ミッドサマー ディレクターズカット版のレビュー・感想・評価
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ありがちの域を出ない
結論として面白かったのかどうかは分からないが、約3時間のこの映画をまったく飽きずに最後まで見ることが出来たのは良かったとまずは言いたい。
しかしながら私は普段ホラー映画を見ないからか、この映画が何を表現しているものなのかよく分からないまま最後まで見ました。
通常版(?)は見ずにこのディレクターズカット版だけを見ました。
双方の視点を考えればおかしなことは特になく、ストーリーも当たり障りなく、ちょっとグロさがあるかなぁという感じのなんとなく不思議な感じの映画。特に新しさも感じませんでした。
主題が分からない理由としては、グロテスクな怖さを必要としている映画(なのだろうと推測)なのに、演出にそれを効果的にするものが無かったというものがあります。
ミッドサマーというのはこれが夏の出来事ということなのかそれともあのみんなて寝る部屋の事なのか何だか分かりませんが、みんなが半袖を着ているのは夏だからなのだろうと思います。だがそうした季節感もなく(要するに体感する温度の表現がない)臭いも味も表現されていない。
死体の腐敗、死臭、体臭、料理の味や香りなど、あと眠れない事による体調の悪化なども含め体感で感じることをほぼ表現していない。視覚のみの効果を狙っているかのようです。
あの道路、そして集落の入り口を示す標識から向こうはこの世とは違う世界であって感覚もこの世とは違うということなのだろうか。
何なのかよく分からないけれど、とにかくホラー映画とはなにかにつけて中途半端だなと思わざるを得ない。
ただあのホルガの風景というか明るい世界は綺麗で良かったと思う
確実に観る人を選ぶ、明るく(いい意味で)不快なおとぎ話
自然いっぱいお花いっぱいの綺麗な景色で展開する、イヤーなお話。
分かりやすい残酷描写もあるけど、単純なホラーとは違って、どっちかと言えば精神にくる。
人間の嫌な面を、あえて見たくないと思う人は、絶対に見ない方がいい。
でもそれを含めて、決して相容れない文化を楽しめる人なら(?)なかなか、面白い映画だと思う。楽しく変な儀式とか、カラフルで美しい死体の飾り方とか考えるの楽しそうでしょ。
そして何だかんだ、最後はいい話にしちゃう力技は笑っちゃいました。
そんな広い心で観れる方はどうぞ。
3時間が辛くなかった
最近も2時間越えの映画を見たけど、眠りこそしないものの途中で我に帰っていま何分ぐらい時間経ったかなーとか、飲み物飲んだり尻の位置を直したり集中は何度も途切れた。
だけどなぜかこの映画は3時間という長時間、ほぼ飽きさせることなく鑑賞できたんだな。
全然ハッピーになる要素がなくて、中盤からどんどん人が減っていって、この登場人物たちの行く末から目が離せないというのかな、好奇心は身を滅ぼすってやつで、多分自分がこの世界にいたら真っ先に消えるタイプ。
設定のアラは多々あるんだけど、どっかでこの映画はそもそも主人公の妄想の中で、癒しの過程を描いたなんて考察も見たので、なんだ、それだったら残酷な殺され方をした人はいなかったんだね…と安心できるw
結構な客入りなもんだから、知らずに見にきちゃって言葉を失っている人たちに「ご愁傷様」という言葉を贈ります。
通常版と比べるとわかりやすさは上
通常盤を観賞後にこちらも鑑賞。
全体的には、人物の人間性や心情が分かる描写が通常版よりも多くわかりやすい印象。
通常盤を観たあとだからというのも多少あるとは思うが・・・
特にクリスチャンの人物像はこちらの方がかなりわかりやすく、ダニーとの関係性や、ストーリー全体を理解する上ではよかったかなと思う。
これは、好みの問題ではあると思うが、あえて細かな描写をカットされていることで見る側の想像力で楽しむか、わかりやすい描写で、ストーリーが理解しやすいほうが良いのか。
個人的に、ミッドサマーにおいては後者のディレクターズカット版の方が好きだった。
ちなみに視覚的な派手さはそこまで変わらなかったかなと思う。
DC版の★5じゃなく作品の★5ね!
