ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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煙突の孤立、海の閉塞感
疾走する冒頭から、「あと2時間したらこの映画が終わってしまう!」という名残惜しさが早くも込み上げる。一瞬も見逃すまいと、ひたすらのめり込んだ。人物の視点そのままにぐらりと揺らいだかと思えば、ふっと鳥のように舞い上がり俯瞰する視点。これまでの藤井監督作品と同様に、ダイナミックで魅せられる。しかも、エンドロールまで熱量が衰えない。主題歌が、しっかりと本編を受け止め、包み込んでいた。
登場人物すべて、顔つき佇まいが只者ではない。そこに居るだけで説得力があり、物語が動き出す。主人公・山本を熱演した綾野剛で言えば、後半の眉間のシワがすさまじい。やり過ぎではと思いながらも、それは必然と頷かされてしまう。地味ながら深い印象を残すのは、中村演じる北村有起哉。弟分への嫉妬と自分の限界の自覚に揺れながら、枯れゆく組の中に身を置き続ける。突っ走る山本は確かに鮮烈だが、世の大半の人間は、中村のように冴えない存在に留まらざるを得ない。ちょっとした表情や仕草からにじみ出る、小ずるさや愚直さが、我が身に返ってくるようだった。細い身体が、前半は慇懃さや自尊心を醸し出すものの、後半は凄まじいまでに満身創痍を体現している。そしてもう一人、成長した翼を演じた磯村勇斗も出色。ふっと姿を現すだけで、義理人情に微塵も流れない不敵さが、スクリーンいっぱいにピリピリとみなぎっていた。
個性的な人々と引けを取らない存在感を発揮していたのは、煙をもくもくと上げる煙突と、町の片面に広がる海だ。(舞台となる町の名前にも「煙」が含まれている。)煙は勢いよく吹き上がるが、空を切り裂くのはほんの一瞬。いつかは大気に紛れ、跡形もなく消えてしまう。煙を吐かない煙突は、ぽつりと立つ無用の長物。孤立し、不必要に目立つばかりだ。それは、主人公たちの姿にも重なるようだった。そして、くすんだ海。無限に広がり、開放感を呼び覚ますはずが、彼らが翳り始めると、見えない壁に姿を変える。どこにでも行けるようで、どこにも行けない。じわじわと追い詰められ、阻まれた末に、海面を直線で切り取るかのような防波堤に立ち尽くす山本。彼らは、夜の海に身を潜めることはできても、遂には深く沈み込み、泳ぎ出すことはできないのだ。
軌道修正が効かない、はみ出したら戻る場所は用意されていない世界。近しい人との繋がりさえ、容赦なく断ち切られてしまう。それは遠い別世界ではなく、自分がいるこの世の中そのものだ。「だから、間違ってはいけない」は論外だが、「どこをどうして間違ったのか」を探ることも、この映画は求めていないだろう。本作にのめり込んだ目で、今自分がいる場所の周りを見回すこと。まず、そこから始めようと思う。一見縁遠いものと身近なものを並べ、両者を英題でくくったタイトルの秀逸さを、観終えてから改めて噛みしめている。
まともに生きようと思っても社会がそれを許さない
東海テレビ制作のドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』を思い出させる作品だった。『ヤクザと憲法』は暴対法や暴力団排除条例の施行によって、銀行口座も作れない、携帯の契約もできなくなったヤクザがしのぎをどんどん失い、生きる権利を奪われていく過程を密着取材で捉えた作品だ。この作品は、その劇映画版と言ってもいいかもしれない。
一人の若いチンピラがヤクザとなり、刑務所に入り、出所してからの生活を3つの年代に渡って描くが、本作はまだヤクザ組織が元気だった頃から始まるので、法律の施行による凋落ぶりがとても強烈な印象を与える。主人公が刑務所から戻ってきたら、世の中が一変している。まともに生きようと思っても、生活がままならない。非合法なことでもしない限り生きていくこともできないような世の中になっている。ヤクザをなくすための法律・条例のせいでヤクザが足を洗うことができなくなっている。そんな強烈な矛盾に翻弄される人々の物語だった。
ヤクザと時代の変化を1999年から2019年までの期間で描いた秀作。藤井道人監督のふり幅の大きさに驚く。
