MOTHER マザーのレビュー・感想・評価
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普通です
全体的に普通だと思った。親子の共依存は多かれ少なかれ私達が理解できるテーマだと思う。洗脳された子はいくら利用されているとわかっていても親を本当に嫌いにはなれないよねと。あるいは自ら進んで親をかばおうとする。しかし「こんな親子がいるなんてかわいそうでしょ?」感があった。共依存をテーマにするなら、もっとリアルな部分まで二人の依存を描いてもらわないと、観る方もへーそんな事があるんだなで終わってしまう。
また母親像に全く共感はしないが、終始男性視点で“クズな母親とはこういうものだ”を描いている感が否めなかった。特に二人目を妊娠したとき貧困状態で周囲の助けもないなかどうやって産んで4、5歳まで育てられたのかわからないし、赤子はすぐ病気になるし放っておくと死んでしまうのにその一番の難所をどう乗り切ったかはすべてカット。
もし周平に一任していたなら、すごく苦労しているだろうと思う。想像でしかないが、兄に育てられたならむしろ妹はもう少し兄を慕い、母親ではなく兄の後ろをついていくような関係になるのではないかと思う。
川口祖父母殺人事件に寄せて
モチーフと言うが、大筋でこの事件をなぞっており、映画よりも事実の方がもっと惨たらしいという点において寒気がする。
この事件については「誰もボクを見ていない」という
実際の事件を追った記者のノンフィクション手記もある。
この事件が起こった時に「こう言っちゃなんだが他人を無差別に殺害したよりは幾分かまし」と思った記憶があるが、実際はそんな簡単な話じゃなかった事を後で思い知る。
この映画をNETFLIX で何気に見始めた瞬間
(見ようか迷っていたら勝手に再生が始まった)
あ、これはもしかしたら実話ではないかと思いたち、まさにそうであったと判明したと言う映画知らず者の経緯だった。
このサイトにレビューする人には私のように家にいてちまちま感想を綴る人はあまりいらっしゃらないので甚だ恐縮しつついつも書いているのだが。
作中でも実際でも
この母親がこの殺人事件及び彼の人生を破壊した張本人であるのは間違いのないところ。
最近、誰だったか
子と言うのは親に対し、驚くほどの無償の愛情を持つと言う人がいた。
親とも思えないほど虐待する親に対してさえ、子は親を慕うという。
ネグレクトの場合ほぼ100%に近い子が親を慕い施設にあっても親が自分を迎えに来てくれるのを待つらしい。
そんなひどい親からは離れて暮らすべきだと誰もが思うような案件でさえ子は親を慕うと言うのだと。
実際のこの事件。
作中ではしてないとなっていたが 彼は、控訴している。
自分のような境遇の子が、自分のような目に合わないように
それを目的としての控訴だったと言う。
この事件を裁く大人たちは、みんな一様に彼の母親こそがこの事件の元凶であるという認識をし、なんとか彼の量刑を軽減し母親の主犯の立件に努めた。
だが裁判長は彼の量刑である懲役15年を改める事をしなかった。
それは一見 理不尽に見えて
私の中では、出所する時に30を超えた人間であるならば、彼は彼の意思で生きて行けるだろう、母親に対し、もっと違った対応をするようになるだろう、裁判官はそう考えたのだと思いたい。
法が人を裁く時
彼らの人生の徹底的な部分まで介入する事は出来ない。だとするなら、彼と彼の母親に対する冷却期間としての15年は必要だと私も考える。
長澤まさみの演技に関しては、もはや語るものもないし
息子の奥平君については、彼の演技をここまで引き出した監督にプロの仕事を見た思い。
奥平君は、先日最終回を迎えた 恋する母たち というドラマで 吉田羊さんと 矢作さんの息子役を好演していたのが記憶に新しい。
また事件の話をしてしまうと
この祖父母のように、我が娘がどうしようもないアホであった場合、その子(つまり孫)には罪がないわけで、
血の繋がりがあるならば、いかに迷惑であろうがとんでもない野郎であろうが、なんとか責任を持って更生に努める(例え無理でも)しかないのではないか。
子が親から虐待を受けているなら
その祖父母が、それを救う努力を怠るべきではない。
他人事のように 「可哀想に」
と言っているだけで済ませてはならない。
老年であろうが老体に鞭打って、その子を救い出すべきである。祖父母が虐待の元凶でないのならば、だけれど。
最後に作品の構成についての感想を。
出だしの親子描写は、その先の展開上 非常に有意義だ。
傷を舐める母。
監視員がなんと言おうと飛び込めといって飛び込ませる母。
しばしのネグレクト以降は実話だが、しょっぱなのこの2件の描写でのスタートは無くてはならないものに違いない。
うーん。気持ち悪い。
胸糞悪い
実際の事件に着想を得たとの事。
実際、ああいうケースばあるのだろうか?
