THE BATMAN ザ・バットマンのレビュー・感想・評価
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隠された「暗部」が作る物語の奥行き。
○作品全体
ゴッサムシティとそこで起きる事件、そして主人公であるブルースの秘密。その全てにある「暗部」の演出が面白かった。
フィルムノワールを意識した黒が支配する画面が作品の大半を覆い、街にも人にも影を落とす。事件そのものは謎解きの要素が饒舌すぎる印象はあったが、世界の仄暗さが劇場型犯罪の派手さを上手くコントロールしているように感じた。
暴力や犯罪に澱む街の暗部から始まり、バットマンの過去の暗部に踏み込んでこんで行く展開も良い。街のヒーローであるはずの存在も、ゴッサムシティと同様に暗部を抱えた存在であることを示すことで、漂白されたヒーロー像と明確に一線を画している。ブルース自身が持つ正義心の野太さも相まって、単なる「アンチヒーローもの」というジャンルではない雰囲気を纏っていた。この雰囲気づくりはやはり、暗部を多く持った画面の質感があったからだろう。
眩しいほどの正義感を魅力的にさせるのは、不確かで陰鬱とした過去の暗部の演出、そしてそのコントラストだ。
○カメラワークとか
・「ぼかし」の演出が多彩。主観視点の「ぼやけ」や明度に慣れない視界の不良、雨が流れるフロントガラス、汚れたグラス、窓ガラス…事件の真相に近づこうとするシーンで印象的だった。掴みづらい真相や上述した暗部を意識させる演出。一方でブルースの父の真相に触れかける時には、その話をするファルコーネとブルースを切り返しで見せる「よくあるカメラワーク」で真相を騙すように裏をかいていたりするのがまた面白い。
・アクションはブルースがセリーナを助けに行くシーンでマズルフラッシュを使ったアクションシーンがカッコよかった。既視感があったけど思い出せず。
○その他
・痩せこけて目の周りに影を落とした長身の主人公、カッコいいよなあ。『ガングレイヴ』のブランドン・ヒートとか『鬼哭街』の孔濤羅とか。どれも無口なタガが外れたタイプの主人公だ。
・劇場型犯罪の派手さが逆に滑稽になってしまってる部分はいくつかあったなあ。「翼のあるネズミ」を推理するシーンなんかは、なぞなぞに一生懸命になって走り回ってるようにも見えたし、犯人とテキストチャットでやりとりするところは画面だけ見せてたけどカタカタ「どういう意味だ??」とかタイプしてるバットマンとかちょっと滑稽かなあ…と思ったり。
・『エレンの歌 第三番』を歌う悪役、『フルメタルパニック セカンドレイド』以来で見た。他の作品にもいそう。
社会の病理を映すダークヒーロー物の最先端
シリーズはノーラン三部作しか観ていない。今回は3時間という長尺が不安だったものの、ロバート・パティンソン目当てで観に行った。
いや、とっても面白かった。見たい世界をしっかり見せてもらえた感じがする。
殺伐としたゴッサムシティ、ジョーカーを彷彿とさせる白塗りメイクの集団。セクシーで意思も戦闘も強いキャットウーマン(とかわいい飼い猫たち)、迫力のアクションとバットモービルのカーチェイス、一筋縄ではいかないヴィラン。シリアスなトーンで通された中、まだ滑空し慣れてないバットマンの姿はちょっと愛嬌があった。
「TENET」ではどこか気のいいお兄さんの風情を漂わせていたパティンソンの瞳が、見事に復讐の情念がにじむ暗い輝きを宿していて、マスクを着けていてもそれが伝わってきた。鑑賞歴のせいでクリスチャン・ベールのイメージが足を引っ張らないか少し不安だったが、絶妙な塩梅でイメージが更新されていて、残念な違和感は皆無だった。
バットマンの世界では、権力側の腐敗が繰り返し描かれる。そこにはびこる悪を、やんごとない出自の主人公が人知れず討つ。ラストで希望が見えても、ゴッサムシティの治安がよくなる世界線はない。
これは荒く括れば日本の時代劇の様式にも通じる気がする。悪代官がいて越後屋がいて(これはほんの一例だが)、お主も悪よのうとかやってると、必殺仕事人とか桃太郎侍(古すぎる)みたいなのが夜中にやってくる。見得や殺陣で盛り上がった末に悪人は始末されるが、そのイベントは次の話に影響を及ぼさない。