本作は昨年の日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞した「新聞記者」を手掛けた藤井道人監督と、尖った作品を送り出し続けるスターサンズという映画会社が再びタッグを組んだ作品です。
「新聞記者」についてはフィクションとは言え、賛否両論を巻き起こしたため最優秀作品賞に関しては物議を醸しましたが、本作は完全なオリジナル作品なので純粋に見られると思います。
まず、本作を見て一番驚いたのは、藤井道人監督のふり幅の大きさでした。
「藤井道人監督の大型の商業映画」は、それこそ「新聞記者」が最初でしたが、その次に「宇宙でいちばんあかるい屋根」というファンタジーで良質な作品を手掛けました。続いて、再び毛色が大きく変わった本作の登場です。
ヤクザ映画というのは、暴力シーン等かなり違った技術が要求されますが、それをベテラン監督の如く演出し、的確に描き切っていました。オリジナル脚本の完成度も含めて、この分野を主戦場にしてきた監督からしてみたら驚異的な存在に映ることでしょう。
さて、本作は時代の変化とともにヤクザという存在がどのようになっていったのかがよく分かる興味深い内容となっていました。特に終盤での展開は切ないほどリアルで、こういう俯瞰的な視点のヤクザ映画が作られるようになったのは時代の変化を感じます。
主人公の綾野剛が1999 年の少年期の序盤から、ヤクザとして最前線で生きた2005年を経て、2019年の現代までの約20年間を演じています。当初はさすがに20年間の変化は厳しいのかもしれないと思いました。ただ少年期とは言え成人前くらいだったので違和感なく見事に演じ切っていました。
本作は全体的に出来が良いので、大げさではなく役者陣全員が良かったです。中でも2019年から登場する磯村勇斗は存在感の強い役者に成長していて今後が楽しみな俳優になっていました。
タイトルの意味も含め、間違いなく深い秀作です。
生きられない
見る人によって感情移入の先が変わる
ヤクザの世界の移り変わりを知る事が出来ました。
やっていた事は悪い事なんだろうけど、堅気になっても働く事もままならない状態で、元ヤクザというだけで世間から爪弾きにされて、そういった世の中が正義なんでしょうか?
更生の余地なしという苦しさを感じました。
ヤクザという建前はなくなっても半グレが同じ様な事をして牛耳っているあたり何も変わっていない世間の闇も感じました。
尾野真千子演じる工藤由香の心の葛藤も痛い程分かる切ない映画でした。
重くて暗いけど良い作品
一度見てやるせなく辛い内容だったのでしばらく避けていたけど
もう一度観てみた。最初観た時は自分の精神的にしんどかったのかもしれないけど
今回は客観的に見る事が出来た。
綾野剛の哀しげな表情もギラついた表情もとても良いし演技派ばかりの良い作品だと思う。
老いて行く組長と一緒に廃れていく組や事務所の様も淋しく虚しく描かれていて哀しくなってくる。
組長が暖かくて優しくて本当の父親のようで素敵です。
それから磯村隼人がカッコいい。
半グレ役がめちゃくちゃカッコ良くて磯村隼人見るだけでも価値があると個人的には思います。
2005年の綾野剛もカッコいい。
昔は憧れる人も多かったヤクザだけどこんな惨めな最後が待っているなら絶対なりたくないし
人権がなく縛りがキツいって事をもっと若い人たちにも教えたほうが良いだろうなと思った。
あと駿河太郎って嫌な役やムカつく役が似合うなー。
ヤクザという生き方
しかし、綾野剛さんは悪い役が似合いますねー
男から見ても格好いいです
前半と後半で話しの主体が変わっており、飽きずに映画を楽しめます。
個人的には舘ひろしさんが格好いいのですが、人が良すぎる役だったので、そこだけ少し、、うーん、
ヤクザなのでもう少し悪くても良かったのかもと思いますが、全体的にはまとまってて、とても面白かったです。
あと北村さんが僕は好きな俳優さんの1人なのですが、今回も存在感発揮してて良かったです。
他にも磯村さんや市原隼人さんなど、脇を固める俳優さんも見事でした。
ヤクザ映画を楽しみにしてる方にはちょっと違うかもしれませんが、ヤクザ映画が好きでヒューマン映画も好きな方にはハマりそうです。
☆☆☆★★★ 「綺麗事じや、やってらんね〜んだよ!」 ちょっとだけ...
