ハニーランド 永遠の谷のレビュー・感想・評価
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美しい映像と徹底した客観が意図するもの
約1世紀におよぶアカデミー賞の歴史上初めてとなる国際長編映画賞(外国語映画賞)と長編ドキュメンタリー映画賞ダブルノミネートの偉業を成し遂げたのも頷ける。
まるで絵画を眺めているかのような息を呑むほどに美しい映像で、想像を絶するほどに厳しく残酷な現実が切り取られていく。カメラの存在をまるで意識していない被写体たちの自然な姿を見ていると、これがドキュメンタリーなのかフィクションなのか、わからなくなってくるのだ。
被写体たちがカメラを意識しないのは、彼らと決して交わろうとしない撮影者の冷徹なまでの客観が生み出した産物だろう。また、ときに美しすぎるとすら感じさせる映像は、現実の過酷さをオブラートするリスクと、逆に際立たせる効能を併せ持っている。
カメラの後ろに立つ人間たちが選んだこのスタンスは、実は鑑賞者である我々の視点を再現したものではないか。“自然と調和して生きる人々”という耳触りのいいフレーズと絵画のごとき映像が重なってできた表面上の美、そして被写体への徹底した客観が意図するのは、過酷な現実を生きる人々を対岸から眺め、それを無関心に消費していく我々への厳しい批評なのではないかと思える。
そう考えると、何とも周到で恐ろしい映画だ。
オスカーで「ビッグ・リトル・ファーム」が敗れたネイチャー案件
オスカー案件。外国語映画賞と長編ドキュメンタリー賞の2部門ノミネート。途中で、「本当にドキュメンタリーなの」って思いました。映画の中で起こる事件が、「これ、脚本あるでしょ?」「この人たち、演技してるでしょ?」ってぐらいお見事で。そのほかにも、色んな感情を覚えます。「蜂蜜あんなに食べて、虫歯にならないの?」とか「母娘って、コミュニケーション難しいのね」とか。しかしもっとも大きな感想は、個人的に押していた「ビッグ・リトル・ファーム」がなんでオスカーノミネートを逸したのかが分かったということ。「ハニーランド」に負けたんですね。ネイチャー枠で。両方見て「ハニーランド」>「ビッグ・リトル・ファーム」だって分かっちゃった。悔しいけど、負けました。
ドキュメンタリーとかどうでもよくなる過酷で圧巻な美
切り立った断崖で、天然の蜂の巣に手を伸ばす冒頭の映像で、時代を超越したとてつもない映像を観ていると自覚させられる。自然と共生する女性のドキュメンタリー、と紹介するのは容易いが、彼女の人生は綺麗事にできるようなものではない。当人が嘆き悲しんでいるわけではないが、逞しさと諦念は背中合わせで、刻みつけられた孤独を羨ましいと言い切れる人は稀ではないか。
そして彼女の新たな隣人となる一家は、明らかに彼女の生活や価値観を脅かす外界からの侵入者として機能している。機能している、という意味では、この家族の役者っぷりがみごとで、ドキュメンタリーなのか劇映画なのか限りなく曖昧にしているが、そもそもドキュメンタリーは作り手の視点から描かれるものなので、むしろ劇映画であっても映画のインパクトが減るわけではまったくない。
どこかにある秘境の、自然と人間の切実な営みに悄然とする。それだけでも料金以上の価値がある。
北マケドニアの養蜂家が我々に教えてくれること
北マケドニアの荒廃した土地で、養蜂家という職業が成り立っていることに、まず、驚く。さらに、ヨーロッパ最後の自然養蜂家として知られる女性の慎ましい生活に衝撃を受ける。年老いた母親と2人で暮らす家の質素さもさることなから、採った蜜の半分は自分に、残り半分は蜂に返すという、自然の摂理に則った価値観に、思わず心を打たれるのだ。彼女の周辺に現れては消えていく人々との交流と、そこから見えてくる醜く、移ろいやすい社会と比較すると、多くの人々が忘れ去った自然に根ざした生き方の尊さを思い知らされる。何よりも、この凝縮されたエピソードの一つ一つが、3年の歳月と、400時間以上の撮影から拾い集められたものであることに感銘を受ける。改めて、優れたドキュメンタリー映画とは、かくも膨大な労力を費やし、その果てに達成されるものなのだ。
Slice of Life in the Middle of Nowhere
This countryside story in Albania reminded me of an overnight train journey through the mountains of Romania I was on a decade ago. I reminisced of the people outside homes wrangling livestock among broken fences and pieces of automobile machinery scattered about. The lead character, an elderly honey collector with a beehive satchel, is one of the iconic characters of the previous year's cinema.
