アイダよ、何処へ? : 映画評論・批評
2021年9月7日更新
2021年9月17日よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
歴史は繰り返す。ドキュメンタリーよりも強力に喪失感を呼び起こす衝撃作
第93回アカデミー国際長編映画賞にボスニア・ヘルツェゴビナから出品、ノミネートされた「アイダよ、何処へ?」は今みるとさらに辛く感じる。劇中、スルプスカ共和国軍から逃れるためボシュニャク人が国連の難民キャンプの門に群がっている様子は、実際のニュースで流れていたカブール国際空港で飛行機に群がりタリバンから逃れようとするアフガニスタン人たちの様子と酷似しているからだ。この映画で描かれるのは90年代半ば、国連が大量虐殺から住民を守る人道的な防衛手段を提供できなかったという史実であり、本作の15年前に公開された「ホテル・ルワンダ」とテーマを同じくした姉妹品ともいえる。
アイダは難民キャンプで働く国連の通訳者で、オランダの国連大佐トーマス・カレマンスのアシスタントである。スルプスカ共和国軍が迫る中、国連の平和維持軍は、海外の上層部の無関心や休暇による支援の欠如に手を焼いていた。アイダは仕事の合間に、難民キャンプから締め出された夫と二人の息子たちをシェルターに入れようと躍起になるが、その間に平和維持軍は共和国軍のラトコ・ムラディッチ将軍の要求に屈してしまう。将軍はキャンプに潜む反逆者の戦闘員を探すため、キャンプの中に入れるよう要求したのだ。平和的な申し出を装うため飢えた難民にパンを投げ込む彼は、実在する人物とは想像し難いほど最低な悪役として描かれる。
大量のエキストラを投入した本作は、400万ユーロというわずかな予算では考えられないスケールでスレブレニツァの大虐殺を描き出している。さらに驚きなのは、観客が1995年のヨーロッパで起きたこの大量虐殺のエピソードを知らないかもしれないということだ。今のところ、メジャー映画の題材にはなっていない。実際に起こった悲劇を映画として再現した本作は大きな喪失感と衝撃を呼び起こし、おそらくドキュメンタリーよりも強力で実感のあるものになっている。
映画の最後には現代の設定に飛び、平和なボスニアでアイダは学校の教師としての仕事に戻っている。我々は近代化した異文化コミュニティを日常としてとらえているが、表面下にある恐ろしい記憶や喪失を知っている。「アイダよ、何処へ?」は言葉だけでは言い表せないほどの恐ろしい歴史を映す襲撃的な作品だ。そして、歴史は繰り返す。最近のニュースを見ても、この教訓は非常に重要だ。政治的、戦略的な理由が何であれ、世界の国々が紛争から救いの手を引けば、そこで悲劇は起こる。