ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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ある意味、愛の物語。 いつ死んでもいいとトンガって生きてきた男と、...
ある意味、愛の物語。
いつ死んでもいいとトンガって生きてきた男と、ごく普通の女の、恋に堕ちる瞬間がたまらない。
老けてると思った私の心の中の言葉を言った時は吹いた。
時々笑える若いセリフにキュンとします。
綾野剛に恋してしまいます。
今一番好きな俳優さん。
見終わってからも彼の事を思い出すと涙が出てしまいます。純粋過ぎて生きづらい。
せめて、都会から離れて山の中で家族と暮らして欲しかった。家族と幸せになって欲しかった。切ない。
公式のあらすじは読まないが吉。鑑賞後の「ん?」の理由はなんだろうか。
※予告、公式ページで分かる以上の「内容について」のネタバレはしていないため、あえて「ネタバレあり」にしていません。しかし、タイトルにもしたように、出来るだけ楽しみたい人は、映画を観てから見ることをお勧めします。
久々の映画館。最後に映画館を訪れたのは「ワンダーウーマン1984」ですから、1ヶ月以上間が空いてしまいました。まぁ現状が現状ですから、あまり外に出ていないというのは、正しいは正しいのでしょう。またマスクから解放される日が来たらと、願わずにはいられないですね。ただ、今の生活になって、花粉による鼻への被害は減りましたね。
さて、というわけで「ヤクザと家族」を観たわけですが。うーん。
前提として、私はヤクザ映画には全然触れたことがないです。マフィアやギャングはいくつか。マーティン・スコシージ監督が好きなので。
まず、星評価としては以下のような配分ですね。
主題歌:1
俳優:1.5
ルック:0.5
ストーリー:0.5
基本的には、1を基準にして、鑑賞後、加点か減点かみたいな感じでつけました。
私はそもそも、この映画を予告編で知って、単純に「なんか知らんがルックがカッケー。主題歌カッケー。」みたいな浅い感覚で行くことを決めました。個人的に思ったのは、millennium paradeの主題歌はking Gnuの常田と井口が歌ってるわけですが、「ほとんどking Gnuじゃねーか!」ってなりましたね。聞く人が聞けば、全然違うものなんですかねー。
鑑賞して、一番印象に残ったのは俳優の演技ですね。特に綾野剛と舘ひろし。全体の影がかかった画面も相まって、渋さと言いますか深い黒が似合っていましたね。キャラクターとしても、何しでかすか分かったもんじゃない綾野剛の突発的な暴力は観ててワクワクさせられましたね。舘ひろしもいるだけで画面が楽しくなりましたね。組長としては、なんか優しさが過ぎる気もしましたが、「まぁいいんじゃねえかな」と思いました。「ゴッドファーザー」のドンだって優しかったし。他の俳優の演技も、文句のつけようはないんじゃないかなぁと思いました。
なので、この映画を観たことそのものを後悔はしていないですね。含みのある言い方ですが、これまでしてきた後悔を思い出せば、後悔しようがないです(あげ太郎、事故物件、etc)。
まぁ、この辺までが褒める意見ですね。
ディテールに関しては、他に書いてる人もかなりいるので他の所で不満点を書けたらと思います。
さて、問題、というか不満、というか「うーん」ってなったのは、評価からも分かるようにストーリーですね。まず、予告の段階で「3つの時代を描く」というのが分かってたので、最初に思い出したのは「Once Upon a Time in America」でした。というものの、3つの時代って所しか合っていない気もしますが。「Once~」と「ヤクザと家族」をこの点で比較すると、前者は時間軸を何度も行き来するのに対し、後者は3つの時代が順番に描かれます。
ここで、1つの「ん?」が生まれました。
「ん?」とは、「順番通りであること」です。どう「ん?」かと言いますと、実は本作、公式サイトの事前情報(あらすじ)から、最初1時間40分ぐらいの内容を知ることができてしまっていたのです。そして、このあらすじは「順番通り」なわけです。観ている間、物凄い既視感に襲われました。とにかく、新情報が無いのです。これは、公式のあらすじが語り過ぎという問題も考えられるのですが、私は「ディテール不足ではないか?」と思いました。特に本作はビジュアルやルックのせいもあってかゆっくりなため、このスピードをもう少し速くして、それぞれの時代に新しい面白いディテールを加えれば、それぞれの時代がもっと魅力的になったんじゃないかなと思いました。