SDGs
オンライン英会話でいろんな国の先生と会話をするが
その中でも一際哲学的で教養の深い同年代の女性がいる、北マケドニアの方
それで興味が湧いてこのドキュメンタリー映画を見たわけなんだけど
先生が住むスコピエのわずか20キロ離れたところにある秘境⁉︎で天然の養蜂をしているんだな〜凄すぎる
自然と人間の営みの大事なところを
今の社会は無視し続けているのだな
まるで脚本があるかのような…
でも3年の歳月をかけたドキュメンタリー。舞台は北マケドニア。養蜂家のハティツェは盲目の母と電気も水道もない地で暮らす。モットーは蜂の巣から蜂蜜を、半分は自分のために、もう半分は蜂のために残すこと。そうすることで生態系を崩さず、何キロも歩いては都市で蜂蜜を売りながら生計を立てている。結婚もせず倹しい暮らし。そんな地に遊牧民であるトルコ人一家が引っ越してきたことから生活が激変する。優しい彼女は養蜂を一家に教えるが、父親は金のために教えを破り、全ての蜂蜜を取ってしまう。蜂蜜を取られた蜂は彼女の蜂に襲いかかり、全滅してしまう。それはイコール彼女の生活を奪うことで、やがて盲目の母も死んでしまう。バチが当たったかのようにトルコ人一家の家畜も伝染病にかかり、その地を離れていく。勝手に壊しときながら、何とも無責任な連中で、かつての列強諸国のよう。今もそうかもしれない。残された彼女はこの先どうしていくのだろう。この地に残り、歳月をかけて再び養蜂をするのだろうか。この続きが見たい。素手で蜂の巣に手を突っ込むのが凄い。
色んなことを忘れてしまっている
本作を鑑賞して私が思い出したこと。太陽の光、草の匂い、虫の羽音、動物の気配、自然への感謝の気持ち。常にスマホを片手に、スーパーで買い物をして、エアコンの効いた部屋に帰る。そういう生活をしていると、色んなことを忘れてしまう。
タイトルなし
ギリシャの北に位置する北マケドニア
首都スコピエから20km離れた
岩だらけの丘に囲まれたベキルリヤ
電気も水道もない集落最後の住民
ムラトバは自然養蜂家
老いた母と慎ましく暮らしている
“蜂の生活も守る”
人間と自然のバランスを保ち
美しくも厳しい自然の中で生きる
彼女の姿を追った長編ドキュメンタリー
.
アカデミー賞
ドキュメンタリー映画賞国際映画賞
Wノミネート作品
.
彼女は撮影の後新しい土地へ
今も岩の間の蜂の巣から
蜂蜜を採取しているそう
(ドキュメンタリー映画はその後が気になる
彼女のその後:評価後までストーリーは続く
映画が絶賛され、大成功を収めたので主人公の彼女はドキュメンタリーの舞台だった場所から通える距離に住居を提供されたようです。 映画祭ではみんなが写真を一緒に撮りたがり、一躍スターのようになったと海外サイトにありました。 ですので彼女の「分かち合う心」「自然とともに生きる精神」「優しさ」は、ちゃんと報われて、結果的に映画を通して彼女はずっと出ることのなかった孤独の村から連れ出され、物語はたくさんの人と結びつけ、彼女にとっても素敵なギフトになったようです。
クルーは3−4日の食料や荷物をつめ、彼女の村にテントをはり、撮影し、バッテリーを充電しにまた近くの村へもどる、ということを3年続けたそうです。隣人との騒動の時は、どちらの立場も取らずに撮影したとありました。いろいろな困難や孤独をただ受け入れていく姿と自然の美しさがとても胸に残りましたが、映画では彼女の孤独と大自然で終わるので、エンディングの後のストーリーまで含めると、映画の意味ももっと深まるような気がします。どこの映画批評を見てもかなり評価が高く、3年にわたる撮影も報われたようですね。すばらしいドキュメンタリーでした。
本物なのかって思ってしまうほど
きっと陳腐な感想なんだと思うが、これはほんとにドキュメンタリー、ノンフィクションなのかと疑うような作品だ。フィクションではないとするならば、監督は作品の登場人物たちと日常どのように交わっていたのか。なぜあのような表情をあのようなアングルで撮影できるのか。なぜあのような感情の露出をあの距離で記録に残せたのだろうか。無二の作品のように思う。
【永続的な共存か、刹那的な搾取か・・。】
ー 冒頭、50代ほどの女性が崖沿いの細い道を横向きに歩いていく。落ちたら、かなり危険そうだ。そして、女性は岩の窪みに石の蓋をしてある蜂の巣の中から、少しのプロポリスを取り出し、
