MOTHER マザーのレビュー・感想・評価
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マザー
信じられないが、周平は本当に母親のことが好きなのだろう。それは小さい頃から全く変わっていない。
お互いがお互いに依存している。母親を助けられるのは自分しかいないと感じている。洗脳ともまた違う気がする。
阿部さだお演じるリョウがキーパーソン。良い時に彼が現れて、また地獄の日々に戻る。秋子も彼に依存しているが故にその日々はもはや地獄ではない。
何人も助けてくれる良い人が出てきたのに、結局またもとに戻ってしまう。
特に亜矢は、視聴者が感情移入できる数少ない登場人物の1人。周平達を助けられなかったことで相当悔しかったはず。周平の殺人を知った時の亜矢の気持ちを考えるととても苦しい。
序盤なんども繰り返される、秋子が周平にお金を借りに行かせるシーン。これがまさか殺人のシーンの伏線とは。映画的な構成がすごい。
撮影方法が特徴的。カットが少なく長回し。遠目から引きで写していたと思ったら、いきなりドアップとか。
彼らのストーリーにすごく引き込まれた。
現実に、教育を受けたくても受けられない子どもがいることを知れる。彼らに対して、システム的にどうやって助けられるか。そういう人がいるだけじゃダメ。制度を作って助けられる環境を整えないと。
その意味でフリースクールのことはもっと掘り下げてほしかった感じもある。
『私の子どもなのだから、どうしようが私の勝手』という親に対して、私達は何をどうやって話す?
諦めの眼差しで、か細く怯える夏帆
こけおどし
日本映画で、不幸やクズが描かれるのは、話に事件を設置することのほかに、作った人が鬼才の称号をもらえるから──というのがある。
ヒロイックなヒーローを描いても鬼才の称号はもらえないが、不幸やクズをぎらぎらした筆致でえがくと、鬼才としてもてはやされるため、やがて、みんなそればかり描くようになる。──げんに、そうなっている。
また、底辺を描くと、鬼才のほかに、社会派の称号ももらえる。
鬼才をもらって社会派ももらえると、監督業があんていするため、だれもが不幸・クズ・底辺へはしる。わけである。
さらに、そういうものを描くと、なんか、いろいろと世の中のことを考えてますよって感じが、そのクリエイターにくっつくので、ますますそっちへはしる。
だが、ときには誰か勇気のあるインベスターが、鬼才や社会派をもらった監督に「いつも自堕落な人間を描くのはなぜですか」とか、「もったいぶってますけど、映画へたですよね」とか言ってみたっていいんじゃなかろうか。
この監督にかぎったことではないが、日本の鬼才監督は、監督業に箔付けしたい、ってことの以外に、いろいろかんがえてはいない──はずである。知らないので想像なんだが。いろいろ考えているなら、映画業界が、何十年も無風なわけがない。
まいど、日本映画を見るたびに思うのは、この「しゃかいの闇をえぐりだしてやったぜ」みたいなドヤ顔は、なんなんだろうか。──ということだ。
鬼才の称号に乗っかって、社会を見つめる作家の威光をピカらせるのはけっこうだが、にしても、この猿知恵な映画はなんなのか。いたずらにカウンターカルチャーを気どるスタンスを、こけおどしと言うのである。
そもそも。
個人的に理解している「クリエイター」というものの前提は、人と違う作品を創るひと──である。
ところが日本映画界は全員がおなじ映画をつくっている。
大森立嗣三島有紀子河瀬直美瀬々敬久塩田明彦蜷川実花熊切和嘉高橋伴明荒井晴彦石井岳龍奥田瑛二行定勲石井隆廣木隆一・・・全員が不幸描きクリエイターとして、似たようなディストピアを描いている。わけである。
この奇跡の一貫性はなんなのか。
かれらの映画が、監督のクレジットを入れ替えてあったとして、誰が気づくだろう?