そして、「順番通りであること」の問題として、テーマである「暴対法によるヤクザの境遇の変化」というものが提示されるのが、本当に後半になってしまっているという事があります。本作の表現の形式としては、「時計じかけのオレンジ」のような2幕構成が近いでしょうか。それは、前半に主人公が暴力の限りを尽くし、後半に主人公は暴力を規制され、その悲惨さを描くといったものだ。しかし、「時計じかけのオレンジ」は最初の段階から「暴力について」の映画として一貫しており、後半の描き方が変化していても根幹は同じです。それに対して、「ヤクザと家族」における「暴対法」はテーマそのものであるにも関わらず、それがどういうものなのかが分かるのが、最初3分の2終わってからの2019年に入ってからなのです。本来、語るべきテーマが残り3分の1程度(2004年長いから、もう少し短いか?)で描かれすというのは、あまりに後出しで、雑、というか表面的なものに終わってしまったように感じました。というか、2019年もある程度の苦労のディテールがあらすじでわかってしまうので、既視感には襲われ続けました。それがまた「表面的」な感じを強めてしまったとも思います。
さて、しかしだ。先ほどから「既視感」というのを繰り返しているわけだが、それが楽しめなかった、本当の理由なのだろうか?今では、ネタバレというやつが非常に厳しくなって「一層締めつけられている」わけだが、過去の名作やその時代では、ネタが割れてるなんて当たり前であっただろう。だとすると、ネタが割れてる事と面白さは必ずしも関係するわけではないんじゃないだろうか?「コマンドー」が私の映画の原点なわけですが、ネタが割れていようと、何度見ても面白い。では、「ヤクザと家族」を十分に楽しめていない理由とはなんなのだろう。
1つ思いついたのが、画面に変化がほとんどない事だ。基本暗く、曇天、タバコで煙い。雑な気もするが、ここから完全に逃れる目新しい瞬間があったかというと、正直思いつかない。予告の段階では、そのルックを褒めていたわけだが、それは予告の長さと編集ではよく見えただけなのだと思う。特に、画面に変化がない事が問題なのは、この映画が「時代の変化」を描くものだからだ。つまり、絵としてその変化がよく分からないのだ。視覚表現の要素が強い映画において、これは致命的であるように思う。
※ここからは、今まで以上に「映画を観てから」をお勧めします。
次に「テーマ」について考えようと思う。
私が思う、本作のテーマは以下の2つだ。
・親のいない主人公がヤクザに疑似家族の側面を見出す。
・暴対法によるヤクザの形の変化、ヤクザの生きづらさ、家族の崩壊
ヤクザの疑似家族的側面というのは、流石にタイトルがタイトルなだけあって、全編にわたって語られるメインテーマである。言いたいこともあるが、後にする。
上述したように、暴対法の話は後半に集約されているため、全編にわたるものではない。そのため、「家族」というテーマに比べると、サブテーマの方が正確かもしれない。とは言ったものの、監督は「間違ったものが社会から排除されることへの疑問」がこの作品を作った理由としてあることを考えると、やはりサブになってるのはどうなのだろうか?とは思わずにはいられない。しかし、サブでしかない理由がある。それは、主人公である綾野剛が暴対法による苦労をしているように見えないからだ。公式の引用で「元ヤクザという経歴は恩人の細野や由香を巻き込み、思わぬ形で愛する者たちの運命を狂わせていく。」というのがあったため、これについて考えてみよう。つまり、綾野剛が原因で周りの人に迷惑がかかっているというわけだ。私はこれを綾野剛の苦労とは思えない。というのは、周りの人が受ける迷惑は実害が明らかに大きく、「生きること」に困っているからだ。それに比べると綾野剛自身は、この点において「生きづらくなる」というほどのものではないのだ。このように、本来観客とともに生きづらさを感じるべき主人公が、周りほど生きづらくなっていないのだ。
では、「疑似家族」というテーマについての言いたいことを言おうと思う。綾野剛は舘ひろしを心の底から敬愛している。だが、ヤクザはそもそも綾野剛の父を殺している。そんなヤクザに一片の曇りもなく綾野剛は忠誠を誓い続けるなんて事があるのだろうか?普通の家族であっても、息子の反抗期や意思のすれ違いとかあるものだろう?勿論、父の死は舘ひろしの組とは別の組が原因ではあるわけだが、いや待て、そもそも舘ひろしの組とそれ以外で一線が引かれているという状況はどうなのだろうか?日本はそもそも家系主義的な要素が強くあり、家族とそれ以外で一線を引いてしまう危うさが見られる。それは正に疑問に持たれるべき「間違ったその他の排除」にもつながる要素であり、この映画がまず疑問に抱くべきポイントではなかったのか??