☆☆☆★★★
「綺麗事じや、やってらんね〜んだよ!」
ちょっとだけの感想で。
前作の『新聞記者』が好評だった藤井監督の最新作は、時代に取り残されてしまった(昔気質な)ヤクザの苦悩を描く意欲作。
今やヤクザ組織も、以前ほどの羽振りを効かせては街中を歩けない時代。
マル暴の睨みを掻き分けながらのシノギが続く日々。
そんな中で、或るヤクザ組織に拾われるのが綾野剛演じる主人公。
自分の親を反面教師として、(元々は)なる気もなかったヤクザ組織で自分探しをするかの様に生きている。
いつしか時代は変わり【義理に熱く、人情にも厚い】古臭いヤクザには未来が見えず。寧ろアルバイト感覚だったり、遊びの延長で金稼ぎに走るチンピラが幅を利かす社会がやって来る。
脚本も監督自身の手によるが。やがて主人公自身と共に周りの関係者達も成長して行くに従い、生き方が下手な主人公と反比例するが如く。幼かった翼を対象的(お互いの父親との関係性と共に)な存在として描いては、のし上がって行く展開で。単純ではあるものの、「一体この先どうなるのだろう?」との想いを、観客側に想起させ。次第にスクリーンから目が離せなくなって行く。
それだけに、〝 徒花 〟となって生きる悲劇的な人物を、映画は慈しむ様に描いてはいるが。そこはソレ、やはり《ヤクザはヤクザ》でもある訳で…。
そんなヤクザな男を、ほんの少し美しく描き過ぎている感も無くは無い…かなと。
(まあ、そんな事を書いてしまっては。マキノ&高倉健の黄金コンビによる往年の任侠映画はどうなんだ?と言われてしまいかねないんですけどね💧)
出演者では、主人公役の綾野剛はなかなかの熱演。
他では、兄貴役の北村有起哉。下衆な刑事の岩松了。後半は翼役の磯村勇斗が印象に残り、ホステス時代の尾野真千子がメッチャ綺麗。
ありゃもう男だったら絶対に惚れるだろ(´-`)
前作は世評ほどは良作とは思わなかったのですが。
(生意気を承知で言うとm(._.)m)え
演出力を上げて来たなあ〜と。
2021年1月30日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン9
現代のヤクザ像
真面目に働こう
薄かった
この映画はヤクザを描く映画ではなく、「ヤクザ」という舞台装置の上で、家族を求める1人の男を描く映画だと思いながら鑑賞した。
理不尽な環境の中で、不器用に自らを犠牲にして生き抜き、そして10年以上の時を経て、次は社会の変化の犠牲にさせられて…どこまでも上手くいかない人生をもがきながら大切なものを守るために男は生き抜いた。
だが、言いたいこともラストシーンにあの二人が出てくる理由も分かるが、それまでの過程が薄いので感動とかは出来なかった。
まず前半の、綾野剛さん演じる山本がヤクザの世界に足を踏み入れてから、弟分の仇討ちをして逮捕されるまでの1時間。山本が舘ひろしさん演じる組長に惚れ入る理由がよく分からない。確かにめっちゃ渋くてカッコイイけど、それだけで父親の変わりと思えるのか?それ以外の兄貴分とかとの関係が分かるエピソードもあんまり出てこないので、この組への深い思い入れが観客側には伝わりづらい。
そして後半の、山本が出所してから、ヤクザは規模の縮小を余儀なくされた社会で、もがいていく1時間。
こちらはそこまで悪くは無いのだが、前の1時間が薄かったせいで、苦しい現実を突きつけられるだけの悲しいパートになってしまっている。
また何より、後半パートでアスペクト比と色味?が変わる演出。(確か撮影に使ったカメラの機種も変えたとかインタビューで言ってた気が…)確かにその方法論はアリだが、意図的にそういう演出にしたのか、それともアスペクト比や色味という表層的な部分を変えないと、16年の変化を演出できなかったからそうしたのか、それによってこの作品の評価は変わって来ると思う。