通常版はレビューしましたので
こちらはディレクターズカット版として。
まー「観たいシーンが観れた!」のは鶏くらいで
後は関係性をわかりやすく観れる版レベル。
「未知との遭遇 特別編」
「ゾンビ ディレクターズカット版」
みたいなマニア向けです(^ω^)
それにしても女性が多かったなー!
この手は強えーな、女は。
あ、そえそう。
ボカシが無くなってたよ、こっちは(^ω^)
サムネイルがラスト直前なのやめない?
ディレクターズカットとオリジナル版が別々になってるようだったので、オリジナル版の感想と同じものを転載します。
なおディレクターズカットをみるくらいならネタバレ気にしないはずなので警告も外してあります。未見の方はここで読むのをやめることをおすすめします。
ミッドサマーの評判の良さは、単に民俗学的な知識(いや知識ですらない。単に聞いたことあるかどうか)がない人たちの間でワーワー盛り上がってるだけのようだ。
5ちゃんの感想みてると頭クラクラしてくる。
共同体に外部から人が招かれて歓待される、民俗学でいうところのまれびと信仰、およびまれびと殺しについての映画。
5ちゃんに感想、疑問として「なんでよそ者が女王になるんだ?」などと書かれている。なるほどこういう人たちが見て面白がってるのね。
民俗学的にはむしろ逆です。
女王という地位は妬みを生む。共同体の中での争いや対立をなくすためには外部の人間こそふさわしい。女王はまれびとたるヒロインでなければならない。生贄みたいなもんです。
「外部から来た人に統治できるはずない」だろって?
そもそも統治させません。祀るだけです。用が無くなったら殺します。祭りの期間が終わるか、子どもを産ませるか、共同体にとって利用価値がなくなったら、それこそ生贄かなんかにして。
民俗学知らなくてもこのことを推測させる描写があります(当方ディレクターズカット版のみ鑑賞)。
若者が泊まる宿舎に歴代の女王の写真が飾られてます。あれ何枚ありましたか。パッと見で10以上はあったとおもいます。
写真が発明されたのはせいぜい150年前かそこらです。
あの村では72年で死ぬことが決まってるとして、女王はかなり早いサイクルで交代させられてることになりませんか。
仮に夏の時期の18〜36歳の間の18年間だとしても、18年×10人でも180年。写真や肖像画が多すぎる。
そもそもいつ、どういう基準で女王を降ろされるのか、直前の女王の姿を誰か見ましたか?
またいつから女王の写真や肖像画を飾りだしたのか。何の根拠も示されない。
90年に一度の祀りであるとか、村の側から提供される情報は基本的に疑ってかかるべき。
ちなみに村の女と彼氏がセックスさせられるのも「客人婚」といって民俗学でも珍しくないならわしです。血が濃くなることを避けるために旅人の子を産み、村の子として育てます。父親はいりません。
これは映画の方にはありませんが、昔の祭りで夜になると顔を隠してセックスしてわざと普段のパートナーとは違う人と交わったり、となり村の女をさらって嫁にするなど色々な方法でそれがなされていました。
古代の村落や原始宗教の価値観をいまの目でみると残酷なものであるという点はそのとおりだなとおもいますが、わざわざこの映画で確認する必要は自分にはないので。
作品時間を収めるということ
