劇場版 きのう何食べた?

劇場公開日:

解説

よしながふみの人気漫画を西島秀俊と内野聖陽の主演でドラマ化して話題となった「きのう何食べた?」を、ドラマ版のキャスト&スタッフで映画化した劇場版。雇われ弁護士の筧史朗(シロさん)とその恋人で美容師の矢吹賢二(ケンジ)にとって、2人でとる夕食の時間が日々の大切なひとときとなっている。ある日、史朗の提案で、賢二の誕生日プレゼントとして京都旅行に行くことに。賢二は京都を満喫していたが、道中に史朗からショックな話を切り出されてしまう。この京都旅行をきっかけに、2人はお互いの心の内を明かすことができなくなってしまい……。シロさん役の西島、ケンジ役の内野をはじめ、山本耕史、磯村勇斗、マキタスポーツ、梶芽衣子らドラマ版のキャスト陣に加え、「SixTONES」の松村北斗が出演。

2021年製作/120分/G/日本
配給:東宝
劇場公開日:2021年11月3日

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(C)2021 劇場版「きのう何食べた?」製作委員会 (C)よしながふみ/講談社

映画レビュー

4.0内野聖陽の演技力に驚きつつ、自然と世界観に入り込め、主人公らと将来、そして今を生きる大切さのようなものを考えられる作品。

2021年11月2日
PCから投稿

ドラマ版も原作マンガも読んでいなく、いきなり映画からついていけるのかという心配もありましたが、事前にうっすらと「BL系の作品」というのを聞いていたため、それだけで情報は十分でした。
「劇場版」ではありますが、スタッフやキャストは良い意味で「平常心」で、きっとドラマ版も似た雰囲気なのだと思われます。
まず、西島秀俊が演じるシロさんは、普段と全く変わらずでしたが、内野聖陽が演じるケンジには、思わず「えっ」と呟きました。なぜなら私の中での内野聖陽は、「臨場」での警視庁刑事部鑑識課・倉石でイメージが固まっていたため、あまりのギャップに当初は驚きました。
ただ、むしろ、こっちの方が実際に近いのでは、と思うくらいにハマっていて、自然と笑いを誘えるケンジというキャラクターになりきっていました。
山本耕史と磯村勇斗も良い味を出していて、劇場版からの新キャラクターの松村北斗も自然体ながら上手く世界観に溶け込んでいます。
通常の恋愛系映画はゴールがおおよそ決まっていますが、同性の恋愛なので明確なゴールは見えにくく、むしろその方が地に足のついた物語になっているように感じました。
そのため、主人公らと一緒に、「将来」、そして「今」を生きるために大切なことを考え、気付かされるような作品になっていると思います。

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細野真宏

4.0法律に携わる人の言う事ではない!

2024年3月31日
スマートフォンから投稿
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マサシ

3.5映画館で見なくても良かった

2024年3月20日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館
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どドンとす

4.0「綺麗だ、って言える人がいるっていいな。」

2024年1月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

楽しい

幸せ

本作はラストで史朗が桜を見ながら思わず口にしたこの言葉にすべてが集約されてる気がする。
異性だろうが同性だろうが自分がその時その時に感じたことを共有しあえる人がそばにいてくれるということがいかに尊いことか。
一見何気ないストーリー。何か大きな出来事が起きるわけでもなく、見る人によっては無理やり映画にしたと感じるかも。しかし本作は見終わった後にいろいろ考えさせられる。この何気ないという内容こそが重要だった気がする。

