Summer of 85のレビュー・感想・評価
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恋におちて 1985
オゾン監督は死についての過去作では、「ぼくを葬る」でも一筋縄ではいかない自身を投影したような主人公に、自分を受け入れていく過程をしっかり描いていたと思う。
監督が熱望していたという、原作ありの「おれの墓で踊れ」の映画化という。
内容はひと夏の恋で間違いはないのだが、ゲイとしてのアイデンティティーをこの両者がどう獲得するのかが見どころになると思われたが・・・
今ひとつ過去作と比べひねりが足らない。こんなあっけない死になると、ダヴィッドの母親の取り乱し方もさもありなんという感じになってしまう。
青春はあっけなく後悔とともに閉じるなんて。誰が決めたん!?
もっと謳歌して生きて愛してほしかったなぁ
惜しい!
どうしても女装をして、遺体安置所に行く場面に現実味がなく安っぽい芝居に感じられた。
墓で踊るシーンも同様。
こういう類いの映画は「君の名前で僕を呼んで」と嫌でも比べられるから、差別化を図る意味で事件性を持たしたのかもしれない。
主人公が着たセントジェームスのオーバーサイズのボーダーが良かった。
海でヨットでバイクで最高なんだけど
フェリックス・ルフェーヴルかわいすぎ。80年代のお洋服似合いすぎ。恋のキラキラ感も最高。あと、男性同士にしろ女性同士にしろ、同性愛の映画だとなぜか性描写が克明(?)になりがちななか、そうではなかったところに好感を持った。
ただ、人ひとり死んだのに、“ひと夏の初恋が終わって少年は成長したのでした”的にまとめられてもなんか釈然としない。ケイトもかわいくて好きだけど、ゲイカップルの純愛ストーリーに(物語内の役割上)都合よく奉仕させられている感がある。BLの同人誌ならそれもアリだけど、商業映画にはもうちょっと丁寧な描写を求めたくなる。
初恋のウキウキした気持ちと 夏のビーチの景色に うっとりしつつも ...
初恋のウキウキした気持ちと
夏のビーチの景色に
うっとりしつつも
ダヴィドの瞳が怖かった
苦悩を抱えて
死の淵に立つ姿を
感じさせるから?
誰も彼を救えない
母親も先生もBFもGFも
これは起こるべくして起こった
悲劇だったのか?
男女の恋愛でも成り立つ展開
いわゆるLGBTQがテーマの1つでありながら、そこに依存することなく真っ向に恋愛を描いた作品で好印象、素敵だった。
主演の子は男から見ても美しい。キスシーンも美しい。お尻オブ・ザ・イヤーをあげたい。
【恋愛は残酷だと思うこと、その②、残酷で美しい夏】
ダヴィッドが亡くなったことを除けば、ひと夏の恋なんて、こんなものじゃないかと思う。
ノン・バイナリーか否かな関わらず、夏の恋は残酷だったりするし、だからこそ、美しい記憶として残りがちなのだ。
ひと夏の恋なんだから、今、楽しければ良いだろうとか、夏が終わったら、自分のことはきっぱり忘れて、本来進むべき道に戻った方が良いとか、ダヴィッドが亡くなったことは、当然、悲しいことなのだが、夏の間だけ、瞬くように終わる恋なんて沢山あるだろう。
燃え上がる一瞬は、これが永遠に続くと信じたくなる。
しかし、やがて、幻想に過ぎないことに気がつくのだ。
夏の恋は残酷だ。
だからこそ、美しい記憶として残したくなるのだ。
そして、物語が付け加えられる。
墓の上で踊るのは、このメタファーだ。
夏が過ぎれば、また、新しい恋が始まる。
本当は、このサイクルが残酷なのだ。
キュンキュンする夏を一緒に過ごさせて貰えました
ポップな音楽と、
海と空のブルーに、蛍光オレンジのオープニングクレジット
はい、もう心鷲掴まれました!