勿論、監督や制作現場に携るスタッフ、そして演者にしてみたら撮影されたカットは何一つ落とさずに利用して繫げて欲しいというのが願いであろう。編集は、そのカットをストーリーとして構築していく為の作業であって、チャゲ飛鳥じゃないけど♪余計なモノなどないよね♪的な不必要なカットを削ぎ落とすなんてチョイスはしたくない。しかし冗長はしばしば観客に飽きと集中力の低下を招く。そしてそれが直接的に評価へと繋がる。そもそもがストーリーをリアルタイムの時間軸で組み立てることにリアリティが生まれるのかと言えば、それは“NO”である。生放送のテレビドラマは以前はたまに放映されていたが、あくまでもシチュエーションドラマの枠内だ。ノーカットのワンショット撮影(風)の作品も注目され、それはそれでスペクタクル性がとんでワクワク感が増す演出だ。ただ、その大半は綿密に構築された撮影プロットや脚本の積み重ねにより、整理整頓された形で観客に提供される。所謂“過不足なく”だ。“過不足”の基準は一体何だろうか?正に前述の評価に繋がる冗長さを精査しての作品全体を統括するプロデューサーの千里眼に他ならない。勿論、映像作品全てには当てはまらないが一般論としてだ。とはいえ、フィルムからデジタル媒体へと記録先が劇的に変化した現代は、その真剣さも薄れつつあるのも事実であろう事は承知している。
前段こそ冗長で申し訳ないが、その葛藤に於いて、監督は自身の思い描く表現を余すところ無く披露したい欲求にブレーキを掛けなければならない。難産の末に生まれた映像カットをだ。今作のアリ・アスター監督も苦悩を吐露していたようである。そして、その監督が完全版と自信をもって上映されたのが、今作のディレクターズ・カットである。
正式版では伝えきれない、本来存在する細かな加筆部分も数箇所あるが、何回も鑑賞していないのでどの部分がその場所なのかは、ネット上の考察まとめで確認するという、本末転倒的な行為に恥ずかしさを感じているが、それでも直ぐに気付いたシーンがある。コミューン内の少年が生贄の為、体中に錘を付け洞窟内?それとも希少な夜時間?の池の中に投下される件だ。正にその前段階での壮絶な“アッデスパン”の精霊行事を見せつけられての、今度は子供迄も犠牲になる究極の狂気に狩られた村の蛮行に、主人公達のストレスもピークに達する演出だ。但し、それは神の前で繰広げられる“劇”であり、村の女性達からの救いの懇願により沈めることを止めるというところまでが芝居内容である。そのジェットコースター的感情の起伏を喰らい続ける観光グループ達の不安、不信、安堵、そしてこの世界での寄る辺の無さという無常観に、一気にたたき落とされるのだ。そう、子供を池に投げ入れるのではない、自分達がこの村という“池”に投げ落とされてしまった決定的瞬間なのだ。
このシーンの重要性は、観客それぞれが感じ取るものであろう。カットされても確かに直接的なストーリーの齟齬はない。但し、感情のメーターの往復数が違うだけで、以降のシーン又はシークエンスへの布石がどれだけ違うか、強力な楔という意味合いを改めて考えさせられた大事なシーンであると自分は強く感じる。ストーリーを積み上げる上で、あの演出(又は騙されたと言っても良い程)の壮大な“フリ”は、地獄で黄色いタンポポをみつけたようなそんなホッとした優しさを、実はそれも企てられた罠とは知らずに受容れてしまう悲しい人間の性を描いた、心を惑わされる悪魔の演出なのである。
現代人の末路。
終始トリップだった(バッド?グッド?)。過剰な演出もあそこまでやり切れば清々しい。音楽がとにかく素晴らしかった。ザ・映画体験。
「ときおり吹き出してしまうけど、われわれはあのコミューンを笑えるだろうか」と、問いかけたくもなるものの、やはりあそこに戻りたくはない。
わたしはどこからきてどこへいくのか。わたしが生きる意味は何か、わたしは誰か、そういった問いかけさえも自分ひとりの問題とされ、その決済を自己責任化してしまうウルトラ資本主義社会において(信仰の市場!)、その問いかけを徹底し、吹っ切れた男は悲劇を喜劇に塗り替え、ジョーカーとなった。ではダニーは? この結末はジョーカーと好対照を為しつつも、同じ淵源をもつ二つの現代人の末路だと思う。