どちらにおいても肝となるのは、悪の姿が現実の権力腐敗や社会悪を反映していることだ。時代の移り変わりで悪の生態は変わり、根絶やしになることはないから、こういう物語はネタが尽きない鉄板の構図だ。ただし、情報化社会で価値観の多様さが見えやすくなった現代では、ステレオタイプのヴィランは既にリアリティを失っているのかも知れない。
本作のヴィランであるリドラーは、ブルースの父トーマスの基金で再建されるはずだった孤児院の出身で、トーマスがファルコーネに頼った末に基金の金が腐敗した権力者の食い物になったことを恨んでいる。
従来のいかにも悪人らしいキャラクターではなく、社会の不条理に人生を踏みにじられた弱い立場の人間が、SNSでコミュニティを形成しながら知能犯的な殺人を重ね、最終的に無差別な殺戮に及ぶ。キャラクターのたたずまいはバットマンに対峙するヴィランとしては迫力に欠けるかも知れないが、あまたいる似た境遇の人間がフォロワーとなり、ゲリラ的に増殖してゆく恐ろしさがある。これは、ジョーカーに追随する集団が現れたのとよく似ている。
見捨てられる弱者、巨額な基金の横領、絶望した人間による無差別殺人……まさに今の時代を感じる要素だ。リドラーの犯行は悪質だが、彼の生い立ちそのものにはリアルな悲劇がある。
そして、トーマスでさえかつて魔がさしたのかファルコーネを頼ろうとした。作中ではアルフレッドが弁明していたが、父親を腐敗と無縁の人間と思っていたブルースの心は揺らいだ。
分かりやすい善対悪の単純な対立ではない、その境目の入り組んで複雑な様相を見て、架空の主人公が想像上の世界で闘う話にも関わらず、見る側は現実が凝縮されたようなリアリティを感じる。これはシリーズの他の作品にも見られる特徴かも知れないが、本作では特にこの傾向を強く感じた。
エンドロールにコリン・ファレル……出てた?と思ったらペンギンだった。そのこてこて特殊メイク、ジャレッド・レトですかあなたは。
ちなみに、エンドロールの後に表示されるURLのサイトでは、先日まで週替わりの”なぞなぞ”が出題されていて、それは”新しい友達”ジョーカーの出現を暗示するものだったそうだ。現在は、作中に出てきた写真をダウンロード出来るようになっている。
どうだ観たか!これがBATMANだ!
「正義の味方」という名の乱暴者、得意技は暴力、それがバットマンの真の姿――それが冒頭の第一印象。舞台のゴッサムシティの荒れっぷりはすぐ見て取れる。ジョーカーよろしく白塗り集団のチームに、半分しかメイクされてない新入りが一人。恐らく、それが上下関係を示す証なのだろう。そんな階層をも築かれた街など、もはやロクなものじゃない。その新入りがアイツをやっちまえとそそのかされる。そこに現れた我らが正義の味方、バットマンの登場――などと格好良さの欠片もない。金に飽かせて造らせた鎧で銃弾をもはじき返し、一方的に殴りつけるだけのパワーゲーム。その拳の力は恨み辛みそのもの。正に、「復讐」という名のヒーロー。
これまでバットマンの映画化・映像化は何度もされているので、詳しい説明はほとんど無く、月に写された蝙蝠のマークはどういう意味か? もちろん意味が有るんだけど、興味がある人が後で調べれば良いことで、本作を観る上では問題ないでしょう。
蝙蝠というだけに、夜の暗がりを飛び交い、得物を狙うのが本性。お陰で、映画の全編が暗くて暗くて、バトルシーンやチェイスや単なる人同士の対話でも誰が誰なのか判り無いほど暗くて暗くて暗い映画。お陰で、途中で眠っちゃったほど。激しいアクション映画だというのにもかかわらず。でも、ラストでハッキリと眼が覚めました。正しく眼が覚めるような結末でした。
ここから激しいネタバレなのですが、警部が犯人に問いかけます。お前は誰だと。普通、聞かないと思います。これは闇にバットマンに向けられた質問だったのでは無いでしょうか。「復讐だ」と応えた瞬間、バットマンにカメラがパン。そう、俺はお前だ。お前は俺と同じなのだと。悪は許せない、許さないと襲いかかり、馬乗りになって、ただ殴りつける。思わず、仲間から制止されるほど、怨みを込めて殴りつける。