今回は、シンプル オゾンかな。
それでも、フィルムを使ったノスタルジー溢れる海や夕日や、
クラブのシーンや、フランスのノルマンディーの街並みや、
80年代のファッションや、装飾、音楽の使い方まで、
トータル的なバランスの妙は、あいかわらず最高です。
やはり、オゾンってスゴい!!
クラブのシーンで、ヘッドフォンから流れる「Sailing」
ノリノリなんだけど、なんだか終わりに近づいている気がして涙出てきたよ…。
アレックスの真っ直ぐな純粋さか、
ダヴイッドの少し厭世的な影のある雰囲気か
陽と陰
どちらも自分に正直で、どちらにも共感できる。
だから、面白い。
アレックスの語りによる1985年の
ひと夏の6週間を、約2時間の凝縮された時間で、
とても濃密でキュンキュンする夏を一緒に過ごさせて貰えました。
ラストは、キラキラ光る波のように、アレックスの明るい未来が見えたしね。
余談
この二人、すっごく男前じゃないところが、またリアルを誘うんだよな。
この完璧さじゃないところが、ジャニーズにいそう(笑)
秀作を鑑賞した後で、観たら。
「孤狼の血 レベルⅡ」の口直しでこの映画を観ました。その緩いテンポに当初は癒やされましたが、緊張感のない展開に苛立ちはじめました。それほど、「孤狼の血」は緊張感を持って最後まで連れて行ってくれます。近頃、映画では当たり前になってきた同性愛の話です。評価の高い監督らしいですが、私には突っ込みの甘いムード映画でしかありません。
私が監督なら男性器や性行為を映します。また、この男の子が女装する場面は、オネエ役だったと連想させ、笑わせます。私の敬愛するルキノヴィスコンティ監督だったら、こんな映画にしないでしょう。
辛い終わりの恋もあるけど、次もあるから。
主人公のアレックスは18歳の学生。ある日、1人ボートで海に出てたら転覆。近くにいたダビドに助けてもらう。それから2人は意気投合。親友以上の関係になる。
冒頭でダビドが死んでしまう事を知らされ、アレックスが何か事件を起こし聴取されていて、その証言の為に思い出しながら文章を書いている。チョコチョコ過去と現在を行き来するけど、分かりやすくて混乱しなかった。
何が起こるのか謎だったところへイギリス女子ケイトが登場し、ダビドは彼女になびく。で、別れ話に。感情をコントロールできなくなったアレックス。そりゃそうだよな。失恋して落ち込んでるとこに元彼の死亡ニュースってな。
その後、アレックスがなぜ捕まったのか、分かります。彼がやった事は、間違っていないけど確かに犯罪。泣けた。
85年の話なので、フランスでもスズキのバイク、ヤマハのエンジンなど日本製品メジャーだったんだね。チラッとトヨタのセリカも映った気がした。音楽も懐かしくてジワ〜。人生はセーリングなんだね。
誰かを好きになるのに性別なんか関係ないぜ!
フランソワ・オゾンの映画作家としてのルーツを「今」映画化する意味とは!!