もし後者が理由であれば、それは脚本をもっと見直すべきだったと思う。16年の変化を描く方法に、観客からしか見えない表層的な部分だけ変えることにしたのは、もっと深い部分の変化を描くことが出来なかったからとしか感じられない。何より前半での人物造形が薄いのに、後半で人物の環境の変化とアスペクト比だけで16年の差を表現されてもピンと来ない。もっと他に見せ方がなかったのではと思ってしまう。
しかし出演者の熱演は非常に見応えがあった。特に16年後の木村翼を演じた磯村勇斗さん。彼の存在感は凄かった。(山本と初邂逅するシーンで「めっちゃ成長してるやん!」と少し笑ってしまったが)1つひとつの挙動や声の出し方に凄みや余裕があり、それでいて若い子どもらしさも残す彼が、最後に山本に守られて罪を犯さずに、山本の娘と対話を果たすのは、良い展開だと思った。ただ彼も、山本への憧れや尊敬が簡単なセリフでしか表現されていないので、
もっと描かれるべきシーンがあったのではないかと思ってしまう。
他、全ての出演者が圧倒的な存在感だった。登場人物が多い映画だと、誰かが印象薄くなりがちだが、この映画は印象的な人物ばかりで記憶に残った。一方でこの人物たちの深堀がもっとできていれば、社会問題と家族愛や友情を密接に繋げて昇華できたのではないかと思ってしまう。
出ずっぱりの親父。親父の親父。出てこない親父
どこかで読んだか聞いたかした話によると暴力団員になるのは居場所がないからだという。受け入れてくれるところがそこしかないというわけだ。
自分を愛してくれる人、愛してくれる場所がそこにしかない。つまり家や家族を求める行動といえる。だから親父や兄貴と呼び合うのだろう。
映画的に言うなら疑似家族ものの側面がある。
親と兄弟のいる柴咲組にあって舘ひろし演じる柴咲はいい人を作れという。子が親元を離れ新しい家族を形成する巣立ちを促している。
疑似家族だけではなく血の繋がった家族へと物語は繋がっていく。
従来の家族、新しい価値観の家族、と広がりがあるところがいい。
暴力団対策法という節目をまたぐ意味合いもあるが年代を三つに分けることで山本にいくつもの家族の形を体験させる物語構成は素晴らしい。
時代は流れ、居場所を求める者たちはもがく。
絶対の居場所であった組にいられなくなったからだ。
もう何も掴めなくなったときに残そうとする爪痕は破滅的で切ない。
疑似家族から時を経て最後は親と子の物語に着地するラストシークエンスは非常に泣ける。
年代が飛ぶことで余白が自然と生まれ、これまで積み上げできたものが膨大になる。それが繋がり爆発するのだ。泣けるに決まってる。
とにかく面白かった。内容も良かったのだけれど、キャストが特にいい。
舘ひろしさんが貫禄不足みたいに書いてる方もいるけど、貫禄不足でいいんだな。腹黒そうじゃないところが重要なんだ。つまり優しそうに見えるのが大事。柴咲とはそういう男でなければ物語が成立しない。
そして主演の綾野剛は、相変わらずうまい。
物語のほとんどを山本の視点で追うわけで、要は出ずっぱりなのだが見事に娯楽性を牽引したと思う。
あとはエンディングを締めた市原隼人と磯村勇斗は見応えあったね。
畳み掛けるような出来事の中で魅せた演技の応酬は嫌でもしびれる。
特に磯村勇斗の最後の間は、なんていうかこの作品の全部があの間に乗っかってるような、凝縮した瞬間で、驚きに似た衝撃がある。そう、最初から最後まで「親父」の話しかしてなかったと気付いてしまったのだ。タイトルに書いた3人の「親父」
重げで何かメッセージがありそうな雰囲気に流されて傑作でしたみたいな...