しかし、ブルース・ウェインは否定しました。胸のバットマンのシンボルを引き千切り、その思いを象徴するかのようにケーブルを断ち切り、洪水で逃げ場を失った人々の元に舞い降りる。そして篝火を灯して人々を導く、これぞ聖者のような美しさ――本当に美しかった。ずっと暗いシーンが続いただけに、このラストのシーンだけは一生忘れたくない、ずっと我慢して見た甲斐があったと云いたくなるほど美しかった。
その後の続編が出そうな犯人の笑い声、キャットウーマンとじゃれ合うようにバイクを走らせて去って行くシーンも中々でしたが、そして最後の最後。全てのシーンが終わった後に、画面一杯に表示された「THE BATMAN」、これぞバットマン。どうだ観たか!これがバットマンなのだ!――そんな監督の叫びが聞こえたように思えたのですが如何でしょうか。
見終えて、1時間と立っていませんが、ここまで感想を夢中で書いてしまいました。長文ごめんなさい。それほど、ラストに感動していまいました。いやー、良かった。
Once Again, Once Again
Do we really need another one? Here is a reinvention of a Nolan reinvention in the middle of a Joker reinvention that goes alongside a Suicide Squad reinvention; this goes off the charts on a Spidey Multiverse level. But the film succeeds in being more dark than its Bale-led predecessor, some may say the most serious film ever made. The brooding poetry of its hero sums to a new arc in character.
トンチキなところも多かったが、それもこの作品の愛嬌かも知れない。
斜に構えたような見方になってしまって申し訳ないのだが、結構これはトンチキな映画ではないか。過去のどのバットマン映画よりもブルース・ウェインの内面に迫ったり、ダークナイトの異名にふさわしくほぼ全編が夜のシーンであったり、マッスルカーになったバットモービルの異様さだったり、コンセプト的には非常に興味深い。ただ、3時間の冗長さや、セリーナ周りのプロットの弱さ、なんかバットスーツでじゃぶじゃぶと人助けを始めた絵面の間抜けさ、キスシーンの唐突さなど、どうにも上手くいってないと感じる局面が多く、さりとて思い出してみるとそれもこの映画の愛嬌だった気がしてきた。皮肉で言ってるんじゃないんですと言い訳するが、要するにバットマン映画ってハードルが上がりまくってしまっていると思うのですよね。自分の中でも上げてしまっていたハードルを、自覚的に下げみたら、思っていたより楽しい映画だった気がしてきた。ブルースのキャラもかわいいし。ただ、多くの人がすでに言っていますが、3時間のうち半分はトイレを我慢していたので、年齢的にはもはや死活問題であり、休憩を入れて欲しいです。心から。
法と秩序の外側
映画の上映時間に長さを感じるかどうかは、実際の上映時間以上に作品がどれだけよくできているかで決まると思う。この映画は少し長く感じた。あくまで「少し」だ。 今回の悪役リドラーは知能犯以上に思想犯だった。社会には秩序がある、だが社会の秩序は狂っている時がある。狂った秩序を正そうとすると、その秩序内の法や規律を守っていられない。そんな時は法の逸脱こそが、法や規律を超えたもっと大きな意味で正しい行為となる。リドラーはそういう地点に位置しそうになっている。(完全に達し切れていないように思う) そもそも、バットマンは法で裁けない悪を力で裁く存在だ。だが、街の名士として秩序内の立場を保証された存在でもある。彼の出自はリドラーにつけこまれるポイントだ。最後に究極の善人となるような決断を下すバットマンだが、あれはあれで確かにヒーローの姿のひとつだろう。しかし、法の外に出ることが時に正しいことになるということも否定できないことも確かだ。
