私をくいとめてのレビュー・感想・評価
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モノクロームの自分にどんな色をつけるのか?
人生の岐路に立つ、男女の拙さ、辿々しさ、焦燥感がコミカルで軽快に小気味良く描かれていて良かったです。
大瀧詠一の歌の通り、
モノクロームの自分にどの色をつけるのか悩ましい様が何とも懐かしく新鮮に見えました。
潰そうとしても潰れない、のんとトランプ大統領
作品として評価すれば星三つ。
しかし独立問題の嫌がらせで民放テレビに出られない状態が
未だに続いているのんを応援したくて満点評価にした。
この芸能界の異常性に誰も声を上げない。
下手に擁護したら自分も干されるのではとの恐怖感があるのだろう。
「新聞記者」で正義を求める記者と結局自己保身をする官僚が描かれた。
正義を貫くことがいかに困難か。
のんは古いしきたりに支配された巨大な芸能界と戦っているのである。
同じく巨大な闇勢力と戦っているのがトランプ大統領だ。
公正な選挙なら潔く負けを認めると言っている。
しかし誰がみても不正選挙は明らかである。
マスコミは闇勢力の一員なので決して真実を伝えない。
長いものに巻かれるのは簡単だがそれでいいのか?
女性の心情を上手に描いてみせた佳作
とても文学的で、どこか哲学的な作品である。大九明子監督は今年9月に鑑賞した映画「甘いお酒でうがい」に続いて、都会でひとり生きる女性を生き生きと描き出した。「甘いお酒でうがい」の主演は松雪泰子だったから、妙齢に達した女性のある種の達観のようなものと、年齢に関して感じる引け目や消極的な態度があったが、本作品では、それよりも10歳以上若い30代という設定の主人公だから、自分の年齢に対する捉え方が若干異なっている。しかしところどころで現れる乙女の感情は共通している。女性というものは幾つになっても心は乙女のままなのである。
主人公みつ子は、恋人もいないのに派手でエロティックな下着を持っている。のんがそういう下着を身に着けているシーンがあれば更にリアリティが増したと思うが、流石にのんにはそこまでの覚悟はなかったようだ。27歳ののんは見かけが若すぎて、31歳のみつ子を演じるのは少し無理があるような気もしたが、最近の31歳の女性はかなりの割合で20代に見える人が多いということもあるから、これでよかったのだろう。それに本作品は主人公の内面を描く文学的な作品だから、見た目よりも演技力が問われる。
「甘いお酒でうがい」では松雪泰子演じる主人公佳子がモノローグで自分の日記を語る形式だったが、本作品はみつ子が心のなかに設定して昼夜会話をしているAとの自問自答で行動が決まり、生き方の方向性が決まっていく。Aは自意識そのものだから、Aと会話している限り、恋に落ちることはない。自意識は落ち着いた部分と落ち着かない部分があるから、その落ち着かない部分をのんの台詞が担当し、落ち着いた部分を中村倫也のモノローグが担当した。
自意識も含めて、意識は脳の働きの数万分の1でしかない。脳の殆どの役割は無意識にある。喜怒哀楽も恋も憎しみも、すべて無意識の働きだ。みつ子は自意識が強すぎて、無意識に自分を任せることができない。喜怒哀楽から遠くにいて平和な日常を送ることができるが、ときに自意識が暴走して失敗することもある。無意識の領域である性欲や食欲の情熱も感じていて、食欲のために自分で料理をしたり、ひとりで焼肉を食べたりするが、内なる乙女が求める恋のロマンスは押さえつけている。
自意識がみつ子の幸せの邪魔をしていることは間違いなく、自意識が顔を出さなかったローマでは、親友との旧交が温まることに感動する。幸せな涙である。しかし日常に戻ると再び自意識との問答の毎日となる。理性は意識によって自意識をコントロールすることで、それができるようになることを大人になると言うのだが、みつ子は自意識が肥大しすぎて暴走する。
自意識が暴走してしまうのは思春期に発現する自意識の急激な膨張をうまく乗り切れなかったせいだ。反抗期がなかった人は、大人になっても自意識が肥大したままでいることがある。みつ子はまさにそれだ。幸せは意識でなく無意識の領域だから、自意識の肥大しすぎたみつ子には幸せは来ない。誰かに自意識の暴走を止めてほしい。それには無意識の領域である恋の情熱に身を任せるしかない。多田くんはみつ子の自意識の暴走を食い止めることができるのだろうか。
みつ子のような30代女性は日本にかなりいると思う。自意識が肥大したおかげで保守的になり、人付き合いも苦手だから、あまりお金を使わず溜め込んでいる。異性にときめきを感じることもあるが、自意識の警戒心が強すぎて基本的に誘いを断るから、恋に落ちることはない。安全で安心で平凡な日常だが、それに満足しているわけではない。本当は冒険をしたり恋に落ちたりしたいのだが、一歩を踏み出せないまま年をとっていく。こんな人生は嫌だと感じているが、どうしても勇気がない。都会に暮らす微妙な年齢の女性の心情を上手に描いてみせた佳作だと思う。
のんさんの演技がめっちゃ凄かった!
