ミッドサマー ディレクターズカット版

劇場公開日:2020年3月13日

ミッドサマー ディレクターズカット版

解説・あらすじ

長編初監督作「ヘレディタリー 継承」で高い評価と注目を集めたアリ・アスター監督の第2作で、スウェーデンの奥地を舞台に描いた異色スリラー「ミッドサマー」のディレクターズカット版。オリジナルの劇場公開版ではカットされた未公開シーンを追加し、上映時間は2時間50分に。日本における映倫区分はR18+(18歳以上が鑑賞可)となった。不慮の事故で家族を失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人とともに、スウェーデンの奥地の村で開催される「90年に一度の祝祭」に参加するため、現地を訪れる。太陽が沈むことがないその村には美しい花々が咲き、やさしい住人たちが陽気に歌い踊る、楽園のような場所だった。しかし、そんな村にやがて不穏な空気が漂い始め……。ダニー役は「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」でアカデミー助演女優賞にノミネートされたフローレンス・ピュー。

2019年製作/170分/R18+/アメリカ
原題または英題:Midsommar: The Director's Cut
配給:ファントム・フィルム
劇場公開日:2020年3月13日

スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0 少数民族の文化を「怖い」と感じることについて考えた

2021年10月30日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

これはホラー映画なわけだが、少数民族の文化はこのグローバル時代にいかに護られるべきか、あるいは護ってはいけないのか、ということを真面目に考えてしまった。
あのスウェーデンの村の伝統文化は、現代社会の価値観では認めるわけにはいかない野蛮なものだろう。しかし、あの村ではそれを文化として護ってきた。それをグローバルな価値観でジャッジしていいのかどうか。
この映画は、そういう議論をホラー体験として語ることで回避している気もする。しかし、あの若者の一部があの文化に取り込まれていくのを見ていると、回避はしておらず、むしろその問題を真っ向から描いているとも解釈できる気もする。
そもそも、この村を怖いと思うのは、どんな視点で見た時か。僕らはなぜか、当然の前提として、近代人の価値観でこの映画を観てしまうが、そもそも、なぜその価値観の正当性はあるのかと疑問に思う必要もある気がする。
僕はこの映画を怖いと思った。しかし、これを怖いと感じることには、自分の中に、ある種の傲慢さがあるようにも感じた。

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杉本穂高

4.5 ダニーとクリスチャンの関係により踏み込んだ、狂気がぶつかり合う完全版

2021年8月19日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
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ホンダケイ

4.0 白いホラー。スマホで見るのオススメ!

2026年7月30日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

驚く

ドキドキ

普通はホラーって暗いのばっかりなのに、これは画面がキレイに見れる!スマホで見るのに最適なホラー!
途中でラストに気付く。しょーがないよね。アッテストゥパン怖い

■友人にオススメする?
するかも。

■友人に「見た方がいい?」って聞かれたら?
見たほうがいいかも(ニッコリ笑顔)

■もう一度見たい?
見たくなる不思議な映画だなー(ニッコリ)

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磯野ゆな

4.0 「閉ざされたコミュニティの恐ろしさ、それは“どこにでもある”ということだ」

2026年3月21日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

怖い

驚く

斬新

 アリ・アスターの映画を初めて見た。アリ・アスターの頭の中を覗いてみたくなる。この狂気に満ちた世界観を生み出す想像力には、純粋な恐ろしさがある。そして観る者は、彼が周到に設計した映像に抗えず引き込まれていく。

 ファーストシーンからすでに不穏だ。その不穏さは終始維持され、徐々に増幅されながら、狂気のラストシーンへと連なっていく。この一貫した構成は、大胆でありながら緻密でもある。

 舞台はスウェーデンのボルガという「閉ざされた」村。夏至祭へと招かれた彼らを迎えるのは、独特の衣装をまとったコミュニティの人々だ。ここで重要なのは「閉ざされている」という点である。外部から隔絶されているからこそ、独自の価値観と世界が成立する。アリ・アスターの知性が光る設定だ。

 この「閉ざされた」コミュニティという設定で思い出すのが『ウーマン・トーキング 私たちの選択』である。そこでは女性たちは読み書きも許されず、男性に従属し、暴力さえも「悪魔の仕業」と信じ込まされていた。真実を知った女性たちが未来を話し合う物語だが、この作品を観たとき、私は「閉ざされた」環境そのものに強い恐怖を覚えた。

 白夜のスウェーデン、終わることのない明るさの中で夏至祭は始まる。やがて目を覆いたくなるような出来事が起きるが、コミュニティの人々は誰一人として動じない。それが彼らにとっての「常識」だからだ。動揺するのは外部から来た者たちだけである。村人たちは定められたルールに従い、その秩序の中で互いを守り合う。

 ペレという村の出身者が、大学の友人たちとその恋人を含めた四人を連れて帰郷する。しかし、なぜこの四人なのか――そこには脚本上の必然が用意されている。

 外部者たちは、やがてコミュニティ特有の儀式を目の当たりにする。拒絶したくなるほどの違和感。しかしこの共同体では、ある種の呪術的な信仰が絶対的な意味を持つ。「伝統」として継承された儀式は神聖視され、それに従うことが生の前提となっている。ゆえに、不信や異議、あるいは学術的関心すらも、共同体の規範を脅かすものとして排除される。そこに待つのは、あまりにも苛烈な結末だ。

 祝祭の中でも特筆すべきは、女王を決めるロンド(輪舞)の場面である。回転し続ける群舞、合図による反転、加速するリズム、次々と入れ替わるパートナー。そのスリリングな動きを余すところなく捉えるカメラワークは見事だ。そして最も深い悲しみを抱えた女性が女王として迎え入れられるという皮肉が、静かに胸を打つ。

 しかし本作の真の恐ろしさは、単なる「閉ざされた村の奇習」にはとどまらない。この構造は、遠い異国の話ではなく、私たちの日常とも地続きである。

 コミュニティ、すなわち共同体。村社会、地域社会、学校、会社、さらには政治や国家に至るまで、あらゆる場所に暗黙のルールが存在する。それに背けば、即座に排除される危険がある。だからこそ、人は違和感を抱きながらも従ってしまう。外部に見せるのは都合のよい側面だけであり、異質な声は簡単にかき消される。

 アリ・アスターは、この「閉ざされた」状況そのものに警鐘を鳴らしているのではないか。従順な者を取り込み、それ以外を排除する構造。どんなコミュニティも完全に閉じてはならない。しかし開けば外圧によって崩壊する危険もある。その矛盾ゆえに、人は頑なに閉じようとする。

 閉ざされた社会の内部は、外からは見えない。だがそのような共同体が現実に存在し続けているという事実こそが、最も恐ろしいのだと、本作は静かに語りかけてくる。

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かな

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