暗黒のゴッサムを漂う、虚ろな瞳。
その眼差しには痛切な傷みがある。シリーズを通じてこれほどまでに瞳に注力した俳優も演出家もいなかったかも知れない。寡黙に心を閉ざし、傷心に苛まれながらも、生きる目的を見出そうともがく男ブルース・ウェイン。
新たなるバットマン。
その若き日を描く『THE BATMAN』最大の特徴は、従来通りの寡黙なキャラクターに重ねながら、目にクマ塗りを施してまでマスク下の瞳(眼)にフォーカスしたことにある。観客の意識下で目の演技によってブルース・ウェインの感情をつぶさに伝える。ロバート・パティンソンはシリーズ史上最高の眼力を発揮している。これだけで観る価値はありだ。
『市民ケーン』は死に際に「薔薇の蕾」とつぶやいて生き絶える。
二番目の妻のために巨大な城を作り、金に糸目をつけずに美術品や動物たちを集め、巨大な暖炉がある居間で夫妻が交わす言葉はなく持て余されている。メディア王として巨万の富を得、すべてを手に入れたかのようなこの男。服従しか許さないその態度から盟友は離れ、妻も去り、身の世話をする執事は金で雇われた男だけ。生きる目的を喪失した晩年のケーンに巣くうのは絶対的な孤独、生涯求めた「薔薇の蕾」とは…。
『THE BATMAN』を観て、ケーンの対局に若き日のウェインの姿が浮かんだ。
若くて蒼いバットマン。
精神は成熟の手前にあり、自分の使命だと決めた自警活動は思うようにはいかない。身体を鍛えることは怠らず、父から引き継いだ遺産で悪の撃退アイテムを手作業で整える。ゴッサム屈指のウェイン産業経営にはまるで興味がなく、会社のことも身の回りのことも執事アルフレッドに任せっきり。
彼は日記をつけている。
街を浄化するための活動を始めて約二年、彼が目指す理想を実現するのは困難だらけ。考えることは山ほどある。何を優先しどう対処するのがベストなのか、試行錯誤の連続だ。夜な夜な獲物を求めて街を彷徨う。こんな自分は獣と同じではないのか…。しかも、カオスと化したゴッサムシティは目の前で堕落し続けている。
ウェインの眼に語らせるために、日記によるモノローグが効果的に使われている。自分だけの秘密=日記を開示することで、無様な自分に対する嘆きをゴッサムの混沌に重ねて描く。ここにマット・リーブス監督の本気度を感じた。
成長の過程にある未熟なウェインに起用されたパティンソン。
全編モノクロームの『ライトハウス』で、裸になって恍惚に酔うという飛び道具を与えられたれウィリアム・デフォーとは異なり、凡であるが故に理不尽な要求を前に狂気を露わにする無骨な男。呪われた過去を抱える陰影の深い演技は決して楽なことではない。多分にエキセントリックなキャラクターに物怖じせずに挑んだその役柄は、ウェインへの布石となったのかもしれない。
ウェインが心を許す数少ない人物のひとりが、キャットウーマンとなってバイクで疾走するセリーナだ。女優として洗練されたクラヴィッツのスマートな姿には好感を持った。アルフレッドのアンディ・サーキスは監督の盟友として役割を果たす。そしてバットマンの対局に位置する“合せ鏡”となるリドラーにポール・ダノ、ここは多言無用だろう。
ギミックへの配慮も行き届く。
若きウェインはデイパックを背負いバイクを駆る。バットスーツは防弾で身を守るだけではなく、クラップルガンを装備し、屋上から降下するウィングスーツにも変わる。チューンナップされバットモービルもこれ見よがしには登場させない。ラストではバイクがさりげなくアップデートされている。ストイックなこの姿勢が、新たなるバットマン像と重なっている。
妥協なきビジョンが貫かれた、かつてないゴッサム・ノワール
一言で言って陰鬱としている。だがこれは決して否定的な意味ではない。作り手の意図や世界観が刃物のように研ぎ澄まされているというか、映画が始まると同時に広がる奇怪な”視線”にしても、得体の知れない胸騒ぎをひたすら膨張させてやまない。それほどマット・リーヴスが構築するノワールなゴッサムシティは謎と荒廃に満ち、寒気が走るくらい圧巻だった。そして珠玉のキャスト。ある人物が「人は見かけとまるで違う」というセリフを放つが、確かにここに集う誰もが従来の俳優としてのイメージを大きく覆している。青白さ際立つ主演のパティンソンはもちろんのこと、アンディ・サーキスの誠実さも魅せるし、コリン・ファレル、タトゥーロ、それから肝心の”あの男”も、尋常ではない怪演ぶりだ。暗くて孤独な道筋はどこへ繋がっていくのか。あらゆる悪を白日の下に晒すことができるのか。我々は今まで以上に覚悟しながらこの戦いの行方を見届けねばならない。
