MOTHER マザーのレビュー・感想・評価
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長澤まさみさんのPV
基本は邦画特有の「誰も知らない」や「子宮に沈める」の類の
子供が虐げられる胸糞映画なのでその辺が苦手な方や
小さいお子様をお持ちの方にはおすすめしません。
ただ事実を原案としているようなので
自分の生活や子供の今の幸せを再認識するにはとてもいい映画です。が
長澤まさみにフォーカスされまくってるいるので
彼女の演技以外はおざなりカンジなのでもう少し
彼女の役どころに対する心情の変化や周りの人との関係性はどうでもよく
長澤まさみさんの私はここまでできるのよアピールがすごくて
それ以外見どころがないのが残念、長澤まさみファンにはたまらないかもしれませんが
タイムジャンプが多く、長い映画のわりにラストもなんとも言い難いカンジ。。
子役の男の子演技がいいのでタイムジャップなしで
親子関係を丁寧に描きあげたほうがよかったのではないでしょか?
親子関係の胸糞が好きなら「葛城事件」のほうが
よほど胸糞だと思います。
ランボーを観た方がいい
肌すべすべ学生キャーキャー
良い演技
実話ということが悲しい。
まだ上映してたので 長澤まさみさんをもう一度観たくて2度目の鑑賞 ...
まだ上映してたので
長澤まさみさんをもう一度観たくて2度目の鑑賞
1度目は衝撃的過ぎてレビュー書く気になりませんでした
何処にも共感出来る場面は無く
親子関係の歪みによって出来た毒親を演じた長澤まさみさんにただただ感服する
勉強を嫌い、働く事もしない
女性を武器に何とか生きてるって感じ
よく親権を得られたと不自然に思う
市役所の人にも親権取れるように頑張ったのか·····
実際の事件をモデルにしてる作品と知りました
こんな親子を作ってしまったのは日本の社会で、
子供をここまで守れない事実が悲しかった
秋子の異様な母親への憎しみは
きっと子供の頃からの積み重ねで、
妹との比較は勘違いかもしれないけど、母親からの劣等感を理由にして自分に甘く、息子を自分の手を汚さない為の道具みたいに使う
こういう人は、そういう人としか付き合えない
まともな人とは共感し合えないから
同類同士で慰め合うしか出来ない
どんどんダメ人生のドロ沼にハマるしか出来ない
お金の無心と殺人させる親か。。
どんな親であっても周平にとっては秋子だけが拠り所で
世界の中心
好きな人の頼みなら殺人だってしてしまう
シャーリーズ・セロンの『Monster』を思いだしました
親子では無いけど、好きな人と一緒に居たいから
他人からお金を巻き上げたり殺人してしまったり·····
恋愛も頭では分かってても
ダメな相手に惹かれる事ってあるもんね
愛は理屈じゃないんだね(この話は極端だけど)
最後の面会シーンは捕まった2人の気持ちが真逆で
本当に虚しく切ない気持ちになりました
冬華ちゃんの無邪気な可愛さが
ほんの少しだけど劇中の救いでした
現実の話なんだよね、、冬華ちゃんが
いま心身共に健やかでありますように
クソの足しにもならない映画NO.1!