俺の目線からすると異次元の話だ。
どんな理屈ならば、自分の人生や行動を肯定できるのだろうか?
「母親」というタイトル。
当然ながら子供への影響力は計り知れない。
私の勝手でしょと母は言う。
まぁそうだ。勝手ではないけど一存はされてるように思う。シングルならば尚更だ。
つまりは母親のモラルに依存する。
子供は子供で「愛されたい本能」があるかのようだった。その本能が満たされない内は、ずっと縋り付き求め続けていくように思う。
「愛されていない」を本能が拒絶し「どうすれば愛してもらえるのか」を終始模索してるようだ。
あり得る事なのだろう…。
極端な拡大解釈であって欲しいけど、作品の流れを見るにそんな事を考えてしまう。
そう言えば、冒頭の秋子も言ってた。
「妹ばっかり可愛がるから!」みたいな事を。
自分勝手な言い草だと思ってたけど、連鎖の中にはいるようで…そんな整合性に青ざめる。
端から見てると歪んでるのはよく分かる。
でもそれは、歪んでないモノを知ってるからだろう。比較できるモノがあるから。
ソレを知らないのなら順応していくしかないのだと思う。
コレも俺の見識の範囲の話だけれど、誰に向けて作られた話なのだろうか?
テーマは重く、社会に一石を投じるにたる作品だ。
でも、当事者達はきっと見れない。
今どうこうする話ではないのだろう…。
正常な道徳感で、この母親を否定できる価値観がある内に見ておく話なのだろう。
どこかの施設でカウンセリングに使う事もあるかもしれない。
手遅れになる前の予防線だろうか?
なんせ俺なんかは、こんな目に子供を合わせずに良かったと胸を撫で下ろす。
子供もそうだけど孫がそんな目に合わないように努めてもいきたいと思う。
正常な人が金払って観るべきかどうかは甚だ疑問だけども、必要な作品だと思う。
なんとも、後味悪し
マザー
信じられないが、周平は本当に母親のことが好きなのだろう。それは小さい頃から全く変わっていない。
お互いがお互いに依存している。母親を助けられるのは自分しかいないと感じている。洗脳ともまた違う気がする。
阿部さだお演じるリョウがキーパーソン。良い時に彼が現れて、また地獄の日々に戻る。秋子も彼に依存しているが故にその日々はもはや地獄ではない。
何人も助けてくれる良い人が出てきたのに、結局またもとに戻ってしまう。
特に亜矢は、視聴者が感情移入できる数少ない登場人物の1人。周平達を助けられなかったことで相当悔しかったはず。周平の殺人を知った時の亜矢の気持ちを考えるととても苦しい。
序盤なんども繰り返される、秋子が周平にお金を借りに行かせるシーン。これがまさか殺人のシーンの伏線とは。映画的な構成がすごい。
撮影方法が特徴的。カットが少なく長回し。遠目から引きで写していたと思ったら、いきなりドアップとか。
彼らのストーリーにすごく引き込まれた。
現実に、教育を受けたくても受けられない子どもがいることを知れる。彼らに対して、システム的にどうやって助けられるか。そういう人がいるだけじゃダメ。制度を作って助けられる環境を整えないと。
その意味でフリースクールのことはもっと掘り下げてほしかった感じもある。
『私の子どもなのだから、どうしようが私の勝手』という親に対して、私達は何をどうやって話す?