大ヒット作「ジョーカー」に寄せる方向性はアリだとは思うものの、割と賛否が分かれそうな「バットマン」リブート作。
「バットマン」映画で最高峰だと思われる作品に「ダークナイト」があります。ただ、そんな「ダークナイト」に引けをとらなかった作品に、第92回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞を含む最多11部門ノミネートまでした「ジョーカー」があり、本作は「バットマン」のリブートに際して、この「ジョーカー」に寄せてきた感があります。 とは言え「ジョーカー」ほどのリアリティーは、そう簡単に作れるものではないと再確認できた作品でもありました。 まず良かったのは、ポール・ダノ扮する知能犯リドラーが謎解きをさせるという見せ方で、何とか状況が散漫にならずに済んだ点でしょうか。そして、飄々と猟奇的な雰囲気を醸し出せるのは「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」などと同様に、流石のポール・ダノでした。 また、「TENET テネット」のニール役でも活躍したロバート・パティンソンも、バットマンに合っていたと思います。 ただ本作の作風は、全般的に画面も含めてほの暗く、私は(実在の未解決事件を描いた)デビット・フィンチャー監督の「ゾディアック」という作品を思い出していました。私は「ゾディアック」も好きなのでいいのですが、王道の「バットマン」において、このトーンは、やや一般受けしづらいのではと感じました。 また、本作ではほぼ覆面スーツだからなのか、バットマンの覆面から見える素顔の部分が広くなっているような印象を受けました。 そもそも、ブルース・ウェインはゴッサム・シティで最も有名な人物です。 そしてロバート・パティンソンは顔も独特な美形なので、世間が「バットマンが誰なのか気付かないのはおかしいのでは」という懸念は消えませんでした。 このように、ややリアリティーに欠け、キャットウーマンとの関係性も含め必然性と共に魅力が描き切れていない印象。 とは言えクリストファー・ノーラン監督版の「ダークナイト」前の「バットマン ビギンズ」もそこまで出来が良かったわけではないので、次回作でどんな方向転換があるのか期待して待ちたいと思います。
最悪の更新
結論めちゃくちゃ好みだった。最近マーベルのエンタメ感に呑まれてたけど、そうですわ私完全にDC派やった。 超名作のハリウッド大作としてはかなり攻めててるなという印象。 バットマンはこうでなくては。ゴッサムシティって常に過去最悪な町を更新してくるよね。 明るいシーンが一瞬たりともないのも振り切ってて好き。 絵がめちゃくちゃカッコよかった… 長尺だけど最初から最後まで飽きなかったな。 どんだけ名シーン詰め込むねんていうくらい詰め込まれてた。 一応ヒーローなのにバットマンの登場シーンはホッとするどころか恐怖を感じてゾクゾクするよね。 ところがバットマン自身が自身の存在意義を見出してからは、ヒーローの登場シーンになる。 その変化を自然な見せ方を映像で表現してることに気づいて静かに感動している。 カースタント 停電の闇の中の戦闘シーン 照明灯を照らし人々を導くバットマン どれも名シーンであった、、詰め込みすぎでもったいないくらい。 映像のリアルさというか手持ちカメラで撮ったような荒々しさと不穏さがあってハリウッドらしからぬ予定調和じゃない緊張感を感じたんだけど そうか、この監督クローバーフィールド撮った人なのね。 俯瞰するのじゃなく、仕掛ける方でもなく、市民の目線だからなのかな、突如襲ってくる暴力の理不尽さや迫力が際立つよね。
また、新たなバットマンが生まれた!
