軍の駐留するUNの基地がセルビア軍に包囲された状況から話が始まるけれど、ここまでの背景や状況の説明は無く、知らないと判りにくいかも。
という自分も後にジェノサイドと認定された8000人を超える虐殺があったぐらいの浅い知識しかなかったからネットで調べてから観賞しただけだけど。
UNの通訳として働く元高校教師のアイダが、自身の家族を護るべく奔走する姿をみせていくけれど、あまりにも自身の家族さえ助かればという思いを強く感じる。
その親としてのアイダの言動は痛いほど理解出来るし、自分でもそうするだろうし、これがリアルなんだろうけれど、映画としてはアイダをメインとしてタイトルにまでして奔走する様をみせる意義があったのかと疑問が湧く。
とはいえ、民族主義の行く末の一つの形として、知るべき映画としてとても響いた。
背景が分からないと理解できません。
旧ユーゴスラビアで起きた住民虐殺事件を取り扱つかった映画。国連軍の通訳をとして働く女性主人公が、夫と息子達を何とか虐殺から免れさせようと必死に動きまわるが、、、、。
国連軍の何と頼りないこと。日本人にある国連軍信仰を見事に打ち砕いてくれると感心する。
女優さんが一緒懸命演技しているのはわかるが、私の心に響いて来ない。なぜ、なんだろう。日本から遠い東欧で起きたことだからだろうか。
オン・ザ・リスト
「私たちはリストに載っている」。そう必死に主張するアイダの姿に尽きる映画だった。
まさか身内贔屓(ひいき)がテーマとは。
あらかじめネットで簡単に調べたが、詳しい予備知識は必要なかった。
難民、国連軍、セルビア人の三者を描くためには、アイダ(と夫)は絶好の立場にいる。
しかし、彼女の立場を通して、戦場の混乱と悲劇の「現代史」を描き出すというよりは、その“特権的立場”を使って、もがく女性の「個人的なストーリー」にすぎなかったのは残念だ。
ただ、センシティブなテーマゆえに映画で描けないことがあり、また、監督のインタビューを見ると各方面からの協力も得られなかったらしく、いろいろと制作には制約が多かったのだろう。
だから、個人的な範囲内にストーリーを収めざるをえなかったのかもしれない。
セルビアに騙される難民、無力な国連軍、弱腰なNATO。
“再現ドキュメンタリー”と言っても良いリアリティは、素晴らしかった。
タイトルなし
1995年7月
ボスニア·ヘルツェゴビナ スレブレニツァセルビア人によって占拠される
2万5000人に及ぶ住人たち
保護を求め国連基地に集まってくるが…
ボスニアヘルツェゴビナ紛争中
実際に起こったスレブレニツァの虐殺
ヤスミラ·ジュバニッチ監督が
家族を失った沢山の女性たちから話を伺い
彼女たちから聞いたことに
事実を組み合わせ
女性の視点から描いた作品
この悲劇を経験したあと
彼女たちは言葉や行動においても憎しみを表現するということはなく
復讐をしようとしなかった
ただ
真実を知ってほしいという思いだけ
.
セルビア人にとってはヒーロー視された
スルプスカ共和国軍の司令官たち
残虐行為などで罪が確定したのは
2000年代になってからという
約8000人の男性や少年が殺害された
スレブレニツァ虐殺
この映画は
この悲劇を知らない人たちに
多くのことを伝えている
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