「『普通じゃない』っておかしな事。だから、優生保護●に繋がるのかなぁ。」アイヌモシリ マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
『普通じゃない』っておかしな事。だから、優生保護●に繋がるのかなぁ。
『真白の恋』という映画の中に『普通になりたい』と言う台詞があった。
さて、この映画では、母親役の女性がこの地から出て行きたい息子に『なぜ、この地を出たいの?』と聞く。息子は『だって、今、やってる事、普通じゃない』と答える。
カント君が羨ましい。アイデンティティがはっきりしているからだ。我が爺さんはイケメンな爺さんだったが、新潟県小千谷の極貧農民の私生児。父親ははっきりしているが、母親の系図ははっきりしない。
その爺さんがカント君のお爺さんに似ていた。昔から我が一族は『私達、アイヌか縄文人の血が流れているのかなぁ』って言っていた。国立博物館の日本館へ縄文人の骨を見に行くたんびに我が爺さんに会えるので、アイヌの方々からの直接の血の繋がりは無くとも、縄文人のDNAが我が血には混ざっていると思っている。
勿論、実に愉快だ。競馬馬や飼い犬じゃないんで、アイデンティティがかけてしまった以上、雑種でありたい。
しかし、近代に入ってからのアイヌの方々のアイデンティティの維持も含めた活動が、こんなになってしまったのかと少し時代を感じ、嘆いてしまう。大変に残念だと思う。日本に限った事では無いけどね。
熊に会いに大雪山連峰を5回縦走した事がある。まぁ、それが僕の『イヨマンテの夜』だったのだが、5分前に熊に出逢った人と湯気が立つ熊の排泄物は見たが、本物に出逢う事はなかった。
熊と出逢う恐怖に耐えながらテントで一人で過ごし、夜が明けて、テントから這い出る。どうやら天気は悪くないようだが、濃霧が立ち込めていた。五里霧中と言う言葉。それよりも、神秘的な美しさだ。『長谷川等伯の松林図屏風。』夜なら『バスカービルの魔犬』に繋がるのかなぁ。そこはオプタテシケ山の張場で、そこからトムラウシ山へ着々と登る以外道は無い。やがて、真っ青な空が姿を表し、赤トンボがその青に映え、岩稜にナキウサギの鳴く声が聞こえた。『イヨマンテの朝』だ。
個人的には熊を殺傷する文化ばかりが、アイヌ文化ではないと感じるが。
だから、僕は10回以上『アイヌモシリ』には行っているが、アイヌ文化と接触した事が無い。どこの馬の骨か分からぬ和人の分際で、俯瞰した目で彼らを見てしまうことに違和感を覚えたからである。
従って、黒板五●(ゴロちゃん)に僕は共感が持てない。
スター・トレックボイジャーのチャコティ副長を思い出した。