いやー、ビックリです。 同じ「バットマン」を扱った映画なのに、どうしてこんなに違うんだろう。 毎年、違う個性を持った仮面ライダーが登場するのに、どの映画も同じような作りになる邦画に見習ってほしいです。(だから、子供向けの一言で終わっちゃうんだろうね)
DCも「シャザム」とか「アクアマン」で、ちょっと軽めのユーモア路線に傾いていくのかと思ってたら、この「ザ・バットマン」は、メチャクチャヘビーでハードでした。
ただ、長いよね。映画館で見た時には、その淡々とした展開に飽きが来ることもしばしば・・・ 体調がイマイチだったのか、長めの瞬きをしてしまって、話が飛んで???なところもありました。
ところが、今回、Blu-rayで見直したら、メチャクチャ面白い!全然、長さを感じません。
すっかり魅入っちゃいました。やっぱり、体調ってのもあるんですかね。
さて、本編ですが、謎解きがメインのミステリー仕立てです。
謎が謎を呼ぶって感じで、展開が気になるストーリーですが、相変わらずド派手な画面の連続です。 特に雨の中のカーチェイス、なかなかしびれました。 クライマックスのゴッサムが○○になるところもド迫力で見応えあります。
戦闘シーンも、苦戦を強いられたり、暴力的になったりと意外性があって楽しめました。
キャットウーマンもカッコよくて良かったです。可愛らしい表情も見せたりして、セクシーなところも抜群でした。
「ダークナイト」みたいな重厚なバットマンはもうないだろうと思っていたけど、別な雰囲気でこの作品も結構シビアでした。
ホンッと、じっくり何度も見てみたい一本です。
【ネタバレ】
なんか、リドラーがショボくなかったですか? あんな殺人事件を起こしておきながら、あっさり逮捕されちゃうし、普通の見た目でインパクト無いし。あのたくさんの人達、みんなでリドラーってこと?ヴィランって感じが全然しませんでした。
ただね、グロい連続殺人と、堤防破壊によるゴッサムの水没と、やってることは、えげつなかった。
スーパーヒーローも殴られれば痛いし、 消耗もする。 じゅうぶん強いが強すぎないのが、 イコライザーのデンゼル・ワシントンとの違いだと思う。
動画配信で映画「THE BATMAN ザ・バットマン」を見た。 2022年製作/176分/G/アメリカ 原題:The Batman 配給:ワーナー・ブラザース映画 劇場公開日:2022年3月11日 ロバート・パティンソン ジェフリー・ライト コリン・ファレル ポール・ダノ ゾーイ・クラヴィッツ ジョン・タトゥーロ アンディ・サーキス マット・リーヴス監督脚本 知らなかったのだがキャットウーマンを演じるゾーイ・クラヴィッツは レニー・クラビッツの娘らしい。 バットマンシリーズを最後に見たのはたぶん2016年の 「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」 だと思うのだが、2022年に新しいバットマン映画が上映されていたとは知らなかった。 映画館の常連だったオレも、 コロナウイルスのせいで映画を見るのは配信でとなった。 なので、映画の予告編を見る機会がほとんどない。 新しい映画情報には疎い方である。 新しいバットマンはロバート・パティンソン。 長身でイケメンでバットマンにぴったりの雰囲気だ。 ゴードン警部補を演じるジェフリー・ライトは物静かな男で バットマンとのコンビがいい感じだ。 バットマンは劇中でたくさんの悪者と対峙するのだが、 そのほとんどは肉弾戦で、体力勝負だ。 スーパーヒーローも殴られれば痛いし、 消耗もする。 じゅうぶん強いが強すぎないのが、 イコライザーのデンゼル・ワシントンとの違いだと思う。 バットマンとリドラーとの対話、 ゴードン警部補との対話、 キャットウーマンとの対話、 バットマンの内面もちゃんと描かれる。 約3時間と十分に長い映画だが、 それほど長さを感じさせない、 見応えのある映画だった。 続編もあると思うが、 楽しみに待ちたい。 満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
