旅立つ息子へのレビュー・感想・評価
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父親の心の移ろいが、実にしみじみと味わい深い
どちらかというとスローな映画だ。冒頭から瞬時に観客の心をかっさらう事はない。とりわけ父親は、息子への慈愛に満ちた表情とはまた違い、人との間に少し距離を置く性格のよう。デザイナーとして名を馳せた仕事も、それからプライベートの面でも、何かとこだわりが強く、ついつい意固地になってしまいがちだ。そんないろいろあった彼が息子と共に放浪しながら「いま、ここ」を見つめる数日間。それに合わせて我々も、少しずつ、その内面や過去をうかがい知ることとなる。この一歩一歩が非常に味わい深い。そして自ずと理解できるのは、この人は決して器用ではないものの、それでも懸命に、実直に歩んできた人なのだ、ということ。あの”映画スター”の名前がこれほど胸に響くのも、我々観客と共に築き上げられた関係性の賜物だ。息子からの目線をこれほど凝縮させた言葉は他にないだろう。ラストシーンに交わされる会話がまたいい。しみじみとした余韻が残る。
一言「親離れ、子離れは難しい」。
自閉症スペクトラムの息子を、施設に入れたくない父親が。
2人で逃避行という、ロードムービー。
ずっと2人で暮らしてきた親子。
「俺は息子のために、最善の選択をしてきたんだ」と自負する父。
だけど時々、「同世代の一緒に過ごした方がいいんでは?」と思わせる描写。
父親はどう決断するのか。
その時が終盤いきなり起こってからの、ラストが切なかった。
私は親にはならなかったけど、この父親の気持ちはわかったなあ。
でもいつかは親の方が、先にいなくなるんだよね。
冒頭から息子か時々、チャップリンの「キッド」を見ているシーンがあって。
途中なるほどね、という小物遣いもありました(知らなくても大丈夫)。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「あなたには、わかるのね」
ありきたりではありますが
少し前に本作と同じイスラエル映画の『靴ひも』を鑑賞したので、母親ではなく父親と障害を持つ息子の物語にしているのが時代の流れを感じました。ありきたりな物語ではありましたが、カメラや地中海の風景は好きです。
子離れ
自閉スペクトラム症の息子を持つ父親の子離れ物語。
アハロンは息子のウリを愛しており、彼しか理解できないことも多い。しかし話が進んでいくと、アハロンの行動に疑問が生じてくる。単なる一鑑賞者の部外者で、ウリの症状にも詳しいわけではなくて、反論できないのももどかしい。
でも多分親の愛なんてそんなものだ。
なるほど、イタリア合作。
なるほど、イタリア合作。
旅路のペーソスはそこから来てましたかー。
夜勤明けで映画館へ滑り込み、上映開始 ―
眠くなるかと思いきや 中盤からは前の座席の背もたれにガッツリしがみついて鑑賞。
半ば中腰になって(ほとんど立ち上がって)僕はエンディングを見ていました。
まさかのエンディング。
パパと一緒に、僕も言葉を失ってましたよ。
「どうかどうか“最悪の事態”になりませんように」と、祈っていたので。
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父親と母親と、アハロンの弟の演技がとてもいい。家族の七転八倒をちゃんとすくい取ってくれている。
家族ならではの苦悩に寄り添う映画だ。
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若い頃、特別養護老人ホームで介護職をしていたんです。
「ここは現代の姥捨山なのか」と自問自答もしながら。
だって、お年寄りの半分は面会も一切ありませんでしたからね・・
でもあと半分は、しげく家族が遊びに来ていました。
認知症の夫や妻、親や祖父母を、とうとうどうにもならなくなって、泣く泣く手放し、でも「おお、施設の利用も有りだったのだ!」とわかった家族たちです。
ホームで働く絶大な意義を感じました。
うちのおばあちゃんがそうだったので。
自閉症の子の家庭教師も経験ありです。
専門家があなたを助けます。
相談して下さい。助けを求めて下さい。
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【 שָׁלוֹםシャローム 】
こんにちは、さようなら、あなたに平和がありますように。
ヘブライ語はちょっと勉強したので、そこも嬉しい映画でした。
題名でネタバレしているような気がするが、そんなことも気にならない一作。
