ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
全508件中、21~40件目を表示
☆☆☆★★★ 「綺麗事じや、やってらんね〜んだよ!」 ちょっとだけ...
☆☆☆★★★
「綺麗事じや、やってらんね〜んだよ!」
ちょっとだけの感想で。
前作の『新聞記者』が好評だった藤井監督の最新作は、時代に取り残されてしまった(昔気質な)ヤクザの苦悩を描く意欲作。
今やヤクザ組織も、以前ほどの羽振りを効かせては街中を歩けない時代。
マル暴の睨みを掻き分けながらのシノギが続く日々。
そんな中で、或るヤクザ組織に拾われるのが綾野剛演じる主人公。
自分の親を反面教師として、(元々は)なる気もなかったヤクザ組織で自分探しをするかの様に生きている。
いつしか時代は変わり【義理に熱く、人情にも厚い】古臭いヤクザには未来が見えず。寧ろアルバイト感覚だったり、遊びの延長で金稼ぎに走るチンピラが幅を利かす社会がやって来る。
脚本も監督自身の手によるが。やがて主人公自身と共に周りの関係者達も成長して行くに従い、生き方が下手な主人公と反比例するが如く。幼かった翼を対象的(お互いの父親との関係性と共に)な存在として描いては、のし上がって行く展開で。単純ではあるものの、「一体この先どうなるのだろう?」との想いを、観客側に想起させ。次第にスクリーンから目が離せなくなって行く。
それだけに、〝 徒花 〟となって生きる悲劇的な人物を、映画は慈しむ様に描いてはいるが。そこはソレ、やはり《ヤクザはヤクザ》でもある訳で…。
そんなヤクザな男を、ほんの少し美しく描き過ぎている感も無くは無い…かなと。
(まあ、そんな事を書いてしまっては。マキノ&高倉健の黄金コンビによる往年の任侠映画はどうなんだ?と言われてしまいかねないんですけどね💧)
出演者では、主人公役の綾野剛はなかなかの熱演。
他では、兄貴役の北村有起哉。下衆な刑事の岩松了。後半は翼役の磯村勇斗が印象に残り、ホステス時代の尾野真千子がメッチャ綺麗。
ありゃもう男だったら絶対に惚れるだろ(´-`)
前作は世評ほどは良作とは思わなかったのですが。
(生意気を承知で言うとm(._.)m)え
演出力を上げて来たなあ〜と。
2021年1月30日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン9
現代のヤクザ像
真面目に働こう
しばらく引きずる作品だ…(褒め言葉)
切ない。切なさに心が捻じ切れそう…。
ヤクザ映画はあまり観ていない人間なんだけど、ヤクザをメインの人物に据えながらも、こんなにも繊細で哀しい作品ってほかにないのではないだろうか。
冒頭OPはヤクザ映画!な雰囲気出してたけど、この作品の個人的な見どころはアウトローな世界ではなく、義理人情の美しさではなく、変わりゆく時代と変わりゆく人間関係の切なさだった…。
しかし賢治が出所して以降は本当に観ていて切なかった…。
組員が減り残った者も高齢化、組の社会での居場所もなくなり、兄貴分は組を存続させるために薬物売買に手を出している。
かつて賢治を慕っていた人間もヤクザとは付き合えないからと距離を取ろうとする。
ヤクザや暴力団を許さないという社会はもちろんそのほうが良い。その風潮には私も賛成。
ただ、この映画はその前提をふまえながらも、ヤクザの是非を問うているわけじゃなくて、ヤクザに同情を促してるわけでもなくて、そこにある個々の人生を拾い上げている、というところ(そのスタンス)が良かった。
ヤクザという肩書を持たない山本賢治のままだったなら彼はきっと彼を慕う人たちと一緒に生きていくことができたんだろうな。
でもヤクザの柴咲が山本を受け入れ肯定してくれたからこそ、そこで出会えった人に一目置かれ愛されるようになった彼がいたんだろうな、と思うと切なくてたまらない。
山本賢二、本当に魅力的な人物だった。
彼を演じた主演の綾野剛さんが出す繊細さがこの世界観を作り上げてるんだろうなと思う。
あと組長の舘ひろしさんの穏やかだけど重厚な存在感も良かった。
あと中村の兄貴(北村有起也さん)…。山本がいなくなってからの柴咲組の衰退をどうにかしようとしていた真面目な中村の兄貴のことを思うと胸が潰れそう…。