重げで何かメッセージがありそうな雰囲気に流されて傑作でしたみたいな感想を言わせる力がある作品なのはわかる。
前半は舘ひろし力、後半はとにかくイケてる磯村勇斗の魅力で持ってた。自分の身に引き寄せられる様なテーマがほぼ無かったけどラストシーンは文句なしによい。
「シケたツラしてんじゃねえよ」みたいに今時そんな事言わすか?的な陳腐すぎる台詞と行動が多いのにはワーオってなったんだけどこの監督はあまり言葉に興味がないのかな?あとは出来事とそれに対するリアクションが類型的過ぎるというか書き割だなーというのはさすがいつも通り。
どの出来事もどこかで見た事ある様な類型的なものの連続でオリジナリティがないけど作品として成立してて逆にすごい(褒めてない)。ヤクザが記号的に描かれてそうな予感がしてたけどそこまでではなくて安心した。シノギがないけどカタギにも戻れないヤクザはどうなるかの思考実験(というかコント?)
として楽しめたけど悪事働いてたヤクザが悲哀出してもやっぱどーでもよーとしか思えないよね。前述の中身のペラさから「そうならざるを得なかった」感は残念ながらは出せてないし。家族を希求する主人公の動機が不明だし、家族を無条件に良いこととして描いてるのもサムい。別にいいけど。
共感の余地なし
village公開記念?で特別興行上映にて鑑賞
【良かった点】
親子盃を交わすシーンからのタイトルバック
→破滅の始まり。鑑賞者側に賢治のバッドエンド確約を悟らせた場面。鳥肌モノ
【悪かった点】
よほどヤクザ=悪の方程式が植え付けられているのか、
一貫して主人公に感情移入出来なかった。結末も自業自得でしかなく
どちらかというと由香に感情移入してしまう。
本作の評判の高さと自身の評価とのギャップが大きく苦しんだ。映画.comのレビューもよなよな拝読したが、、、
プラスに働くことはなかった。
Millennium paradeのFAMILIAは好きです。MVも。
計算し尽くされた美しさ
やっと観ました・・・
誰かの人生が壊れていく様、人が壊れていく様を、こんなに美しく描くことができるから、私は映画というメディアを愛しているのだと再認識させられました。
私たちが心震えるのは、その人の肩書きや仕事の向こうにあるものを見ているからだと改めて感じるし、それでも現実は残酷で社会は他人行儀、勃興があれば振り子のように没落があること、映画は美しいけれど現実は美しくないことを思い知らされます。
どの映画もそうなので当たり前なんですが、光の量や角度、尺の長さ(間の取り方)やアングル、があまりにも計算されているのがわかり、役者の演技に自ずと意識が向いてしまいます。久しぶりに、シミやしわ、肌の質感で演技をする役者陣を見て、どれだけの努力と時間、どれだけのスタッフがこの映画を作ったのだろうと思い、しっかりエンドロールまで噛み締めました。
私はヤクザ映画が好きですが、この作品は同ジャンルの中でも特に新しく、より大衆に受け入れられる、繊細でまとまりの良い映画だなと思います。
賞を取る理由がわかります。
少々叙情的過ぎるが印象的な作品
ヤクザ映画であってヤクザ映画でない
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