映画はじっさいにおこった事件から翻案されており、いわばニュースストーリーの方法を持っている。
ただし、登場人物に共感できるところはない。であるなら、それは「社会の闇」とは言わない。社会に背をむき、暴言をはき、ひとに乱暴し、金を無心し、こどもに怒鳴り、こどもに殺人をやらせ、そんなのは「闇」ではない。たんなる性格破綻/精神異常/病気である。
このアタマのいかれた人々を見て、周平くんかわいそう──とか感じ取れ、というのだろうか。このらんちき騒ぎに、憐憫しなければ、人でなしになってしまうのだろうか。
映画の登場人物が、どんなに悪辣でも、かまわない。
ただし、その様態がこけおどしの過剰を持っているならば、容認できない。
なぜなら、これはニュースストーリーだからだ。
ホラー映画だったら、それでいい。
しかしリアルに寄せるドラマに過剰を見るならば、それはこけおどすために脚色された人格になる。=映画を見るひとにたいして衝撃を与えるための欺瞞なのだ。
事実そんな人なら、ホラー映画でいい。なぜきちがいを偶像にするんだろうか。
したがって、映画はまるで「これが現代社会の闇です」と言っているかのような、気取りを持っている──にもかかわらず、じっさいには気がくるった人々の素行不良を垂れ流しているにすぎない。
荒れる場面での「ほらほらこどもたち可哀想だろ」ってな描写のエゲツなさ!
こけおどしでなくてなんなんだろうか。
いみじくも主演の長澤まさみがインタビューに応えて言っている。
「演じていて面白いのかどうかも…ちょっとわからないですね」
「こんな人、だって嫌いだもん(笑)。全然好きになれないですよ、秋子なんか。正当化もしたくないし、認めたくないです」
気持ちを理解できない人物像はニュースストーリーにならない。まして出演者がわかんないなら、なおさらだ。
ではいったい、なんのために、これらのニュースストーリーが語られているのか、──その理由=映画の目的は、観衆にたいする威嚇だ。
この映画は、映画という媒体をもちいて「すげえ社会の闇、描いたんだけど、おれってすごくない?」と承認を求めている──に過ぎない。これをこけおどしと言う。
そして、それが日本映画の目的と方法である──と個人的には思っている。
ひとで無しなわたしは、つきあいきれず(なんせ126分もある)、途中からホラースタンスで見た。いけいけ秋子、もっとやれ、──そうやって、くさすぎるエレジー展開をしのいだ。
なんなんだこの田舎映画は。
民児で亜矢(演:夏帆)という人がでてくる。
かのじょは、自分自身も虐待サバイバーという設定。
演技派の夏帆なので、善人ぶりが嫌になるほどうまいが、むろん夏帆に罪はない。
しかし脚本は、周平にたいして「夢ってある」と、たずねさせる。
一間だけの仮部屋で、きのくるった母と、実父でも養父でもない得体のしれない男と、おさない妹と、怒号と暴力と無一文でせいかつしているかれに、夢をたずねる。グローバルTPSの勧誘ですか?
わたしども映画見たことないわけじゃないんですよ。
っていうか、わたしども生きたことないわけじゃないですよ。
と、個人的には言いたくなった。
日本映画界は旬報や権威主義が同調しているだけの永遠の昭和世界であり、その鬼才たちは、なんか言いたいことがある──ってより、たんに「おれさまは映画監督なんだぜ」ってな自己顕示がしたいだけの山師たちだと思う。そのどうしようもない旧弊と鄙感。
実話だろうがなんだろうが、団鬼六の緊縛ものと変わんない。0点。
愛が全て
働けない。いや、働かない。子供を愛さない。いや愛せない。長澤まさみ(名前忘れた)が子供と共依存しネグレクト、虐待を繰り返していくという映画だったが、なぜ、働かないのか、なぜ子供を愛せないのか、なのになぜ、男にすがりつくのか、なぜ女性的な魅力はあるのか、なぜ育てられないのに「私の子」だと愛が変に強いのか。周平は学習能力も高く、面倒見もよく、優しい子だけど、愛がなく暮らすところもない荒んだ環境で育ってしまったがために自らの手を汚してしまう。という何とも残酷な結末。愛が無いってすごく残酷でこわいこと。子供は自分の分身だとしても一人の人間として産まれてきた以上は学ぶ権利も幸せになる権利もある。妹を可愛がるお母さんを見てきたが故に歪んでしまった愛なのかなぁと感じました。