切なくて美しい良作。
追記
観終わって2日経ったんだけど、本作をずっと引きずっている…。
頭から離れない。
一人、車内で薬物を体内に入れる中村が。
すべて失って山本を刺して、それでも「兄貴」と泣いた細野が。
大人になってもなお山本を「ケン坊」と呼び続けた組長が。
娘と新しい場所で生きるために車を走らせながらおそらく山本を想って涙を流した由香さんが。
色んなことに気づいて山本と接していたであろう綾のまなざしが。
ラストシーンで綾を見て微笑んだ翼の表情が。
そしてすべて引き受けて海に沈んでいった山本の表情が。
この作品の登場人物はそれほどまでに私の中で「生きて」いる。
改めてすごい作品だったのだと思う。
あとOPの親子血縁盃のシーン、インパクトと謎の中毒性でサブスクでつい何回も観てしまうな。
薄かった
この映画はヤクザを描く映画ではなく、「ヤクザ」という舞台装置の上で、家族を求める1人の男を描く映画だと思いながら鑑賞した。
理不尽な環境の中で、不器用に自らを犠牲にして生き抜き、そして10年以上の時を経て、次は社会の変化の犠牲にさせられて…どこまでも上手くいかない人生をもがきながら大切なものを守るために男は生き抜いた。
だが、言いたいこともラストシーンにあの二人が出てくる理由も分かるが、それまでの過程が薄いので感動とかは出来なかった。
まず前半の、綾野剛さん演じる山本がヤクザの世界に足を踏み入れてから、弟分の仇討ちをして逮捕されるまでの1時間。山本が舘ひろしさん演じる組長に惚れ入る理由がよく分からない。確かにめっちゃ渋くてカッコイイけど、それだけで父親の変わりと思えるのか?それ以外の兄貴分とかとの関係が分かるエピソードもあんまり出てこないので、この組への深い思い入れが観客側には伝わりづらい。
そして後半の、山本が出所してから、ヤクザは規模の縮小を余儀なくされた社会で、もがいていく1時間。
こちらはそこまで悪くは無いのだが、前の1時間が薄かったせいで、苦しい現実を突きつけられるだけの悲しいパートになってしまっている。
また何より、後半パートでアスペクト比と色味?が変わる演出。(確か撮影に使ったカメラの機種も変えたとかインタビューで言ってた気が…)確かにその方法論はアリだが、意図的にそういう演出にしたのか、それともアスペクト比や色味という表層的な部分を変えないと、16年の変化を演出できなかったからそうしたのか、それによってこの作品の評価は変わって来ると思う。
もし後者が理由であれば、それは脚本をもっと見直すべきだったと思う。16年の変化を描く方法に、観客からしか見えない表層的な部分だけ変えることにしたのは、もっと深い部分の変化を描くことが出来なかったからとしか感じられない。何より前半での人物造形が薄いのに、後半で人物の環境の変化とアスペクト比だけで16年の差を表現されてもピンと来ない。もっと他に見せ方がなかったのではと思ってしまう。
しかし出演者の熱演は非常に見応えがあった。特に16年後の木村翼を演じた磯村勇斗さん。彼の存在感は凄かった。(山本と初邂逅するシーンで「めっちゃ成長してるやん!」と少し笑ってしまったが)1つひとつの挙動や声の出し方に凄みや余裕があり、それでいて若い子どもらしさも残す彼が、最後に山本に守られて罪を犯さずに、山本の娘と対話を果たすのは、良い展開だと思った。ただ彼も、山本への憧れや尊敬が簡単なセリフでしか表現されていないので、
もっと描かれるべきシーンがあったのではないかと思ってしまう。
他、全ての出演者が圧倒的な存在感だった。登場人物が多い映画だと、誰かが印象薄くなりがちだが、この映画は印象的な人物ばかりで記憶に残った。一方でこの人物たちの深堀がもっとできていれば、社会問題と家族愛や友情を密接に繋げて昇華できたのではないかと思ってしまう。
出ずっぱりの親父。親父の親父。出てこない親父
どこかで読んだか聞いたかした話によると暴力団員になるのは居場所がないからだという。受け入れてくれるところがそこしかないというわけだ。
自分を愛してくれる人、愛してくれる場所がそこにしかない。つまり家や家族を求める行動といえる。だから親父や兄貴と呼び合うのだろう。
映画的に言うなら疑似家族ものの側面がある。
