「観客を苛む意味でむしろ大成功」DAU. ナターシャ katmedsさんの映画レビュー(感想・評価)
観客を苛む意味でむしろ大成功
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鑑賞前からはすでに本作は物語よりテーマが先行することを知りながらも、本作が与えてくれた衝撃は想像以上だった。それはいい意味なのか、悪い意味なのかはさておき、観客を苛む意味では、成功したと言えるだろう。
前半の露骨なセックスシーンは物語上では、作中人物にとってロマンスと言えるとしても、観客の視覚に対しては暴力だと思う。それはロマンスの成り行きによるものではなく、「1984」式な空間に幽閉された人々がただの欲望の塊に還元した結果だと言えるだろう。そういう前置きがあると、後半の全体主義の真の暴力も受けやすいかもしれない(どっちも拷問ですが)。
実際に鑑賞していた時、視覚的衝撃よりも音が気になる。本作の音響は非常に強調される。それはクレジットで長いサウンド関連のスタッフリストにも証左される。女たちの喧嘩シーンからはすでに耳が痛いほどの音量が出している。そして食堂という空間自体も食器から集まる顧客までヴォリュームオーバーの要素が集結している。後半の審問シーンも同じく、二つの審問室を繰り返して移動する時、象徴的なアイコンである巨大な重い牢の扉は度々観客の耳を刺激する。エンディングの無声のクレジットもその流れです。
戦後民主社会の中で育てられてきた日本の観客にとって、本作の全体主義に対する表現はわざとらしく見えるかもしれないが、でもそういう重苦しさは歴史、或いは芸術的虚構だけではない、まさに今お隣で「大国」を自負しているあの地域の人々が経験している現実です(残念ながら殆どの者は洗脳されたことすら意識していないようです)。
全体主義の幽霊はまだ漂っている。「平和」思想に麻痺している者よ、くれぐれも気をつけて
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