重い。。
実話が元だと考えるとゾッとする。
なぜこんなに歪んでしまったのか。そこの背景があまり伝わらなかった。決して育ての親は悪い人には見えなかったが。しゅうへいの父親も然り。まともな人間に見えたが。
冬ちゃんの父が唯一つながっていた男だった。それは自分と同じ心に穴が空いた人間だったからなのか。思えば他の男は別の部分で満たされていて、いわゆる普通に育って来た人間に思える。タダでやれるならラッキー的な。同じ種類の人間を常に探し求めているようにも見える。違うとわかった瞬間、また奴に気持ちが戻る。そして奴は借金と共に消えた。そう考えると自分の分身、と言った息子が唯一の拠り所だったのだろう。
彼女が何か障害があったと考えれば、合点がいくか。それなら周りの人間が早く然るべき手段を取るべきだった。しゅうへいの小学校、フリースクール、児相、どこかしらが歯止めをかけられたはずだ。周りの人間にも罪がある。
とにかく冬ちゃんがまともに育ってくれ。それを願うばかりだ。
共感するところが0
川口祖父母殺人事件に寄せて
モチーフと言うが、大筋でこの事件をなぞっており、映画よりも事実の方がもっと惨たらしいという点において寒気がする。
この事件については「誰もボクを見ていない」という
実際の事件を追った記者のノンフィクション手記もある。
この事件が起こった時に「こう言っちゃなんだが他人を無差別に殺害したよりは幾分かまし」と思った記憶があるが、実際はそんな簡単な話じゃなかった事を後で思い知る。
この映画をNETFLIX で何気に見始めた瞬間
(見ようか迷っていたら勝手に再生が始まった)
あ、これはもしかしたら実話ではないかと思いたち、まさにそうであったと判明したと言う映画知らず者の経緯だった。
このサイトにレビューする人には私のように家にいてちまちま感想を綴る人はあまりいらっしゃらないので甚だ恐縮しつついつも書いているのだが。
作中でも実際でも
この母親がこの殺人事件及び彼の人生を破壊した張本人であるのは間違いのないところ。
最近、誰だったか
子と言うのは親に対し、驚くほどの無償の愛情を持つと言う人がいた。
親とも思えないほど虐待する親に対してさえ、子は親を慕うという。
ネグレクトの場合ほぼ100%に近い子が親を慕い施設にあっても親が自分を迎えに来てくれるのを待つらしい。
そんなひどい親からは離れて暮らすべきだと誰もが思うような案件でさえ子は親を慕うと言うのだと。
実際のこの事件。
作中ではしてないとなっていたが 彼は、控訴している。
自分のような境遇の子が、自分のような目に合わないように
それを目的としての控訴だったと言う。
この事件を裁く大人たちは、みんな一様に彼の母親こそがこの事件の元凶であるという認識をし、なんとか彼の量刑を軽減し母親の主犯の立件に努めた。
だが裁判長は彼の量刑である懲役15年を改める事をしなかった。
それは一見 理不尽に見えて
私の中では、出所する時に30を超えた人間であるならば、彼は彼の意思で生きて行けるだろう、母親に対し、もっと違った対応をするようになるだろう、裁判官はそう考えたのだと思いたい。
法が人を裁く時
彼らの人生の徹底的な部分まで介入する事は出来ない。だとするなら、彼と彼の母親に対する冷却期間としての15年は必要だと私も考える。
長澤まさみの演技に関しては、もはや語るものもないし
息子の奥平君については、彼の演技をここまで引き出した監督にプロの仕事を見た思い。
奥平君は、先日最終回を迎えた 恋する母たち というドラマで 吉田羊さんと 矢作さんの息子役を好演していたのが記憶に新しい。
また事件の話をしてしまうと
この祖父母のように、我が娘がどうしようもないアホであった場合、その子(つまり孫)には罪がないわけで、
血の繋がりがあるならば、いかに迷惑であろうがとんでもない野郎であろうが、なんとか責任を持って更生に努める(例え無理でも)しかないのではないか。
子が親から虐待を受けているなら
その祖父母が、それを救う努力を怠るべきではない。
他人事のように 「可哀想に」
と言っているだけで済ませてはならない。
老年であろうが老体に鞭打って、その子を救い出すべきである。祖父母が虐待の元凶でないのならば、だけれど。
最後に作品の構成についての感想を。
出だしの親子描写は、その先の展開上 非常に有意義だ。
傷を舐める母。
監視員がなんと言おうと飛び込めといって飛び込ませる母。
しばしのネグレクト以降は実話だが、しょっぱなのこの2件の描写でのスタートは無くてはならないものに違いない。
うーん。気持ち悪い。
なんとも、後味悪し
マザー
信じられないが、周平は本当に母親のことが好きなのだろう。それは小さい頃から全く変わっていない。
お互いがお互いに依存している。母親を助けられるのは自分しかいないと感じている。洗脳ともまた違う気がする。
阿部さだお演じるリョウがキーパーソン。良い時に彼が現れて、また地獄の日々に戻る。秋子も彼に依存しているが故にその日々はもはや地獄ではない。
何人も助けてくれる良い人が出てきたのに、結局またもとに戻ってしまう。
特に亜矢は、視聴者が感情移入できる数少ない登場人物の1人。周平達を助けられなかったことで相当悔しかったはず。周平の殺人を知った時の亜矢の気持ちを考えるととても苦しい。
序盤なんども繰り返される、秋子が周平にお金を借りに行かせるシーン。これがまさか殺人のシーンの伏線とは。映画的な構成がすごい。
撮影方法が特徴的。カットが少なく長回し。遠目から引きで写していたと思ったら、いきなりドアップとか。
彼らのストーリーにすごく引き込まれた。
現実に、教育を受けたくても受けられない子どもがいることを知れる。彼らに対して、システム的にどうやって助けられるか。そういう人がいるだけじゃダメ。制度を作って助けられる環境を整えないと。
その意味でフリースクールのことはもっと掘り下げてほしかった感じもある。
『私の子どもなのだから、どうしようが私の勝手』という親に対して、私達は何をどうやって話す?