アラサー女子の内面を垣間見られた作品
【自分との向き合い方】
こんな感じで、孤独な自分と向き合えたら、割と前向きで、もしかしたら楽しくいられるかもしれない。
時として、ほくそ笑んでみたり、大声を上げてみたり。
みんながみんな、上手いこと世の中を渡って行ったり、人付き合いが得意なわけではない。
前に観たスイスアーミーマンも、あれはもう一人の自分自身のことなのだと思ったが、このAは、自らも肯定するように、みつ子そのものだ。
自分にも、Aとは違うけど、これに近い内なる存在がいる。
友達とか恩師とか、昔付き合ってた彼女とかの集合体のような存在だ。
誰にも内緒だけど、確実に一人の時に、僕の独り言に付き合ってもらう。
おひとり様じゃなくたって、ぶつくさ言ってみたくなることはあるさ。
なんか、観た後、安心感に包まれるような映画だった。
のんさんと、林遣都さん、臼田あさ美さんも、なんか良かった。
『勝手にふるえてろ』に負けることなく力量を発揮❗️
愛がなんだ
勝手にふるえてろ
いなくなれ、群青
以前、この三作を個人的な〝自意識過剰三部作〟としていましたが、この作品も負けず劣らずの素晴らしい出来でした。
人はいくつになっても、分かっちゃいるけどもう一歩踏み出せないこと、とか、本音とは違うことを言ってしまい後悔すること、そんなことばかり繰り返して生きてます。
それが若い時ほどダイレクトに自己嫌悪の感情に繋がるから厄介なんですよね。
人との距離感の取り方も本当に難しいと思います。
なんでもひとりでやってるほうが楽なのに、ふとした時に、なんだかものすごく寂しくなる。
そういう経験が多い人ほど、本を読んだり、映画を観たりするのが好きだという人の割合が高かったりもするわけで。
あー、この感動を共有したい、こんな素晴らしい物語を味わって欲しい、などと思っても、その気持ちを分かち合える人がそう簡単に身近にはいなかったりして、もっと寂しくなる。
このような情緒面での作用が一般論だと言い切る自信はありませんが、個人的には少なからぬ人に存在すると思ってます。
『勝手にふるえてろ』も凄かったのに、その水準を落とすことなく次作でも見事に自意識との葛藤を描き切っていてビックリです。
過剰演出感も所々あったが、、、
女のひとってとても根深い
「勝手にふるえてろ」の大九明子監督作品なので、観てみた。作風は同じような感じで、監督名をみなくても大九監督作品だろうなと想像できそうだった。独白が単調になりそうなところを、Aという自分の分身を相手に置くことで工夫している。
映画づくりの基本はという教科書的な物言いで、”映画は映像で語るべき、主人公の独白は避けるべき”というのがあるけれど、この映画のテーマではそれを破った方がおもしろいという実証。重くならずに、コミカルで、映像も真面目に切り替わらずにあちこち飛ぶようにつながり、こころの表と闇を描くところは大九監督の真骨頂。
のんの演技も効いている。どこにでもいそうでいなさそうな朴訥な清涼さと、闇を一緒に抱えてそうな独身女子。カットも主人公の佳境な演技のときはぐっと寄りでとらえていて効果的だった。独身女性に共感を呼びそう。
期待しすぎた
タイトルなし
手の平の上でコロコロされまくりました(๑˃̵ᴗ˂̵)
綿矢りさ×大九監督、幸せな化学反応
「勝手にふるえてろ」以降ファンになった大九作品が、今年はコロナ禍にも関わらず二本もみれるなんて!