本作同様、自閉症スペクトラムを扱った作品としては、『レインマン』(1988)などがよく知られていますが、『レインマン』は自閉症に対して強い共感を示した画期的な作品である一方で、そうした特性を持った人々を一種の「特殊能力者」として描いてしまうという、時代的な限界も含まれていました。それに対して、ニル・ベルグマン監督が描く父親と青年の描写は非常に現実的かつ繊細です。それだけに幾つかの描写は、物語上の出来事であるにも関わらず観客側に直接突き刺さってくるような鋭さがあります。青年とその両親の関係についての具体的な説明はほとんどなく、ちょっとした会話や仕草にその断片が示されるのみです。そのため、父親がどのような仕事をしている(していた)のか、妻との関係は、といった疑問もまた、物語の先を知りたいという牽引力となっています。
父親と息子の旅は、ポスターに描かれているような、いかにも爽やかで疾走感のあるロードトリップとは無縁の、悪戦苦闘の連続なのですが、そのギャップを受け容れられるかどうか、とりわけ息子への愛情はあるがちょっと独善的な父親の言動を受け容れられるかどうかで本作の評価は大きく分かれそうです。
邦題やポスターのキャプションで既に結末が分かってしまうような気がするんですが(原題は"Here We Are")、結末において青年の成長を、ごく僅かな仕掛けで鮮やかに見せるベルグマン監督の演出は、最初からじっくりと鑑賞していた観客だからこそ心打たれるものとなっています。このごく短いショットのために物語を紡いできたことが明確に分かる、見事な演出です。
作品そのものやその背景についても丁寧に解説しているパンフレットは読み応えがあります。
わからんでもない
イスラエルの障害者政策や障害者に対する社会の理解はどんなものか知らないが、この父親の愛情は万国、普遍的なんだなあと思う。しかし息子と別れたくない父親の気持ちも分かるし、母親の気持ちも分かる。母親はなんか冷たい印象で描かれているけどね。
結局、息子は新しい環境に適応する。あるあるなんだけど、それを受け入れた父親の変化も素晴らしい。
最初の一歩
自閉症スペクトラムの息子と、彼を施設に入れるか否かで葛藤する家族を描いた物語。
息子を守れるのは自分だけだと言う父親と、本人の為にも施設に入れるべきだと主張する母親。
両方の気持ちを理解できつつも、コレだという正解の見つからない問いかけ。そんな中で、ウリや両親の心の移り変わりがよく描かれた作品である。
脇を固める人物とのサイドストーリーもグッド。
昔の同僚の女性、「ほっとした」の一言、アハロンにはどう響いただろう。。
それも肯定する彼の優しさに胸が締め付けられる。
弟さん、アハロンからすれば複雑かも知れませんが、彼の陰ながら応援する姿・・・あんた漢だよ。。
そして奥さん。人の所為にしたり癇癪をおこしがちなのも、子を真剣に思うからか。それでも、やはりアハロンには勝てないということに歯痒い思いを抱いていたのでしょう。
クライマックスにいくまでが案外アッサリだったので、そこまでの道筋がもっと描かれていたら・・・と思いつつも、ウリだけでなく、送り出す親の成長物語もしっかり堪能できた作品だった。
本当はウリも色々とわかっていたのかな。
アハロンの寂しさはやるせないけど、ボタンはささやかな救い。
自閉症スペクトラムの子も、そうでない子も、同じように親のことはよく見ているんですね。
これは父の巣立ちの物語だと思うんだよな。
本作、演者さんたちが素晴らしいです。
特にウリ役の方の演技がすごいです。僕は、役者の方ではなく、同症状の方をキャスティングしたのか?と思ったくらいです。この演技あってこその本作かな?って思いました。ほんと素晴らしかったです。
さて、心に染み入る作品でしたね。
みんな一生懸命に親を兄弟を子を思ってるんですよね。歩調や、タイミングや、強さや、やり方が異なるだけ。目的は一緒なのに、もどかしいですね。
愛情あるからこそ、真剣にぷつかっちゃう。
そんな衝突の中ガンガンと突き進んできた父親の「巣立ち」の物語かな?って思いました。
子離れってこととは、微妙に違うかな?って思います。やってることは息子への干渉に見えますよねー。他者に渡したり任せたりするのは信頼できない。自分が最高のサポートをするんだ、、、と。
※以下、ネタバレしてるかもしれませんから、ご注意くださいませ※
父はなぜ仕事を辞めてまで献身的に介護していたのかなー?と疑問に思いました。あくまで僕の推測ですが、
父は息子に凄い負い目を感じてるんじゃないか?と思うのです。愛情以上の負い目を。
電車の向かい側に座った男性の行動に対する眼差しは、世の中の偏見に対する憎しみにも似てます。それは、自身も偏見があるからこそ、他者が同じこと考えていると思っちゃうのではないでしょうかね?