”神の恵み。半分は私に、半分は蜂に・・、”と呟く。
多分、この蜂の巣は彼女の血縁の者しか、知らないのであろう・・。-
■感想
・50歳ほどの女性と高齢の盲目の母との家族 と
隣に多くの子供達と妻とやって来たいつも、言い争いの絶えない家族との対比。
・臨家の主は、蜂蜜を買い付けるやや太めの男に、大量の蜂蜜購入の依頼をされ、自然との均衡バランスを超えた量の蜂蜜を子供達を叱り飛ばしながら、集める・・。
<厳しい自然の渓谷
ー女性が”スコピエ”の市場で、蜂蜜を引き換えに買い物をするシーンが出てくるので、北マケドニア共和国のどこかの渓谷であろう・・。-
で養蜂を営みに暮らす二家族の姿を、対比的に描いたドキュメンタリー作品。
一時的な利益に走る生活を取るのか、自然からの恵みを少量ながらでも、永続的に維持する生活を取るのか・・。
現代の消費社会に生きる我々に、静かなトーンで、とても大切なことを問いかけてくる作品でもある。>
物語のような現実の数々
ハニーランド、、ヒマラヤのハニーハンターのドキュメンタリー的なものかな、とか、上映前の音楽でなんとなく北アフリカ?とか、事前知識なく、ただただ想田監督のツイートをみて、見に行こうと思った。最初はどこの国か何語を話してるのかもわからず、手袋もしないでスカート姿で岩壁を登り蜂の巣を取りにいく女性に、とにかく圧倒された。
生きるための自然との共存。
自然養蜂家と紹介があったので、自然との共生を周りに説いてまわる活動もしている人かと思いきや、そうではなかった。純粋に昔ながらの養蜂手法をひたむきに実践して、年老いた母と二人暮らしをしているマケドニアの貧しい農村の女性の日常を切り取ったドキュメンタリーだった。
この地で永く良い蜂蜜をとり続けるには、一度に全て収穫せずに半分だけ収穫していく。蜜蜂の習性を知っているなら当然の選択なのかなと。。
それより、この女性のあの後が気になる。
あの地で伝統的な養蜂を今も続けているいるのか。
街に出て新しい生活をするのか…
きれいな映画を楽しみながら、「共生」 について理解することができます!(1)
さすが、キネカ大森! 「ビッグリトルファーム」 と 「ハニーランド」。この組合せ、最高!!!!
共に、"共生" の物語。一方は、農業で荒れ果てた土地を、生物多様性のある土地に再生しようとする人々の物語であり(「ビッグリトルファーム」)、もう一方は、北マケドニアの厳しい自然から、自らのわずかな取り分だけをいただいて生きるひとりの女性の物語である(「ハニーランド」)。
こちらは、急な山肌や川面にかかる木の幹などに、上手に作ったミツバチの巣箱から、定期的にハチミツをいただくことをなりわいとしている女性の話。
ハチミツの取り方も、決してもらい過ぎない。「半分は自分のため、半分はハチのため」 という原則を貫き、それがハチと人間の長い間の共存を成り立たせている。そうは言っても、「もっともらっても、なにも問題ないんではないの?」 と観ている俺たちも感じるわけだが、物語(ドキュメンタリー)では、隣に引っ越してきた大家族が、主人公の彼女に教えを請うて、ハチミツ作りを始める。子供たちの学費のためにと、主人公の教えを守らず、大量生産に取り組もうとし、結果として、彼女が指摘した通り、ハチミツの産出量が減ったり、近すぎるためにミツバチ同士がケンカして数が減ったりした結果、ハチミツは激減してしまう。自然と人間が共生していた場所が、共生できない場所に変わってしまう姿を、俺たちはこの映画で見ることができる。
映画は、60歳近くまで病気の母を診ながら働き続けている彼女の姿を、淡々と描き続ける。ハチミツを採り、それを街で売る姿には、「足るを、知る」 という言葉を教えられる。一方で、歌や踊りが大好きな彼女が、越してきた隣家が教えてくれた "アルミ皿を使ったラジオアンテナ" で、ラジオで音楽を聴けるようになって、うれしそうにする姿も忘れられない。そう、すべての人には、もっと幸せになる権利も与えられているのだから・・・
冒頭に書いたように、この映画 「ハニーランド」 で 「すでにある自然と共生する姿」 を観たら、「ビッグリトルファーム」 で 「壊してしまった自然を、共生できる姿に再び戻す姿」 を観ることを、強くお勧めします。
あれ?ドキュメンタリーだったの?