諦めの眼差しで、か細く怯える夏帆
こけおどし
日本映画で、不幸やクズが描かれるのは、話に事件を設置することのほかに、作った人が鬼才の称号をもらえるから──というのがある。
ヒロイックなヒーローを描いても鬼才の称号はもらえないが、不幸やクズをぎらぎらした筆致でえがくと、鬼才としてもてはやされるため、やがて、みんなそればかり描くようになる。──げんに、そうなっている。
また、底辺を描くと、鬼才のほかに、社会派の称号ももらえる。
鬼才をもらって社会派ももらえると、監督業があんていするため、だれもが不幸・クズ・底辺へはしる。わけである。
さらに、そういうものを描くと、なんか、いろいろと世の中のことを考えてますよって感じが、そのクリエイターにくっつくので、ますますそっちへはしる。
だが、ときには誰か勇気のあるインベスターが、鬼才や社会派をもらった監督に「いつも自堕落な人間を描くのはなぜですか」とか、「もったいぶってますけど、映画へたですよね」とか言ってみたっていいんじゃなかろうか。
この監督にかぎったことではないが、日本の鬼才監督は、監督業に箔付けしたい、ってことの以外に、いろいろかんがえてはいない──はずである。知らないので想像なんだが。いろいろ考えているなら、映画業界が、何十年も無風なわけがない。
まいど、日本映画を見るたびに思うのは、この「しゃかいの闇をえぐりだしてやったぜ」みたいなドヤ顔は、なんなんだろうか。──ということだ。
鬼才の称号に乗っかって、社会を見つめる作家の威光をピカらせるのはけっこうだが、にしても、この猿知恵な映画はなんなのか。いたずらにカウンターカルチャーを気どるスタンスを、こけおどしと言うのである。
そもそも。
個人的に理解している「クリエイター」というものの前提は、人と違う作品を創るひと──である。
ところが日本映画界は全員がおなじ映画をつくっている。
大森立嗣三島有紀子河瀬直美瀬々敬久塩田明彦蜷川実花熊切和嘉高橋伴明荒井晴彦石井岳龍奥田瑛二行定勲石井隆廣木隆一・・・全員が不幸描きクリエイターとして、似たようなディストピアを描いている。わけである。
この奇跡の一貫性はなんなのか。
かれらの映画が、監督のクレジットを入れ替えてあったとして、誰が気づくだろう?
映画はじっさいにおこった事件から翻案されており、いわばニュースストーリーの方法を持っている。
ただし、登場人物に共感できるところはない。であるなら、それは「社会の闇」とは言わない。社会に背をむき、暴言をはき、ひとに乱暴し、金を無心し、こどもに怒鳴り、こどもに殺人をやらせ、そんなのは「闇」ではない。たんなる性格破綻/精神異常/病気である。
このアタマのいかれた人々を見て、周平くんかわいそう──とか感じ取れ、というのだろうか。このらんちき騒ぎに、憐憫しなければ、人でなしになってしまうのだろうか。
映画の登場人物が、どんなに悪辣でも、かまわない。
ただし、その様態がこけおどしの過剰を持っているならば、容認できない。
なぜなら、これはニュースストーリーだからだ。
ホラー映画だったら、それでいい。
しかしリアルに寄せるドラマに過剰を見るならば、それはこけおどすために脚色された人格になる。=映画を見るひとにたいして衝撃を与えるための欺瞞なのだ。
事実そんな人なら、ホラー映画でいい。なぜきちがいを偶像にするんだろうか。
したがって、映画はまるで「これが現代社会の闇です」と言っているかのような、気取りを持っている──にもかかわらず、じっさいには気がくるった人々の素行不良を垂れ流しているにすぎない。
荒れる場面での「ほらほらこどもたち可哀想だろ」ってな描写のエゲツなさ!
こけおどしでなくてなんなんだろうか。
いみじくも主演の長澤まさみがインタビューに応えて言っている。
「演じていて面白いのかどうかも…ちょっとわからないですね」
「こんな人、だって嫌いだもん(笑)。全然好きになれないですよ、秋子なんか。正当化もしたくないし、認めたくないです」
気持ちを理解できない人物像はニュースストーリーにならない。まして出演者がわかんないなら、なおさらだ。
ではいったい、なんのために、これらのニュースストーリーが語られているのか、──その理由=映画の目的は、観衆にたいする威嚇だ。
この映画は、映画という媒体をもちいて「すげえ社会の闇、描いたんだけど、おれってすごくない?」と承認を求めている──に過ぎない。これをこけおどしと言う。
そして、それが日本映画の目的と方法である──と個人的には思っている。
ひとで無しなわたしは、つきあいきれず(なんせ126分もある)、途中からホラースタンスで見た。いけいけ秋子、もっとやれ、──そうやって、くさすぎるエレジー展開をしのいだ。
なんなんだこの田舎映画は。
民児で亜矢(演:夏帆)という人がでてくる。
かのじょは、自分自身も虐待サバイバーという設定。
演技派の夏帆なので、善人ぶりが嫌になるほどうまいが、むろん夏帆に罪はない。
しかし脚本は、周平にたいして「夢ってある」と、たずねさせる。
一間だけの仮部屋で、きのくるった母と、実父でも養父でもない得体のしれない男と、おさない妹と、怒号と暴力と無一文でせいかつしているかれに、夢をたずねる。グローバルTPSの勧誘ですか?