アナキズムでもカルトでもなく、綱の上を渡る道はまだ残されている、というより、まだ未発見の道があるはずだ。
それにしても、現状追認にはなりたくないものの、この映画をみて近代人でよかったと思えるのは、すでに、あらゆる価値とそれを巡る闘争を観客として笑いのめしつつ、信じているフリをして価値をとっかえひっかえしてなんとか生きているわれわれの社会の異様さに、まさにあのコミューンの人々のように慣れすぎてしまっているからなのかもしれない。孤独死が捏造された語なのは明らかだとしても、われわれは死を祝祭できるだろうか。
究極のセラピスト映画。北欧の美しい原野で繰り広げられる白昼夢の様な祝祭・儀式はいつ参加(鑑賞)しても飽きませんな。
①ディレクターカット版ということで、サイモン・コニー・マークが殺されるシーンが出てくるかと思ったら、更なる伏線シーンが殆どだった。初めて観る人にはこちらの方が分かりやすいかもしれない。②オリジナル版の時には、「冒頭で家族を失ったダニ―が、最後に新しい家族を見つける話」と書いたけど、今回ラストのダニ―の笑顔のシーンを見ていたら、抗不安剤のお世話になっていて何かショックな事があるとすぐパニック発作を起こすダニ―(だからクリスチャンにウザいと思われていた訳だけれども)が、儀式の最後に喚き、泣き叫び、笑い狂うコミュニティの人々を見て、「私、変じゃなかったんだ」とやっと安心出来た笑みだったとも解釈できる。
2020年 13本目 ★★★★☆「落ち込んだりもしたけれど、わたしは元気です」
「落ち込んだりもしたけれど、わたしは元気です」て映画だった。ハッピーエンドで心がホッコリするラストだった。ヘレデタリーにも通ずる「祝祭感」。
ミッドサマーは、主人公が両親を亡くしたアメリカでは画面も暗く、誰も彼女に同情しない。それが、スェーデンに行ってからは白夜で晴れ渡る空、美しい花々、そしてすべての感情や感覚を共感してくれるコミュニティ。
地獄を経験して、さらに上いく地獄を突破したら案外良いとこに辿り着く。大切なのは、理解し合える仲間。
この映画は「恋を叶えるドキドキ黒魔術」のやり方を教えてくれる映画だった。「なんで、この人のジュースだけ色が違うのかなぁ」って理由に気付いた時にはもう恋のトリコだった。あのシーンは腰抜けた。
平衡感覚がなくなるような映画
ディレクターズカット版が上映されるということであったので、通常版を観ずに鑑賞しました!
スウェーデンの夏至祭という舞台設定で、白夜によって物語の大部分が昼間で、それによって、村の風景や草花、村民の衣装が華やかで綺麗でした。
その綺麗な映像が反転したり、モワモワと動いたりすることで不気味さが引き立ちます。
また、建物の壁や、タペストリーに描かれた絵が伏線となっており、宗教画のような綺麗な絵が逆に不気味さを誘います。
村民は笑顔で祭りを楽しんでいるように描かれていますが、その笑顔が怖い…😱
ときおり村民が発する言葉も不気味で、村の外の血を入れるため、たまに外から人を連れてくる。という話や、この祭りのことは外に出してはいけない。と言っていたのに急に許可したりといろいろ不気味…😱😱
この村に関する文献が残っていないということで、初めからこの村から出すつもりはなかったんだろな…🤔
最後は主人公だけ残され、主人公が笑う場面で終わりますが、途中でのんだドラッグが見せた幻覚だった?とか、自分の家族の死も生命の輪の中の一部だと安堵した?とか、自分はここで生まれ変わった?とかいろいろ考えられて、ん?となりました。
映画を見終わってすぐは、なんだこれ?という感じでしたが、色々考えるといろんな伏線などもあり面白かったという印象に変わりました!