最後に1つ、上から目線で苛つかれる事覚悟で、この映画の改善案を思いついたので、言いたいと思います。というか、実はこれか今回久々に映画の感想を書こうと思った理由でもあります。それは「細野こと市原隼人を主役にする事」です。というのは、市原隼人こそ上述したテーマを2つともクリアした存在だからです。市原隼人の家族関係は具体的には分かりませんが、綾野剛にある程度のシンパシーを感じている事から、あまり良い両親ではなかったのではないでしょうか?そんな中で兄貴のように存在する綾野剛。綾野剛が逮捕された後に、市原隼人が家族を持ったことも、その前に綾野剛の恋愛模様があったことを考えると、その後を追うような形にもなっている。しかし、最終的には兄のように慕った綾野剛によって、彼の人生は狂っていくわけです。いや、ヤクザに入るという選択そのものが狂っていたのかもしれない。そういう見方をしていくと、私はこの映画の最後の展開の見方が変わるのではないかと思いました。まぁ、実際は主役は綾野剛なんで、最後の展開への反応というのは、他の人のレビューにあるような感じですね。
最後まで読んでいただきありがとございました。ではまた。
紫煙立ち込める新宿の昭和館が懐かしいのだ
しばらく映画のレビューを書くことが無かったがこんな映画を観てしまったらちょと振り返らざるを得ないというか自分でも何がこんなに心震わせるのかをつくづくあれこれ考えてしまうのだ。2012年の「暴力団対策法」以降じわりじわりと気づかぬうちに所謂「ヤクザ映画」もこの世界から消え去ろうとしている。北野武がその最後の世代なのだろう。「孤狼の血」が昭和の終わり「暴力団対策法」成立前夜を描きこの「ヤクザと家族」が平成から令和「ヤクザ」から「反社」へという差別によって人権をも奪ってしまうこの国家の暴力を描いている。「ヤクザ映画」をかっこいいと思ってはいけない世になりつつあるということだ。我々世代の映画の原体験が「仁義なき戦い」である。国家から差別され虐げられてきた全ての人々の気持ちを代表して「ヤクザ 」は新宿昭和館の紫煙に煙る銀幕で暴れ回った。国家は「分断」という仕組みをいつの時代も必要としているのだ。そして繰り返すであろう「差別される側」は地下で組織化し暴力でやり返すのみである。
ここ最近でダントツでは?