実際にこういう家庭はあると思うから、子供たちを守りたい。
歪んだ母親の愛情が産んだ悲劇かもしれない
DVDで鑑賞
本当にダメな母親だ。
働かない、男がきれない、子供にお金の無心をさせる、
キリがないほどのダメ母だ。
でも不思議に、歪んでいるけど子供を愛してるのだと感じた。置いていく時も誰かに面倒を頼むし必ず帰ってきた。2人目も産んだし必ず一緒にいるのだ。
もちろん私の物、所有物としての愛着で、母親としてのそれではないかもしれない。けれど歪んでいてもその愛は子供には伝わっていた。
母親とその男という狭い世間しか知らず、善悪の判断基準が母にある彼は、せっかく抜け出せるチャンスにも結局母親を選んでしまう。お母さんは1人では生きられないから、、と刑務所の中で児相の女に呟いた青年の気持ちが悲しい。母のために祖父母を殺し母のために罪を被る。
そんな子供に母親はもしかしたら当たり前と思っているのではないか。この子は私の物なんだからと。
それが映画の最後の表情に表れている気がした。
強烈な話
強烈な話。
産んだ子どもを 自分が思い通りにできる所有物のように見ている 母親の話😨
長澤まさみちゃんのハードな行動を
息子役が受けなければならず、迫真だった!PG指定
主人公女性は、
男に依存し、子どもは二の次になる。
お金がないと、子どもを使いお金を集める。
失敗すれば、八つ当たり。殴る、暴言は当たり前。学校に通わせない。
それでも、息子は母からの命令を聞きづつける。
息子が育つと、母と子の関係は逆転し、母を養い、母の都合で放浪したり、最悪な事件へと発展する。
依存性パーソナリティ、演技性パーソナリティ、境界線パーソナリティ、猜疑性パーソナリティが混ざったような女性。
児童相談所や祖父母もちゃんと介入出来なかった。。
想像どおり
なかなか見応えのある作品
疲れる映画
長澤まさみが頑張ってた映画。
実際に起きた事件を元に映画化しているが、良し悪しではなく、加害者少年のルポを加工せずに台詞に起こしている為、独立した映画というより、再現ドラマの色合いが強い。元の事件をある程度、知っている者からすると、目新しい部分はなく、ひたすら駄目女とそれに巻き込まれる周囲の人物を延々と見る羽目に。
オリジナル要素としては、長澤まさみ演じる駄目母が、延々と周辺の男とやりまくるシーン。この点のみ、妙にリアリティーがあり、脚本家のセンスが垣間見えた。
新聞記事やルポタージュ以上に得る物はないと思っていた映画だが、通しで観た事で、実際の母親が軽度の知的障害だったのでは?という考察が生まれた。これは長澤さんや大森監督がどの程度意識していたかは知らんけど、女性を描写するにあたり、暗に示唆している様には感じた。
そこに妙な納得というか、説得力はあった。
オススメかと言うと、全くお勧めしない。
あと、これは言っても仕方ないが、ホームレスの長澤まさみがメイクしてるのは変だ。
ラストシーンですっぴんを見せていたのには驚いたが、寝る時はメイクを落とし、路上生活ではメイクをするって一貫性がない。服をいくら汚しても、そこにリアリティーというよりは扮装に見えてしまう要素があり、そこまで女優生命というか長澤まさみのイメージをぶち壊すような映画じゃないのかもしれんけど、中途半端に思えた。
役作りってないのかな?
非常に奥深い映画
リアルに存在した事件から着想した映画である事は、全体を通してより見る側に重くのしかかる。もし、これがフィクションであるなら感じ方は全然違うものになったように思う。
終始感じるのは、この子の背負ってしまった不幸とは一体なんなのであるのか?という問いだと思う。
そして、長澤まさみが演じた母親の人格が何故あそこまで捻くれてしまったのだろう?とも思う。
冒頭の親子4人の会話では、あまり大きく触れていないが、おそらく長澤まさみが演じた母親が子供の頃にまで遡ると、もっとこの事件の輪郭がハッキリと見えてくるような気がする。
ごく普通の人が感じ得るだろう愛情や社会性が彼女からは著しく欠如している。
殺害されてしまった祖父母は、本当にただの被害者なのだろうか?