ジャンルはホラー?エロ?映像作品?みたいな感じでした!
平衡感覚がなくなるような不気味な映画でした🎬
料金高い。
通常版を観ていたから、これを観ることで見解が変わるかもしれないと思って鑑賞。特に変わることはなかった。追加したシーンを見逃さないよう真剣に観ていたから疲れたし、二度目だから冷静に、悪く言えば白けて観ていたように思います。私的には通常版だけでもいいかなと思います。
人それぞれ評価がちがう
バックグラウンドとして皆、精神的に不安定だったり日常生活にストレスを溜めていたり。一応大学院のなかよしメンバーでのお話のようですが、どうも純粋にそうは見えない。お互いある程度距離をとっているような気がする。
そのメンバーのひとりの故郷である、スウェーデンの奥地にみんなで行くのですが閉鎖的かつ異様な環境にストレスが溜まっていく。
ストレスが加担して、もともとの性格の良いところも悪いところも際立っていく。
この奥地には家族を作りたい人が集まっている、と捉えられるようなことを劇中で言っていました。それを念頭において鑑賞すると、なんとなーくですが古くから受け継がれてきた伝統を守る、ちょっと激しいひとつの村に見えてきます。
最後に主人公の女の子が笑ったところで、やっと冒頭の彼女の両親と妹の不審死と繋がった気がしました。
幸せな日常がある人物は排他されていく。郷に入れば剛に従えってやつなのかなぁ。モヤモヤ派でした。
あなたはどれ派?
まずエログロが苦手な人、登場人物に強く感情移入する方にはおすすめできない作品です。
そうでなければ言われているほど見るに耐えないものではないとわたしは感じました。
(それでも精神的にはドッときます…)
その上で、作品鑑賞+考察を人セットで是非観るべき作品だと感じました。
観賞後の印象としては、この作品は個人的にはハッピーエンド派、バッドエンド派、モヤモヤ派に大きく分かれると思います。
またそれぞれ下記のような人に分かれると勝手に私は感じました。
【ハッピーエンド派】
・ダニーに感情移入して観た人
・登場人物の男性陣にイラッとした人
・自身が過去に辛い経験をしたことがある人
【バッドエンド派】
・クリスチャンに感情移入して観た人
・宗教観が受け入れられないと感じた人
・彼女とのすれ違いを日常的に感じている男性
【モヤモヤ派】
・オリジナル版のみを鑑賞した人
・ダニーとクリスチャンの両方の視点で観た人
・ダニーに感情移入しつつも宗教観が受け入れられないと感じた人
この作品は全体を通してダニーの心情を中心に描かれている印象を受けました。また、オルガ村の宗教的慣習や神話を元に作られていて、考察すればするほど面白くなる作品と感じました。
ネタバレ要素に関して言えば、
左右対称や上下反転のカメラワークが不気味な印象を増幅している点や、ルーンの石碑と終盤の生贄シーンの対比、序盤のダニーの1人の叫びと後半のダニー+村人の共感の叫びの対比、現代社会と古代文明の対比など多くの対比を用いている点が鑑賞者が深く考えさせられる作りになっていると感じました。
観ていない方は、オリジナル版→考察→DC版→考察の順で観るとより深く考えながら楽しめるのかなと思います。
考察まで込みで星4としました。
最後に、不思議なことに長くてたいくつしそうなのに何故か眠くならない作品でした(笑)
是非観てみて下さい。
傑作かも?!
通常版は鑑賞済み。
初見は、ただただ嫌悪感しかなかった。余りにもカルト・コミューン達がリアル過ぎて、音楽と撮影が美しく過ぎて、頭の中のバランスが取れなく気持ち悪くなりました。
2回目は主人公の気持ちの変化が判りやすく、カルト達に免疫が出来たのか、ラストなんかhappy end になっちゃいました。
アリ・アスター、只者じゃない!
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