彼はウリのためといっていますが、自身の負い目を払拭したかったのでは?なんて思います。
だからこそ、病があっても何ら周りに迷惑をかけることがないようサポート、介護し不自由を取り除きたいう意識が強かったのではないでしょうか?また、父は一線級のクリエイター、芸術家肌です。息子のサポートも彼にとっては自身の作品のごとく、多くのこだわりの結果であり、故に他者の意見について排斥していたのでは?なんて思います。
ニッチもサッチもいかなくなり遂には逃げてしまう。締め切り間に合わず現実逃避しいなくなる漫画家みたいじゃないですか?
後半の父の感情の爆発=全然気持ちの整理ができてないってこととヒステリーですよね、追い込まれてしまって。
もちろを。ウリへの愛情はあります。ありすぎるくらいに、しかし父にとってウリの生活と言う作品はまだまだ未完成だったのではないでしょうか?
そんな父をウリは感じてたんじゃないかな?だから、尊重してきたんじゃないかな?そんな父に、もう僕は充分完成してるよ。父が120%もとめてるところ、80%でも大丈夫だからと、そっと父の肩をポンポンして背中を押す、そんなラストシーンだったのではないかな?って思います。
もう、充分だよ、負い目なんて感じなくていいんだよ、と父の呪縛を解き放ってあげた、他者を知った成長したウリの姿だったのでは?
そんなとこまて考えるウリは父が大大大好きなんだろなー。
父の巣立ちの物語じゃないかな?
こんな背後の厚みを作ったんじゃないかなー?
旅立つ息子へ、って邦題でいいのかな?なんて、勝手に思ってます。
良作です。
子離れ
偏屈な父親が、自分の信念を曲げずにいたため、子離れ出来ずにいた話、ある意味、父親自身、共依存があるのかなとも思えた。父親の息子ウリに対する過剰な行動はうざかったからだ。
自閉症の息子役の演技が上手くてびっくりした。
こだわりと、音への過敏性、でも、自分の好きな音楽は大音量なのね😩そして歩き方。
電車の乗り換えシーンで、ダダをこねてへたり込み、靴を投げて興奮し泣き出した演技、施設入所後何週間かぶりで父親会った時、身を委ねて仔犬の様に頭をこすりつけ、父に対しての絶対的な信頼を持っていると現した場面。さまざまな親子の情を現していたし、
最後、父がウリにサヨナラを言ったシーンは、お互いの成長を現していたと思う。
外国映画を見る時の私の楽しみは、ストーリーだけでなく、その町の風景・雰囲気、室内の様子は勿論、食べ物などが見られる事だ。
弟夫婦と食事するシーンでは、奥さんが魚の姿焼きを食べようとしていたのが印象に残った。海の美しさ、イスラエルと聞けば、当然あるような、軍服姿や、超正統派が出てこない‥しかも、現金よりもキャッシュレス、葬儀の雰囲気、バス内の様子。そんな様子が見られて、旅に行けない今、思いを馳せながら見られた。
星形パスタとチャップリン
「レインマン」「アイアム・サム」等、名作多しジャンルに素晴らしき親子が誕生した
…田舎町でのんびり暮らす元超一流のデザイナーの父アハロンと自閉症スペクトラムで体は大人でも心は子供の息子ウリ
切羽詰まった2人の逃避行なのだが時に微笑ましくユーモア満載な珍道中に心が和んだ
かけがえのない存在のウリとのいずれ訪れるであろう子離れが中々出来ないアハロン
やがてウリ自らが父からの卒業の「ボタン」のスイッチを押す…
それを見届けるアハロンの表情と佇まいが感動的でした
近代的なビルに穏やかな港と柔らかな日差し溢れるビーチ…
知らなかったイスラエルの風景ににも魅了されました
チャップリンが大好きなウリ役ノアム・インベルの目を見張る素晴らしき演技に頭が下がった👏
お父さんの失恋
自閉症の息子ウリと父親アハロン、あうんの呼吸で生活する2人の絆は深く、まるで恋人の様な距離感が印象的。