年間の映画製作本数がもともと少ないフランスではあるが、その中でも日本に輸入されてくるのは、ごくごく一部。それでもフランソワ・オゾンの作品では、日本では優遇されている。『8人の女たち』『スイミング・プール』といった作品の公開時期が、ミニシアター系作品ブームに直面していたことも要因として大きいのかもしれないが、今でも定期的に新作が公開されている、日本では数少ないブランド力のあるフランス映画監督であることは間違いない。
オゾンといえば、アートとドラマの中間を行くような、劇映画の印象が強いかもしれないが、80~90年にかけてはドキュメンタリーを多く手掛けてきており、長編デビュー作品も劇映画ではなく、1995年の『Jospin s’éclaire』(日本未公開)という作品だ。
日本でも公開された前作『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』も、当初はドキュメンタリーで制作する予定だったのが、モデルになった事件の被害者団体から劇映画にして欲しいと頼まれたことで、劇映画に変更されたものだった。
2007年の3分しかない短編ドキュメンタリー『Laissez-les grandir ici!』は別として、約25年以上もドキュメンタリー作品を手掛けていない。
何が言いたいかというと、オゾンは特にここ数年で、原点回帰をしようとしている傾向にあるのだ。
今作もドキュメンタリーではないものの、オゾンが17歳の頃に出会い、深く印象を受けたエイダン・チェンバースの小説「おれの墓で踊れ」の映画化となっている。
自分の主張、マイノリティを作品として仕上げることで、世の中に発信できるかもしれないという確信に近づいた分岐点が、この作品に出合ったことであり、それをオゾンの手で映画化することで、オゾンが自分の作品のルーツを見つめ直すことに意味があるのだ。
オゾンは、自信が同性愛者であることを公表していて、そのマイノリティにおける問題や、自分自身が感じ、体験してきたものをストレートではなく、作品の一部分として、散りばめてきた監督ではあるが、今作ではそれがストレートであり、かつドラマチックにも美しくも表現されている。
映画では、舞台を1985年と設定としているが、原作の「おれの墓で踊れ」が発表されたのは、 1982年であり、モデルとなっているのは、さらに前の1966年に実際にあった事件だ。
実際にあった事件の詳細は別として、フィクションとしてコーティングされた「おれの墓で踊れ」においては、80年代だったというのに、その中で同性愛というものを特別視しておらず、そこにハードルを置いていないのだ。
同じ同性愛という点ニハードルを置かない作品としては、近年では『燃ゆる女の肖像』があったが、『燃ゆる女の肖像』の舞台は18世紀であっても、監督のセリーヌ・シアマが書き上げた脚本が元になっているだけに、現代において書かれたものである。
フランスだから、その点が寛容であったかというと、決してそうではなく、フランスでも同性愛婚が認められたのは、2013年であって、今でさえ偏見は強いというのに、80年代当時であれば尚更のことである。
悪い言い方をすると、逆にそこにハードルを置くことで、物語的にも、よりスリリングな展開にできたのかもしれない。
しかし、そこにハードルを置かず、あくまで「ひとつの恋」として描くことにオゾンが感銘を受け、自信の作品のルーツになったのだとしたら、「おれの墓で踊れ」という小説が存在していなかったとしたら、映画監督としてはデビューしていたかもしれないが、オゾンの独自性は違った方向に向いていた可能性も高いということだ。
全くハードルを置いていないかというと、実はそうではなくて、シンプルな男女の恋とは違って、同じマイノリティの中で、出会った仲間意識というものが、より互いの想いを奮い立たせたという、葛藤的な部分では、そういった要素も含まれているようであるし、多感な10代後半ということもあって、自分がまだゲイなのかバイなのか、それとも一時的な迷いからによるものなのかが、手探りな状態で築かれた人間関係が良くも悪くも、その後の人生に影響をもたらすということも同時に描かれているように感じた。
しかし、それは同性でなくても、同じ価値観や思想、宗教性などといった点でも、共通する部分がある。オゾン自信も今作を「世界共通のラブストーリーにしたかった」と語っていることから、人間同士が恋をすることは、少なからず何かしらの障害がある中で、同性愛というのも、単なるひとつの要素でしかなく、大切なのは、誰と、どのタイミングで出会うかということ。
近年、80年代を舞台とした映画が増えてきている背景としては、20~30代で映画業界に入った映画人たちが、世代交代によって、自分の意見を通せるようになり始めた今ということ。
それと同時に、オゾンも50代のように、意見を通せるようになる時期と、自信を見つめ直す時期が重なるからこそ、自分のルーツとなる80年代ブームが到来しているのだ。
85年、僕は墓で踊るのだ
何の予備知識もなく、また夏の映画を見たくてオゾンだしな、でムビチケ買ってしまって観に行った。
前々から思っていたオゾンは意外に陽気な人って感じの映画だった。フランス的っていえばフランス的だけどアメリカ的っていえばアメリカ的でもある。
85年か。その頃自分はラ・ブームの洗礼を浴びてたころだな。クラブ(ディスコ)で似たようなシーンもあってニヤッとした。そしてポスターで予想した通りのLGBTモードの映画でもあったけど、モノローグと主人公が小説を書く、という設定ゆえに展開が早くて良かった。どうにもロッド・スチュワートの「セイリング」がクラブでも墓でもあってない感じが本気かわざと外してるのかわからないあたりが曲者だな、と思った。
しかし終わってみれば普遍的で巧みな構成の青春映画だった。これは対象から時間を遠く隔てて描かれたゆえに客観的な描かれ方になったんだろう、と思う。
好きになるわ
フランソワオゾン監督の最新作は必ず観ると決めていたので、公開待ち望んでました!
