レイニーデイ・イン・ニューヨークのレビュー・感想・評価
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映画人を負に描きすぎでは…
お洒落な街と若い男女の恋物語なんだけど、彼女が偶然から色々な事情に巻き込まれて…なんだかシックリとこないまま、なんとなく終盤になり、『え⁉︎最後はそうなるの?』的なエンディング。
音楽は好みだったけど、お洒落過ぎるニューヨークがイマイチ好きになれなかった。
ワインでも飲みながらしっぽりと
オシャレ
男と女の恋愛観や価値観の違い等がストレートに描かれているロマンチックコメディ。
80年代を意識した映像や音楽がとてもオシャレで、観ていてワクワクさせられました。また最初は上手くいっていた関係も徐々に会話も噛み合わず崩壊していく過程も笑えました。
この映画において、ティモシー・シャラメの存在がとても大きく演技力はもちろん魅力的なキャラを演じているので他のキャストとの掛け合いが一層引き立っていると思いました。
【総合評価】
全体的に話のテンポが良くジョークや例え等が面白おかしく、会話が入ってきやすいので比較的に観やすくて良かったです。
タイトルなし
知的センスとユーモアで面白い
ニューヨークを舞台にセンスある会話とユーモアそして奇想天外なストーリー。
とても楽しめた。ウディアレン最高。ディエゴ・ルナも出てる!
2020ではストーリー・オブ・ライフとともに心地よく楽しめたベスト映画。
あら、そう
ストーリーが「?」だった。
ニューヨーク愛のつまったウッディ・アレンならではのロマンチックでお...
これがニューヨーカー
同じ大学に通う二人(ティモシー・シャラメとエル・ファニング)は週末をニューヨークで過ごすつもりだったが、彼女は大学新聞の取材で帰ってこない。
ニューヨーク出身の彼氏は時間を持て余し、生まれ育った界隈をぶらぶら。
美しいニューヨークがすべてを飲み込んでしまう。
映像
雰囲気がすごく好き。
雨の中でのキスも素敵でした。
最初から会話が食い違ってる2人、
結局別れて別々の方向に向かう終わりも好き。
ギャッツビーが綺麗すぎた。
もはや雨の中傘さして歩いてるだけで良い👌🏽
観たぞ、ウディ・アレン
こじゃれたウィットに富んだロマンスコメディ、とすっと聞いてはいたが、なかなか見る機会がなかったウディ・アレン。20代の前半に 「クレイマー、クレイマー」 を観たのだが、恥ずかしいことに 「ふうん、これがフレンチトーストっていうのか」 以外の感想がなかったことを鮮明に記憶している。
今回は、俺も大人になったので、ウディ・アレン映画を堪能できたよ。しかし、比較的武骨なものが好きな俺の心の底には、「こじゃれやがって」 という印象がどうしても残ってしまう。楽しんでるのにね。冷たいね。
・ オープニングのテロップはは80年代以前の映画みたいで雰囲気があった。
・ ティモシーシャラメさん、優柔不断な美男子、という役がいやあ上手でした。
・ 兄さんの嫁さんになる人の笑い声はたしかにすごかった。
爺さんになってもこの映画を撮れるってことは、映画監督ってすごいんだなあと思わされる。(「レディプレイヤー1」 でのスピルバーグにも感じたなあ)
あらすじは、「ある美青年が、彼女をかえた話」 かな。(笑)
【雨の日かも】
#MeTooの余波と、新型コロナ感染症の影響でお蔵入りしていた本作、もうウッディ・アレンは映画を撮ることが出来ないのではないかとの憶測もあって、それが本当だったら、とても複雑な気持ちだ。
#MeTooの余波とは、90年代初めに、ウッディ・アレンが養女に対して行ったとされる性的虐待についてだ。
これについて、ウッディ・アレンは否定しているし、彼に対して起こされた民事裁判も棄却され、様々な調査でも事実は確認されていないが、アマゾンは本作についてウッディ・アレンとの契約を破棄、出演者のなかには、ギャラを受け取らず、寄付するなどして暗に抗議の意を示すものがいたり、逆風が続いていた。
この作品は、場合によっては、「何!?この人〜!?」なんて思われがちな人を、そこかしこに配置して、ユーモアたっぷりに人間模様を描いている。
ニューヨークに住むもの、あこがれるもの、若者や大人の人間模様を軽いタッチで描きながら、皆にありがちな、独りよがりなところ、寂しさ、勢い、目標、不見識、流されやすさ、親との葛藤、コンプレックスなどを散りばめ、大人のエゴや自分勝手さ、そして、優しさも加えられて、ストーリーは進んでいく。
だが、考えてみると、これは僕達の周りでも実はありそうなことではないのか。
アシュレーのように下着で放り出されることは少ないかもしれない。
ギャツビーのようにお母さんが高級コールガールという境遇の人も少ないかもしれない。
でも、アシュレーのように、大人に言われることを、そのまま鵜呑みにして行動して、とんでもない出来事に遭遇したり、ギャツビーが母親やチャンとの一連の出来事を通して感じたように、身近にいる人への自分自身の気持ちに気が付くことは、きっと多くの人が年代を問わず経験するようなことだ。
僕達は、きっと大小にかかわらず多くの葛藤を抱え、様々な経験を積み重ねながら、これらを消化しながら生きている。
若さという勢いやエゴ、大人になっても身勝手な人間もいる。
そして、そんな人々が集えば、良くも悪くも、何か化学反応も起きる。
でも、ちょっとしたユーモアな視点で、それを振り返ってみれば、笑えることはきっと沢山あるはずだ。
そして、今、もし辛いことがあっても、いつかは、どーってことなかった!と感じられるようになって、案外人生は楽しいものだと思えるような気がする。
雨の憂鬱な日でも、ニューヨークでは何かが起こりそうな予感がする。
ウッディ・アレンは、本当にニューヨークが好きなのだと思う。
人が集い、何かを考え、行動したり、コミュニケーションのあるところには何かストーリーが生まれるのだ。
この作品はアメリカでの上映が様々なことで難しくなったらしい。
取り敢えず、ウッディ・アレンの映画が引き続き観られるようになることを楽しみとして取っておきたい。
人生はポーカー
やられた。その手で来たか!