カラッとした青空の下、チャップリンの映像と音楽と共にのんびりと穏やかに過ごす、とても良いシーンだ。同時に他者を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。
施設に入る話から展開して、世捨て人のアハロンの過去が描かれはじめると、息子に全てを捧げる良い父親の印象は変わって行く。
アハロンの失恋の様で切なかったが、お互いに自立する為の希望のあるさわやかなラスト。
ここで、共依存だったんだなとあらためて感じた。
ラストシーンの万感迫る表情に胸を打たれる
簡単に言うと父と息子の旅を通じての成長物語である。ただ息子が自閉症であることと、離婚した妻がやたらに権利を主張し、ことあるごとに夫を非難することで、様々な困難が生じる。
やがて父親は困窮して疲れ果ててしまうが、自閉症の息子は少しだけ成長し、周囲のコミュニケーションに応えるようになる。そのときの父親の静かな喜びは胸にしみる。父親のアハロン役を演じたシャイ・アビビという俳優はこの作品ではじめて知ったが、とても達者な役者である。そして自閉症の息子ウリを演じたノアム・インベルという俳優も同じくこの作品ではじめて知ったが、上手すぎて本当の自閉症の青年にしか見えなかった。凄い演技力である。
作品中の会話はほぼヘブライ語だと(多分)思うが、アハロンはアガロンに、ウリはウギとしか聞こえなかった。翻訳の困難を改めて感じる。どんなに字幕翻訳家が頑張っても、原語のニュアンスを完璧に伝えることは至難の業だ。
しかし優れた映画は映像と音楽と俳優の表情や仕種で字幕以上のことを伝える。言語が違っても人間の本質は変わらない。本質を伝えることが出来た作品は、異なる言語の観客にも同じ感動を与えることができる。本作品もそのひとつで、ラストシーンの父親の万感迫る表情に胸を打たれる。
息子の人生は息子のものだ。これからは父親として遠くから見守り続ける。やっとその段階に達したのだという満足感や嬉しさがある一方、それに反比例するかのような淋しさに、こみ上げるものがある。しかしアハロンにもアハロンの人生がある。息子のためにすべてを犠牲にして生きてきたが、これからは自分のために生きよう。何かをはじめるのに、遅すぎるということはないのだ。
【寄り添うこと、見守ること、認めること、送り出すこと】
レビュータイトルに書いたようなことは、子育てには重要なことだと思うし、この自閉症スペクトラムのような障碍を持つ子供にとっても同様に大切なことなのではないか。
つまり、健常者の子供に対しても、障碍者の子供に対しても、親の基本スタンスは同じなのではないのか。
このアハロンとウリの冒険譚は、いろんな事を教えてくれる気がする。
水着の女性を見て勃起したり、大人と一緒にダンスに興じたり。
駄々をこねるだけじゃない。
キッドのように、ちょっと戦略的にアハロンを呼び出そうとするウリ。
自分でドア・オープンのボタンだって描くことが出来る。
常に何かを学び、学ぼうとしていたのだ。
アハロンのいないところでも、仲間を作って、交流をはかれるようにだってなれる。
アハロンは、ちょっと寂しかったかもしれない。
でも、結構誇らしかったに違いない。
共に生きる自閉症の息子と父親
親にとって子は、いくつになっても子で心配してしまう。障害を持っていればなおさら手をかけてしまい、外から守ってしまうのが親の心情だと思う。子離れ出来ないと言うは易し、彼等にとって子離れは難しいことだと思う。それでもラストで息子が施設に残りたがっていると分かると身を引くお父さん。せつない気持ちになりました。
先のコメントにお父さん自身もハイスペックな自閉症なのではとありましたが、そうかもしれないなぁと思いました。適応していると意外に分かりにくいですから。
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