名探偵バットマン
新たなバットマンシリーズの幕開けとなる(?)作品。 いやぁ~長い。 いやぁ~暗い。 バットマンは、装備がいかつい普通の人なので、雑魚相手でも一撃で倒せなかったり、ちょっとやられちゃったり、見ててもスカッとさせてくれないんだよなぁ(^_^;) そんなスカッとしない3時間でした… まぁでも、ひたむきに正義のために行動するバットマンの姿勢に、心が熱くなりました(^^)b それにしても、ペンギンがコリン・ファレルだとは思わなかった(^_^;)
1番好きなバットマン
面白かった 今回のバットマンは1番好きだ。 暗さが良い。 権力者を標的にした連続殺人が起きて、現場を検証するシーンは、どこかセブンを観ているような。 バットマン役のロバートパティンソンはトワイライトシリーズで印象に残っていて、テネットで格好良さを再確認。 戦闘シーンもカーチェイスもハラハラさせてくれる。 イカレタ犯人が最後に見せた顔。 ん?どこかで見たような。 ポールダノって、リトルミスサンシャインの? いやいや面白かった。
少しは手加減しろ
当時、映画館で観ました🎬
ロバート・パティソン演じるバットマンが、ポール・ダノ演じるリドラーと対決するストーリーですね。
リドラーは色々仕掛けをしていて、それに翻弄されていくバットマン。
アンディ・サーキス演じるアルフレッドまでもが狙われ、バットマンは怒りますが…。
最終的には、リドラーの企みを阻止することに成功し、率先して人々を助けるダークヒーローになりましたね🦇
セリーナを演じたゾーイ・クラヴィッツとも多少ロマンスはありますが、ラスト近くで一旦別々の道へ。
彼女は華奢過ぎる気もしますが、キャットウーマン的な雰囲気はありましたね。
そして、特殊メイクをしたコリン・ファレル演じるペンギン。
結構目立っていたと思います。
予告編で車ごと横転させられるシーンでの、ペンギン視点で迫ってくるバットマンは怖いですね。
ジェフリー・ライト演じるゴードンも、わざと殴らせてバットマンを逃がすシーンは良かったと思います。
全体的にダークな作風ですが、バットマンはどうしてもそうなりがちなので。
上映時間が3時間近いので、後半は少し間延びしますが、完成度は高いと思いますね😀
続編もあるようなので、期待です🙂
純粋すぎる正義
2024 46本目 使命感にかられた闇堕ちヒーロー。 個人的には今までで1番好きなバットマンだ。 まあとにかく人間臭い。007カジノロワイヤルの泥臭いジェームスボンドを思い出す。 そんなバットマンが謎解きに巻き込まれていく。 世界観のダークな感じもそのままに表現されている。 若き日のバットマン。まだ彼がマスクマンと気持ち悪がられる時の話。 無秩序なゴッサムシティの闇に立ち向かい2年。 心はだいぶ荒んだようだ。 最後まで瞳がそれを表現している。 個人的には犯人による殺人などはエッセンスに過ぎない。ゴッサムシティではただ繰り返す現実。 謎解き、戦い、アクションは確かに面白いが、そこではなく過去から脱出をしようとするバットマンに見応えがある。 3時間の長編映画だが、この時間をかけた映画でもバットマンは皆の思うヒーローにはなれていない… 今後も楽しみ。 とにかく鋭く寂しい瞳をしているバットマン。 good bye ( ? )
面白い!