最初はドキュメンタリーだと思って観てたのに、途中からトルコ人の大家族が隣に住み着いて、酪農だけしていればいいのにハティツェに教えを乞うて同じ養蜂を始めてしまう。特に子どもたちとは仲良くするが、長年築きあげてきたハティツェの秘策とも言える農法を邪魔するようになってくる・・・
昨日『僕は猟師になった』を観たばかりで、「半分は自分に、半分はハチに」という信念が通ずるところがあると感じた。しかも特別の道具じゃなく切り出した岩を使ってである。ガラスの小瓶に詰めて市場まで売りに行く。こんなので生計立てられるのかな?などと、慎ましい生活ぶりにも感心してしまう。
トルコ人家族は100頭ほどの牛を連れてきていて、その生活ぶりも興味深かったが、子供の衣服や教育費を賄うためにハティツェの養蜂をマネするのだが、欲を出して「半分残す」という掟を破ったため、蜂の生態系まで若干変えてしまう。蜜をほとんど取られた蜂が怒り、彼女の巣の蜂を攻撃しまったのだ。
マケドニアってどこだっけかな?などと考えつつ、マケドニアといえばアレクサンダー大王!と勝手に思い込むうち、ハティツェの顔がアレクサンダーに見えてきてしょうがなかった(日本人で言えば先日亡くなった斎藤洋介似)。
顔にはフェイスガードしてるのに、巣箱(とはいっても石壁の中)では素手作業する。牛糞燻製という技で蜂をおとなしくさせているのだ。隣の母ちゃんは年子を産んでいて子沢山。トラックを押し掛けするほど力持ち。途中から牛の姿を見かけなくなったけど、こういうラストが待っていたんだなぁ・・・そしてハティツェにも大きな変化が・・・
とにかく、ストーリー性もたっぷり感じるドキュメンタリー。自然の恵みは偉大だ!そして自然と共存しなければならない人間のドラマ。フィクションであっても文句はない。どことなくイラン映画の雰囲気も感じられたし、ラストショットの美しさにもうっとりさせられた・・・
すごかった
水道ガス電気などインフラがまったくない生活が凄まじい。歯磨きはするのだろうか。高齢のおばあさんは目がはみ出しているし、医療も一切なさそうな限界を超えたワイルドな生活、それでもしぶとく生きている。主人公が隣の一家を嫌ったり、確かにすごく迷惑なのだが、子どもだけは可愛がったりしていて、複雑な気持ちがうかがえる。特に山を焼くのはひどい。
蜂の巣をパンのように食べていておいしそう。今現在、コロナ禍に彼女は大丈夫なのだろうか。おばあさんが亡くなるところで終わったのだけど、一人でいるのだろうか。彼女の事を思うと、今の自分の生活で不満を抱くことに罪悪感が芽生える。
強く優しい女性
マケドニアってどこだった?
から観始めた映画でしたが、
美しくも厳しい環境で
懸命に生き切る
女性養蜂家の人生の記録でした。
対比することで感じられた
隣人との違いは、
自分以外の他や自然に敬意を持ち、
乱暴に踏み込みすぎないこと。
自分より小さくて弱い子どもや
蜂に対する自然体の優しさ、
お母さんを置いては
出て行かれなかった優しさなど
映画が進むにつれて
この女性の優しさや強さが
好きだなあという気持ちが
強くなっていきました。
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