いまをときめくエル・ファニングとティモシー・シャラメ、
昇り調子のこの二人をウッディ・アレンが持ち駒にするなら、これが面白くないわけがない。
そしてこの二人を劇中ほとんどバラシで使うところがみそ。
「ミッドナイト・イン・パリ」があれだったので、監督もそろそろ終わりかと思っていたら面目躍如だー!
テンポよく軽快に進むストーリーからまったく目が離せません。
ボーカーのように
ゲームオーバーまで、テーブルには切り札が次々と繰り出されるわけで。
捨て札扱いのおじ様たちも定石で 冴えない味わいで好演。
お開きはカードを見てびっくり、
息をのみ、
ため息が漏れ、
勝者はまさかのワンペアでtook and run 勝ち逃げね。
1時間32分。駆け抜けるハイソ・コントなので、『何も残らない』のがとても良い。
「Missいやし」=愛嬌あるエル・ファニングの痛手も、シーンを包むジャズと霧がきっと何とかしてくれるでしょ。
W .アレンはすべて他人事にしてくれるから◎なんです。
・・・・・・・・・・・・
おまけ:
実は、我が娘が風貌からしてエル・ファニングによく似てる。抜けてておっちょこちょいだけど気だては抜群で憎めない子。
慌てて早口に喋るバカなアシュリーが可笑しくて、
だから映画冒頭から応援してたんですけどね、ドロップアウトでショックでした。
思ったよりよかった
白人至上主義者ウディ・アレン。
私はこれまで約20本程度のウディ・アレンの映画を観てきましたが、(「アニー・ホール」以降の映画です)その中で、黒人俳優、アジア系俳優が登場したのを観たことがありません。全員が、年齢の差こそあれ、もれなく白人でした。この事実はアレン本人のこだわりであったのかもしれません。まさか、アレン本人が人種差別主義者というではあるまいと思いますが・・・。貧相な体格のユダヤ人のアレンが筋骨隆々たる黒人男性にある種の恐怖感を抱いていることは容易に想像できることですが、それにしてもさすがに今回は私は大いなる違和感を抱きました。なぜ、ここまでアレンは有色人種を排除するのでしょうか。現代のニューヨークが舞台であるならば、白人に拘るのは不自然です。
ウディ・アレンの映画の面白さはニューヨークに住んでいるユダヤ人にしかわからない、とよく云われますが、勉強のつもりでアレンの映画を観続けてきた私にとってはもう、理解できなくて結構です。忍耐にも限界があります。全然、面白くないのです。全く、笑えないのです。上辺だけのスノビズムにはもう、うんざりです。文学、絵画、映画、哲学、それらの知識が全て付け焼き刃なのです。この人、今までの人生から何も学んでいません。ひとつ、私はウディ・アレンに訊いてみたいことがあります。
「あなた、今まで生きてきて虚しくはないですか」
最後になりますが、人生の終わりに辿り着いたウディ・アレンの人生の伴侶が韓国系女性というのは大いに笑える話であります。
ニューヨークを舞台としたホームドラマとして
ニューヨークの富裕層の次男坊が主人公。
線が細いインテリ風の容姿だが、
ギャンブルが好きで、好きなだけでなく、
引きも強くて負け知らず。
若さに似合わず、ピアノラウンジで飲み、
自らも弾き語りできてしまう。
だが、いまは、地元ニューヨークのしがらみから離れ
地方の大学に通っている。
そんな主人公が、同じ地方大学に通う、
好奇心先行型の危なっかしい彼女と一緒に
久々にニューヨークに里帰りした
1泊2日の滞在中に、彼女や主人公にまきおこる
ドタバタな悲喜劇。
雨の日、と言いながらも
画面のトーンは明るくてニューヨークを魅惑的に
映し出している。
最後に実母がカミングアウトする自らの出自に対し、
次男坊は、むしろ安堵したようにも見え、
いい子であろうとすることをやめ、
ありのままの自分に戻る決意をする。
そんな次男坊の「心の旅」を、
1日の出来事に集約して描ききる。
ウッディ・アレンが、自分以外の俳優を主役にした
映画の中では、彼の持つ虚無的で現実的で、
アナクロな世界観が最もよく表現された一本。
おそらく、ウッディ・アレンのファンは
高く評価するだろうが、そうでない人には
冗長で無秩序なメロドラマに見えるかもしれない。
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