諦めの眼差しで、か細く怯える夏帆
こけおどし
日本映画で、不幸やクズが描かれるのは、話に事件を設置することのほかに、作った人が鬼才の称号をもらえるから──というのがある。
ヒロイックなヒーローを描いても鬼才の称号はもらえないが、不幸やクズをぎらぎらした筆致でえがくと、鬼才としてもてはやされるため、やがて、みんなそればかり描くようになる。──げんに、そうなっている。
また、底辺を描くと、鬼才のほかに、社会派の称号ももらえる。
鬼才をもらって社会派ももらえると、監督業があんていするため、だれもが不幸・クズ・底辺へはしる。わけである。
さらに、そういうものを描くと、なんか、いろいろと世の中のことを考えてますよって感じが、そのクリエイターにくっつくので、ますますそっちへはしる。
だが、ときには誰か勇気のあるインベスターが、鬼才や社会派をもらった監督に「いつも自堕落な人間を描くのはなぜですか」とか、「もったいぶってますけど、映画へたですよね」とか言ってみたっていいんじゃなかろうか。
この監督にかぎったことではないが、日本の鬼才監督は、監督業に箔付けしたい、ってことの以外に、いろいろかんがえてはいない──はずである。知らないので想像なんだが。いろいろ考えているなら、映画業界が、何十年も無風なわけがない。
まいど、日本映画を見るたびに思うのは、この「しゃかいの闇をえぐりだしてやったぜ」みたいなドヤ顔は、なんなんだろうか。──ということだ。
鬼才の称号に乗っかって、社会を見つめる作家の威光をピカらせるのはけっこうだが、にしても、この猿知恵な映画はなんなのか。いたずらにカウンターカルチャーを気どるスタンスを、こけおどしと言うのである。
そもそも。
個人的に理解している「クリエイター」というものの前提は、人と違う作品を創るひと──である。
ところが日本映画界は全員がおなじ映画をつくっている。
大森立嗣三島有紀子河瀬直美瀬々敬久塩田明彦蜷川実花熊切和嘉高橋伴明荒井晴彦石井岳龍奥田瑛二行定勲石井隆廣木隆一・・・全員が不幸描きクリエイターとして、似たようなディストピアを描いている。わけである。
この奇跡の一貫性はなんなのか。
かれらの映画が、監督のクレジットを入れ替えてあったとして、誰が気づくだろう?