わたしども映画見たことないわけじゃないんですよ。
っていうか、わたしども生きたことないわけじゃないですよ。
と、個人的には言いたくなった。
日本映画界は旬報や権威主義が同調しているだけの永遠の昭和世界であり、その鬼才たちは、なんか言いたいことがある──ってより、たんに「おれさまは映画監督なんだぜ」ってな自己顕示がしたいだけの山師たちだと思う。そのどうしようもない旧弊と鄙感。
実話だろうがなんだろうが、団鬼六の緊縛ものと変わんない。0点。
愛が全て
働けない。いや、働かない。子供を愛さない。いや愛せない。長澤まさみ(名前忘れた)が子供と共依存しネグレクト、虐待を繰り返していくという映画だったが、なぜ、働かないのか、なぜ子供を愛せないのか、なのになぜ、男にすがりつくのか、なぜ女性的な魅力はあるのか、なぜ育てられないのに「私の子」だと愛が変に強いのか。周平は学習能力も高く、面倒見もよく、優しい子だけど、愛がなく暮らすところもない荒んだ環境で育ってしまったがために自らの手を汚してしまう。という何とも残酷な結末。愛が無いってすごく残酷でこわいこと。子供は自分の分身だとしても一人の人間として産まれてきた以上は学ぶ権利も幸せになる権利もある。妹を可愛がるお母さんを見てきたが故に歪んでしまった愛なのかなぁと感じました。
実際にこういう家庭はあると思うから、子供たちを守りたい。
歪んだ母親の愛情が産んだ悲劇かもしれない
DVDで鑑賞
本当にダメな母親だ。
働かない、男がきれない、子供にお金の無心をさせる、
キリがないほどのダメ母だ。
でも不思議に、歪んでいるけど子供を愛してるのだと感じた。置いていく時も誰かに面倒を頼むし必ず帰ってきた。2人目も産んだし必ず一緒にいるのだ。
もちろん私の物、所有物としての愛着で、母親としてのそれではないかもしれない。けれど歪んでいてもその愛は子供には伝わっていた。
母親とその男という狭い世間しか知らず、善悪の判断基準が母にある彼は、せっかく抜け出せるチャンスにも結局母親を選んでしまう。お母さんは1人では生きられないから、、と刑務所の中で児相の女に呟いた青年の気持ちが悲しい。母のために祖父母を殺し母のために罪を被る。
そんな子供に母親はもしかしたら当たり前と思っているのではないか。この子は私の物なんだからと。
それが映画の最後の表情に表れている気がした。
強烈な話
強烈な話。
産んだ子どもを 自分が思い通りにできる所有物のように見ている 母親の話😨
長澤まさみちゃんのハードな行動を
息子役が受けなければならず、迫真だった!PG指定
主人公女性は、
男に依存し、子どもは二の次になる。
お金がないと、子どもを使いお金を集める。
失敗すれば、八つ当たり。殴る、暴言は当たり前。学校に通わせない。
それでも、息子は母からの命令を聞きづつける。
息子が育つと、母と子の関係は逆転し、母を養い、母の都合で放浪したり、最悪な事件へと発展する。
依存性パーソナリティ、演技性パーソナリティ、境界線パーソナリティ、猜疑性パーソナリティが混ざったような女性。
児童相談所や祖父母もちゃんと介入出来なかった。。
想像どおり
なかなか見応えのある作品
疲れる映画
長澤まさみが頑張ってた映画。
実際に起きた事件を元に映画化しているが、良し悪しではなく、加害者少年のルポを加工せずに台詞に起こしている為、独立した映画というより、再現ドラマの色合いが強い。元の事件をある程度、知っている者からすると、目新しい部分はなく、ひたすら駄目女とそれに巻き込まれる周囲の人物を延々と見る羽目に。
オリジナル要素としては、長澤まさみ演じる駄目母が、延々と周辺の男とやりまくるシーン。この点のみ、妙にリアリティーがあり、脚本家のセンスが垣間見えた。
新聞記事やルポタージュ以上に得る物はないと思っていた映画だが、通しで観た事で、実際の母親が軽度の知的障害だったのでは?という考察が生まれた。これは長澤さんや大森監督がどの程度意識していたかは知らんけど、女性を描写するにあたり、暗に示唆している様には感じた。
そこに妙な納得というか、説得力はあった。
オススメかと言うと、全くお勧めしない。
あと、これは言っても仕方ないが、ホームレスの長澤まさみがメイクしてるのは変だ。
ラストシーンですっぴんを見せていたのには驚いたが、寝る時はメイクを落とし、路上生活ではメイクをするって一貫性がない。服をいくら汚しても、そこにリアリティーというよりは扮装に見えてしまう要素があり、そこまで女優生命というか長澤まさみのイメージをぶち壊すような映画じゃないのかもしれんけど、中途半端に思えた。
役作りってないのかな?
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