俳優さんが美しく眼福!
わざと画質を荒くして昔感をだしてました。それがまた良い。
観ている方も若い方が多く
BLだから?
イケメンだから?
フランソワオゾン監督作品だからみている感じの方々ではなかったような(^^)
そんな中での鑑賞
もう絶対好きになっちゃうよ展開が前半で満載でしたね。
俳優さん達の細かな表情の演技良かったです。
過去、現在が挟み込む展開ですが、アレックス主人公の表情、ファッションでわかります。
イギリス人のケイトのキャラが絶妙な位置にいて物語の展開で重要でしたね。
ケイト好きです。
レコードのサントラ盤も良かったです✨
次回作の映画も楽しみフランソワオゾン監督😊
綺麗すぎる数々のシーン。
16歳のアレックスがちょっとワルそうな匂いのするダヴィドと出会い初めての恋に落ちるが、突然事故でダヴィドを失ってしまい失意の中から再生する話。
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ストーリーは"あること"をして掴まってしまったアレックスが苦悩している現在と、過去のダヴィドとの甘い日々が混じりあって進んでいく。この過去のダヴィドとのシーンが綺麗すぎて笑っちゃうぐらい綺麗で、『君の名前で僕を呼んで』好きな人なら絶対好きだよ。
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でもこの綺麗すぎる描写は後にケイトが語るように、アレックスが初恋とダヴィドという存在を自分の中で美化しすぎてるから。なので、アレックスがダヴィドの死を受け入れなくて色々もがくシーンは急にコメディっぽくなる。
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ダヴィドが死んでから遺体安置所に女装して忍び込んで結局バレて逃げるシーンとか、アレックスがダヴィドの墓を掘り起こそうとして暴れて他の人(?)の墓石倒して逃走するシーンとかあれはさすがに笑っちゃうよ(笑)そりゃそんなことしてたら捕まるわ。
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でもこうやって恋をしてぐちゃぐちゃになって、もがきまくったこと全て含めて"あの夏"なんだろう。
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個人的にダヴィド、めちゃくちゃジェームズ・ディーンみを感じた。赤い服着てるし、事故死というところが。そうなるとアレックスはちょっとリヴァー・フェニックスっぽい。あの美しい顔と、下向き加減で苦悩してる感じ。
【1985年のひと夏の、”In Between Days"。美青年二人の出会いと別れを、情熱的且つ、衝動的に描いた作品。】
ー 冒頭、アレックス(フェリックス・ルフューブル:新星だそうである。)は、警察署らしきところで、沈痛な表情で、警官と座っている。
が、次のシーンでは、フランスの陽光が降り注ぐ海岸で、アレックスが友人のヨットで海に出て、くつろぐ姿が映し出される。
(『太陽がいっぱい』へのオマージュであろうか・・。)
急な嵐の中、救世主のように現れたダヴィデ像の様に端正な顔をしたダヴィド(バンジャマン・ポワザン:セルゲイ・ポルーニンに似ている・・。)は、的確な指示でアレックスを救出する。
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バックに大音量で流れるのは、The Cureの”1985年”に発売された、6thアルバム『The Head on the Door』の劈頭を飾る名曲”In Between Days"である。
思わず、”気分は1985年!”となるが、実はこの曲は当時、ロバート・スミスが言っていたように、失恋ソングなのである・・。ー
◆昨日はすごく年を取って
今にも死にそうに思えたよ
もう何も出来なくなった
そんな気がして泣きたくなった