弁護士の史朗は賢二との食事の時間を大切にしていた。けして職場での飲み会には行かない。依頼も外食を余儀なくさせる案件は避けてきた。
家族が日々の食事を共にすることの大切さ。テーブルをはさんで近い距離で同じものを食べ、美味しいと言い合ったり、会話が自然と生まれる時間を共にすることは人間関係においては結構大切だ。共働きの二人はそんな何気ない時間を大切にしていた。だからこそお互いの些細な変化もすぐに感じ取れてしまう。本編ではそこからちょっとした物語が生まれたりもする。
共に同じ時間、同じ空間を分かち合うそんな二人の関係だからこそ、相手がもしいなくなってしまったらと互いが大げさにうろたえるさまをおもしろ可笑しく描いているが、確かに彼らのように大切な家族がいる者としてはけして笑えることでもないなと思わされたりする。

本作を同性愛者の映画と聞いて生理的嫌悪感を持つ人がいるのは理解できる。本作は一般受けを狙ってか性的なシーンは一切排除し、むしろその点を逆手にとってギャグとしてパターン化してるところが笑えた。
劇中で史朗の母親が息子のパートナーである賢二と対面した後に倒れてしまう。息子のことは理解してるつもりだったし、賢二に対しても好感を持てた。自分には同性愛者への偏見などないと思っていた、しかし体が受け付けなかった。同性愛を受け入れられる人、受け入れられない人がいる、どちらが悪というわけではなく、どうしようもないことなんだろう。
特に古い世代の人にとっては自分たちの家族観とあまりにかけ離れた新たな家族のカタチを受け入れるにはまだまだ心と体が追い付いてないのかもしれない。母親は息子が自分たち同様に女性と結婚して子供をもうけて、いわゆるごく普通の家庭を築くものだと思っていたに違いない。

今時代は過渡期に来ている。今までのいわゆる常識から、それにとらわれない新しい常識の時代へと、古い時代の人はそんな変化に急にはついていけない。
以前、森喜朗が女性蔑視発言で五輪組織委員会会長を下ろされた騒動があった。彼は女性を見下す時代を生きてきた人間であり、彼にとっては当たり前のことを言ったつもりなのだろう。だから発言の何が悪かったのか全く理解できない。女性の社会的地位が向上している今の時代の流れに意識が追いついてないのだ。
時代の変わり目、過渡期にはこのように戸惑う人間は多いはず。ただ、こういう人間は時代の流れに取り残されていずれ淘汰されていくだろうし、淘汰されるべきなのだ。特に政治家などは。

政治家は個々の国民の声に耳を傾けなければならない。その声を聴き、政策、法案につなげる。G7の中で同性婚を認めてないのは日本だけだ。同性婚を認めたら子が生まれなくなり、区は滅んでしまうとほざいていた東京の区議会議員がいたが、効果的な少子化対策もせずに、出生率最低をたたき出した政党の人間の発言としては本末転倒だ。

男か女か、雄か雌か、この違いは同じカードの裏表みたいなもんだと思う。もとはおんなじ、染色体の関係でどちらかに産み分けられる。自然界では繫殖を機に性別が変わる生物もいる。そんなことを思えば性差なんてとるに足りないことだ。生物学的には雄と雌が交尾して子孫を増やすのが一般的だが、同性同士が家族を作ってはいけないなどとどうしていえるのか。自分たちの古臭い家族観に固執して国民の声に耳を傾けない政治家は淘汰されるべきだろう。

フランスなどでは異性同性カップルに分け隔てなく育児補助金を出していて、そんな政策が少子化V字回復に貢献している。こういった個々人に寄り添う柔軟な政策が暮らしよい社会の形成につながれば人口増に転じるのは歴然だ。頭の固い連中が牛耳る日本では少子化による人口減はもはや避けられない。

ただ日本でも地域によっては同性パートナーズシップ制度など同性婚を実質認めようとする動きが出てきている。史朗と賢二が今後子供をもうけるのかはわからない。でも彼らのもとで育つ子供はきっと幸せだろうなと思う。

ラストで思わず口に出た史朗の言葉。当たり前のことを当たり前に感じた思いが自然に出たんだろう。そんな当たり前の思いが同性愛者であるということだけで踏みにじられる社会であってはならない。

劇場にて鑑賞。再投稿。

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