親と兄弟のいる柴咲組にあって舘ひろし演じる柴咲はいい人を作れという。子が親元を離れ新しい家族を形成する巣立ちを促している。
疑似家族だけではなく血の繋がった家族へと物語は繋がっていく。
従来の家族、新しい価値観の家族、と広がりがあるところがいい。
暴力団対策法という節目をまたぐ意味合いもあるが年代を三つに分けることで山本にいくつもの家族の形を体験させる物語構成は素晴らしい。
時代は流れ、居場所を求める者たちはもがく。
絶対の居場所であった組にいられなくなったからだ。
もう何も掴めなくなったときに残そうとする爪痕は破滅的で切ない。
疑似家族から時を経て最後は親と子の物語に着地するラストシークエンスは非常に泣ける。
年代が飛ぶことで余白が自然と生まれ、これまで積み上げできたものが膨大になる。それが繋がり爆発するのだ。泣けるに決まってる。
とにかく面白かった。内容も良かったのだけれど、キャストが特にいい。
舘ひろしさんが貫禄不足みたいに書いてる方もいるけど、貫禄不足でいいんだな。腹黒そうじゃないところが重要なんだ。つまり優しそうに見えるのが大事。柴咲とはそういう男でなければ物語が成立しない。
そして主演の綾野剛は、相変わらずうまい。
物語のほとんどを山本の視点で追うわけで、要は出ずっぱりなのだが見事に娯楽性を牽引したと思う。
あとはエンディングを締めた市原隼人と磯村勇斗は見応えあったね。
畳み掛けるような出来事の中で魅せた演技の応酬は嫌でもしびれる。
特に磯村勇斗の最後の間は、なんていうかこの作品の全部があの間に乗っかってるような、凝縮した瞬間で、驚きに似た衝撃がある。そう、最初から最後まで「親父」の話しかしてなかったと気付いてしまったのだ。タイトルに書いた3人の「親父」
どこもかしこも
暴対法によるヤクザの衰退を主軸にストーリーが流れていき、公共に訴えかける映画でヤクザを擁護するはずもないと思いながら観た。
間違っているかもしれないが、結局、
真面目に実直に生きている者が、その置かれている立場を利用して狡く非道に生きている者らに食いつぶされていくのか、と感じた。
また、現在のネット社会と言われる化け物、
ひとつ間違えば格好の標的にされ、全く関係の無い者達によって世間から排除される。元ヤクザに限った事では無く。
俳優さん達、従来ならばカッコいい役まわりの方々ばかりであるが、今作品においては情けない背中や顔ばかり見せてくれている。しかし、その情けない姿こそ懸命に生きながら思うようにいかない姿となっていて同調してしまう。
終わりの方で細野が刺しに来て死なせてしまったけれど、山本が捕まらずにあそこにいるのも
不可解だし、細野が激情にかられてというのもわかるが、山本を死なせるため?ここの場面が謎。
結局どんな人だったの?
大きなテーマというか、やりたいことはヤクザの衰退であるがために、そこがメインテーマなのでしょうがないのかもしれないけど、そのせいで主人公がぼんやりとぼんやりとしていて、流されていきました。
時代の流れは面白かった。本当にそうなのかわからないけれど。
最後にお父さんはどんな人だったの?って聞いていたけど、私も主人公がどんな人だったのかよくわからなかったです。
重げで何かメッセージがありそうな雰囲気に流されて傑作でしたみたいな...
重げで何かメッセージがありそうな雰囲気に流されて傑作でしたみたいな感想を言わせる力がある作品なのはわかる。
前半は舘ひろし力、後半はとにかくイケてる磯村勇斗の魅力で持ってた。自分の身に引き寄せられる様なテーマがほぼ無かったけどラストシーンは文句なしによい。
「シケたツラしてんじゃねえよ」みたいに今時そんな事言わすか?的な陳腐すぎる台詞と行動が多いのにはワーオってなったんだけどこの監督はあまり言葉に興味がないのかな?あとは出来事とそれに対するリアクションが類型的過ぎるというか書き割だなーというのはさすがいつも通り。
どの出来事もどこかで見た事ある様な類型的なものの連続でオリジナリティがないけど作品として成立してて逆にすごい(褒めてない)。ヤクザが記号的に描かれてそうな予感がしてたけどそこまでではなくて安心した。シノギがないけどカタギにも戻れないヤクザはどうなるかの思考実験(というかコント?)