そもそも金持ちの道楽をヒーローに指向したコミックだと思ったが、なかなかシリアスでスリリングさがあって面白かった。 バットマン、キャットウーマン、リドラーのそれぞれのキャラクターたちが根源に持ったものはとても似通っている。 その自分自身の根源にあるものをそれぞれのやり方で表現しているに過ぎない。 そしてどんな表現でも構わないが、作中の中にあるのが「街」。汚職。 誰がいいとか悪とかではなく、この街、つまり国は変わることができるのかと、映画を通して問いかけている。 3人のキャラクターはいずれも行動したのだ。最後にバットマンは、「私は人々に影響を与えた」というが、実際に影響を与えたのはリドリーだったのではないか? そんな愚問が浮かんできた。
リドラーの魅力が薄め
前のダークナイトシリーズを見てしまうと、敵役のリドラーの魅力が薄い。やはりスピンオフまで作られるジョーカーの魅力が強すぎるのか。あまりにリドラーが簡単に捕まってしまうため、最後にどんでん返しを期待したが、それも無く、正直微妙だった。
キャストや監督の無名性が逆に可能性の提示に成功している。
これはすばらしかった。
位置づけとしては「バットマン」というよりはポランスキーの「チャイナタウン」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」に近いと思う。
ストーリーは、若きブルース・ウェインを扱っている。冒頭で「2年間の生活で、おれはすっかり夜型人間になった」というモノローグがあるので、「イヤースリー」ということになる。
市長が暗殺され、犯人からバットマン宛の手紙が残されていた。
その後も、ゴッサム・シティの政治にかかわる重要人物が次々と殺されていく。
犯人がリドラーであることは早い時期にわかる。リドラーを追ううちに、ブルース・ウェインは、この事件が自らの両親や、ゴッサム・シティがうまれたころの出来事に根があることがわかっていく。
といったもの。
映像は基本的に暗い。ハードボイルドタッチではあるのだが「ブレードランナー」の暗さとはまた違っていて、ゴッサム・シティの街明かりなどは美しい。
これは、物語においてゴッサム・シティの成り立ちが重要なキーワードになってくるから、印象的に撮影する必要があったのだろう。
撮影にはかなりこだわっている。時にやりすぎな感じがするショットもいくつかあったが、おおむね成功している。
なによりも驚いたのは、通常、バットマンの映画ではバットマンやジョーカーといったキャラクターが映画の中では世界に普通に存在しているのだが、本作ではバットマンが「奇妙なコスプレをしたフリーク」扱いになっているというところで、映像を観ていても、「なんでこんな格好で出歩いてしまっているのか」という違和感を覚えさせる。これは今までのバットマン映画にはなかったオリジナリティといっていいだろう。
これはおそらく意図的にやっていて(意図的にそういうことができるのが驚異的なのだが)、最後のほうでその演出が活きてくる。
また、音楽もおもしろかった。
本編中では、「アヴェ・マリア」と、ニルヴァーナの「サムシング・イン・ザ・ウェイ」、そして「バットマンのテーマ曲」の3曲がバリエーションを変えて流れる。他の曲は流れていないと思う(クラブのシーンではズンズンいうリズムトラックは流れていたが)。そして、「サムシング・イン・ザ・ウェイ」と「バットマンのテーマ曲」はメロディが同じだった。使っている音符が違うだけだと思う。これはあえて同化させているのだと思う。
ネットでカンニングしたら「サムシング・イン・ザ・ウェイ」は「生命の線引き」に関する歌だという。
本作はまさにそういう映画だった。リドラーがブルース・ウェインに向かって「お前は両親を殺されたから『孤児』だと?孤児っていうのはどういうものか知っているのか」みたいなことを言うシーンがある。
人は生まれながらにして裕福だったり貧しかったりする。そして、その違いは一生を左右してしまう。もし、貧困層が夢や希望を叶えるチャンスがあったとして、その機会が奪われたら、もう二度とそんなチャンスはめぐってこないかもしれない。
「人は生まれながらにして線引きされてしまっている。それはもうどうにもならないことなのだろうか」という問いがある。だから、ふたつの曲を同化させたのだろう。
「アヴェ・マリア」はおそらくシューベルト版を使っているのだと思う。実はこの曲は宗教曲ではなく、タイトルも「アヴェ・マリア」ではなく「エレンの歌 第3番」というもの。エレンという娘が洞窟に追っ手から逃れるために洞窟に隠れ、聖母マリアに助けを求める、という内容。本作の内容を考えるとリドラーのために用意された曲のような気もする。
シナリオの作りが非常に緻密でうまい。
ブルース・ウェインは自らの過去に立ち向かうことで、トラウマを解消せねばならない。そして、そのためには必然的にリドラーを見つけねばならない。もしくは逆に、リドラーを見つけるためには、自らのトラウマに立ち向かわねばならない。
よくできた文芸作品のような映画に仕上がっていた。
製作費は284億円。興行収入は1,095億円。ちなみにバットマン映画で一番評価が高い「ダークナイト」は製作費260億円で、興行収入が1,429億円。やはりレジェンド級の作品とは売り上げが違う。ただし、クオリティという意味では本作のほうに軍配を上げるファンも多いのではないかと思う。
ロバート・パティソンやポール・ダノといった最近メジャーになってきた俳優たちが作り上げた新しい世界は、この先を期待させるのには十分な出来栄えだった。
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