呪縛の鎖
時の流れに翻弄される弱い男達
暴力の傍らにいるのは
とてつもない寂しさと優しさ
立ち姿が空虚で美しい
少年のような中年
社会性など今更学べぬ
力強いはずの肉体がガラス細工のように脆く映る
呪縛は続く
呪縛は続く
呪縛は続く
順番が変わるだけだ
時は残酷ではなく当然に奪っていく
虚飾を
希望を
この男がより寂しく見えるのは
ただ人より持っていた物が少なかっただけだ
間違えるな
赤く乾いた血がこびりついたままだ
血と絆の呪縛の呪いは確実に受け継がれた
これが悲劇なのか運命の悪戯なのかは分からない
40半ばのオッサンの涙腺は決壊した
廻りのオッサンも泣いていた
オレは孤独になりたくなった
そうだオッサンは無力でワガママで愚かなんだよ。
一言伝えなければならない監督よ演者よバンドよ
ありがとう
泣けました‼️
力作
若い監督が果敢にヤクザを主人公に社会的ヒューマンドラマを作り上げた。ひとことで「いい話」だった。ヤクザのクロニクルというとどうしてもコミカル要素もたっぷり入ったバイオレンス中心のものが多いが、こういうタッチのヤクザものは珍しい。あくまでヤクザを主人公にしたヒューマンドラマ。
『新聞記者』もそうだったけど、ここまで抑える必要あるのかというあの暗めのトーンで始終話が進む。1999年の出会いからヤクザという幻想の共同体がバラバラに追い込まれていく現代まで。この辺りスタートが70年代や80年代ならもっと陽気さもあろうものが、99年というと既に日本は終わりの始まりって感じでこのトーンがあってるのかも。ただ前半はヤクザ描写がそれほど面白みを感じない。リアリティドラマにいくのかアウトレイジにいくのかが微妙。かっこいいタイトルバックからすれば、様式のほうにいってもよさそうなのだけど振り切れてはいない。ただ、今回はストーリーがいい。後半、出所あたりからみな肩の力が抜けていい感じになり、磯村優斗や豊原功補は特に素晴らしい。綾野剛はカッコつけてるより抜けた芝居のほうがいいが今回ボコボコのぐちゃぐちゃな顔はいいかも。
そしてラストシークエンスとエピローグ。特に海から始まった映画が海でしめられた後のエピローグは予想してなかったので泣く。泣いたよ。
タイトルの意味を考えると、ほんと哀しいね。
鑑賞から一週間、ずっと余韻を噛みしめていました。
三つの時代で変化を描く構成もいろいろ繋がる台詞も役者陣全ての好演も素晴らしかった!
「新聞記者」の藤井道人監督だからいわゆる“ヤクザ賛歌”にはなっていないことはわかっていたのでその世界をどう描くのか興味津々でした。
1999年の描写はもっと昔の、昭和のヤクザ社会のようにも感じましたが、その後の2005年、2019年と時代の遷り変わりと共に何がどう変化したのか、家族や人間関係に焦点を当てて迫っています。
うーん、ネタバレ無しにレビュー記そうとすると難しいですが、三部構成の芯になっているのは当然現代パートである2019年であり、切ない、とにかく切ないです。
綾野剛さんは少年期から40前まで演じ分けていてとてつも無く凄いのですが、北村有起哉さんも良かったなぁ。哀しかった。舘ひろしさん、尾野真知子さん、市原隼人さんもほんと素晴らしい。
特に2019年のみに出ている磯村勇斗さん!圧巻でした。ラストシーンのあの目よ。。
ここまで書いていていろいろ思い出し、早く二度目の鑑賞がしたくてたまらなくなってきました。
今のところ今年No.1!まだそんなに観てませんがw
ところで。
あの頃は組にひとりは「ケン坊」と呼ばれる人いたよね〜知らんけどwww
愛と絆のヒューマンストーリー
う~む・・・
感無量
家族って何だろう
役者たちの演技力の効果が非常に高い。
激動、無力感、やるせなさ
とにかくキャストの演技力がすごくて終始引き込まれる。若干、舘ひろしが優しい組長やなあ、とは思うけど、家族の名に相応しく違和感なく流して見れる。
にしても綾野剛、すごい。市原隼人は何をやっても安定した役回り、加藤組長もいい味出してるし。
ヤクザの栄枯盛衰、その裏側で振り回され、ボロボロにされるいくつもの人生。