ああ勝手にしろよ
さっさと行っちまえよ
もう心は決まったんだろ
構わないから
どこでも行けよ
そのままここから
出て行けよ
だけど今は後悔してる
あんなこと言うんじゃなかった・・・
ー 私は最初、この曲はアレックスの心情を考え、フランソワ・オゾン監督が使用したと思っていた。
だが、ストーリーが進むにつれ、この曲は”ダヴィドのアレックスへの想いを代弁しているのだ”
と思ったのである。ー
・エンドロールで、再び”In Between Days"が大音量で流れる。
ヒヤリングでも良いが、ここでは、是非、字幕を読んで欲しい・・。
<悲嘆にくれるアレックスが、ダヴィドと関係を持ったケイトの協力の元、ダヴィドの死を現実として受け入れ、彼に対する想いを文章にする事で、深い哀しみを乗り越えて行く。
ラスト、アレックスがダヴィドと共に、酷く酔っていたので二人で介抱した青年と再会するシーン。
アレックスは、且つてのダヴィドのように、青年をダヴィドのヨットに誘い、二人で海に出る。
”ダヴィドの墓の土の上で踊った”アレックスの表情は、且つての自由奔放で大胆な、ダヴィドのようである。
16歳の少年は、たった6週間だが、深く愛した18歳の青年の死を乗り越え、再び人生の一歩を歩み出したのだ・・。>
ちょっと纏まらない
139本目。
君の名前で…みたいな作品、まあひと夏の的かなと思ってたてら、途中迄はね。
多感な10代、危うさ、脆さが同居してるし、どんな行動とるかなんか分からない。
でも、そっかなぁ?って疑問があったりで、友達のお母さんにズボン降ろされ時は、違う方を想像してしまったし。
なんか上手く纏まらないのは、次に観た作品のせいで、印象が掻き消されてしまった。
甘酸っぱくて、メランコリック
フランスのこんなお洒落な感じではなかったけど、
あたしもこういう恋愛をした。
心から大好きで、いつまでも一緒にいたかった。
「楽しい時間だけど、君に100%のお返しができない」
そう言われて別れたっけ。
あのアルヘンティーノ元気かな。
年を重ねるとなんともないんだけど、
あの苦しくて切なくて、
男同士の話ゆえ、どこにぶつけたらいいのか
分からない感情。
甘酸っぱくて、メランコリック、そして苦しかった。
ちょっと変わってるけど今週(8/20~)本命な筋
今年101本目(合計165本目)。
まず、タイトルから誤解しやすいのですが、この映画、フランス映画です。英語も一応出てくるところはありますが(ガールフレンドのところ)、全体でみれば95%以上がフランス語です。
また、原作が存在するので(「特集」で書かれている通り)、「墓場で踊る」という一見すると???な行為も、元ネタがあるのだという点をちゃんと理解しないと意味が分からなくなる展開は結構多いです(知っているだけでも全然違います)。
内容は多くの方が書いている通り、ある夏を描いたBLもの。ただ、BL(ボーイズラブ)といっても表現は緩めで(だからPG12扱い)、実際にはBLものでもなくても本筋自体は成立はするはずです。ただそこをそうしたのは原作を参考にしたから、なのでしょう。そのため、その観点でそれ(いわゆるLGBT問題)を提起しているシーンはないか、ほぼないというところです(辛うじてあるかなと思えるセリフが数か所あるのみ)。
私にとっては、高校生の夏休みなんてもう何十年前の話だし、ましてやフランスの海岸がある町(?)を舞台にした海岸ものの夏休み映画なんて本当に羨ましいなぁ…というところです。自然の描写もきれいだし、PG12だからといって「意味もなく」変なシーンも存在しませんし、フランス映画って時々こう、「何を伝えたいか、各自に考えさせる」映画が多いように思うのですが、これもその類型かな、と思います。
いろいろな解釈が可能だし、またこの問題はいろいろな考え方の方もいますので、この話はそこまでにしておきましょう。今週(8/20~)は新規の映画の放映数が妙に少なく、よって本命か準本命に来てしまうと思うのですが、観て損はない映画かと思います。
評価は下記を考慮して満点にしました。