綿矢りさ原作と出会い幸福な化学反応を起こしてブレークした感がある大九監督だけど、
独身女性の心情のもやもやを映像表現として吐き出すテクニックは「勝手にふるえてろ」以降の作品群でも健在で、コンビを組んでいる撮影の女性カメラマン中村夏葉さんとのコンビネーションも本作では至高の域に達していました。(中村さんの映像は、女性がホントに美しい光で撮影されるし、美しくない女性の内面にも遠慮なくグイグイカメラを向ける事が出来るのは、中村さんの抜群の手持ち撮影でしか実現出来ないのではないでしょうか。)
大九作品 綿矢りさ原作は、まだまだ観たいですね。
「ウォークインクローゼット」「しょうがの味は熱い」「かわいそうだね?」あたりの独身男女の機微を描く小作品は「勝手にふるえてろ」の続編として間違いなく傑作になりますね!
でも、個人的に1番映像化でみてみたいのは「手のひらの京」。
京都を舞台にした三姉妹の話で「海街diary」の京都版的作品で、京都人の裏表のある性格描写が綿矢作品らしくて好きな作品。これは是非オール京都ロケで大九監督に撮ってもらいたい。
女優も、松本穂香、永野芽郁、中条あやみなどの若手は続編的にも主演として見てみたい。
伊藤沙莉、門脇麦、波瑠、
安藤サクラ、吉高由里子も綿矢りさ作品に間違いなくはまりそう。
とまあ、期待と妄想が膨らむ幸せな化学反応、綿矢りさ原作にも大九監督にも来年も楽しませて頂きたいです。
のんちゃんは良かったです
嘘じゃない。
AはAnswerのA --- 現代人にささる。最初の方はなんのことだか分からない・見えないことが多すぎるのとクセが強すぎて、置いてきぼりをくらいそうになっていた。けど結果それすらも最初から意図的な掴みだったと感じさせる力強いストーリーテリング。主人公の内世界を表象するように高カロリーなプレゼン方法には好き嫌いこそあれど、ここに嘘偽りはないと思わせてくれる。戸惑うし順応するのに時間がかかるけどそれが自分。現代社会の生きにくさ、とりわけハラスメントなど女性性におけるそれ。
おひとりさま --- なんなんだろう、あの人間じゃない生き物みたいなかわいさ。だから、そんなのんがこんな現代人っぽい拗らせて色々と抱え悩む役という点で、正直違和感を覚えないでもなかった。けどそんなものは見ていく内に掻き消されていく。いや、むしろそれすらも武器・魅力にしちゃうみたい。僕自身がそうだから身につまされるように感情移入してしまったが、一見"陽"でもあれこれと考え込んでしまう一喜一憂を体現する。只者じゃないし表現に愛されている。
『勝手にふるえてろ』の大九監督(×錦矢りさ原作)が手掛けた監督ワールド全開炸裂な精神的姉妹分のような作品で、『この世界の片隅に』に続くのん主演の傑作(を運命づけられた本作)。…というテアトル系列メインだった気がする両作品あったことを思うと納得させられるヒューマントラストシネマ渋谷の登場。なんだこの勢いと異物感、引き込まれてしまう。キャッチーじゃないけどパワフル。のんは天然色、のんをくいとめて……!こんな作品がもっとあっていい、けど恐らく他に続くことはできないだろうな。そんな唯一無二さとリアルすぎてたまに目を背けたくなるような個性。よろしく頼みます。
前作と比べて・・・。
どうしても同じ大九監督、綿矢りさ原作の「勝手にふるえてろ」と比較してまう。のんは好きな俳優さんだけれど、やはり演技力では松岡茉優には到底かなわない。演出も「勝手にふるえてろ」のような自意識過剰な女子の脳内の妄想が炸裂して、シーンが連なるようなポップさがなかった。方向性なく不発な演出を重ねて何となく終わってしまった感じ。残念。
のんの演技に引き込まれる
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