映画はじっさいにおこった事件から翻案されており、いわばニュースストーリーの方法を持っている。
ただし、登場人物に共感できるところはない。であるなら、それは「社会の闇」とは言わない。社会に背をむき、暴言をはき、ひとに乱暴し、金を無心し、こどもに怒鳴り、こどもに殺人をやらせ、そんなのは「闇」ではない。たんなる性格破綻/精神異常/病気である。
このアタマのいかれた人々を見て、周平くんかわいそう──とか感じ取れ、というのだろうか。このらんちき騒ぎに、憐憫しなければ、人でなしになってしまうのだろうか。
映画の登場人物が、どんなに悪辣でも、かまわない。
ただし、その様態がこけおどしの過剰を持っているならば、容認できない。
なぜなら、これはニュースストーリーだからだ。
ホラー映画だったら、それでいい。
しかしリアルに寄せるドラマに過剰を見るならば、それはこけおどすために脚色された人格になる。=映画を見るひとにたいして衝撃を与えるための欺瞞なのだ。
事実そんな人なら、ホラー映画でいい。なぜきちがいを偶像にするんだろうか。
したがって、映画はまるで「これが現代社会の闇です」と言っているかのような、気取りを持っている──にもかかわらず、じっさいには気がくるった人々の素行不良を垂れ流しているにすぎない。
荒れる場面での「ほらほらこどもたち可哀想だろ」ってな描写のエゲツなさ!
こけおどしでなくてなんなんだろうか。
いみじくも主演の長澤まさみがインタビューに応えて言っている。
「演じていて面白いのかどうかも…ちょっとわからないですね」
「こんな人、だって嫌いだもん(笑)。全然好きになれないですよ、秋子なんか。正当化もしたくないし、認めたくないです」
気持ちを理解できない人物像はニュースストーリーにならない。まして出演者がわかんないなら、なおさらだ。
ではいったい、なんのために、これらのニュースストーリーが語られているのか、──その理由=映画の目的は、観衆にたいする威嚇だ。
この映画は、映画という媒体をもちいて「すげえ社会の闇、描いたんだけど、おれってすごくない?」と承認を求めている──に過ぎない。これをこけおどしと言う。
そして、それが日本映画の目的と方法である──と個人的には思っている。
ひとで無しなわたしは、つきあいきれず(なんせ126分もある)、途中からホラースタンスで見た。いけいけ秋子、もっとやれ、──そうやって、くさすぎるエレジー展開をしのいだ。
なんなんだこの田舎映画は。
民児で亜矢(演:夏帆)という人がでてくる。
かのじょは、自分自身も虐待サバイバーという設定。
演技派の夏帆なので、善人ぶりが嫌になるほどうまいが、むろん夏帆に罪はない。
しかし脚本は、周平にたいして「夢ってある」と、たずねさせる。
一間だけの仮部屋で、きのくるった母と、実父でも養父でもない得体のしれない男と、おさない妹と、怒号と暴力と無一文でせいかつしているかれに、夢をたずねる。グローバルTPSの勧誘ですか?
わたしども映画見たことないわけじゃないんですよ。
っていうか、わたしども生きたことないわけじゃないですよ。
と、個人的には言いたくなった。
日本映画界は旬報や権威主義が同調しているだけの永遠の昭和世界であり、その鬼才たちは、なんか言いたいことがある──ってより、たんに「おれさまは映画監督なんだぜ」ってな自己顕示がしたいだけの山師たちだと思う。そのどうしようもない旧弊と鄙感。
実話だろうがなんだろうが、団鬼六の緊縛ものと変わんない。0点。
歪んだ母親の愛情が産んだ悲劇かもしれない
DVDで鑑賞
本当にダメな母親だ。
働かない、男がきれない、子供にお金の無心をさせる、
キリがないほどのダメ母だ。
でも不思議に、歪んでいるけど子供を愛してるのだと感じた。置いていく時も誰かに面倒を頼むし必ず帰ってきた。2人目も産んだし必ず一緒にいるのだ。
もちろん私の物、所有物としての愛着で、母親としてのそれではないかもしれない。けれど歪んでいてもその愛は子供には伝わっていた。
母親とその男という狭い世間しか知らず、善悪の判断基準が母にある彼は、せっかく抜け出せるチャンスにも結局母親を選んでしまう。お母さんは1人では生きられないから、、と刑務所の中で児相の女に呟いた青年の気持ちが悲しい。母のために祖父母を殺し母のために罪を被る。
そんな子供に母親はもしかしたら当たり前と思っているのではないか。この子は私の物なんだからと。
それが映画の最後の表情に表れている気がした。
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