後半になるにつれ、何とかハッピーエンドにならないかと思いつつも、どんどん悪くなる一方で、もうどうにもならないのか?という微かな願いも、反社を取り巻く社会情勢に尽く打ち砕かれ、本当に無力感だけが残りました。そしてこれでもかというやるせなさ。悲しみのどん底です。
今のヤクザが本当にこうなのかは分からないけど、ヤクザという人生と宿命に翻弄された綾野剛と、ヤクザに振り回されたいくつもの悲しい人生を描いた大作でした。
そういう時代の終わり。
3つの時間軸の構成が見事だった。ヤクザが大手を振って裏社会を闊歩した昭和から平成。そして令和へ。ヤクザを取り巻く環境もすっかり変わり"反社"となった彼らは徹底的に社会の行き止まりへと追いやられてゆく。
綾野剛が世間知らずの荒くれ者から柴咲組を支えるヤクザ者、そして14年の服役後落ちぶれた社会の爪弾き者という20年間を巧みに演じ分けています。
いつどこで躓いたのか。いつどこで間違えたのか。なぜヤクザだったのか。なるべくしてなったのか。恩と義理、裏切りと妬み、そして人情。まるで絵に描いたようなヤクザ像山本のまるで救いのない人生。その痛みと哀しみ。
でも誰であっても簡単に弾かれたちまち行き場を失う現代。行ったことのない所に住む会ったこともない人から突然攻撃されるような容赦ないこの時代。ヤクザでなくても反社でなくても途方もなく生き辛い。一度そういうレッテルを貼られた人への社会の風当たりはより一層厳しい。細野が言う。5年ループ。5年で済むのだろうか。
彼らにとって生き辛い世の中が普通の人にとっては生きやすい世の中とは限らないというジレンマ。そんな中、惨めに堕ちて死に場所を探した山本の救われない最期に私は納得した。山本を救う理由なんてない。社会がそう言っている。彼自身がそういう生き方を選んだのだから。
キャスティングはさすが。もうみんな強面。そして舘ひろしが渋すぎてしびれました。磯村勇斗も好演!でも今作は市原隼人でしょう!なんか演技力の割りにパッとしなくてなんなら未だにリリイシュシュの衝撃デビューのイメージすらまとわりついてたんですけどこれはハマってました!
一番もがき苦しみ救いを求めて本当の家族を欲したのは他でもない細野だったな。
全部込み
社会的なテーマは置いといて、巧みな構成力が際立つ。あの話がここで生きて、あのキャラがこのキャラとこのように交わるといった関係が次々と畳み掛けるように成立して、それは気持ちよいところ。主役だけではなく、それぞれの配役がそれぞれの人生を示していて、ここまで生かされると役者陣も本望ではないだろうか。所謂ヤクザ映画とは趣が異なる映画であるが、全てのキャラ立てをしっかりと作るというのは、ある意味その系譜を継いでいるように思った。誰が良かったではなくて、本当に皆んな良かったし、印象に残るシーンも多数。演出も冴えていた。
血縁によらない共同体という意味では万引き家族が想起させられるが、文字通りの反社会性を帯びている点については忘れようもなく、一方的には肩入れできぬところ。社会はなぜ排除し、そして何を失って何を得たのか。次の問題は何か?警察の問題は扱われていたが、若干過剰だと思うし、ネットの扱いも少し単純。もう少し考察が欲しかったところ。後、幾度と出てくるうなぎのしらすは種の絶滅という問題が実際にあるわけで、その扱いに違和感があった。
この線でしょう。藤井監督。
綾野剛が不良系演じるのにハズレない。日本で1番悪い奴ら、新宿スワン...
物悲しい瞳が素敵な 綾野剛!
タダチケットが有ったので 何を見ようか?考えて口コミが良い この作品を見ました。
邦画独特の あの感じです。
ハリウッドの あの 底抜けに明るい 派手さは無いのですが、何とも物悲しい瞳を持つ
綾野剛 にやられました。
この人って 天才だったんだ! そう思えるほどの演技力で 尖った瞳を輝かせていた若い時代から 優しい物悲しい瞳に変わった中年時代まで 見事に役分けしていたと思います。
カラッとした映画ではないのですが、いい映画を見た という感想です。
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