「綿密に計算された構成」砕け散るところを見せてあげる あらP★さんの映画レビュー(感想・評価)
綿密に計算された構成
映画やドラマをたくさん観ていると予定調和に慣れ筋書きを先読みしてしまう。冒頭のシーンと、全く異なる主人公(清澄)達の登場に時系列的な説明は無くても、観ているうちに彼らの関係性が推測できてしまうのだが、次第に不穏になって行くストーリー展開と、その先で清澄がピンチになった時、冒頭のシーンがあるので彼は無事だろうと思う反面、推測がまるで間違っている可能性も考えてしまい不安になる。結局、清澄達はあり得ないほどの強靭さで生き残り、予定調和は保たれてほっとするのだが、まるで視聴者の不安感を弄ぶような構成は意図されたものだろうと、後になって気付かされる。
母親となった玻璃が、息子がヒーローに憧れる姿を笑顔で見守っていることに、ヒーローたらんとして事故死した夫を想い、咎めないのかと最初違和感があった。しかし、清澄だけでなく自分自身もヒーローたらんとしたことに思い至ると、息子がそうすることを応援する姿というのもしっくり来るところがあった。このように考えさせる点も一つの演出意図なのか。
タイトルは誰の言葉か。様々な意見があるだろうが、映像では玻璃が父親を打つシーンがハイライトに思われた。この衝撃的なシーンの後のナレーションで、その後玻璃は玻璃として生きられなくなったと説明されている。すなわち、「砕け散」ったのは「玻璃」自身、わずかに意識のある清澄に「砕け散るところを見せてあげ」たのだと解釈した。言うまでもなく「玻璃」は「砕け散」るガラスの象徴。指を天に向け清澄の方を見ていた瞬間の玻璃のセリフこそが、このタイトルなのだと思った。
主人公達と同世代はもちろん、ベテランの助演にも恵まれ、信州諏訪の少し鄙びたロケーションと抑えめの演出で、印象に残る良い映画だった。