そんな非常に難しい問いもこの事件、この映画のテーマとして感じられた。
場面、場面の細かな表情と仕草…
挙げればキリがないが、長澤まさみという女優がここまでの演技が出来るとは想っていなかった…というのが正直なところ。
そして殺害犯となってしまった長男役の彼の演技も素晴らしいの一言。
これだけの重たいシリアスなテーマの映画であるのに、途中しらけてしまう事が無かった。
ただ一つリアリティに欠けた一点は、
長澤まさみがどれだけ見窄らしくしても、
根本的に美人であって、これだけの美人が野宿や生活保護を受けるか?というと、現実的にはなかなか難しい…
誤解がないように言うと美人だから…という事ではなく、実際そこまで落ちてしまった人間の身なりや目つきというのは、もっと遥かに澱んでいるもので、最大限やっても彼女中に何処か完全に美を捨てきれないものを感じてしまった。
でも、結果その女を捨てきれない性分は、ある意味でその母親の実像と重なったのかもしれない。
稀な事件であるにせよ、この世界中の様々な国や地域で同じような境遇が普通に存在している事を改めて思い知った映画でした。
誰も救われない
一言で言うと、悲しく後味の悪いお話でした。
どなたかのレビューにもあったように、「真の悪を前に、善だけでは勝てない」という言葉がぴったりと収まるような感覚です。
手を差し伸べてくれた人達をするりと抜けて、そのたびに「すがって、助けてと言えたはずなのに」と何度も思ってしまうような作品でした。
誰が悪い、誰がダメ、ということではなく…ただ、純粋な周平の母に対する愛があった事だけは事実として印象に残りました。
母にも、周りにも嘘をつかなかった少年が、母へ向けた愛の為だけに「最初で最後の嘘」をついたシーンで、思わず涙が溢れてしまいました。
躊躇いながらも母に対して、少しだけ反抗したシーンも忘れられません。
素直で、妹思いで、学習意欲も高く、そのうえ母が大好きだった少年が嘘をついた瞬間の表情には、胸を締め付けられました。
俳優さんが素晴らしかったですね…。
私ならどうしてあげられただろう…とか、私だったらこんなことができるだろうか…とか色んなことを考えさせられる作品です。
普通なら「子供には不可能」だと分かることであっても、他人の子になってしまうと日本人特有の「トラブルに巻き込まれたくない」という態度が映されてると言いますか…「大丈夫だよな?」って、子供に言ってるように見せかけて、実は自分自身に言い聞かせてるようにも捉える事も出来たり。
母は、こうでなくてはいけない!というルールはどこにもないし、もちろん子供の育て方は産んだ母が決めてもいいことではあると思います。
ただ、母の身勝手な行動や判断だけで、子を苦しめるのはまた違うかな…と思ってしまいました。
やり場のない気持ちだけがモヤッと残りました。
少年が、「外にいたくないんですよね」とラストに言いますが、その理由が「ご飯も食べられるし、本だって読める」でした。
これは…母が、いかに子のことを考えずに育ててきたか、悲惨さが目に見えて分かる描写です。
塀の中にいることが、彼にとって一番気を楽にして生きられる場所なのかな…とも考えてしまいました。
ただ、最後まで妹を心配する少年は、「兄」としての模範になりますね。
物語の流れが重く、たびたび胸が締め付けられる衝動と、今すぐにでも助けたいと思うような作品でした。
犯罪を犯すのは、悪いことであるのは当たり前です。
ただ、全員ではなく一部にこの少年のような子がいることを考えると、「日本」自体を変えないといけないような気もします。
他人に無関心な国だからこそ、起こりうる罪の形です。
私は、無関心な人間でありたくない… でも何が出来るのだろうか…と考え込んでしまうような映画でした。
少年は、本当に不幸の中の不幸で生きてきたんですね…。考えるだけでつらくなります。
子は都合のいい道具じゃありません…。
若くして子供を授かった夫婦や、難のある生活を強いられている親子、子に虐待をしている親などに、こういった作品を観てもらいたいものです。
強烈な衝撃作
いわゆる「胸糞映画」というヤツです
見て良い気分はしません
個人的に今まで観た映画の中で一番の衝撃映画でした
本当に観賞が辛かった
雰囲気的には「誰も知らない」や「万引き家族」に似てるが、陰鬱さ悲惨さが桁違いです
この映画、何から何まで何1つ救われず、少しの安息や微笑ましい場面も無くただ破滅へと一直線なんです
どこまで落ちて行くんだ、、
もうやめて、、頼むから救われて、、
と最初から最後まで思っていたが、結局最も残酷で救いが無い形で終わってしまった
何故息子を手放さないのか
何故母から離れないのか
僕にとっては母が世界「全て」
このキャッチコピーが母から離れなかった理由でありこの映画の全てだろう
評論家じゃないので小難しい評価は出来ないので印象に残った場面、というか辛かった場面を書いていく
.周平の幼少期は常にキツかったです
.ラブホテルで秋子と遼と一緒に風呂に入る場面が個人的に目を背けたいくらいキツかった
.お金をせびりに行って絶縁されるシーン
.養育費を送っているという前夫に
「周平、お前大丈夫か!?」ときつく言われるシーン
挙げればキリがありません
そして、長澤まさみの演技力には称賛を送りたい
これまでの好感度の高い役柄から一転し
毒親とかいうレベルでは無いまさに「怪物」なクズ人間の役に見事にはまっていた
画像を見比べても別人にしか見えない
この映画は決して良い気分はしませんし、間違いなく憂鬱で悲しい気分になるでしょう
私は二度と見たくありません
ですが、名作だと思います
映画だとわかってても
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