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(減点0.3) この映画はフランス映画です。
タイトルこそ Summer of 85 (意訳すれば、1985年の夏、くらい)ですが、映画内ではただ単に ete 85 と出るだけです(ete(仏)=夏)。フランス映画を多く扱っている映画館もあるので(大阪市だと、テアトル梅田さんなど)、混乱するかなぁ…という気はしました。
また、字幕が一部抜けている部分があり(物語の序盤~中盤にかけて出てくるお店。お店のドアにある表示を「裏返すと」「閉店」と表示されることから、字幕が「ない」ほうは、「開店」だということがわかりますが、このように字幕がなく各自で類推しなければならない点が結構あります。フランス映画は、日本では一つの映画のカテゴリですが、かといって誰でも仏検1級とか準1級とか持っているわけではないと思うので(少なくとも、英検1級、準1級持ちとは桁のレベルで数が違うはず)、字幕がもっと丁寧だと良いかなという印象です。
(加点0.2) よくある「最後に映るQRコードを読み取って、映画の感想を投稿すると何とかプレゼント」とかやっている映画は多いですが、この映画は三密回避なのか、そのチラシ(QRコードが刷ってある)が先に配られます(ほか、プレゼントにクリアファイルがありました)。この工夫は地味ながら今の映画館の事情を鑑みればよいなと思います。
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The cureがいいね。
ダビッドをあっさり失ったアレックスの言い表し難い感情表現の爆発が切ない。
ケイトと関係をもったダビッドを責め、ダビッドはダビッドで飽きた遊びと酷い言葉を浴びせ、本来ならそこから先も離れてくっついてを繰り返しながら別れるのか付き合うのかになるのだと思う。でも、その一度の争いで、二度会えなくなる。そりゃ、未練残りますよ。
追記
ダビットとアレックスの言い争いの場面、なぜダビットが涙を流していたのかが引っかかる。彼は手に入れた大好きな物(人)が無くなる(いなくなる)のが怖いんじゃないのかなぁと感じました(ベターだけど)。
目まぐるしい夏の日々
広告から気になって観に行きました
冒頭や映画ホームページサイトからダビットが死んでしまうことはわかっていましたが、アレックスの感情の爆発の演技が凄くて好みでした。
現代と夏の6週間交互に描かれて物語が進んでいきますが、わかりやすくて美しい映画だったな〜!!
概念と現実と
ノルマンディーの海辺の町に越してきたばかりの16歳の少年と海で彼を助けた18歳の少年の出会いと別れとその後の話。
借り物の小さなヨットで海に出て転覆させたアレクシと、彼を助けたダヴィドが「理想の親友」になって行くストーリーを、被告として裁判を控えるアレクシが振り返る体でみせていく。
ちゃんとみてれば問題ないけれど、ちょいちょい時系列が違うシーンがミックスされるので、序盤はボーッとしてるとこんがらがるかも。
恋愛部分に関しては、恋愛映画にあまり興味がない自分的にはまあそうですかねと言う感じで、特段引っ掛かるものは無し。強いて言えば、結構早い段階で登場したケイトがなかなか出てこないな~程度w
青春映画としてはまあまあ面白かったけど…。
ダヴィドが母親にどの様な話し方をしどこまで話をしたのかわからないけれど、彼女のリアクションがちょっと狂気で、それがなければ成り立たないけれど、だからこそ引っ掛かってしまった。
BLの恋愛物語といえばそうだけど、アレクシが理解されない想いを書く為の切っ掛けとしてその方がストーリーにしやすいから?それとも単にBLが描きたかった?
個人的にはその辺に偏見はないけれど、何か狙っている感じがして鼻についた。
それにしてもフランスの刑罰って厳しいっすね。
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