として楽しめたけど悪事働いてたヤクザが悲哀出してもやっぱどーでもよーとしか思えないよね。前述の中身のペラさから「そうならざるを得なかった」感は残念ながらは出せてないし。家族を希求する主人公の動機が不明だし、家族を無条件に良いこととして描いてるのもサムい。別にいいけど。
共感の余地なし
village公開記念?で特別興行上映にて鑑賞
【良かった点】
親子盃を交わすシーンからのタイトルバック
→破滅の始まり。鑑賞者側に賢治のバッドエンド確約を悟らせた場面。鳥肌モノ
【悪かった点】
よほどヤクザ=悪の方程式が植え付けられているのか、
一貫して主人公に感情移入出来なかった。結末も自業自得でしかなく
どちらかというと由香に感情移入してしまう。
本作の評判の高さと自身の評価とのギャップが大きく苦しんだ。映画.comのレビューもよなよな拝読したが、、、
プラスに働くことはなかった。
Millennium paradeのFAMILIAは好きです。MVも。
計算し尽くされた美しさ
やっと観ました・・・
誰かの人生が壊れていく様、人が壊れていく様を、こんなに美しく描くことができるから、私は映画というメディアを愛しているのだと再認識させられました。
私たちが心震えるのは、その人の肩書きや仕事の向こうにあるものを見ているからだと改めて感じるし、それでも現実は残酷で社会は他人行儀、勃興があれば振り子のように没落があること、映画は美しいけれど現実は美しくないことを思い知らされます。
どの映画もそうなので当たり前なんですが、光の量や角度、尺の長さ(間の取り方)やアングル、があまりにも計算されているのがわかり、役者の演技に自ずと意識が向いてしまいます。久しぶりに、シミやしわ、肌の質感で演技をする役者陣を見て、どれだけの努力と時間、どれだけのスタッフがこの映画を作ったのだろうと思い、しっかりエンドロールまで噛み締めました。
私はヤクザ映画が好きですが、この作品は同ジャンルの中でも特に新しく、より大衆に受け入れられる、繊細でまとまりの良い映画だなと思います。
賞を取る理由がわかります。
少々叙情的過ぎるが印象的な作品
今まで見た映画で一番好きな映画
ヤクザ物ということで最初すごく見るのに躊躇しました。ですが全然内容は思っていたものとは違いました。綾野剛さんが10代〜を演じているのを見た時流石にそれはと思いましたが全然馴染んでいました。歳をとるにつれ変わって行くヤクザの歴史に怖くなりました。
綾野剛さんと市原隼人さんが殴られるシーンで本当にやっていいよって駿河太郎さんに言ったと聞きプロ根性すごいなって思いました。安定に車に轢かれていた綾野剛さんは素晴らしかったです。
テーマは家族
親や兄弟がいなくてもヤクザにはなりたくなかった。けど成り行きでヤクザと家族になった。なったら全力で家族の一員になるべく努力した。けど刑務所にはいった。やっと出所して家族の元に戻ったけど、全てがかわってしまっていた。好きだった女からも拒絶され行き場を失った。家族と幸せになりたかっただけなのにうまくいかなかった。
そんな話。
ヤクザ映画であってヤクザ映画でない
今までのヤクザ映画にない
ご都合主義だらけ
悲しすぎるラスト
平成令和のヤクザ映画
映画のすべての至らなさを俳優の〝力み“でカバー
ヤクザの時代は終わった、と説明台詞が何度も出てくる。くどい。それ以上の思想や鮮烈なアイディアはとくに感じられなかった。
またベタな模倣が目につく。黒い罠やブギーナイツへの憧憬か長回しのOPはこすられまくっているし、トゥモローワールドのような車の襲撃の長回しも、本家の背筋の凍るような、テクニカルにもどうやって撮ってるかわからない破格の域ではもちろんなく、なんとなく真似して薄まった感がいなめない。長回せばいいというものでもない。クライマックスのマグノリアのようなモンタージュも当然マグノリア以上にはならない。憧れがあったので真似た、薄まっただけの結果になった、という印象が目立つ。新たな発明はしないのか。過度に雰囲気の作られたスワロウテイルのような中華料理店も不自然、カッコつけているだけにしか思えず、セリフや作劇で描かれているのは極めて庶民的な下町の雰囲気、なぜムード満点なのか。頻出する逆光の「キラキラしたきれいな」画は節操なく、セリフはどこかできいたようなベタ中のベタ。それらすべてを俳優の〝力み“に委ねたような映画だった。
磯村勇斗だけは素晴らしかった。
全508件中、21~40件目を表示